六国見山
散策:2005年06月中旬
【街角散策】 六国見山
概 要 六国見山は、北鎌倉駅から北東へすぐの所にある低い山です。 山頂にある展望デッキからは鎌倉の街や海を見渡せる景色が広がっています。 六国見山からは一旦平地まで降りて、線路向こうの尾根筋に続く大仏ハイキングコースを歩きます。 源氏山公園や寺社などを訪ねながら鎌倉駅へと向かっていきます。
起 点 鎌倉市 北鎌倉駅
終 点 鎌倉市 鎌倉駅
ルート 北鎌倉駅…権兵衛踏切…六国見山登り口…六国見山…稚児墓…天園ハイキングコース分岐…明月院…浄智寺…天柱峰…源氏山公園…葛原岡神社…日野俊基墓…源頼朝像…寿福寺…八坂神社…小町踏切…鎌倉駅
所要時間 3時間40分
歩いて... この日は生憎の曇天だったので、残念ながら六国見山からの眺めは霞んでいて今ひとつでした。 大仏ハイキングコースは駅からほど近い所にあって、多くの人々が訪れていました。 ハイキングコースとはいっても途中には公園などもあって、特別な準備をしていかなくても散策することができます。
関連メモ 化粧坂, 鎌倉回峰, 六国見山, 六国見山, 台峯緑地, 六国見山, 源氏山公園, 六国見山, 常磐山緑地, 大仏切通,
鎌倉七福神, 六国見山
コース紹介
北鎌倉(きたかまくら)駅
北鎌倉駅(JR横須賀線)の裏口から歩いていきます。
大船・横浜方面から来た場合は、線路を渡らずに鎌倉寄りのホーム先端にある臨時出口からそのまま出ます。 そしてホーム沿いの細めの道を大船・横浜方面へと進んでいきます。
お客様へ
北鎌倉駅をご利用いただきましてありがとうございます。 臨時改札を通行される際、次の事柄についてご理解をお願いします。
・定期券、乗車券、回数券、イオカード等は自動改札を通して頂くようお願いいたします。
・自動改札を通過されない場合、障害等が発生する場合もあります。
ご注意!
きっぷをお持ちでないお客様はここからの乗車はできません。 きっぷは、円覚寺前の踏切を渡り、駅表口の「きっぷ売り場」でお買い求めください。
 (北鎌倉駅長)
北鎌倉小瀧美術館を過ぎていくと、駅から2分ほどで、岩にくり抜かれたトンネルがあります。 10歩も歩けば通り抜けられるほどの短さで、背の高い人だと頭が天井につかえてしまいそうです。 背が低めの私の場合は、幸いにもギリギリで頭はつかえませんでした。
権兵衛踏切
トンネルを抜けて、更にホーム沿いの道を進んでいきます。 やがてホームが終わって線路沿いの道になります。 「北鎌第一踏切」を見送って更に進んでいきます。 小さな稲荷神社や料理店へのトンネルを右手に見ながら線路沿いに進んでいくと、 駅から7分ほどで十字路があります。 左手には「権兵衛踏切」があります。 道標はありませんが、この十字路を右折していきます。
民家が続く細めの道を進んでいくと、5分ほどで道は途絶えて石段が現われます。 広い石段を右手へと登っていきます。 石段を登り切ると「高野台」の団地が現われます。 道なりに左へと曲がっていくと道は降るようになります。 住宅が続く細めの道を降っていくと、やがてT字路に出ます。 右手に「至ル 六国見山(約六百五十米)」の標識が立っていますが、 電柱に隠れるようにして立っているので、うっかりしていると見落としてしまいそうです。 この標識に従って、ここを右手に進んでいきます。
住宅地の中の広い坂道を緩やかに登っていくと左へと曲がっていきます。 十字路を過ぎた先でT字路に突き当たります。 このT字路を右折したすぐ先を左へ曲がって真直ぐに進んでいきます。
六国見山登り口
1分ほどすると道が右手に分かれている角に「至ル 六国見山(約三百五十米)、六国見山登り口」と書かれた 標柱が立っています。 右手の道は見送って更に真直ぐに進んでいくと、 住宅が途切れた所の左手に「至ル 六国見山(約二百米)」と書かれた標柱が立っています。 標柱は山の方を示していて、一見して道があるようには思えませんでしたが、 コンクリート壁沿いに進んでいくと登り道がありました。 この小広場の右手の方からも登り道があるようです。
鎌倉市歴史的風土保存区域
この土地において建築物・工作物の新築・改築・増築・土地形質の変更・木竹の伐採等の 行為をするときは届出がいります。
 (鎌倉市役所)
登り始めてすぐに道が右手から合流してきます。 先ほどの小広場の右手から登ってくる道だと思われます。 その道を合わせて、左手へと登っていきます。 雑木混じりの植林帯に続く横木の階段を登っていきます。 途中で「至ル 六国見山 約百五十米」の標柱を見つけて、この道で正しいんだと安心したりします。
やがて笹竹が生い茂ってトンネルのようになった所を過ぎていきます。 1分ちょっとでトンネルを抜けると、その先で道が二手に分かれています。 角に立つ標柱によると、左手の道は「至ル 高野経由大船駅方面」となっていて、 右手の道は特に何も書かれてはいません。 左手の道を覗いてみると、すぐに道が二手に分かれていて、その一方は正面の高みへ登っていくようなのです。
六国見山 (標高147m)
試しにその道を登っていくと、花が供えてある大きな木の袂にある石檀のすぐ先が六国見山の山頂になっていました。 山頂は小広くなっていて、「六国見山々頂(海抜一四七米)」と書かれた標柱が立っています。 また、「浅間大神」と刻まれた大きな石碑や測量の基準点やベンチもありました。
山頂には展望デッキがあり、鎌倉の街や海を見渡すことができます。 晴れていたら素晴らしい眺めなのでしょうが、この日は生憎と曇天だったので、 遠くの方は霞んでいて余りはっきりとは見えませんでした。 「六国」という名前からすると、その昔にはここから六つの旧国を見渡せたということなのでしょう。 伊豆・相模・武蔵・安房・上総・下総の六つの国なのでしょうか。
辺りの写真を撮っていると、後から中年女性の二人連れが登ってきました。 横浜市と川崎市からやってきたとのことで、 ここへは初めてではなく何回か登ってきたことがあるようでした。 先の方の道からは壮年の男性も登ってきました。 その方は横浜市から来られたようで、毎週登ってくるとのことでした。
稚児墓
山頂からは、笹竹のトンネルを出た先にある分岐から大船駅方面へと降っていくこともできるようですが、 今回は展望デッキの左方向にある横木の階段を降っていきます。 降り切った所で、先ほどの分岐を右折してきた道が合流してきます。 合流地点には「至ル 稚児墓(約八十米)、稚児墓入口」と書かれた標柱が立っています。 その標柱に従って、その先に続く緩やかな尾根道を進んでいくと、 常緑樹の生け垣に円く囲まれた稚児墓があります。
生け垣の開いた所から入っていくと、大きな木の袂に石塔がありました。 少し前にお参りしていった人がいるのか、 真新しいお花が供えてあり、線香が何本も煙りを上げていました。 コップに入れた水や大きめの空缶にはお賽銭も供えてあったりしました。
稚児墓を後にして雑木林の中に続く尾根道を進んでいきます。 数分進んで雑木混じりの植林帯へと変わっていくと、降り傾斜が少し増してきます。 この尾根道は地区の境界になっているのか、 道沿いには点々と四角いブロックが埋め込まれていました。 稚児墓から8分ほど降ってくると、右手に道が分かれています。 そばには道標などは見当たらず、どちらへ行けばいいのか迷いますが、そのまま真直ぐに降っていきます。
(右手の道は「六国見山」,「六国見山」,「六国見山」を参照)
笹竹の生い茂る道を数分ほど降っていくと民家の前に降り立ちます。
民家の庭には大型犬が何頭がいて吠え立ててきました。 門を越えて襲ってこないかと恐怖感を覚えたりします。 犬も小さければいいのですが大型になると猛獣と変わず、 見知らぬ人間にとっては危険極まりない存在のように思います。 猫科の動物は少し大きな種になると「猛獣」というレッテルが貼られ、 人間とは一定の距離が確保されています。 人間への慣れやすさからこのような差があるのでしょうが、 見知らぬ人間からすれば、両方とも危険な猛獣であることには変わりがありません。
民家の前を左折して降っていくと、すぐに道が二手に分かれていますが、 右手へ戻るようにして続く道を降っていきます。 少し降っていくと左手に戻るようにして道が分かれています。 正面の道は行き止りのような感じですが、 その左手にある短い階段の先には細い道が伸びています。
天園ハイキングコース分岐
4分ほど降っていくと、左手の石垣と右手の竹林の間の先で車道に出ます。 そばには道標はありませんが、右手に曲がって坂道を降っていきます。 2分ほど降っていくと、左手に登り坂が分かれています。 角に立つ電柱に括り付けられた案内標識によると、 左手の坂道は「天園ハイキングコース」になりますが、 そのまま真直ぐに降っていきます。
明月院
民家が続く道を5分ほど降っていくと、T字路の左手に明月院があります。 ここは別名「あじさい寺」とも呼ばれていてアジサイで有名な所です。 訪れたのがアジサイの花の季節の休日とあって、参拝客の長蛇の列が出来ていました。 人員整理の係員が沢山出ていて、北鎌倉駅辺りまでも続いているようでした。 「明月院へ行かれるんですか?並んでいますので後ろの方へお願いします」って云われても、 どこが最後尾なのかなかなか辿りつきません。 ちょっと花でも見に立ち寄ろうかとも思っていたのですが、この行列を見て速攻で諦めたのでした。
明月院
開基は上杉憲方、開山は密室守厳で、もと北条時頼の建てた最明寺を時宗が再興した禅興寺の塔頭でした。 禅興寺は現在廃寺となりました。この寺には北条時頼公墓所、上杉憲方公墓所があり、またあじさいで有名です。
歴史的風土保存区域・風致地区・近郊緑地保全区域
この色分けした地区は、歴史的風土保存区域・同特別保存区域・鎌倉風致地区・近郊緑地保全区域です。 これらの区域内で建物等の新築・増改築・土地形質の変更・木竹類の伐採・土石類の採取等を行なう場合は 事前に県知事の許可を受けるか又は、届出をしなければなりません。 なお詳細については、次のところへ連絡して下さい。
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター環境部、鎌倉市役所)
浄智寺
明月院の前を右折して小川沿いに250m進んでいくと、横須賀線の線路の所に出ます。 そこを右折した400mほど先に最初の北鎌倉駅の裏口がありますが、 左折した先にある第三鎌倉道踏切を渡って線路の向こう側へと進んでいきます。 踏切を渡るとすぐに明月院バス停があります。 その先を左折していくと、正面に浄智寺への参道があります。
浄智寺
鎌倉五山の第四位で、山号を金宝山といい、北条時頼の孫師時が父宗政の没後、 弘安4年(1281)以後に建てたといわれています。 開山は宋僧の兀庵普寧とされ、境内には鎌倉十井の一つである甘露の井があります。
国指定史跡 浄智寺境内
鎌倉五山第四位、臨済宗円覚寺派、金實山浄智寺は、弘安4年(1281)北条時頼の三男宗政が29歳で没後、 間もなく、宗政婦人と幼少の師時を開基として、宗政の菩提を弔うため創建されました。 中国、宋の名僧、兀庵普寧と大休正念、及び日本僧南州宏海の三人が開山になっています。 これは、当初改ざんに招かれた宏海が、任重しと身をひき、師の大休正念を迎えて入仏供養をおこない、 すでに世を去っていた師僧の兀庵普寧を開山としたためです。 創建当時の伽藍は、外門・山門・行堂・仏殿・方丈・庫裏等を備え、 塔頭は十一院に及んだということです。 永い間には、たたずまいの変化し、現在は、看門寮・山門・鐘楼門・仏殿・書院・方丈・隠寮・庫裏等の堂宇が 柏槙や杉木立ちの中に点在しています。 境内は、周囲を緑の山々にかこまれ、昔ながらの、広大な寺域を残しており、 地理的環境と鎌倉五山の伽藍遺構を後世に伝えるため、国の史跡として保存されています。
 (神奈川県教育委員会)
ご案内
仏殿には、三世仏聖観世音をまつる。 大木の高野槙を左に、竹林を経て洞窟の弁財天・布袋尊に至る。 花は、桜・牡丹・著莪・白雲木・桔梗・秋明菊など。 一巡十五分、境内の椅子でご休憩下さい。
浄智寺へ立ち寄っていってもいいのですが、今回は参道を少し歩いただけで本堂へは立ち寄らず、 参道の左手へ別れていく道を進んでいきました。 少し進んでいくと十字路がありますが、竹製の塀に沿ってそのまま真直ぐに進んでいきます。
これより
浄智寺にお参りの方は直進です。 つき当りは左折できませんから、山ごえの方は左へどうぞ。
この舗装道路は、約五分歩くと終りです。
あとは細い山路を上ったり降りたりしながら、源氏山・銭洗弁財天まで約三十分。 滑るので注意して下さい。 山頂まで境内地です。
5分ほど進んでいくと、広い舗装道路は終わりになります。 突き当たりの左側からコンクリート舗装された細い道が階段状に続いています。 角には「源氏山公園600m」の標柱も立っていました。 この階段道を登っていきます。
歴史的風土 建長寺・浄知寺・八幡宮特別保存地区
この区域内において建築物の新築・増築・改築・土地形質の変更・木竹の伐採等の 行為をするときには許可がいります。
 (神奈川県)
吸いすて食べすて 日本の恥だ
 (鎌倉市観光協会、鎌倉史跡パトロール隊)
最後の人家を過ぎると土の道に変わります。 その先へ1分ほど登っていくと尾根筋に着きます。 正面には金網沿いの道が降っていきますが、右手へ続く尾根道を登っていきます。 木の根元には「大仏ハイキングコース」と書かれた板が置いてありました。 それによると、右手の道は葛原岡神社・銭洗弁財天・大仏へと続いているようです。 すぐ先には「ハイキングコース内での喫煙はやめましょう」と書かれた標柱が立っています。 その柱に青で「No.18」と書き込まれていました。 後から書き込まれたような感じで、そこだけ少し色が若かったりします。 同じような標柱はこの先にも点々と設置されています。 柱毎に番号が変わっていて、「ハイキングコースの案内標識の役割も果たしているようです。
鳥の声を聞こう。
No.18 ハイキングコース内での喫煙はやめましょう。
 (鎌倉市消防本部、鎌倉市危険物安全協会)
歩き始めた尾根道には木の根が張り出していたりしますが、 歩き難いというほどではありません。 小さなアップダウンもありますが、息が切れてしまうような所もなく、 快適な尾根歩きができます。
天柱峰
尾根道を4分ほど進んで小高いピークに着くと、「天柱峰」と刻まれた立派な石碑が立っていました。 その後ろには石製の五重塔や解説文の記された石碑もありました。 はっきりと判読できなかったり旧字があったりして分らない部分もありましたが、 私なりに理解できた部分を載せておきます。 無学のため間違っている部分があるかも知れませんがご容赦願います。
笠僊梵僊和尚は元の来朝僧なり建武元年浄智 の詔を受け天柱峯下に楞伽院を剏し興国二年 _を奉じて南禅に住す正平三年病を以て事を 謝し再び楞伽院に回りて寂す全身を最勝塔に 葬る語録天柱集は五山文学の白眉と称せらる   楞伽院常住 笠僊
源氏山公園
天柱峰を後にして尾根道を更に進んでいきます。 途中に3mほどの段差がある所があったりしますが、 それ以外は比較的緩やかな尾根道が続きます。 幅も広くてしっかりとした道で、この日も散策をする人が多く見かけました。 No.19の標柱を過ぎていくと、天柱峰から8分ほどで源氏山公園の一角に着きます。 広場の中ほどに「藤原仲能之墓」と記された石碑が立っていました。 その先には「源氏山公園案内図」があるので、これからのルートを確認しておきましょう。 今回は、右手の葛原岡神社へお参りした後、日野俊基の墓を訪ね、 それから源頼朝像のある広場を経て寿福寺へと進んでいきます。
藤原仲能之墓
此所ハ道智塚或ハ阿古耶尼ノ塚ト伝ヘラ レシモ海蔵寺伝ニ據リ藤原仲能ノ墓所ト 考察セラル仲能ハ従五位下前能州大守ニ シテ鎌倉幕府評定衆タリシガ後年海蔵寺 中興ノ大檀越トナリ建長八年十二月九日 寂シ道智禅師ト稱ヘラレシモノノ如ク其 位牌同寺ニ現存ス (鎌倉町青年会)
鳥獣保護区
ここは保護区域です。鳥や獣を守ってください!
 (神奈川県)
クリーンかまくら
ゴミは必ずくずかごに!
 (鎌倉市観光協会)
葛原岡神社
広場の真ん中にある「ここを右に進むと文章博士日野俊基を祀る葛原岡神社の本殿があります」の看板に従って 右手にある石畳を進んでいくと、ほどなくして葛原岡神社の本殿があります。
葛原岡神社
御祭神 日野俊基卿
例大祭 六月三日
お渡り神事 六月三日に近い日曜日 於 鎌倉由比ヶ浜
御由緒 鎌倉幕府の執政を北条氏から後醍醐天皇の親政にしようとして幕府に捕えられた元弘2年(1332)、 この葛原が岡で露と消えられた。 太平記 俊基朝臣再び関東下向の事に名文が綴られている。
辞世の頌
秋を待たで葛原岡に消ゆる身の 露のうらみや世に残るらん
古来、一句無死無生萬里雲蓋長江水清
御墓所 参道大鳥居の手前約五十米左手の小高い処にあり史蹟に指定されている
 (宮司 小松行好 記)
葛原岡神社 KUZUHARAOKA SHRINE 鎌倉市山の内東瓜ヶ谷
本社祭神 SAIZIN 日野俊基朝臣 HINOTOSHIMOTOASON 文章博士 従三位 蔵人右少弁
建武の中興A.D.1333年(元弘3年)を計画し、不幸にも1331年鎌倉幕府の 北条高時に捉えられ、其の完成に会はず中途で悲愴な最期をこの葛原が岡で遂げられた忠臣(A LOYAL)である。 社殿は、明治天皇の思召により、地元有志の方々の骨折で、全国の崇敬者の協力を得て、 明治21年に創建された。 例大祭は、御命日の6月3日、神前祭、墓前祭が行われる。 この6月3日に近い土曜日に氏子区域になっている由比が浜で、宵宮祭が行なわれ、 日曜日には、大御輿、子供御輿が氏子地域を巡るお渡り神事が行なわれる。 御祭神は学業成就、除災招福、交通安全などの神として崇められて居る。
摂社祭神 報徳豆大黒天 福福恵比須神 健康と繁栄を招く神
御神体の木像は、二宮尊徳翁邸内の樟で作られたと伝えられる。
日野俊基墓
葛原岡神社を後にして公園内の広い道を進んでいくと、すぐに日野俊基墓入口の標柱が立っています。 そこを右手へ入っていくと日野俊基の墓があります。
国指定史跡 日野俊基墓
日野俊基は鎌倉時代末期の朝臣、後醍醐天皇につかえ討幕計画に参加した。 正中の変(1324)に捕えられ許されたが、元弘の乱(1331)の時再び捕らえられ、 鎌倉に送られて、翌年ここ葛原岡で処刑された。
 (鎌倉市教育委員会)
日野俊基墓所
日野俊基朝臣ノ朝権ノ快復ヲ図リテ成ラ ズ元弘ニ年六月三日北條高時ノ害ニ遭ヒ 秋を待たで葛原岡に消ゆる身の露の恨や 世に残るらんト永キ恨ヲ留メタルハ此ノ _ナリ
 (鎌倉町青年会)
日野俊基の墓を後にして、広い道を更に進んでいくと、道が二手に分かれています。 道標は見当たりませんでしたが、先ほどあった案内図を思い出して左手の道を進んでいきます。 No.20の標柱を過ぎていくと、再び道が二手に分かれています。 ここには道標が立っていて、右手の道は「銭洗弁財天100m、大仏ハイキングコース大仏まで2km」、 左手の道は「化粧坂切通し150m、寿福寺600m、源頼朝像200m」となっています。 ここにも先ほどと同じような「源氏山公園案内図」があるので、これからのルートを再確認しておきましょう。
トビなどの野鳥に餌付けをすることはやめましょう!
海岸などでトビに食べ物を投げ与える行為は、絶対にやめてください。 トビは、野外で食事をしている人の食べ物を狙ってくることがあります。 このとき、翼などで思わぬケガをする被害も発生しています。
野外で食事をするときには、上空や周囲に注意してください。
 (鎌倉市みどり課)
この附近で見かける野鳥
トビ、サシバ(秋)、キジバト、ホトトギス(春)、フクロウ、アオゲラ、コゲラ、 ツバメ(夏)、ヒヨドリ、ツグミ(冬)、ウグイス、エゾビタキ(秋)、シジュウカラ、メジロ
 (公園課)
広場
左手の道を進み源氏山詰所を過ぎていきます。 左手に分かれていく化粧坂(けわいざか)を見送りNo.23の標柱を過ぎていくと、 芝生が植えられたこんもりとした広場に着きます。
公園内で犬を放すことを禁止します。 リードを取らないで下さい。
 (鎌倉市)
源頼朝像
広場には源頼朝の銅像があります。 像の前で記念写真を撮っている人々もいました。 ここにはタイムカプセルが埋められているのだそうで、2050年に開封予定とのことです。
源頼朝公銅像
この銅像は治承4年(1180)10月源頼朝公が鎌倉入りして以来八百年目に当る年を記念し、 よりよい鎌倉づくりに市民が心を通い合わせることを誓い合った証しとして 有志の方々から寄せられた尊い浄財によって建立されたものです。 この像が中世日本の政治経済文化の中心地として栄えた鎌倉の歴史と郷土鎌倉の象徴として 永遠に守り継がれることを願うものです。
 (源頼朝公銅像建立実行委員会)
21世紀へのタイムカプセル
ここに埋められているタイムカプセルには、1999年に「源頼朝公没後800年記念事業」として実施した 小中学生作文コンクール『21世紀の鎌倉のまち』入選作品15点、及び2000年に市民から広く募集した メッセージ『21世紀・鎌倉への想い』が納められています。 21世紀の鎌倉に想いを馳せながら、平和で海と山の美しい風格のある文化都市として 発展することを願い、メッセージに託しました。 2050年に開封し公開します。
 (源頼朝公没後800年記念事業委員会、鎌倉市企画部文化推進課)
銅像のある広場を後にして、その先へと進んでいきます。 立派なトイレ施設を右手に見ながらNo.22の標柱を過ぎて真直ぐに進んでいくと、道が左手に分かれていきます。 角にはNo.21の標柱が立っています。 先ほどにあった案内図によると英勝寺へと続く道のようですが、 そのまま真直ぐに進んでいきます。
英勝寺墓地
「源氏山公園 寿福寺→」の道標に従って、その先にある石畳の広い階段を降っていくと、 英勝寺の墓地に出ます。 金網がしてあって墓地へは入ることはできませんが、手前から右手へと続く道を降っていきます。 ここから寿福寺へ降りるまでの間は土の山道になり「この先通行注意」の看板も立っていますが、 かなり歩かれているようで、しっかりとした道になっています。
注意
英勝寺墓地において、置き引き等が頻繁にあり、 人身事故等が起きてからでは遅いので鉄線を張りました。 鉄線を切った方は防犯ビデオにより警察に届けます。 ご意見のある方はお寺の方へ申し出て下さい。
 (英勝寺住職)
左下に墓地を見ながら降っていくと、樹木が途切れて見晴らしのいい場所がありました。 更にその先へと降っていくと寿福寺の墓地へ降り立ちます。 右折して真直ぐに進んでいくと分岐があります。 角に立つ電柱の上の方に道標が付いていて、右手の道は「鎌倉駅」、正面の道は「寿福寺」となっています。 右手には岩壁にトンネルが開けられていて引き込まれそうにもなりますが、そのまま真直ぐに進んでいきます。
寿福寺
突き当たりを道なりに左手へ進んでいくとT字路があります。 そこを右折していくと、寿福寺の前に出ます。 残念ながら本堂への門は閉ざされていました。 門から本堂を眺めてから振り返り、その先へと続く敷石の広い参道を進んで外門から出ていきます。
寿福寺
鎌倉五山の第三位で、頼朝の夫人政子が明庵栄西禅師を開山として建てた寺です。 この寺の裏山には「やぐら」がたくさんあり、そのなかには源実朝、母政子の墓と いわれているのもあります。
国指定史跡 寿福寺境内
亀谷山寿福寺金剛禅寺(臨済宗建長寺派)は、正治2年(1200)に頼朝夫人政子が、 明庵栄西禅師を開山として建てたもので、鎌倉五山の第三位の寺であります。 この地は、もと源頼朝の父義朝の館があったといわれ、 鎌倉入りした源頼朝はここに館を造ろうとしましたが、岡崎義実が義朝の菩提を弔うお堂を 建てていたのでやめたといわれています。 墓地にあるやぐらには、源実朝、北条政子の墓と伝わる五輪塔が二基あります。 現在伽藍は外門、山門、仏殿、鐘楼、庫裏などですが、 外門から山門に至る敷石道は静寂感が漂い、 また仏殿前に四棟の柏槇があり、往時のおもかげを残しています。
 (神奈川県教育委員会)
庚申塔
門を出た所に、有形民俗資料に指定されている庚申塔が並んでいました。 そのそばには「源氏山」の石碑も立っていました。 どういう訳だか辺りにはカラスが沢山いて、カアカアと賑やかに鳴いていました。 近くに巣でもあるのでしょうか。
源氏山
源氏山ハ初メ武庫山ト云ヒ亀ケ谷ノ中央 ニアル形勝ノ地ナルヲ以テ又亀谷山トモ 稱セリ源頼義義家父子奥州征伐ノ時此山 ニ旗ヲ立テタルヨリ或ハ旗立山ト名付ク 山ノ麓寿福寺境内附近ハ爾来源氏世々ノ 邸宅タリシ地ナリト云フ源氏山ノ名称ハ 之ニ起因セルガ旗竿ヲ建テシト云フ故址 ハ今尚ホアリ
 (鎌倉町青年団)
八坂神社
庚申塔からは、道標「鎌倉駅600m」に従って、鎌倉の街を右手へと進んでいきます。 すぐに八坂神社があります。
八坂大神「相馬天王」由緒
鎮座地 鎌倉市扇ヶ谷1-13-45
祭神 素戔雄尊、桓武天皇、葛原親王、高望王
例祭 七月十二日
由緒 建久3年、相馬次郎師常己が邸内に守護神として勧請して崇敬したのに始まる。 その後、現在の地に奉遷する。 世に相馬天王と称するのはこの故である。 神幸式は五日・十二日の両日に行はれてゐたが、今では十二日のみとなった。 中世御神幸の神輿荒ぶるを以って師常館の岩窟に納め、 新たに調進したと伝えられる独得の六角神輿は宗社である京都祇園八坂神社の形を 伝承したものである。 享和元年、慶応元年に社殿の改築が行はれた。 明治六年、村社に列格される。
記念碑
鎌倉市佐助の銭洗弁財天の神体である境内地と、神域の尊厳な環境を保持して いる周囲の山林は扇が谷に古くから居住している諸氏が代々共有管理し、主とし て扇が谷に鎮座する八坂大神、巽荒神、銭洗弁財天、各社の維持運営の資に当て てこられました。 今回神域の末永い降昌を企図された右諸氏は総意をもって、この土地を扇が谷 の鎮守である当宗教法人八坂大神に寄進して下さいました。よってここにこの土 地保有の主旨と経過を明確にして、今後扇が谷三社相互間のきずなを一層深め、 地域の繁栄を計る一助とすることと致しました。 ここに記念碑を建立して御好意にこたえると共に、右諸氏の芳名を刻み、後世 に永く敬神崇祀のあかしと致すものであります。
 (宗教法人 八坂大神)
小町踏切
八坂神社を後にして、鎌倉の街中を更に進んでいきます。 巽神社を過ぎていくと、自動車販売所の先に小さな十字路があります。 そこを左折していくと、ほどなくして横須賀線の小町踏切があります。
鎌倉(かまくら)駅
小町踏切の右手には鎌倉駅のホームがすぐ側まできています。 踏切は渡らずに、その手前をホームに沿って右手へと進んでいきます。 「江ノ電のりば」の看板を正面に見ながら駐輪場を過ぎ、その先の突き当たりを曲がっていくと、 鎌倉駅(JR横須賀線)の西口に着きます。