白銀林道
散策:2005年03月上旬
【低山ハイク】 白銀林道
概 要 白銀林道は、箱根湯本から箱根ターンパイクを越えて湯河原の椿台まで続く26kmほどの長い林道です。 今回はその最初の部分と石橋山古戦場をつなぐコースを歩きます。 林道からの箱根の中央火口丘や外輪山の眺め、石橋山からの相模湾の眺めなど、 綺麗な景色を楽しみながらの散策ができます。
起 点 箱根町 箱根湯本駅
終 点 小田原市 早川駅
ルート 箱根湯本駅…早雲公園…白山神社…早雲寺…正眼寺…山神神社…林道白銀線…林道猿沢線分岐…山の神…大杉窪林道分岐…聖橋…早川・石橋林道分岐…石橋山分岐…佐奈田霊社…石橋バス停…紀伊神社…早川駅
所要時間 4時間40分
歩いて... 林道には先日の雪が残っていて少し歩きにくい所もあったりしましたが、 山登りのように息が切れる所はなくて、快適に歩いていくことができます。 箱根の山々や相模湾の眺めや綺麗な桜を愛でたり古戦場もあったりして、 豊かな自然や歴史に触れることができるコースです。
関連メモ 白銀林道, 箱根宿, 早川・片浦ウォーキングトレイル
コース紹介
箱根湯本(はこねゆもと)駅
箱根湯本駅(箱根登山鉄道)から歩いていきます。
改札口を出て、左手にある「旧街道・畑宿方面」への地下道を通って、車道の向こう側へ行きます。 地上へ出る階段の所に「箱根湯本温泉案内図」があるので、歩き出しのルートを確認しておきましょう。 早雲公園から白山神社を経て早雲通りを進み、正眼寺の先のT字路を左折して箱根新道(国道1号)をくぐって、 小田原湯本カントリークラブの方向へと進んでいきます。
あじさい橋
地上に出たすぐ先にある朱塗りのあじさい橋を渡っていきます。 橋の前では、観光客目当ての人力車が客引きをしていました。 橋を渡った所に案内標識が立っています。 左右どちらの道も早雲公園・早雲寺へ行けるようですが、 左手は「郷土資料館経由」、右手は「近道」となっています。 しばらく考えた末、道標「早雲寺 近道(早雲公園経由)健脚向き・急坂15分」に従って右折して、 早川の右岸を進んでいきます。
橋名の由来
この橋は、以前は「ほまればし」と名付けられていました。 これは、第二次世界大戦のさなか、この上のあった三昧荘という旅館が、陸軍病院の転地療養所となり、 傷病軍人の方々が数多く療養に来られていたことに由来するものです。 その後、町道に移管され、早川河川敷の環境整備が進むとともに、観光地箱根のさらなる発展を願って、 平成8年2月、この橋の名を箱根を代表する花の一つに因み、「あじさいばし」と改名いたしました。 ここに、歴史的記憶を忘れることなく、また新しい橋の名に親しんでいただくため、橋名の由来を記します。
 (箱根町、箱根町観光協会、箱根湯本観光協会)
箱根旧街道案内図
江戸幕府は元和4年(1618)に旧来の湯坂道を廃止して、小田原・三島両宿の間、箱根山中の芦ノ湖畔に箱根宿を置き、 関所を新に設けて、湯本の三枚橋から須雲川に沿い、畑宿から急坂を、 二子山南ろくに登り元箱根に至る古い山路をひろげて街道をつくった。 この道は、江戸時代を通じて世に箱根の八里ごえといわれ、東海道中屈指の難路であり、 その有様は詩歌・物語等で多く歌われている。
この道は往時の馬車鉄道の軌道敷きがあった所とのことです。 落合橋跡の解説板を過ぎて更に進んでいくと、あじさい橋から数分で横木の階段が始まります。 この階段を登っていくと早雲公園に着きます。
小田原馬車鉄道・電気鉄道落合橋跡
明治21年(1888)10月、国府津〜湯本間に開通した小田原馬車鉄道の落合橋跡です。 馬車鉄道は、湯本山崎の台地が越え難いため、小田原の風祭から早川左岸の堤防沿いに走り、 湯本山崎で前田橋を渡って早川の右岸に出、ここ落合橋で再び早川を渡りました。 当時の終点湯本駅は、この先、約200mの早川の川べりにありました。 この橋は、明治33年(1900)、馬車鉄道から電気鉄道に代わっても使われましたが、 明治43年8月の大洪水で、下流の前田橋も共に流失し、以後、 鉄道は現在とほぼ同じ山側を走るようになりました。 碑の前の道は当時の軌道敷です。
 (箱根町)
早雲公園(早雲寺林)
早雲公園は、早雲寺の裏山に位置する森林を主体とした公園であり、 スダジイ、ウラジロガシなどの自然林の中に散策路が整備され、 箱根湯本と箱根旧街道を結ぶ近道としても利用されています。 またここは、県内では湯本周辺でしか見ることのできないヒメハルゼミの生息地でもあり、 昭和53年6月23日に、これの保全と自然林の保護の両面から神奈川県の天然記念物「早雲寺林」に指定されました。
早雲公園
急な横木の階段を登っていくと、5分ほどで早雲公園になっている山頂に着きます。 山頂は小広くなっていますが、周りに樹木があって展望は得られません。 登り着いた所の正面に「早雲公園案内図」があるので参考にしましょう。 道標「早雲寺方面」に従って、早雲寺を目指して左手へと進んでいきます。
神奈川県指定天然記念物 早雲寺林
かつて早川沿いにはスダジイ−タブノキ林が広範に存在しました。 その多くは失われましたが、比較的まとまって保全されているのが、この早雲寺林です。 常緑広葉樹を中心にした、代表的な郷土林であり、 またヒメハルゼミ(町指定天然記念物)の生息地としても貴重なため、 県の天然記念物に指定しました。 動植物の採集など、現状を変更したり保存に影響を及ぼす行為は、条例で禁止されています。 この貴重な林を未来に伝えていくために、みなさまのご協力をお願いします。
主な構成種
高木層…スダジイ、タブノキ、ウラジロガシ
亜高木層、低木層…ヤブツバキ、シロダモ、アオキ、ヤツデ、アラカシ、トベラ、ヤブニッケイ、ヒサカキ、クスノキ、ネズミモチ、サカキ、クチナシ、ツルグミ
草本層…テイカカズラ、アリドオシ、マメズタ、ベニシダ、ジャノヒゲ、キチジョウソウ、イノモトソウ、ヤブコウジ、マンリョウ
 (神奈川県教育委員会)
熊笹が両側に生い茂る道を少し行くと分岐があります。 正面の道は行き止りのようで、道標「早雲寺方面」に従って、右手の道を降っていきます。 雑木林の中に続く横木の階段を降っていくと、2分ほどで舗装道路に降り立ちます。 ここにも山の反対側にあったのと同じような「早雲公園(早雲寺林)」の解説板がありました。 角にある道標「早雲寺・正眼寺」に従って、ここを右折していきます。
白山神社
舗装道路に降りて道なりに左へ曲がっていくと、箱根旧街道のT字路に出ます。 その正面右手に白山神社があります。 鳥居をくぐり短い石段を登っていくと本殿があるので、 これからの散策の無事をお祈りしていきましょう。 境内には稲荷大明神もあったりします。
白山神社御新田と玉垣建設の由来
当神社の御神体はほこらが早雲寺境内にあったものを、嘉永年間今から凡そ百十余年前、 村の氏子一同の発起となりこの地に建立奉祀したものであります。 昭和31年11月2日本殿の竣工に伴って、御神霊は本社である石川県鶴木町の白山比祥神社より、 当時氏子会の代表である副会長対木徳太郎、理事下田貞蔵、菊川常次郎、関係区長三井惣八郎、 会員田中治兵衛、小林智恵治の以上六名が奉戴して氏子崇敬者により御遷宮の神儀を執り行いたるものなり。 たまたま箱根新道の建設に当って神殿の境内を一部使用するにあたり、これを基金として更に 氏子有志の寄進とにより玉垣を建設し、昭和38年2月竣工するに至った次第であります。
 (白山神社氏子会)
白山神社の御祭神は左記三柱の神様です(原文は縦書きです)
菊理媛命 くくりひめのみこと
伊弉諾尊 いざなぎのみこと
伊弉冉尊 いざなみのみこと
白山神社から箱根旧街道に戻ってその先へと進んでいくとすぐに右手に早雲寺の山門があるので、 ちょっと立ち寄っていきましょう。
町指定天然記念物 ヒメハルゼミとその棲息地
このヒメハルゼミは東洋系の昆虫で、その分布の中心は台湾である。 雄は第四腹節の両側に突起があり、雌は長い産卵管があるので、他のセミと容易に区別ができる。 その分布の北限として新潟県能生、茨城県片庭、千葉県八幡山の三ヶ所が国指定の天然記念物になっている。 神奈川県では、この附近に発見さえたのみである。 このセミは7月中に出現し、椎の梢に群集し、特異の合奏をするので有名である。 即ち一匹が「ジリジリ」と鳴くとたちまち他のセミがこれに合わせて、あたかもモーターの唸るがごとき音になり、 数分にして合奏がピタリと止み、もとの静けさにもどる。 そして再び十数分後に音頭取りが鳴き合奏がはじまる。 当地においては、このセミのことを勤行ゼミとも呼んでいる。 この付近一帯は名刹早雲寺境内であって、古来「不入」の地として自然景観が保護されてきたのであり、 貴重な天然記念物と共に永く保護しなければならない。
 (箱根町教育委員会)
早雲寺
山門をくぐり参道を進んでいき、小道を渡った先の門を入っていくと本堂があります。 境内には豊臣秀吉が使ったという梵鐘や見事に根を張った大木などがあります。 参道では、運がいいと多くの猫に出逢えたりもします。
早雲寺
早雲寺は、大永元年(1521)北條早雲の遺命により、その子氏綱によって建立された寺であり、 以来北條氏一門の香火所としてその盛衰をともにし現在に至っています。l この寺には、北條文化の香りを伝える数多くの文化財が残されており、 北條文化を語るのに欠く事のできない寺です。
本堂概要
本尊 釈迦三尊仏(室町時代)
開山 以天宗清(大徳寺83世)
開基 北條氏綱
創建 大永元年(1521)
寛永4年(1627)再建。現本堂は寛政年間建立。昭和30年代の改修まで茅葺き寄棟造。
内部拝観謝絶。
県指定重要文化財 梵鐘
元徳2年(1330)鋳造、豊太閤、天正18年小田原攻めの時、石垣山一夜城で使用したものです。
正眼寺
早雲寺から戻って箱根旧街道を進んでいきます。 すぐに両脇に立派な櫓のある湯宿があります。 豊臣秀吉が小田原城攻めの前夜に開いた茶の湯に一ひらの花びらが舞い落ちたのを詠んだ句に 因んだ名前が付けられています。
 風の舞 我懐に 花の紋 (風も花も自分の味方になってくれている)
その湯宿を過ぎて4分ほど進んでいくと、左手に登っていく石段があります。 石門から境内に入っていくと正眼寺があります。
正眼寺
この寺は曽我兄弟の伝説を伝える古刹です。 この寺の創建は明らかではありませんが、鎌倉時代、箱根地方に広がった地蔵信仰の中から 生まれた寺であることは確かなようです。 寺には地蔵信仰にゆかりのある寺宝がいくつか残されています。
正眼寺の史跡・文化財案内
正眼寺は、鎌倉時代、箱根山に広まっていった地蔵信仰の中で生まれた寺です。 創建年代は定かではありませんが、この寺の前身である湯本地蔵堂の別当寺として鎌倉前期には存在し、 その頃は勝源寺と呼ばれていました。 戦国時代には一時衰微しましたが、江戸時代になりますと、江戸屈指の材木問屋冬木やの援助により諸堂が再建され、 また、小田原城主大久保氏より境内地・地蔵田が安堵され、復興されました。 再興開基には早雲寺17世菊径宗存を招請し、この時より当寺は臨済宗大徳寺派に属す禅寺となり、今日に至っています。
曽我堂 曽我仇討で有名な曽我五郎・十郎兄弟の菩薩供養のため建立された堂宇、堂内には、 俗称曽我五郎地蔵菩薩立像(県重文)、同十郎地蔵菩薩立像(町重文)が安置されています。
曽我五郎の槍突石 曽我五郎が病回復の証に、槍で突いたと言い伝えの残る石で、 江戸時代までは、箱根旧街道筋の槍突沢にありました。
曽我兄弟の供養塔 江戸前期、冬木屋上田家が建立した供養塔。
石造大地蔵 小田原城主稲葉氏の菩提寺。長興山紹太寺にあったもの、 慶応4年(1868)消失した当寺の地蔵菩薩像の身代わりとして招聘されたものです。
勝源寺燈籠 室町時代応永4年(1397)の在銘があるこの地方最古の石燈籠。
芭蕉翁句碑 土地の俳人が建立した「山路来て なにやらゆかし 薫草」の追悼句碑。
冬木屋上田家の墓 江戸深川の材木問屋で、尾形光琳・乾山とも親交のあった上田家一族の墓。当寺の再興開基です。
金箔彩色襖絵 本堂を飾る襖絵、唐美人図(四面)、四季草花図(四面)。いずれも江戸時代狩野派の絵師の手になるものです。
正眼寺を後にして箱根旧街道を進んでいきます。 曽我堂上バス停を過ぎていくと、台の茶屋バス停の手前にT字路があります。 角にある「←小田原湯本カントリークラブ」の案内板に従って、ここを左折していきます。
山神神社
真直ぐに数分進んでいくと、箱根新道(国道1号)の下をくぐっていきます。 四角いトンネルを抜けた先に、左手へ入っていく路地があります。 その先に赤い鳥居が見えていたので、ちょっと立ち寄っていくことにしました。 鳥居をくぐって石段を登っていくと山神神社がありました。
山神神社(さんじんじんじゃ)
御祭神 大山祇命(おおやまずみのみこと)
鎮座地 箱根町湯本茶屋64番地
例祭 毎年1月17日
由緒 当神社は、湯本茶屋地区の稲荷山中腹に鎮座する社であり、 御祭神・大山祇命をお祀りしています。 大山祇命は、富士山を含め全国の山々を司る神であり、 「や ま つ み」とは、山を持ち坐すことを意味し、古来、山に関わる全てのことを主宰総覧する五穀豊穣、 つまり、住民の生活を守る神様として信仰されています。 別に大山津見神(古事記)、大山祇神(日本書紀)、大山積神(風土記)とも記され、 神話の世界では、富士山の女神・木花咲耶姫命の父神として知られています。 当神社の創建は詳らかでありませんが、社伝によれば、室町時代来、永禄年間には既に鎮座していたと伝えられ、 「貞享元甲子年改村鑑古帳之写」には、江戸時代の宝暦2年(1752)10月に社殿を建立。 また「山神宮扁額裏書」によれば寛政元年(1789)2月に本殿が建立されたことが記録されています。 例祭は、1月17日。また5月17日は皐月祭を斎行していますが、 昔から、山神の祭りは「五・五・九」の節句月に行われ、特に正月には木樵など山に入る人はもちろん 「村体み」して、盛大な祭りをし、酒食を神と共にする風習は全国各地で行われていました。 その名残が今日の祭りです。
林道白銀線
山神神社から引き返して、その先へと続く坂道を登っていきます。 野天風呂の温泉旅館を過ぎていくと民家もなくなってきて、次第に山の中へと入っていきます。 舗装された道を10分ほど進んでいくと分岐があります。 正面の両側は門のようになっていて「小田原湯本カントリークラブ」と記されていました。 この先はゴルフ場へと続いているようです。 角に設置されている案内標識によると、右手に続く道が林道白銀線とのことで、全長が26km程もあるようです。 この長さからすると湯河原町の辺りまで続いているようで、 今回歩くのはその中の最初のほんの一部ということになります。 ここを右折して白銀林道を進んでいきます。
林道白銀線
幅員 4.0m
延長 26,731m
 (神奈川県、西湘地区行政センター)
車両通行禁止
但し許可車両を除く
 (小田原警察署長、西湘地区行政センター所長)
コンクリートブロックで補強された壁が続く道を過ぎていくと、右手の視界が開けてきます。 曇り勝ちだったので眺めは今ひとつでしたが、箱根の中央火口丘や外輪山を見渡すことができました。
注意
ハンターのみなさん! この附近にゴルフ場があります。狩猟に注意しましょう。
 (神奈川県)
林道の始点から7分ほど進んでいくと、簡単なゲートがありました。 一般車両を止めるために設置されているようですが、 この時には開け放たれていて、その機能は果たせていないようでした。
一般車両通行禁止
ここは林道です。 許可を受けていない車両は通行出来ません。 許可車両は次のことを守ってください。
1 速度 20km/h以下
2 重量 20t以下
3 台風・集中豪雨・地震・積雪路面凍結時は通行禁止
4 夜間の通行禁止
 (神奈川県西湘地区行政センター)
保安林区域図
保安林内で知事の許可なく次の行為をすることは禁止されています。
立木竹の伐採、立木の損傷、家畜の放牧、下草落葉落枝の採取、土石樹根の採掘、開墾、 その他土地の形質を変更すること。
(注)これに違反した場合は、森林法により処罰されます。
 (神奈川県、県央農林事務所)
不法投棄は犯罪です
森林は豊かな水を貯え、災害を防いでいます。 ごみは必ず持ちかえる。
不法投棄を見つけたら下記まで連絡を
 (西湘地区行政センター林務部、小田原警察署)
ゲートを過ぎていくと「1.0km 県営白銀林道」の標柱がありました。 その先へと進んでいくと、道には次第に残雪が続くようになりました。 先日に降った雪がまだ融けずに残っていたようです。 この先、雪が余り深くならなければいいがと気にしながらも進んでいきます。
林道猿沢線分岐
先ほどのゲートから10数分進んでいくと、道が二手に分かれています。 そばにある案内板によると、正面に続いているのは林道猿沢線とのことですが、 「通行止め」の柵がしてありました。 林道白銀線の案内標識は見当たりませんでしたが、ここは左手に曲がりながら登っていく道を進んでいきます。
林道猿沢線
幅員 3.0m 延長 3,340m 起点
この林道は、県営林管理のための道です。 一般車の通行はご遠慮ください。
 (神奈川県、県有林事務所)
坂道を登っていくと、ほどなくして傾斜が緩やかになってきます。 日当たりが悪いのか、先日の残雪が次第に深くなってきました。 10cmくらいはあったでしょうか。 何回も自動車が通っていったのでしょう、轍の跡がしっかりと残っていて、 それほど苦労することもなく歩いていけました。
山の神
岩に刻まれた植林記念碑を過ぎていくと、先ほどの林道猿沢線との分岐から10数分の所に、 「山の神」と刻まれた石碑が建っていました。
早川地区住民の造林意欲の増大にともない、昭和49年神奈川県との地上権設定契約が解除され、 昭和51年から地区住民の協力を得て植林に着手し、昭和52年完了した。 毎年その育成ならび管理は継続して行われ、見事な山林を形成するに至ったのである。 これにより将来においてその恩恵ははかり知れないものがある。 先輩諸氏の献身的な努力に対し深い感謝を禁じ得ないとともに、 これからの早川地区の繁栄と山の安全を祈念し、山の講の日に当たり、 ここに山の神の碑を建立するものである。
 (早川財産区議会議員)
大杉窪林道分岐
「山の神」を過ぎていくと、道は次第に降っていくようになり、残雪も次第に少なくなっていきます。 「3.0km 県営白銀林道」の標柱を過ぎていくと、5分ほどで分岐がありました。 「白銀林道」を示す標識などは見当たりませんでしたが、ここは正面右手の道を進んでいきます。 左手の道の少し先に「大杉窪林道(終点)」の案内板が設置されていたので、 右手の道が白銀林道ということになります。
大杉窪林道(終点)
幅員 3.0m 全延長 1,360m
この林道は林業経営用のもので、カーブがきつく防護施設等が十分でありませんので、 通行する場合には、次のことを厳守してください。
・スピードを落とし、安全運転に努めてください。
・崩壊を防ぐため、路肩の近くを通行しないでください。
・ゴミや土砂を捨てないでください。(法律で罰せられます)
・林業経営以外の目的(工事資材、廃棄物又は土砂の運搬等)で反復継続して通行する方は、 市長に申請してください。
 (小田原市長、小田原市経済部農政課)
緑は友だち 山火事注意
自然を守りましょう。
 (森林国営保険、神奈川県)
火気に注意
 (神奈川県)
分岐の先へほんの少し進んだ所に再び分岐があります。 右手に登っていく道は桜山林道とのことですが、白銀林道はそのまま真直ぐに進んでいきます。
桜山林道(起点)
幅員 3.0m 全延長 2,445m
 (小田原市長、小田原市経済部農政課)
聖橋
桜山林道への分岐から数分進んでいくと、コンクリート製の聖橋に着きます。 右へ大きく曲がりながら箱根ターンパイクを越えていきます。 日当たりの関係でしょうか、この辺りまでくると残雪もなくなってきました。
箱根ターンパイク
小田原と箱根の間にある有料道路です。 ターンパイクとは有料道路のことで、植民地時代のアメリカで道路をパイク(遮断棒)でふさぎ、 料金を払うとそれをターンさせて通したことから付いた名前なのだそうです。
今回のコースは林道歩きということで、ピークと云えるような所は特にありません。 ちょうど昼時になったので、箱根ターンパイクへ続く短い石段に腰を下ろして昼食タイムにしました。 林道のそばでは、杉の木が花粉を飛ばす準備を整えていました。 間もなく、あのムズ痒い季節がやってくるのかと思うと…。
スギ弾鉄砲
子どもの頃には、この杉の花粉を飛ばす小さな茶色の部分を弾にした「スギ弾鉄砲」を作って遊んだものです。 直径5mm前後の細い笹の一節を切り出してきて、それを短い柄の部分と長い砲身の部分とに二分します。 自転車の車輪の硬いスポークをペンチで適度な長さに切り、 それを柄の部分に突き刺せば「スギ弾鉄砲」の完成です。 砲身にスギ弾を先ず一つ入れて先端まで押しやり、更にもう一つを入れていきます。 すると圧縮された空気の力で最初のスギ弾が前へ飛び出すという仕組みです。 小さな物なので、音も小さくて「ピチッ!」という程度です。 顔に当ったりすると少し痛い思いをしたものですが、 小さなスギ弾なので怪我をすることもなく、友だち同士で打ち合って楽しく遊んだものでした。
早川・石橋林道分岐
箱根ターンパイクを後にしてその先の坂道を降っていくとT字路があります。 ここにも白銀林道を示す標識は見当たりませんでしたが、 左手に戻るようにして降っていく道に「早川・石橋林道」の説明板があったので、 白銀林道は右手へと続いているようです。 今回はここで白銀林道と分かれて、石橋方面へと降っていくことにしました。
(右手の道は「白銀林道」を参照)
早川・石橋林道
幅員 2.0〜4.0m 全延長 4,954m
 (小田原市長、小田原市経済部農政課)
白銀林道と分かれて、植林帯の中に続く左手のかなり急な坂道を降っていきます。 これまで続いてきた舗装道路もいつしか土の道へと変わっていきます。 分岐から10分ほど降っていくと作業場があります。 更にその先へと降っていくと、作業場のフェンスと石垣の間を抜けた先にある小さな橋を渡ります。
涸れ沢の右岸に続く道を緩やかに降っていくと、やがて簡易舗装された道になってきます。 畑などが点在するようになってくると、先ほどの橋から8分ほどで作業小屋がありました。 川向こうにはみかん畑が広がっていました。 作業小屋からその畑まで小さなトロッコ軌道が敷設されていて、 ちょうど農家の方ふたりがトロッコに乗って畑へ向かうところでした。 一人は前向き、もう一人は後ろ向きで、どことなく長閑な雰囲気が漂っていたのでした。 荷物を運ぶだけなのかと思っていたら、人も乗ることができるのですね。 なかなか便利そうです。
作業小屋を過ぎていくと、次第に畑や小屋などが点在するようになってきます。 綺麗に咲いた梅の花を愛でながら、谷間の道を更に降っていきます。
「早川・石橋林道(起点)」の案内板を過ぎていくと、民家が散在するようになります。 先ほどの作業小屋から15分ほど降っていくと集落に着きます。 川向こうには桜の花が綺麗に咲いていました。 何枚か写してみたのですが綺麗に写せませんでした。 桜の美しさをうまく表現できていないのが残念ではあります。 花と一緒に若葉も芽吹いていたのでソメイヨシノではないとは思いますが、 植物には疎くて、その種類までは分りませんでした。
「早川・石橋林道(起点)」の案内板のある所の左手に架かる入の沢橋を渡った先へ続く道は 「早川・片浦ウォーキングトレイル」を参照。
石橋山分岐
桜の花を愛でたら、海へ向かって集落を進んでいきます。 少し行くと、右手に分かれていく道があります。 このまま真直ぐに進んでいくと、東海道新幹線とJR東海道線の先で海沿いの車道へ出るのですが、 石橋山古戦場を目指して、ここから右手の道を進んでいきます。 道標などは特に見当たらなかったので、見落とさないようにしましょう。 右手の山腹へ登っていく道が見えているので、それを目当てにして行けば間違えることはないと思います。
(後日に訪ねると、「早川・片浦ウォーキングトレイル」の道標がありました)
山腹に続く道を登っていくと、左手には綺麗な景色が広がっています。 谷間の集落に、東海道新幹線とJR東海道線の高架が横串を刺すように通っています。 右手には相模湾が、その向こう側には小田原や湘南辺りまでも見えています。 海岸に打ち寄せる波が白く砕け散るのも見えたりします。 しばらく足を止めて、素晴らしい眺めを堪能していきましょう。
左手に相模湾が広がる道を進んでいくとT字路があります。 道標などは見当たりませんでしたが左手へ曲がっていきます。 少し降っていくと、「史蹟 源頼朝 石橋山 古戦場 佐奈田霊社」と刻まれた大きな石碑が建っています。 裏参道になっている右手の石段を登っていきます。
石橋山古戦場と佐奈田霊社
この附近は源頼朝が治承4年(1180)以仁王の遺命を受けて平家追討の挙兵をした処である。 このとき、相模の名族三浦党の岡崎四郎義実や、その子真田(佐奈田)余一義忠も参陣した。 しかし、急の挙兵のため、頼朝軍は僅か三百であり、攻撃の平家軍は大庭景親以下三千であったため、 頼朝軍は忽ち苦戦となった。このとき真田余一は、十五騎で豪勇俣野五郎の七十五騎と戦い、 両将組打ちとなったが、余一が勝ったか俣野は組み敷かれ、余一はこれを討とうとしたが、 刃に付いた血が固まり短刀がさやから抜けず手間取ったうちに、駆けつけた敵のため二十五才の命を花と散らした。 余一の郎党文三家安は、主人の討死を聞き群がる敵中に飛入り主人の跡を追い討死した。 この後、討死の地には与一塚が建てられ、与一を祭神とする佐奈田霊社が祀られた。 またその100メートルの処には、文三を祭る文三堂があるが、共に今日県指定史跡となっている。 霊社下の畑は組打ちした処と伝えられねじり畑と呼ぶが、 このためかこの畑の作物はすべてねじれてしまうとも伝えられる。 頼朝は、建久元年(1190)伊豆山権現参詣の帰途両墓を訪れ、 無き両人の忠節をしのび涙を流したと伝えられる。
 (小田原市)
佐奈田霊社
石段を登っていくと佐奈田霊社があります。 境内の御神木のそばには与一塚もあります。 また、佐奈田義忠の手附石や湘南そろばん塚というのもありました。 古くなった解説板もあって、与一塚と文三堂附近の地図が記してあるので参考にしましょう。
史跡 石橋山古戦場のうち与一塚及び文三堂
治承4年(1180)伊豆で兵を挙げた源頼朝は石橋山に陣をかまえ、 平家とこの地で合戦したが戦い利なく、先陣を承った源氏の部将真田与一義忠郎党豊三家康も討死した。 この場所を今でも「ねじり畑」と云い、その丘の上の義忠、豊三主従の墓を、与一塚、文三堂とよんでいる。 この戦いからしばらくして、頼朝は鎌倉に幕府を開き、武家政治の時代が始まった。
 (神奈川県教育委員会)
ねじり畑
正面の石段を降って道路に降り立った所にある「石橋山古戦場 文三堂へ」の標識が右手の道を示しています。 この辺りがねじり畑というようで、説明が記された柱が立っていました。
佐奈田与一義忠討死の地(ねじり畑)
治承4年(1180)8月23日、佐奈田与一義忠は、敵の豪将俣野五郎景久を組み伏せたが、 駆けつけた敵方長尾新六に首を切られ、この地で討死にしたと伝えられる。
文三堂
少し進んでいった所のT字路を左手へ曲がっていくと、すぐに左手に石段があります。 その石段を登っていくと文三堂があります。
(文三堂の先に続く道は「早川・片浦ウォーキングトレイル」を参照)
文三堂から引き返しねじり畑の先へと進んでいくとT字路があります。 角には「源頼朝旗上げの地 石橋山古戦場跡」の看板や石碑がありました。 左手は先ほどの佐奈田霊社への裏参道へと続いていますが、ここを右手に曲がっていきます。
注意
みかん畑では1月・2月も作業中です。 狩猟に注意しましょう。
 (神奈川県)
JR東海道線のトンネルの上をU字形に戻るようにして向こう側へと降っていくと磯料理旅館の前に出ます。 そこを左折して、白波が打ち寄せる海を右手に見ながら降っていくと、国道135号に出ます。
注意
1.この付近の海(漁業権区域内)で貝類(あわび・さざえ等)や海藻類をとらないでください。
2.水中銃・アクアラング等を使って魚・たこ・貝・海藻類をとってはいけません。
3.薬品を用いて餌むし(いそめ・ごかい等)をとってはいけません。
違反者は法令により処罰されます。
 (神奈川県、小田原警察署、小田原市漁業協同組合)
危険 立入禁止
防波堤や護岸などの上には、高波などにより大変危険ですから、立ち入らないで下さい。
 (小田原市)
石橋バス停
国道を少し進み、丸石橋・新玉川橋を過ぎていくと、石橋バス停があります。 平日には小田原駅までの便が1時間に1本程度ありますが、週末には運行していません。 しかたがないので、そのまま国道を早川駅まで歩いていきます。 それほどの距離はなくて20分ほどで着きます。
紀伊神社
西湘バイパスの料金所を過ぎてくと、車道から分かれて左手へ入っていく道があります。 民家が続くこの道を少し進んでいくと、左手に鳥居があります。 その先に紀伊神社があるので、ちょっと立ち寄っていきましょう。 鳥居をくぐりJR東海道線の紀伊神社架道橋をくぐった先の石段を登っていくと、紀伊神社の境内に着きます。 無事に散策できたことを報告していきましょう。 どういう訳か、狛犬には金網が被せてありました。
紀伊神社
早川の氏神様で、往古は木宮大権現、のち紀伊宮大権現と称され、 土地の人からは「木の宮さん」と呼ばれ、箱根物産木工業の人たちに昔から崇拝されてきた神社である。 神社縁起によれば、貞観年中(859〜876)の創建で、祭神は五十猛命と惟喬親王(文徳天皇の第一皇子)とが 奉祀されている。木地挽(轆轤師)の開発者といわれる惟喬親王は、天安2年(858)京の都を追われて 伊豆(河津)に流罪となったが途中嵐にあい国府津海岸につき、 早川の庄に至りこの地で没したといわれ、当時親王の付人が木地を挽いて、朝夕の奉仕の料に当てたといわれている。 また、この地には「木地挽」と言う字名が現存するが、この字名はその名残りであると言う。 なお紀伊神社の社宝である「木地椀」は小田原市の重要文化財に、社叢は天然記念物にそれぞれ指定されており、 中でも社殿前のクスノキは市内で最大の老木である。
道祖神
紀伊神社から元の道に戻って、民家の間に続く道を更に進んでいきます。 5分ほど進んでいくと、早川丸二公園の手前の道端にひっそりと賽神が祀ってありました。
道祖神、さいの神(賽神)さんとも呼び、村境や辻、峠、橋のたもとなどにまつられ、 道を守護し外から来る疫病悪霊などを村の中へ入れないようにする神様です。 道祖神のあるところは往来が多く、また子どもが集って遊ぶところともなります。 そのために、道祖神は村人の運命をつかさどり、縁結び、子授け出産、成長など、 子どもとは特に親しい守り神ともなっています。 道祖神の祭は悪魔払いで1月14日に行われ、 「さいとうばらい」,「どんど焼」,「セートバレー」,「セーノカミサン」等、 場所によって呼び方が違っています。 早川地区にも戦前(昭和20年以前)には、小さな子どもから大きな子どもまでが一つの組織(餓鬼大将を中心)を作り、 子どもたちだけの手で賄われていた民俗行事が盛んであった。 東組道祖神のまつられた年代は不詳で、現在の社は昭和48年6月東組員有志の浄財によって再建されました。
早川(はやかわ)駅
早川丸二公園に設置されている広域避難所の案内図を参考にして、その先の十字路を左折していきます。 民家風の小田原早川郵便局を過ぎて道なりに進んでいくと、早川駅(JR東海道線)に着きます。
みかんの木 オーナー募集
気候が温暖でたくさんの日光と潮風のあたる早川は、古くから美味しいみかんの名産地としてしられています。 早川のみかんの木のオーナーになると1本の木になるみかんがすべてあなたのものになります。 栽培管理は農家がおこないますので、みなさんはみかん狩りをたのしんでみてはいかがですか。
収穫時期 10月中旬〜12月下旬
料金 1本 4,000円より
申込み問い合せ JAおだわら早川支店
 (早川活性化推進協議会みかんオーナー会)