高麗山
散策:2004年12月上旬
【低山ハイク】 高麗山
概 要 平塚と大磯の間のJR東海道線に沿って、標高200m足らずの低い丘陵が連なっています。 高麗山はその東寄りの山で大堂とも呼ばれ、その昔には高来神社の上宮もあった所です。 高麗山の周辺は「高麗山県民の森」にも指定されていて、山腹や山麓には幾つもの散策路が巡っています。
起 点 大磯町 花水バス停
終 点 大磯町 花水バス停
ルート 花水バス停…高来神社…男坂女坂分岐…滝の沢分岐…滝の沢…八俵山…地獄沢分岐…地獄沢…亀堀沢…花水広場…展望所…東天照…けやきの広場…お中道分岐…尾根道交差…高麗山…女坂男坂分岐…男坂…滝の沢分岐…花水バス停
所要時間 3時間10分
歩いて... 高麗山の周りの雑木林に静かな散策路が続いています。 この日は天候に恵まれて、お中道からは冠雪した富士山の姿を望むことができました。 余りにも綺麗だったので、今回は記載しませんでしたが、湘南平まで足をのばしてみました。 往復で約1時間ほどかかりましたが、展望台からは素晴らしい景色を堪能することができました。
関連メモ 大磯・高麗山のみち, 湘南平, 湘南平, 大磯宿, 湘南平
コース紹介
花水(はなみず)バス停
平塚駅(JR東海道線)の北口のバスターミナルから、 [平41][平43]国府津駅行きバス、[平44][平45]小田原駅行きバス、 [平46][平47]二宮駅南口行きバス,または,[平48]大磯駅行きバスにて10分、 1時間に2本から3本程度の便があります。
バス停の100mほど先にある高来神社入口の信号の右手に、 高来神社の石標と鳥居が建っています。 鳥居をくぐっていくと更に鳥居があります。 その先には石畳の参道が続いています。
高麗山賛歌
若葉よく 紅葉またよく 広重の 名所絵にある 大磯高麗山
高来神社
参道を進んで短い石段を登ると高来神社の本殿があります。 本殿の左手にも大きな社があります。 境内には珍しいシイニッケイの大木もあります。
御祭神
神皇産霊尊、邇々杵尊、神功皇后、応神天皇
高来神社は類聚和名鈔に相模大住郡高来郷とあり、 現今の高麗山は高来郷内の第一高山を以て高来山という。
高来神社のシイニッケイ(町指定)
この木は、樹幹の心材が枯死腐朽し空洞化しているスダジイの 古樹の凹部に、ヤブニッケイが密着生育しているものです。 ヤブニッケイは100〜150年です。 このような例は各種各様のものがありますが、 外観が完全に一本の樹に見え、しかも違和感なく一本化した樹はたいへん珍しいものです。
男坂女坂分岐
本殿とその右手の社殿との間にある短い石段を登ると、小さな比良加久社があります。 石段の袂には「かながわの景勝50選 湘南平と高麗山」の石碑が立っています。 ここで男坂と女坂に分かれます。 右手は関東ふれあいの道にもなっている女坂で、左手は男坂へと続く道ですが、 今回は左手の道から滝の沢を経て八俵山へ登っていきます。
(右手の道は「大磯・高麗山のみち」, 「湘南平」, 「湘南平」を参照)
比良加久社
祭神 庚申地主神
合祀 高良明神、疱瘡神、天満天神
神奈川県指定天然記念物 大磯高麗山の自然林
高麗山は東海道沿線で、常緑広葉樹からなる自然林が残存している唯一の場所である。 花水川のつくった沖積地に接した海抜150メートル前後のこの山は 千畳敷山に東接している比較的急峻な山である。 頂上付近から南斜面一帯は自然林に近い形で存続している。ほとんど全山が スダジイ・タブ林によって被われていたのであろう。これらの森林は尾根口、凹地、 山麓部などの局地的な地形の変化に対応して、その種組成はことなる。すなわち、 クロマツは尾根筋などの土壌の浅い露呈した母岩上の潮風の強い立地に生育して いる。次いでスダジイ、アラカシも比較的乾いた土層の薄い立地にみられる。 一方凹地や山麓部の比較的湿っていて、しかも土層の厚い腐植に富んだ土壌上 には、タブ、ケヤキ、イロハモミジ、ネズミモチなどが見られる。いずれも ヤブツバキ、イタビカズラ、テイカカズラ、ジュズネノキ、ウラジロガシ、ベニシダ、 アオキ、イズタ、トベラ、ヤマイタチシダ、ツルマサキ、カヤ、ビナンカズラ、 キチジョウソウなどの照葉樹林(ヤブツバキクラス林)のスダジイ・タブ林の 構成種である常緑植物が主として生育している。特に注目したいことは、 モクレイシがほとんど全山の自然林の林床に生育していることである。モクレイシは 一属一種の常緑、大形低木であり、我が国では本州の伊豆、相模と九州の海岸付近に 生育しているだけである。 また、カゴノキの広く見られる。樹幹がかのこ模様で特異な暖地性常緑高木の 一種といえよう。このような南半分の残存自然林を、県の天然記念物として指定し、 学術的立場からも、県民の郷土の森としても保存することとした。
[注意]
樹木・草本の採取は勿論、枝葉の伐採、その他樹木をき損するおそれのある行為は 総て禁止します。 特に歩道でない斜面へ侵入し林床を痛めたり、登山をしたりしないでください。 またヤマイモ堀等地形を変更するようないっさいの行為を禁止します。 山崩れの原因になるからです。
 (神奈川県教育委員会)
高麗の山神輿
現在廃絶した高麗寺の本尊である千手観音の祭りが神仏分離令による影響で高来神社の春祭りの様相になった 相模国3大市のひとつに数えられる高麗寺祭、高来寺市(こうらいじまち)は、毎年4月17・18・19日に実施され、 江戸時代から大正の初め頃迄は「農具市」でしたが、現在は「植木市」になっています。 この祭りのなかで「山神輿」の行事があります。 寛永21年(1644)4月17日より始まったと伝えられ、由来については不明ですが、 高来神社(下宮)の神霊(みたま)を神輿に移し、麓から山頂の上宮(大堂)まで神輿を担ぎ上げるというもので、 祭りに大勢の人が集まるために地上の穢れを避けて山頂の上宮に仮宿するのだと言われています。 神輿は祭りが終わった19日に再び山を降ります。 この「山神輿」は平成元年(1989)10月18日に大磯町の無形民俗文化財に指定されています。
 (神奈川県自然環境保全センター県有林部)
滝の沢分岐
左手の道を少し進んでいくと、正面に急な山道が現れます。 これが男坂です。 角にある道標「大堂30分」が男坂を指し、「八俵山30分」がその左手の道を指しています。 指している方向が少しずれていてちょっと悩んでしまいますが、 左手に続く緩やかな道を、滝の沢を経て八俵山へと進んでいきます。
「山神輿」はこの男坂を担いで大堂まで登り、2日後に女坂を降ってくるのだそうです。 こんな坂道を担いで登るのはさぞ大変なことだろうと思います。
山神輿の祭り行程概要
17日午後6時頃、「上宮渡御」開始、男坂を登る。 路沿いには堤燈を持った人が待機。小休止をとりながら登る。
午後8時頃、女坂との合流点(八景、中の坊跡)に到着。 大休止をとる。神輿の屋根を平手でたたく。 御神酒、水、おにぎり、香の物(沢庵漬)が担ぐ人に振る舞われる。 (※おにぎり運びは明治の末までは婿さんと決まっていたそうです)
午後8時半過ぎ、上宮(大堂)に到着。 神輿を平手でたたきながら境内をねり歩く。神主の祝詞があげられる。 18日はそのまま山に神輿が安置され、社人2人が夜通し御守りする。
19日正午、1時頃に「御帰還、山降り」開始、女坂を降る。 下宮に午後2時頃到着。
山神輿本体
明治27年(1894)に高麗村中の協力で造られたものです。 修理される前の姿です。 ケヤキ材が使われ、転倒しても壊れないように頑丈なつくりになっています。 重さは250kgもあります。
山神輿の担ぎ方
山神輿は高麗山で一番急な男坂を夜闇に登ります。 神輿は前棒が2人で後棒が4人の計6人で担ぎ、 輿棒に結びつけた綱を男坂上にある大木(かつてはマツ)にくくりつけて 左右4〜5人が一緒になって神輿を引っ張り上げます。
 (神奈川県自然環境保全センター県有林部)
保健保安林
この保安林は、地域の保健休養の場として役立っています。 森林は、きれいな水や空気の大切な供給源となり、私達に安らぎと潤いを与えてくれます。 この保安林は、景観を保持し、自然とふれあう憩いの場として、保健やレクリエーションに活用するため、特に指定されました。 保安林内においては、次の行為は知事の許可を受けなければなりません。
 一、立木竹の伐採及び立木の損傷
 二、土石の採取及び樹根の採掘
 三、その他土地の形質を変更する行為
森林は国の宝です。保護育成に努め、後世に引き継いで行きましょう。
たきび・たばこの吸殻や、ごみの投げ捨てに注意し、樹木を大切に育てましょう。
 (神奈川県)
自然環境保全地域
自然を大切にしましょう。
建築物の新改増築、土地の形質変更等は届出が必要です。
 (神奈川県)
鳥獣保護区
ここは保護区域です。 鳥や獣を守ってください!
 (神奈川県)
注意
この地域一帯は、「大磯高麗山の自然林」として神奈川県指定天然記念物に指定されています。 指定地内の植物を採取することはもちろんのこと、植物の生育に影響を及ぼすことは禁止されています。 貴重な天然記念物を大切に守りましょう。
 (神奈川県教育委員会)
雑木林の中に続く緩やかな道を進んでいきます。 防火用水を過ぎていくと横木の階段が始まりますが、それほどの急坂ではありません。
山火事注意
火の用心!
たきび・たばこは確実に消して!
 (大磯町消防本部・署)
緑は友だち 山火事注意
 (森林国営保険、神奈川県)
あっ!危い、その火が山を灰にする。
私たちの自然を守りましょう。
 (大磯町消防本部)
滝の沢
男坂との分岐から8分ほど進んでいくと滝の沢に着きます。 僅かな水が細い流れを作っている沢ですが、 シダ類も生い茂っていて、少しヒンヤリとした空気が漂っています。 短い木橋を渡り、その先の石積みの坂道を登っていきます。
八俵山 (標高160m)
次第に急になっていく坂道を登っていきます。 最後に横木の階段を登っていくと、沢から7分ほどで尾根筋にある八俵山に着きます。 周りは樹木に被われていて展望は得られません。 ベンチがひとつと「高麗山県民の森案内図」などが設置されています。 高麗山を取り巻く森に続く散策路などが図示されているので参考にしましょう。 右手の尾根道は高麗山へと続いていますが、先ずは道標「地ごく沢入口5分」に従って、 広くなった尾根道を左手に進んでいきます。
八俵山(はっぴょうやま)
標高160m
八俵山・大堂・東天照の高麗山の三峰のうち、最も西側に位置する峰で、 "八俵"は仏教用語の八俵(隅の意味)から転じたと考えられます。 古くは毘沙門堂がここに建てられていたと記録されています。
 (神奈川県 県有林事務所)
神奈川県指定天然記念物 大磯高麗山の自然林
大磯丘陵の東端に位置する高麗山は、標高わずか150メートルにすぎないが、 相模川の広い沖積平野に接し、特徴的な景観で古くから親しまれている。 この南面は、シイやタブを主とした常緑広葉樹で構成される沿海性の自然林におおわれている。 山腹斜面は土壌が浅く、アラカシやウラジロガシを多く混生したスダジイ林が発達し、 一方、谷部のように土壌が厚くて適湿、富養な立地では、タブノキ・イロハモジミなどが 高木層を形成するタブ林がみられる。 いずれの林内にも、ネズミモチ・ヤブツバキ・アオキなどの常緑樹が豊富に生育し、 また分布北限域ともなるモクレイシは注目される。 県内にわずかに残されたヤブツバキクラス域の自然林としては、林分面積が充分に確保され、 自然度も高い良質な森林として貴重であるばかりか、東海道線沿いに見事な常緑広葉樹林が展望できるのも珍しい。 学術的な立場からも、郷土の森としても、さらに景観的意味からも、指定天然記念物として保護するものである。
 (神奈川県教育委員会)
城郭としての高麗山
高麗山は相模湾から相模平野一帯を見渡せることから、古くから軍事上の 要衛として重要な地域でもありました。山中にある寺の建物が軍勢を収容する ための城郭として使われるようになり、記録によれば室町時代の永亭10年(1438)に 関東公方の足利物氏(1398〜1439)が室町幕府に対して反乱を起こした(永亭の乱)際に これを討伐すべく上杉持房(?〜1490?)が山に陣をかまえたのが最初のようです。 その後、永正7年(1510)に北条早雲(1432〜1519)が上杉顕定(1454〜1510)を 討伐する際、山に立て篭もったということです。この戦い以降、山は北条氏によって 小田原城と相模平野を結ぶ狼煙台として「伝えの城」(連絡用の砦)として 使われるようになりました。 永禄3年(1560)には上杉謙信(1530〜1578)が小田原侵攻の際、山に陣をかまえて 北条氏康(1515〜1571)と交戦したということです。 現在でも八俵山から大堂に向う尾根道沿いに往時の空掘の跡と思われる遺構が 残っています。
虎御前と八俵山の関わりについての伝説
日本三大仇討で有名な「曽我物語」の曽我十郎祐成と恋仲であった虎御前が 彼の死後、その悲しみのあまり19歳の若さで出家して尼となり、 長野の善光寺をはじめ全国の霊場を行脚し、晩年に現在のケヤキの広場(寺久保、寺窪) にあった高来寺に篭って、兄弟の菩提を弔いながら嘉禄3年(1227)に亡くなり、 その際に自身の生まれ育った大磯の地と兄弟の最後の地であった富士方面を 望める八俵山の南斜面に葬られたといわれています。
虎御前(1175?〜1227?)
彼女の生立ちについては一説には、現在の平塚市山下に住んでいたといわれる藤原実基郷: 通称「山下長者」の娘といわれています。寅の月、寅の日、寅の刻に生まれたので 「三寅御前」と名付けられ、長じてからは「虎御前」と呼ばれるようになりました。 容姿美しく、歌舞音曲に優れていたので、当時の有力者の宴席に招かれることが 多かったことから、十郎と恋仲になった後には、十郎に工藤裕経に関する情報を手紙等で 伝えていたようです。
曽我物語とは?
所領をめぐる争いから、父親を殺された曽我十郎祐成・五郎時致兄弟が仇である工藤祐経を 建久4年(1193)、源頼朝が富士山の西麓で巻狩を催した際に討ち果すまでの物語。
八俵山に「まつたけ」の自生があった!?
大正時代頃には八俵山周辺ではマツタケが自生していたようです。 マツタケは林内が明るくて落枝や落葉が少ない風通しのよいマツ林に 生えることから、現在とは林内の環境が全く異なることが伺えます。 かつて山で拾われる落枝や落葉は周辺の人達にとって日々の生活を支える貴重な 燃料や肥料でした。山に人手が頻繁に加わっていたことが、マツタケの 好む環境をつくりあげていたといえます。
 (神奈川県自然環境保全センター県有林部)
注意
この地域一帯は、「大磯高麗山の自然林」として神奈川県指定天然記念物に指定されています。 指定地内の植物を採取することはもちろんのこと、植物の生育に影響を及ぼすことは禁止されています。 貴重な天然記念物を大切に守りましょう。
 (神奈川県教育委員会)
地獄沢分岐
八俵山からは左手の広い尾根道を進んでいきます。 ベンチが道端にポツンとあるそばを過ぎて尾根道を緩やかに降っていくと、 3分ほどでベンチがひとつ設置された鞍部に着きます。 内容は違いますが、ここにも先ほどと同じような解説板がありました。 「湘南平20分」の道標や、関東ふれあいの道の「浅間山500m、湘南平900m」の道標も立っています。 ここから道標「地ごく沢15分」に従って、広い尾根道から分かれて右手の道を降っていきます。
高麗(こま)という地名の由来
西暦666年、当時朝鮮半島北部にあった高句麗の滅亡とともに難をのがれた人達が 船で渡来し、大磯の唐ヶ原に上陸して化粧坂あたりに居住し、周辺の開拓を行なったと いわれることに由来します。現在でも高来神社の夏祭の祝い歌にはこのことをうかがわせる 様子が歌われています。当時は高来(高麗)と書いてタカク、コウライと呼ばれていたようで、 コマと呼ばれるようになったのは明治時代になってからです。 山の名前については平安時代延長年間(932〜931)に編纂された和名鈔(和名類聚鈔)に 現在のコウライ一帯を「高来郷」(タカクゴウ)とする記述が見られることから、 郷にあるこの山を「高来山」と呼んでいたとも思われます。
高麗山の森の変遷
高麗山の森は幕末なで高麗寺の所有でしたが、明治維新とともに御料林(宮内省管理)となり、 その後昭和13年、神奈川県に御下賜となり県の所有する森となりました。昭和46年からは 県民のリクリエーション利用を目的とした整備を行い現在に至っています。
高麗山の植生について
山の植生は室町時代の戦火により荒廃したと考えられ、江戸時代になって高来寺(高麗寺)に 徳川家康の御神影を勧請した慈眼大師(天海僧正:1536〜1643)が定めた掟中には 高麗山の樹木の伐採を禁止する旨があり、森林が保護されてきました。このようにして 成立した植生は明治維新以降も保護されてきましたが、戦後、昭和21年に戦災復興資材確保の ために山の北〜東斜面約20ha(全体の3分の2程度)が伐採され、当時の植生は南斜面の 天然記念物範囲に残るのみとなっています。天然記念物範囲内はスダジイ、タブノキ、イロハモミジ、 ケヤキ等の常緑・落葉広葉樹林、それ以外の所ではイヌシデ、コナラ等の落葉広葉樹林とスギ、 ヒモキ植林が広がっています。なお、天然記念物範囲内のスギ、ヒノキの大経木は主に 江戸時代頃に信仰の関係で植栽されたものと考えられます。
高来神社(高麗神社)(たかくじんじゃ、こうらいじんじゃ)
11代垂仁天皇の御代に創建され、祭神神皇産霊尊、邇々杵尊を祀り、その後27代安閑天皇2年(6世紀初め)に 15代応神天皇と神功皇后を合祀されたと伝えられています。合計4柱が祭神として祀られています。
高来寺(高麗寺)(たかくじ、こうらいじ)
神社の敷地内にはかつて高来寺(高麗寺)と呼ばれるお寺がありました。奈良時代の養老元年(717)に 行基(668〜749)が、千手観音像(現在神社に現存)を本尊としたことが創建ともいわれています。 後に法相宗の僧によって鶏足山雲上院と称しました。斉衛元年(854)には慈覚大師(円仁:794〜864) によって山の右峰に白山社(現在の東天照周辺)、左峰に毘沙門社(現在の八俵山周辺)が建立され、 以降、平安〜鎌倉時代から寺は相模15大寺の中に数えられ、人々の尊崇を受けました。室町時代には 寺自身が城郭として用いられたために度重なる兵火にあいましたが、江戸時代の寛永11年(1634)には 東照権現(徳川家康)の御神影を勧請して上野寛永寺の末寺となり、幕府の保護を受けました。 しかし、1868年明治維新になると、神仏分離令により廃寺になりました。
高麗山の景観今昔「高麗山のマツ」について
高麗山には昭和40年代半ばまで山の尾根沿いを中心にマツの大経木が多く生えていました。 樹齢からさかのぼると江戸時代初期(17世紀初め)頃に生えてきた(植栽された)ものと 考えられます。山の尾根から突出した樹形は安藤広重の錦絵などに描かれ、すばらしい景観を 創出してきました。しかし、マツノザイセンチュウ(松くい虫)による被害で 昭和50年代初めには1本も無くなってしまいました。
 (神奈川県自然環境保全センター県有林部)
尾根道から分かれて北斜面に広がる雑木林を降っていきます。 南斜面や尾根道とは違って陽射しがないので、ヒンヤリとした空気が漂っています。 雑木林の中を7分ほど降っていくと、ベンチがひとつ設置された分岐があります。 そばにある道標によるとは、右手の道も「地獄沢」、正面の道も「地獄沢」となっています。 右手の道は高麗山の中腹を取り巻くように続く散策路で、 今回はもう一段下の山麓に続く散策路へ向けて、正面の道を降っていきます。
地獄沢
山道を4分ほど降っていくと民家が間近に見えるようになります。 民家のすぐ側まで降りてくると地獄沢に着きます。 広めの谷筋の割りには細い沢の流れでした。 沢は右手から左手へと流れています。 この左手すぐの所には民家が迫ってきています。 この沢を渡っていきますが、木橋などはないので注意して渡りましょう。 ここにも「高麗山県民の森案内図」があるので参考にしましょう。 ここから山麓に続く散策路を、亀堀沢から花水広場へと進んでいきます。 ここの案内図には高麗山の樹林保護歴史年表が書いてありました。
高麗山の樹林保護歴史年表
樹林の安定期− 樹林の荒廃期・高麗寺の消失− 寺社領地としての保護− 寺社領地から官有地へ− 御料地への編入− 神奈川県への移管− 樹林の破壊期− 樹林の復旧期− 針葉樹林老木枯死被害の始まり− 樹林の一般県民への開放に向けて− 文化財としての保護− 針葉樹林枯死被害の拡大− 樹林に対する公的評価、 などが順を追って記されていましたが仔細は省略します。
高麗山の今後の整備方針
「県民の森」として開放以来およそ30年が経ちました。 従来は散策路の整備や補修、ベンチ等の工作物の設置といった公園的利用のための設備と、 倒木の危険にある散策路沿いの枯木の伐倒整理が主体でした。 今後はそれに加えて、主に北斜面にあるスギ・ヒノキの植林地の間伐を行って、 空地に常緑・落葉広葉樹の植栽を行い、土地本来の多様な植生に近づける様に整備していきます。 また伐採した樹木の現場での有効利用を図っていきます。
 (神奈川県自然環境保全センター県有林部)
キノコ 高麗山
キノコは足もとや枯れ木を注意してみると見つけることができます。 色や形、食べられるもの、毒があるものなど、さまざまな種類があります。
カンゾウタケ 全体が赤いのが特徴です。シイの大木の根際に生えています。
5〜6月又は、10月頃食用(薄く切って生で食べられます)
マツオウジ 針葉樹の切り株や立木等に生えます。「まつやに」の様な匂いがあります。
初夏〜秋 食用(まれに中毒を起こす)
ナラタケ 広葉樹や針葉樹の枯れ木に生えます。立木を枯らす病原菌としてやっかい者にもされます。
夏〜秋 食用(美味だが食べ過ぎると中毒を起こす)
ヒラタケ 主に広葉樹の切り株等に生えます。食用に「しめじ」の名で栽培されています。
晩春〜春 食用(野生のものは歯ごたえ・味ともに優れる)
シイタケ クヌギ・コナラ・シイ類の枯れ木に生えます。日本で最も広く栽培されています。
春と秋 食用
ツキヨタケ 和えでなどの枯れ木に生えます。柄を裂くと、はん点(しみ)があります。
夏〜秋 毒(中毒事故が多い)
案内図の左手から続く広い横木の階段を登っていきます。 少し広くなってベンチが2つほど設置された所を過ぎていくと、道が二手に分かれています。 道標もなくて迷いますが、いずれを進んでいってもすぐに合流します。 正面の道は急になっていて、右手の道は緩やかで歩きやすくなっています。
横木の階段を登っていくと、少し広くなってベンチが3つほど設置された所に着きます。 ここから大堂へ登っていく道が右手に分かれていきますが、 道標「大磯町生涯学習館」に従って、そのまま山麓沿いの道を進んでいきます。
亀堀沢
緩やかに降っていくと、すぐに亀堀沢に架かる小橋を渡ります。 先ほどの地獄沢よりも谷は狭いものの、沢の流れはこちらの方が勢いがあるように感じました。
小橋を渡って3分ほど進んでいくと分岐があります。 右手に登っていく道は、高麗山の中腹を巡る道へ続いていますが、 道標「大磯町生涯学習館」に従って、左手の道を進んでいきます。
神奈川県の設置した防火用水を過ぎていくと、道端にはツバキが並んで植えられていました。 花の季節なのか大きな花が沢山咲いていました。
広くて緩やかな道を更に進んでいくと、先ほどの分岐から3分ほどで再び分岐があります。 高麗山の山麓沿いの散策路は右手へと登り気味に続いていますが、 左手のコンクリート道を少し進んでいくと花水広場があるので立ち寄っていきましょう。
花水広場
舗装された道を進んでいくと、道路に水が流れていました。 東天照沢からの流れが道を横切っているようです。 その先で道が二手に分かれています。 左手に降っていくと森の出口になりますが、右手の先に花水広場があります。 テーブルやベンチが設置された小広い場所です。
すてないで
この付近にアキカンやゴミを不法に投棄すると、法により罰せられます。 環境破壊は犯罪です!
 (神奈川県)
花水広場の先にある横木の階段を登っていくと東屋があります。 樹木越しに平塚の街並みも見えているので、腰を掛けてちょっと休憩していきましょう。
東屋からV字形に折れて続く坂道を登っていくと、 すぐに先ほどの分岐から登ってきた山麓沿いの散策路と合流します。 そこから左手へと登っていきます。 左手に平塚の街並みを見ながら進んでいくと、コンクリートで補強された崖の下を通っていきます。
崖の先の階段を登り、雑木林の中の緩やかな山道を3分ほど進んでいくと、道標の立つ分岐があります。 左手の道は「青年の家3分」となっていますが、道標「東天照15分」に従って、 右手に続く横木の階段を登っていきます。
展望所
2分ほど登っていくと、正面がポッカリと開けた場所に着きます。 テーブルとベンチが設置され、「目のまえに広がる湘南」の案内板もありました。 平塚の街の向こうには相模湾が広がっていました。 江ノ島や三浦半島も見えていて、その奥には房総半島までも見えるようです。 地獄沢分岐にあったのと同じ内容の「高麗山県民の森案内図」もありました。 ベンチに腰を掛けて、しばらく眺めを楽しんでいきましょう。 赤い前掛けをした二体のお地蔵さんも立っています。
展望を楽しんだら、更に横木の階段を登っていきます。 しばらく登っていくと、左手に丸太柵や石垣が続くようになります。
展望所から8分ほど登っていくと尾根筋に着きます。 案内板やベンチが設置してある小広い所になっています。 この先の尾根道は東天照を経て大堂へと続いています。 また、左手の道を進んでいくと女坂へと続いていますが、 今回は、道標「県道15分」に従って右手の右を降っていきます。 その前にすぐ先の所にある東天照へ立ち寄っていきましょう。
森林の働き
森林にはさまざまな働きがあります。全ての生き物にとって、 なくてはならないものです。森林のもっとも身近な役割を紹介します。
散策・森林浴の場 森林は人間にとっても大切です。散策や森林浴を行なうことにより、 精神的な安らぎを与えてくれます。
保水機能 落葉が降り積もった土はやわらかく、水をたっぷりと含みます。 そのおかげで洪水や渇水を防ぐことが出来ます。
空気の浄化 植物は光合成を行なうことにより二酸化炭素(CO2)を吸収して酸素(O2)を 放出します。大気中の塵やほこりも取り除きます。
動物たちのすみか 森林は動物たちの活動・休憩の場です。 多くの生き物がいます。
その他の働き ・防火−炎を遮断します
・騒音の低減−音を吸収します
・森林資源の供給−木材や山菜,キノコ
・気温差の緩和−昼涼しく、夜暖かい
・土砂崩れ等の防止
枯れの進む針葉樹の老木(スギ・ヒノキ・モミについて)
高麗山の「天然記念物範囲内」にはかつて針葉樹の老木が現在よりも ずっと多くありました。スギ・ヒノキは直径50〜80cm程度で、 主に江戸時代中期から明治初期にかけて植栽されたものと思われ、 モミは自然生のもので、直径1m、樹齢200年を越えるのもも十数本あったといいます。 これらの老木は昭和35年(1960)頃より、森から突出した梢の先端部分が枯れだして その後に枯死する現象が見られるようになりました。最初はモミに被害が出始め、 その後スギ、ヒノキにも被害が拡大しました。現在までにその大半が枯死し、現在残った ものも先端枯れの被害が拡大して腰が少しずつ進んでいます。
原因については次のようなことが考えられていますが、はっきりとしたことは判っていません。
 (1)山本来の自然植生の構成樹種であるスダジイ・タブノキ等の常緑広葉樹が植栽されたスギ・ヒノキを
   押しのけて生育するようになった結果衰弱した。(植物遷移による影響)
 (2)伊勢原大山のモミ林のように都市部の大気汚染物質の飛来による影響。
高麗山で見られる野鳥
コゲラ 高麗山に年間を通じて住むキツツキのなかま。 木の幹を掘って巣にします。 ギィーギィーと木のきしむような声で鳴きます。
ツグミ 高麗山では冬鳥としてよく見られます。
アオバト オー・アーオーという声で鳴きます。 春から秋にかけて丹沢方面から飛来し、 日中大磯の照ヶ崎の岩場で海水を飲む姿が見られます。
メジロ 目のまわりの大きな白い輪が目印。巣は木の枝のまたの 部分にクモの糸で固定されています。
オオルリ 高麗山には夏鳥として飛来しチーリーロージジッという 朗らかな声でさえずります。オスはあざやかな瑠璃色ですが メスは茶色で地味。
シジュウカラ ほおが白いのが特徴。 ツーピーと大きな声でさえずります。
キジバト ヤマバトとも呼ばれ、高麗山では留鳥として普通に見られます。 背中にうろこ模様がありデデ・ポーポーという声で鳴きます。
コジュケイ 「ちょっと来い」と聞こえる声で鳴くキジの仲間。 中国南部原産で大正時代に日本国内の各地に放鳥され 分布を広げました。
ヤマガラ 木の実などをある場所に隠しておき、それを後になって 取り出して食べる"貯食"という習性があります。
ウグイス 春夏のホーホケキョというさえずり声で、あまりにも有名ですが、 冬の間はチャッチャッという声で鳴きます。 高麗山の笹やぶの中で営巣をしています。
アオバズク 青葉の茂るころ、南から渡ってくるフクロウ。 ホッホー、ホッホーと柔らかい声で鳴きます。 主食は昆虫類。
東天照 (標高135m)
尾根道を50mほど進んでいくと、小高い所に東天照があります。 輪切りの丸太などがベンチ代わりに設置されているだけの狭いピークです。
東天照
標高135m
八俵山・大堂・東天照の高麗山の三峰のうち、最も東側に位置する峰で、 東の展望台の役目を果たしていました。 鎌倉時代には白山社がまつられていたという記録が残されています。
 (神奈川県 県有林事務局)
たばこの投げ捨て!火事のもと
 (神奈川県)
東天照から引き返して、尾根筋から再び北斜面へと降っていきます。 東天照沢の始りのような沢筋を右手に見ながらヒンヤリとした雑木林の中を9分ほど降っていくと、 山麓の散策路から東天照沢を渡って登ってくる道が右手から合流してきます。 ここから、高麗山の中腹に続く散策路を左手へと進んでいきます。
1分ほどでベンチが設置された分岐があります。 山麓の散策路へと降っていく道を右手に見送って、正面に続く道をそのまま進んでいきます。
やがて現れる横木の階段を登っていくと、5分ほどで再び分岐があります。 ここには道標が見当たりませんでしたが、 正面の道は中腹を通って亀堀沢から地獄沢へと続く道のようです。 今回は、左手に続く横木の階段からけやきの広場へと登っていきます。
けやきの広場
横木の階段を登って小さなマウンドを超えると、4分ほどで「けやきの広場」に着きます。 東屋も建っていてベンチも幾つか設置された広い場所になっています。 その昔には寺窪坊と呼ばれる僧坊があった所のようです。 また「寺久保」という地名が残っており、かつてここに高来寺があったとも考えられる場所とのことです。
高来寺(高麗寺)伝説〜幻となった寺窪坊〜
この地には「寺窪坊」とよばれる奈良時代の養老元年(717)に創建された高来寺(高麗寺)の僧坊(僧侶の住居)が 存在していたと伝えられています。 平安〜鎌倉時代にかけて高来寺(高麗寺)が栄えた時期に設立されたものと思われ、 現在、高麗寺の末寺にあたる慶覚院に残る寛永11年(1634)の金剛力士像(仁王像)の造立に関わる記録には 「寺窪坊」の記述が見られ、江戸時代初め頃にも存在していたことが伺えます。 山中に湧水の無い高麗山において当時、坊に住んでいた僧侶の生活用水の確保は大変だったようで、 高麗山北側山麓にある「お清水さん」(注:現在県道公所大磯線沿いにあります)の湧水を汲んで、 黒牛(但馬牛)に運ばせて使用していたと伝えられ、鈴を付けた黒牛が背中に水桶を左右につけて 「お清水さん」まで行くと、道行く人々が水を汲んでくれ、それをここまで運ぶのが日課だったということです。 しかし、坊がいつしか廃絶すると共にその光景も「幻」となってしまいました。
 (神奈川県自然環境保全センター県有林部)
森の野鳥とコゲラの生態 高麗山
この森にはたくさんの野鳥がすんでいます。 木の実を食べる鳥は、種子を消化せずに排泄し、遠くへ運びます。 虫を食べる鳥は、虫の異常発生を防ぐはたらきをします。 野鳥はまわりの自然とかかわり合って生きているのです。
コゲラ
コゲラは日本のキツツキの中で最も小型の種類です。 スズメくらいの大きさで、ほぼ全国に分布し、平地や低山帯の林で見られます。 枯れ葉の中にいる昆虫を、くちばしでつついて取ります。 鳴き声「ギィーギィー」、「ギィーキッキッキッ」
コゲラの1年
オスとメスがつがいになり、枯れ木に巣穴を掘りはじめます。
初夏、巣穴に5〜7個の卵を生み、子育てを行います。
シジュウカラやメジロなどの群れにまじって、林の中を移動しながら餌を取ります。
けやきの広場からは、少し樹木に邪魔されながらも、北側には丹沢の山並みを望むことができました。 左手の方には富士山の綺麗な姿も見えていました。
広場の右手から巻くようにして続く道を登っていくと、 大堂から東天照へと続く尾根道に出ます。 先ほどの東天照からそのまま尾根道を進んできてもここに着きます。
お中道分岐
右折して尾根道を少しいくと道が二手に分かれています。 正面の道は「高来神社」へ降っていく道ですが、 道標「大堂」に従って、右手の横木の階段を登っていきます。 階段を登っていくと、すぐに「八俵山」の道標が立つ分岐があります。 前方からきて右手へと続く道が高麗山の山頂を取り巻くお中道です。 このまま真直ぐに登っていくと高麗山への石段の中程に着きますが、 今回は右折して山頂の北側を廻っていきます。
3分ほど進んでいくと、曲がり角に道標が立っています。 「東天照」と「八俵山」が道なりの向きに示されていますが、それと直角の向きにも「大堂」が示されています。 右手に降っていく道はありましたが、 道標「大堂」が指す向きには道など見当たらなくて、少々考えてしまいました。 とりあえず道なりに真直ぐ進んでいきます。
樹木の間からは富士山が綺麗に見えていました。 その左手の方には、湘南平にあるテレビ塔も大きく見えていました。
尾根道交差
少し進んでいくと、木橋の架かる尾根道に出ます。 お中道は尾根を越えてその向こうへと続いています。 尾根道を右手に進んでいくと八俵山を経て湘南平へと続いていますが、 今回は、道標「大堂」に従って左手の木橋を渡り、その先の岩場を登っていきます。
高麗山 (標高167m)
岩場を登っていくと、更にその上へ登っていく道と、右手に巻いていく道とに分かれています。 いずれの道を進んでいっても、ほどなくして、大堂とも呼ばれている高麗山の頂上に着きます。 頂上は樹木が切り払われた小広い広場になっています。 周りには樹木が生い茂っていて展望は得られません。 この広場には、かつて高来神社の上宮があったそうで、 いまでもその名残として「上宮造営所」の立札と礎石が残されています。
高麗山
高麗と若光
昔から日本と朝鮮の文化交流は深く、相模国をはじめ東国七州の高麗人を武蔵国に移して高麗郡をおいたと 「続日本記」には書かれています。 奈良時代のころ高句麗は唐・新羅に滅ぼされ、日本に難を逃れた人も多く、 その中に高句麗王族のひとり高麗若光もいました。 若光は一族をつれて海を渡り、大磯に上陸、日本に帰化してこの山のふもとの化粧坂あたりに住み、 この地に高度な文化をもたらしました。 高麗若光と高句麗の人たちが住んでいたことから、この地が高麗と呼ばれるようになりました。
 (環境庁・神奈川県)
山火事予防
どんな火もいやです。山はみどり好き。
 (神奈川県)
高麗山からは正面の石段を降っていきます。 お中道を横切って更に石段を降っていくと、3分ほどで分岐があります。 正面はケヤキの広場分岐から東天照への尾根道へと続く道ですが、 道標「高来神社20分」に従って、右手の道を降っていきます。
火気に注意
 (神奈川県)
女坂男坂分岐
2分ほど降っていくと道が二手に分かれています。 左手は女坂、右手は男坂で、 どちらを降っていっても高来神社へ着きますが、今回は男坂を降っていきます。
火災防止 喫煙注意
 (県有林事務所)
私たちの自然を守りましょう。 たばこの投げ捨てはやめましょう。
 (大磯町消防本部)
男坂
かなり急な坂道を降っていきます。 危険防止のためか、緑色のネットが道に沿って設置されている所もあります。 緩やかな所もあったりしますが、登ってくると一汗かきそうな坂道です。 こんな坂道を「山神輿」が登ってくるのかと思うと、その大変さが思われます。
滝の沢分岐
そんな男坂も8分ほどで終わって、元の「滝の沢分岐」に降り立ちます。 ここからは、元来た道を、高来神社を経て花水バス停へと戻っていきます。
花水(はなみず)バス停
平塚駅(JR東海道線)まで、平塚駅北口行きバスにて10分、 1時間に2本から3本程度の便があります。
国府津駅(JR東海道線)まで、国府津駅行きバス,または,小田原駅行きバスにて40分、 1時間に2本程度の便があります。
本数は少ないものの、朝夕には大磯駅(JR東海道線)までの便もあります。