湘南平
散策:2004年11月下旬
【低山ハイク】 湘南平
概 要 平塚と大磯の間のJR東海道線に沿って、標高200m足らずの低い丘陵が連なっています。 湘南平はその西端の山の上にあって、かつては千畳敷とも呼ばれていた広い場所になっています。 今回は湘南平から浅間山を経て、高麗山から高来神社へと降るコースを歩きます。 湘南平の展望台からは、360度の素晴らしい大パノラマが広がっています。
起 点 大磯町 大磯駅
終 点 大磯町 花水バス停
ルート 大磯駅…妙大寺…高田公園…東小磯配水池…楊谷寺谷戸分岐…湘南平分岐…湘南平…浅間山…地獄沢分岐…八俵山…お中道分岐…高麗山…ケヤキの広場分岐…東天照…展望所…女坂出合…男坂女坂分岐…高来神社…花水バス停
所要時間 3時間20分
歩いて... この日は天候に恵まれて、湘南平の展望台からは、丹沢・箱根・伊豆の山々や 冠雪した富士山を綺麗に望むことができました。 湘南平から高来神社までは関東ふれあいの道の一部に、高麗山周辺は高麗山県民の森にもなっています。 道標や案内板などが各所に設置されていて、勉強しながら散策できるコースです。
関連メモ 大磯・高麗山のみち, 高麗山, 湘南平, 湘南平, 大磯宿, 湘南平, 湘南平
コース紹介
大磯(おおいそ)駅
大磯駅(JR東海道線)から歩いていきます。
改札口を出て、すぐ右手の線路沿いに続く小道を進んでいきます。
大磯ガード
JR東海道線の線路沿いの小道を200mほど進んでいくと、大磯小学校のある十字路があります。 角に立つ道標によると、正面は「島崎藤村邸0.3km」の道ですが、 「高田公園0.6km、湘南平2.2km」に従って、右手の線路下の大磯ガードをくぐっていきます。 湘南平は「かながわの景勝50選に選ばれた景勝地」とのことです。 期待しながら進んでいきます。
妙大寺
ガードをくぐって、右手に分かれていく道は見送って、正面の道を真直ぐに進んでいきます。 50mほど進んでいくと、右手に日蓮宗の古刹の妙大寺があります。 境内には、大磯に海水浴場を造ることを提唱した松本順の墓があるとのことですが、 この時には朝早い時刻だったこともあってか、残念ながら山門の扉は閉ざされていました。
心の力を養おう
知足…なんでも少なめがちょうどいい
布施…してあげたことぜんぶ忘れて みかえりを求めない
持戒…してはいけないことはしない しなければならないことはする
忍辱…がまん がまん
精進…どんなに草ぼうぼうの荒野でも 足しげくかよっていると道ができる
禅定…ときどき止まってみたり坐ってみると 正しい判断ができる
智恵…心の力が弱いとまちがってしまう だから心を強く
 (山之寺 大磯 妙大寺)
妙大寺を後にして更に先へと進んでいくと、すぐにT字路があります。 角にある道標「湘南平2.0km」に従って、ここを右折していきます。 住宅地の中に続く道をジグザグに登っていくと、次第に高度が増してきます。 振り返ると、大磯の街並みの向こうに相模湾が広がっています。 旧東海道の松並木が点々と続いているのも見えます。
鳥獣保護区
ここは保護区域です。鳥や獣を守って下さい!
 (神奈川県)
左手に分かれる道を見送った先で、坂道の頂上に着きます。 「ハイキングコースは右です」と書かれた看板が、手前で左手に分かれていく道を指しているようにも見えますが、 道標「湘南平1.3km、高田公園50m」に従って、坂道の頂上の左手にある階段を登っていきます。
高田公園
竹で組まれた塀沿いに階段を登っていくと、正面に高田公園があります。 丘にある広場になっていて、一面に芝生が植えられています。 ここから見える景色の案内図が設置されていますが、 現在では、手前の樹木や建物が邪魔をして、残念ながら展望はほとんど得られません。 その昔には、房総半島、三浦半島、江ノ島、相模湾、真鶴半島、箱根・伊豆の山々、 沖の方には伊豆大島や初島までもが見渡せたようです。 素晴らしい眺めだったことが想われます。
公園を利用されるみなさまへ
みんなの公園です。 マナーを守ってきれいに使いましょう。 公園内で、気がついてことがありましたら、下記までご連絡ください。
大磯町 都市整備課 公園みどり班
高田公園の奥には、米軍占領下の状況を風刺した随筆「ブラリひょうたん」の作者、高田保の墓があります。 そばにあった解説板には「高田保公園」とあるので、 この高田公園は氏の功績を記念して造られた公園のように思われます。
高田保公園
高田保は明治28年3月28日、茨城県土浦町で生れた。 家系は代々藩主土屋越前守の祐筆で、生まれながらに文筆の家柄であった。 大磯には太平洋戦争が激戦を極めていた昭和18年2月から住み、 静かな大磯に来たことを心からよろこんだ。 氏の活躍の中で出色なのは、昭和20年に東京日日新聞に掲載された「ブラリひょうたん」で、 占領下の政治・経済・社会・文化の百般にわたり、風刺的評論執筆は世の好評を受けたことである。 また、晩年は大磯町の社会教育に力を尽くし、教育委員長となって、生まれながらの天性を発揮されたが、 生来体を無理して使い過ぎの感があり、昭和27年2月20日午前11時15分、行年57才の若さで黄泉に旅立たれた。 墓碑の屏風石には、氏の言葉「海のいろは日ざしで変る」と刻まれ、 町の有志や友人が昭和29年5月31日に建立した。 墓碑の設計は、島崎藤村の墓と同様、谷口吉郎博士の設計である。
高田保の墓の右手にある細い簡易舗装道を登っていきます。 登りはじめには道標がないので、少々不安になりながらも進んでいきます。 民家の横を過ぎていくと、森の中の土の道へと変わっていきます。
あっ!その火が山を灰にする
私たちの自然を守りましょう。
 (大磯町消防本部)
街と山 歩いて声高 安全あいさつ
 (神明町町内会)
右手からの道を合わせて更に進んでいくと森の裾に出ます。 再び簡易舗装道を進んでいくと、民家の先に分岐があります。 左手はちょっとした広場風になっていて、その先にも道が続いているようでした。 大きな「大磯町観光案内板」もありました。 この辺りには「明治のまちコース」が通っていて、ここから右手の道へ続いているようですが、 道標「湘南平0.9km」に従って、正面の道をまっすぐに進んでいきます。 湘南平は「箱根連山、大島、房総半島を一望できる景勝地」とのことです。
(右手から登ってくる道は「湘南平」を参照)
赤レンガ積みの民家を過ぎた先から、再び山道に変わります。 小さな坂を登った所に道標「湘南平1.1km」が立っていました。 ん?1.1kmって?先ほどの道標よりも距離が伸びています。 何だか変な感じもしますが、まあ概ね1kmほどだと思うことにしましょう。 ここから左へ曲がって緩やかな道を進んでいきます。
小さな火 "まさか"がおこす 山の火事
 (神奈川県)
民家から2分ほど進んでいくと、正面に横木の階段が現れます。 ずうっと上まで真直ぐに続いています。 左手にも道が分かれていますが道標などは見当たりませんでした。 どちらへ行けばいいのか迷いますが、結果的にはどちらを進んでいっても同じ所に着きます。 今回は横木の階段を登っていきました。 かなり長く感じたりもしますが、3分ほどで終わりになります。
東小磯配水池
横木の階段を登り切ると尾根筋に着きます。 正面には神奈川県企業庁水道局の東小磯配水池があります。 「池」と云っても普通の池ではなく、円筒形のタンクがあるだけです。 どうやってこんな山の上まで水を集めるのでしょうか。 水圧をかけて各家庭へ配水するために、一旦高い場所に水を集めているのでしょうか。 ここで道が左右に分かれています。 ここにも道標はありませんが、左手は横木の階段の左手にあった道から続いてくる道で、 湘南平へは右手の道を進んでいきます。 実は最初に左手の道へ進んでしまい、元の階段の下の所まで戻ってきてしまったのでした。 また登るのかと思うと、どっと疲れが増そうというものです。
緩やかな尾根道を進んでいきます。 小さなアップダウンを幾度か過ぎていきます。 ロープが張られていて滑りやすい坂道があったりもしますが、 概ね歩きやすくて、息が切れるような所はありません。
自然環境保全地域
自然を大切にしましょう
 (神奈川県)
楊谷寺谷戸分岐
東小磯配水池から9分ほど進んでいくと分岐があります。 角に立つ道標によると、右手は「楊谷寺谷戸横穴群0.2km」への道です。 ちょっと興味をそそられますが、今回は訪れずにおきました。 湘南平へは、道標「湘南平0.4km」に従って、正面の道を進んでいきます。 左手にも細い山道が続いていましたが、道標には説明はありませんでした。
(右手の道は「湘南平」、 左手の道は「湘南平」を参照)
少し進んでいくと横木の階段が現れます。 幅の広い緩やかな階段で、2分もしないうちに終わりになります。 その後はなだらかな道がしばらく続きます。
山火事注意 火の用心!
たきび・たばこは確実に消して!
 (森林共済セット保険、神奈川県)
湘南平分岐
なだらかな道をしばらく進んでいきます。 最後にジグザグの坂道をひと登りすると、大磯町と平塚市の境にもなっている尾根筋に着きます。 高田公園から40分ほどで到着しました。 この尾根道は関東ふれあいの道「大磯・高麗山のみち」にもなっています。 浅間山や高麗山へは右手へ進んでいくのですが、左手にほんの少し行くと湘南平があるので、 是非とも立ち寄っていきましょう。 「相模湾を望むサクラ・ツツジの名所」とのことです。 道標「湘南平0.2km」に従って、左手の坂を登っていきます。
短い坂の上に出ると、右手に「湘南平・大磯駅」を示す関東ふれあいの道の道標が立っています。 ここから、両脇にツツジが植えられた緩やかな階段を登っていきます。
燃やすまい 水のふるさと みどりの資源
 (平塚市消防本部)
ハイキングコースは自然を利用したさんぽみちです。 注意しながら歩きましょう。
 (平塚市)
湘南平 (標高181m)
フィールドアスレチックの施設を左下に見ながら階段を登っていき、 テレビ塔の脇を抜けると急に視界が開けて、千畳敷とも呼ばれる広場に着きます。 ここが湘南平で、山の上とは思えないほどの広い場所になっています。 そばには「高麗山公園(湘南平)見取図」というのもありましたが満身創痍の状態で、 ほとんど判読不能になっていました。 「かながわの景勝50選」にも選ばれているようで、五つの石柱で造られた碑も立っています。 手前のテレビ塔はNHK平塚テレビ中継放送所とのことで、空中線地上高218mなのだそうです。 テレビ塔は途中の展望階まで登っていくことができて眺めは素晴らしいのですが、 金網が張り巡らされている上に一面に鍵が取り付けてあったりして、写真を撮るのには向きません。
(写真は広場の先の展望台から写したものです)
湘南平
湘南平は海抜181m。 古くは阿波多羅山(アワタラヤマ)と呼ばれ、江戸時代の末ごろから 千畳敷山と呼ばれ、桜の名所として著名であったが、 昭和16年以後高射砲陣地となり戦後はいたく荒廃した。 昭和32年、平塚市はこの地を自然公園とする計画をたて、 逐次施設を整備して今日に至った。 湘南平の名は、当時の市長戸川貞雄氏の選によるものである。
 (昭和44年秋 平塚市長)
お願い
皆さんの公園です! お互いにルールを守って、楽しい、きれいな公園にしましょう。
次のことは許可が必要です。
1.露店商、行商、又は、募金等をすること。
2.利益を目的として写真、又は映画撮影をすること。
3.興業、展示会、又は集会等で独占して使用すること。
4.火気を使用すること。

この公園で野球、ゴルフ等はできません。
次のことは禁止されています。
1.公園内の物をこわしたり、よごしたりすること。
2.木や、草花等を折ったり、取ったりすること。
3.鳥や動物等を捕まえたり、いじめたりすること。
4.はり紙、はり札、又は広告を掲示すること。
5.ゴミ、その他の汚物をすてること。
6.決まった場所以外に、車等を乗り入れること。
 (平塚市)
展望台
広場の先には見晴らしのいい展望台があります。 階下にはレストランや売店が併設されています。 展望台の利用時間は9:30〜21:30とのことですが、 掃除をされていた管理人の方の許可を得て、少し早めでしたが展望台に登っていきました。 展望台は幾階かになっていますが、その最上階まで登って、 死角のない360度の素晴らしい大パノラマを堪能しましょう。 先ほどのテレビ塔の展望階と同じ位の高さですが、 遮る金網がない分だけ気持ちよく眺めることができます。
展望台の南側には相模湾、西側には伊豆半島や箱根連山、北側には丹沢山塊、東側には三浦半島まで見渡せます。 それ程高い山でもないのに、相模平野とその周囲を一望できる素晴らしい景色が広がっています。 この写真は、西側から北側にかけてを写したものですが、 素晴らしい景色がうまく表現できていないのが残念ではあります。
この日は天候にも恵まれて、冠雪した富士山が綺麗に見えていました。 先日の鎌倉よりも近いだけあって、より大きく見えていました。 小田原辺りまで行くと、もう少し大きく見えるようです。
無料の望遠鏡(双眼鏡)も設置されています。 富士山を見るのに設置されているようで、それに合ったレンズの焦点距離にセットされていました。 覗いてみると、富士山の頂上の部分が視野一杯に浮かんできます。 デジカメを接眼レンズに押し当てて写真を撮ってみました。 大きく写るのはいいのですが、周囲がまるくケラれてしまいます。 まあ、覗くとこんな風に見えるということで…。
湘南平分岐
展望台からの眺めを堪能したら、先ほどの分岐まで引返していきます。 関東ふれあいの道の道標「浅間山・高麗山」や「高麗山1.1km」に従って、その先へと尾根道を進んでいきます。 高麗山は「スダジイ・タブなど県指定の天然記念物になっている」ということです。
浅間山 (標高181m)
横木の階段を2分ほど登っていくと稜線に着きます。 「浅間山SENGENYAMA」の案内図もありましたが、擦れてしまっていて、ほとんど分らなくなっていました。 高麗山へは右手に進んでいくのですが、左手すぐの所に浅間山があるので、立ち寄っていきましょう。 浅間山にはテーブルが二つ設置されていますが、周りに樹木が生えていて、残念ながら展望は余り得られません。
浅間社
江戸時代、雲をぬいて天高くそびえる富士山を神とした浅間信仰が広まりました。 白い衣裳をまとい、口々に「懺悔懺悔、六根清浄」と唱えながら登る。 六根とは、眼・耳・鼻・舌・身・意のことで、「六根清浄」が登山の精神であり、富士山は信仰登山のあこがれでした。 しかし、富士登山は費用と日数がかかり、女人禁制でもあったため、 浅間社を富士山の見える高台や山頂にまつり、そこにおまいりすることにより願いが富士山に通じると、 庶民の間にひろまり厚い信仰を集めました。 浅間社は木花佐久夜毘売命を主神とし、美しい富士山を桜の花にたとえた名前と伝えられ、 浅間社を祀った山であることから浅間山と呼ばれるようになりました。
 (環境庁・神奈川県)
浅間神社
浅間山の右手には浅間神社が建っています。 金属製の鳥居の先に、小さな石の祠が柵に囲まれて鎮座しています。 すぐ裏手には三角点があります。そばには「一等三角点 建設省国土地理院」の標識も立っていました。 以前に来た時には三角点に関する説明板もあったのですが、今回は見当たらなくなっていました。 その時には既に相当老朽化していたので撤去されたのかも知れません。 それには次のように書かれていました。
浅間山一等三角点と浅間神社
浅間山の名称は、浅間信仰−浅間社の尊信から賜わられたといわれている。 浅間社は富士山への信仰を母体とし、祭神は木花咲耶姫である。 この浅間山の浅間社は江戸後期に鎮座せられたと思われ、 流造りの形の石祠である。古来からおまつりしていたところ、 富士山の噴火などにより、農耕神の意味を持つ富士山信仰−浅間社の神徳に対し、 崇敬と祈願のため社を勧請したもので素朴な信仰である。
  浅間山一等三角点
  位置 東経139度18分15秒 北緯35度19分7秒
  標高 181.28m
  標高の名称 浅間山
全国的にわたる広い地域に統一した測量を行なうため、精密な天文測量により 経度・緯度及び方位を定め、一等三角点を原点とし、これにもとづいて、全国的な地図の 作成や地勢の調査その他各種の測量の重要な基準になっている。 戦前は視準のための三角塔があったが今はなく、石祠の傍に古びた標識石に、一等三角点と刻してあるにすぎない。 三角点について補足すると、丹沢山・浅間山・大島を三角形の 頂点とし、丹沢・浅間山の距離が判っているとき、丹沢と浅間山の 二つの角を測ると、丹沢・大島、浅間山・大島の距離を数学的に 求めることができる。このように、三角形の角のみを測ることによって 三角形の網を全国的に広げ、測量を進めていくことを三角測量という。 三角測量には基の長さが必要で、この長さは相模原基線であり、 この相模原基線を測量的に増幅したのが、浅間山一等三角点である。
 (平塚市)
浅間山を後にして、高麗山へと続く緩やかな尾根道を進んでいきます。 広くて歩きやすい道を5分ほど進んでいくと、道の脇に「彼岸花群生地」がありました。 訪れたのは花の季節ではなかったので咲いてはしませんでした。 旭地区美化推進委員会の方々が世話をされているようです。
平塚高麗山 自然環境保全地域
この自然は、県民共通の貴重な財産として、子孫に伝えるかけがえのない宝物です。 草や木や、野生の動物を大切に。 ゴミは必ず持ち帰りましょう。
 (神奈川県)
高麗山自然環境保全地域
76ha
自然を大切に。 建築物の新築増築、土地の形質変更等は届出が必要です。
 (神奈川県湘南地区行政センター環境部、平塚市みどり公園課、大磯町都市整備課)
地獄沢分岐
彼岸花群生地から緩やかな尾根道を5分ほど降っていくと、ベンチがひとつ設置された鞍部に着きます。 ここから「地ごく沢」への道が左手に分かれていきます。 「八俵山5分」の道標や、関東ふれあいの道の「高麗山300m、高来神社1.0km」の道標も立っています。 「高麗山県民の森案内図」も設置されています。 高麗山を中心としてその周囲を巡る散策路が図示されています。 今回は、真ん中の尾根筋を、八俵山から大堂(高麗山)や東天照を経て、高来神社へと降る道を歩きますが、 機会を得て、それ以外の散策路も歩いてみたい気持ちに駆られたりします。 高麗山にまつわる解説も記されているので、ちょっと足を止めて勉強していきましょう。
高麗(こま)という地名の由来
西暦666年、当時朝鮮半島北部にあった高句麗の滅亡とともに難をのがれた人達が 船で渡来し、大磯の唐ヶ原に上陸して化粧坂あたりに居住し、周辺の開拓を行なったと いわれることに由来します。現在でも高来神社の夏祭の祝い歌にはこのことをうかがわせる 様子が歌われています。当時は高来(高麗)と書いてタカク、コウライと呼ばれていたようで、 コマと呼ばれるようになたのは明治時代になってからです。 山の名前については平安時代延長年間(932〜931)に編纂された和名鈔(和名類聚鈔)に 現在のコウライ一帯を「高来郷」(タカクゴウ)とする記述が見られることから、 郷にあるこの山を「高来山」と呼んでいたとも思われます。
高麗山の森の変遷
高麗山の森は幕末なで高麗寺の所有でしたが、明治維新とともに御料林(宮内省管理)となり、 その後昭和13年、神奈川県に御下賜となり県の所有する森となりました。昭和46年からは 県民のリクリエーション利用を目的とした整備を行い現在に至っています。
高麗山の植生について
山の植生は室町時代の戦火により荒廃したと考えられ、江戸時代になって高来寺(高麗寺)に 徳川家康の御神影を勧請した慈眼大師(天海僧正:1536〜1643)が定めた掟中には 高麗山の樹木の伐採を禁止する旨があり、森林が保護されてきました。このようにして 成立した植生は明治維新以降も保護されてきましたが、戦後、昭和21年に戦災復興資材確保の ために山の北〜東斜面約20ha(全体の3分の2程度)が伐採され、当時の植生は南斜面の 天然記念物範囲に残るのみとなっています。天然記念物範囲内はスダジイ、タブノキ、イロハモミジ、 ケヤキ等の常緑・落葉広葉樹林、それ以外の所ではイヌシデ、コナラ等の落葉広葉樹林とスギ、 ヒモキ植林が広がっています。なお、天然記念物範囲内のスギ、ヒノキの大経木は主に 江戸時代頃に信仰の関係で植栽されたものと考えられます。
高来神社(高麗神社)(たかくじんじゃ、こうらいじんじゃ)
11代垂仁天皇の御代に創建され、祭神神皇産霊尊、邇々杵尊を祀り、その後27代安閑天皇2年(6世紀初め)に 15代応神天皇と神功皇后を合祀されたと伝えられています。合計4柱が祭神として祀られています。
高来寺(高麗寺)(たかくじ、こうらいじ)
神社の敷地内にはかつて高来寺(高麗寺)と呼ばれるお寺がありました。奈良時代の養老元年(717)に 行基(668〜749)が、千手観音像(現在神社に現存)を本尊としたことが創建ともいわれています。 後に法相宗の僧によって鶏足山雲上院と称しました。斉衛元年(854)には慈覚大師(円仁:794〜864) によって山の右峰に白山社(現在の東天照周辺)、左峰に毘沙門社(現在の八俵山周辺)が建立され、 以降、平安〜鎌倉時代から寺は相模15大寺の中に数えられ、人々の尊崇を受けました。室町時代には 寺自身が城郭として用いられたために度重なる兵火にあいましたが、江戸時代の寛永11年(1634)には 東照権現(徳川家康)の御神影を勧請して上野寛永寺の末寺となり、幕府の保護を受けました。 しかし、1868年明治維新になると、神仏分離令により廃寺になりました。
高麗山の景観今昔「高麗山のマツ」について
高麗山には昭和40年代半ばまで山の尾根沿いを中心にマツの大経木が多く生えていました。 樹齢からさかのぼると江戸時代初期(17世紀初め)頃に生えてきた(植栽された)ものと 考えられます。山の尾根から突出した樹形は安藤広重の錦絵などに描かれ、すばらしい景観を 創出してきました。しかし、マツノザイセンチュウ(松くい虫)による被害で 昭和50年代初めには1本も無くなってしまいました。
 (神奈川県自然環境保全センター県有林部)
八俵山 (標高160m)
鞍部から広い尾根道を緩やかに3分ほど登っていくと、テーブルがひとつ設置された八俵山に着きます。 それほどの急な登りではないので尾根道の一部のような感じがして、 「山」という雰囲気はそれほどしません。 周りには樹木があって展望も得られません。 ここから右手に、滝の沢を経て高来神社へと降る山道が分かれていきます。 内容は違いますが、ここにも先ほどと同じような解説板がありました。
八俵山(はっぴょうやま)
標高160m
八俵山・大堂・東天照の高麗山の三峰のうち、最も西側に位置する峰で、 "八俵"は仏教用語の八俵(隅の意味)から転じたと考えられます。 古くは毘沙門堂がここに建てられていたと記録されています。
 (神奈川県 県有林事務所)
神奈川県指定天然記念物 大磯高麗山の自然林
大磯丘陵の東端に位置する高麗山は、標高わずか150メートルにすぎないが、 相模川の広い沖積平野に接し、特徴的な景観で古くから親しまれている。 この南面は、シイやタブを主とした常緑広葉樹で構成される沿海性の自然林におおわれている。 山腹斜面は土壌が浅く、アラカシやウラジロガシを多く混生したスダジイ林が発達し、 一方、谷部のように土壌が厚くて適湿、富養な立地では、タブノキ・イロハモジミなどが 高木層を形成するタブ林がみられる。 いずれの林内にも、ネズミモチ・ヤブツバキ・アオキなどの常緑樹が豊富に生育し、 また分布北限域ともなるモクレイシは注目される。 県内にわずかに残されたヤブツバキクラス域の自然林としては、林分面積が充分に確保され、 自然度も高い良質な森林として貴重であるばかりか、東海道線沿いに見事な常緑広葉樹林が展望できるのも珍しい。 学術的な立場からも、郷土の森としても、さらに景観的意味からも、指定天然記念物として保護するものである。
 (神奈川県教育委員会)
城郭としての高麗山
高麗山は相模湾から相模平野一帯を見渡せることから、古くから軍事上の 要衛として重要な地域でもありました。山中にある寺の建物が軍勢を収容する ための城郭として使われるようになり、記録によれば室町時代の永亭10年(1438)に 関東公方の足利物氏(1398〜1439)が室町幕府に対して反乱を起こした(永亭の乱)際に これを討伐すべく上杉持房(?〜1490?)が山に陣をかまえたのが最初のようです。 その後、永正7年(1510)に北条早雲(1432〜1519)が上杉顕定(1454〜1510)を 討伐する際、山に立て篭もったということです。この戦い以降、山は北条氏によって 小田原城と相模平野を結ぶ狼煙台として「伝えの城」(連絡用の砦)として 使われるようになりました。 永禄3年(1560)には上杉謙信(1530〜1578)が小田原侵攻の際、山に陣をかまえて 北条氏康(1515〜1571)と交戦したということです。 現在でも八俵山から大堂に向う尾根道沿いに往時の空掘の跡と思われる遺構が 残っています。
虎御前と八俵山の関わりについての伝説
日本三大仇討で有名な「曽我物語」の曽我十郎祐成と恋仲であった虎御前が 彼の死後、その悲しみのあまり19歳の若さで出家して尼となり、 長野の善光寺をはじめ全国の霊場を行脚し、晩年に現在のケヤキの広場(寺久保、寺窪) にあった高来寺に篭って、兄弟の菩提を弔いながら嘉禄3年(1227)に亡くなり、 その際に自身の生まれ育った大磯の地と兄弟の最後の地であった富士方面を 望める八俵山の南斜面に葬られたといわれています。
虎御前(1175?〜1227?)
彼女の生立ちについては一説には、現在の平塚市山下に住んでいたといわれる藤原実基郷: 通称「山下長者」の娘といわれています。寅の月、寅の日、寅の刻に生まれたので 「三寅御前」と名付けられ、長じてからは「虎御前」と呼ばれるようになりました。 容姿美しく、歌舞音曲に優れていたので、当時の有力者の宴席に招かれることが 多かったことから、十郎と恋仲になった後には、十郎に工藤裕経に関する情報を手紙等で 伝えていたようです。
曽我物語とは?
所領をめぐる争いから、父親を殺された曽我十郎祐成・五郎時致兄弟が仇である工藤祐経を 建久4年(1193)、源頼朝が富士山の西麓で巻狩を催した際に討ち果すまでの物語。
八俵山に「まつたけ」の自生があった!?
大正時代頃には八俵山周辺ではマツタケが自生していたようです。 マツタケは林内が明るくて落枝や落葉が少ない風通しのよいマツ林に 生えることから、現在とは林内の環境が全く異なることが伺えます。 かつて山で拾われる落枝や落葉は周辺の人達にとって日々の生活を支える貴重な 燃料や肥料でした。山に人手が頻繁に加わっていたことが、マツタケの 好む環境をつくりあげていたといえます。
 (神奈川県自然環境保全センター県有林部)
注意
この地域一帯は、「大磯高麗山の自然林」として神奈川県指定天然記念物に指定されています。 指定地内の植物を採取することはもちろんのこと、植物の生育に影響を及ぼすことは禁止されています。 貴重な天然記念物を大切に守りましょう。
 (神奈川県教育委員会)
お中道分岐
八俵山の先にある木橋を渡っていきます。 その先のちょっとした岩場を越えると、また木橋があります。 ここで、道が左右にも分かれていきます。 この左右の道は、高麗山の山頂から少し下の所をぐるっと取り巻いているお中道になっています。 多少アップダウンのある細めの道ですが、高麗山を一周することができます。 高麗山へは、道標「大堂」に従って正面の木橋を渡り、その先の岩場を登っていきます。
高麗山 (標高167m)
岩場を登っていくと、更にその上へ登っていく道と、右手に巻いていく道とに分かれています。 いずれの道を進んでいっても、ほどなくして、大堂とも呼ばれている高麗山の頂上に着きます。 頂上は樹木が切り払われた小広い広場になっています。 周りには樹木が生い茂っていて展望は得られません。 この広場には、かつて高来神社の上宮があったそうで、 いまでもその名残として「上宮造営所」の立札と礎石が残されています。
高麗と若光
昔から日本と朝鮮の文化交流は深く、相模国をはじめ東国七州の高麗人を武蔵国に移して高麗郡をおいたと 「続日本記」には書かれています。 奈良時代のころ高句麗は唐・新羅に滅ぼされ、日本に難を逃れた人も多く、 その中に高句麗王族のひとり高麗若光もいました。 若光は一族をつれて海を渡り、大磯に上陸、日本に帰化してこの山のふもとの化粧坂あたりに住み、 この地に高度な文化をもたらしました。 高麗若光と高句麗の人たちが住んでいたことから、この地が高麗と呼ばれるようになりました。
 (環境庁・神奈川県)
注意
この地域一帯は「大磯高麗山の自然林」として神奈川県指定天然記念物に指定されています。 指定地内の植物を採取することはもちろんのこと、植物の生育に影響を及ぼすことは禁止されています。 貴重な天然記念物を大切に守りましょう。
 (神奈川県教育委員会)
高麗山から正面の石段を降っていくと、お中道が横切っていきます。 関東ふれあいの道はこの先の石段を更に降っていくのですが、 今回はここを左折して、東天照へと進んでいきます。
ケヤキの広場分岐
八俵山への分岐を左手に見送って降っていくと、右手から高来神社からの道が合流してきます。 お中道の更に下にある道のようで、多少道が入り組んでいますが、 道標「東天照」に従って、左手の尾根道を進んでいきます。 すぐにケヤキの広場への分岐があります。 この分岐を降っていくと東屋のある広場に着きますが、このまま尾根道をまっすぐに進んでいきます。
東天照 (標高135m)
小さな登り降りを過ぎていくと、3分ほどで東天照に着きます。 輪切りの丸太などがベンチ代わりに設置されているだけの狭いピークです。
東天照
標高135m
八俵山・大堂・東天照の高麗山の三峰のうち、最も東側に位置する峰で、 東の展望台の役目を果たしていました。 鎌倉時代には白山社がまつられていたという記録が残されています。
 (神奈川県 県有林事務局)
たばこの投げ捨て!火事のもと
 (神奈川県)
東天照の50mほど先に少し開けた場所があります。 案内板やベンチが置いてあって、小広くなった場所です。 右手に戻るようにして降っていく道(*)は女坂へと続いています。 この肩の先で道が二手に分かれています。 道標によると、左手は「県道15分」、右手は「青年の家15分」とのことです。 傍には「高麗山県民の森案内図」もあるので参考にしましょう。 今回は右手の道を降っていきます。
(*右手の道は「湘南平」を参照)
森林の働き
森林にはさまざまな働きがあります。全ての生き物にとって、 なくてはならないものです。森林のもっとも身近な役割を紹介します。
散策・森林浴の場 森林は人間にとっても大切です。散策や森林浴を行なうことにより、 精神的な安らぎを与えてくれます。
保水機能 落葉が降り積もった土はやわらかく、水をたっぷりと含みます。 そのおかげで洪水や渇水を防ぐことが出来ます。
空気の浄化 植物は光合成を行なうことにより二酸化炭素(CO2)を吸収して酸素(O2)を 放出します。大気中の塵やほこりも取り除きます。
動物たちのすみか 森林は動物たちの活動・休憩の場です。 多くの生き物がいます。
その他の働き ・防火−炎を遮断します
・騒音の低減−音を吸収します
・森林資源の供給−木材や山菜,キノコ
・気温差の緩和−昼涼しく、夜暖かい
・土砂崩れ等の防止
枯れの進む針葉樹の老木(スギ・ヒノキ・モミについて)
高麗山の「天然記念物範囲内」にはかつて針葉樹の老木が現在よりも ずっと多くありました。スギ・ヒノキは直径50〜80cm程度で、 主に江戸時代中期から明治初期にかけて植栽されたものと思われ、 モミは自然生のもので、直径1m、樹齢200年を越えるのもも十数本あったといいます。 これらの老木は昭和35年(1960)頃より、森から突出した梢の先端部分が枯れだして その後に枯死する現象が見られるようになりました。最初はモミに被害が出始め、 その後スギ、ヒノキにも被害が拡大しました。現在までにその大半が枯死し、現在残った ものも先端枯れの被害が拡大して腰が少しずつ進んでいます。
原因については次のようなことが考えられていますが、はっきりとしたことは判っていません。
 (1)山本来の自然植生の構成樹種であるスダジイ・タブノキ等の常緑広葉樹が植栽されたスギ・ヒノキを
   押しのけて生育するようになった結果衰弱した。(植物遷移による影響)
 (2)伊勢原大山のモミ林のように都市部の大気汚染物質の飛来による影響。
高麗山で見られる野鳥
コゲラ 高麗山に年間を通じて住むキツツキのなかま。 木の幹を掘って巣にします。 ギィーギィーと木のきしむような声で鳴きます。
ツグミ 高麗山では冬鳥としてよく見られます。
アオバト オー・アーオーという声で鳴きます。 春から秋にかけて丹沢方面から飛来し、 日中大磯の照ヶ崎の岩場で海水を飲む姿が見られます。
メジロ 目のまわりの大きな白い輪が目印。巣は木の枝のまたの 部分にクモの糸で固定されています。
オオルリ 高麗山には夏鳥として飛来しチーリーロージジッという 朗らかな声でさえずります。オスはあざやかな瑠璃色ですが メスは茶色で地味。
シジュウカラ ほおが白いのが特徴。 ツーピーと大きな声でさえずります。
キジバト ヤマバトとも呼ばれ、高麗山では留鳥として普通に見られます。 背中にうろこ模様がありデデ・ポーポーという声で鳴きます。
コジュケイ 「ちょっと来い」と聞こえる声で鳴くキジの仲間。 中国南部原産で大正時代に日本国内の各地に放鳥され 分布を広げました。
ヤマガラ 木の実などをある場所に隠しておき、それを後になって 取り出して食べる"貯食"という習性があります。
ウグイス 春夏のホーホケキョというさえずり声で、あまりにも有名ですが、 冬の間はチャッチャッという声で鳴きます。 高麗山の笹やぶの中で営巣をしています。
アオバズク 青葉の茂るころ、南から渡ってくるフクロウ。 ホッホー、ホッホーと柔らかい声で鳴きます。 主食は昆虫類。
展望所
横木の階段が途切れ途切れに続く坂道を降っていきます。 土が崩れないように、山側を石垣や丸太で補強された箇所を過ぎていくと、 先ほどの肩から8分ほどで正面がポッカリと開けた所に着きます。 テーブルとベンチが設置され、「目のまえに広がる湘南」の案内板もありました。 平塚の街の向こうには相模湾が広がっていました。 江ノ島や三浦半島も見えていて、その奥には房総半島までも見えるようです。 地ごく沢分岐にあったのと同じ内容の「高麗山県民の森案内図」もありました。 ベンチに腰を掛けて、しばらく眺めを楽しんでいきましょう。 赤い前掛けをした二体のお地蔵さんも立っています。
お地蔵さんの左手から横木の階段を1分ほど降っていくと分岐があります。 左手は高麗山の山麓を取り巻くようにして続く県民の森の散策路で、 東天照沢・亀掘沢を経て地ごく沢へと続いています。 今回は道標「青年の家3分」に従って右手へ進んでいきます。
右手に進んですぐの所で道が二手に分かれています。 道標は立っていませんが、左手に降っていくのは「青年の家」への道と思われます。 今回は右手の山腹沿いに水平に続く道を進んでいきます。 コンクリートや丸太で補強された斜面に沿って進んでいきます。
治山事業施工地
平成5年度 小規模治山事業
山腹斜面からの土砂崩れや落石から人家や公共施設を守り、 崩壊面の植生を復元させることを目的にこの工事を実施しました。
 (神奈川県東部治山事務所)
土砂流出防備 航行目標・保健 保安林
保安林内で木を伐採したり、植物や土石を採取するときは許可が必要です。 くわしい事は右記へお問い合わせ下さい。
 (神奈川県湘南地区行政センター農林部林務課)
女坂出合
小さな木橋を渡っていくと、大堂へと登っていく女坂に出ます。 ベンチがひとつ設置されていて、犬連れの方が休憩されていました。 ここを右手に登っていく道は大堂へと続いていますが、高来神社へは左手に降っていきます。
指標植物−大気汚染と都市化
植物は環境の指標(ものさし)の働きをします。
大気汚染を示すものさし
  スギ、モミが梢の方から枯れる現象がここ高麗山でみられます。
  京浜工業地帯から出た煤煙が主な原因といわれていますが、この様な現象は大気汚染の指標となっています。
都市化の進行を示すものさし
  右上の写真のような植物(ヒメジオン、セイヨウタンポポ、ブタクサ)は帰化植物の代表的なものです。
  これらの植物は都市化が進むにつれ、進入種数が増え、生育密度が高くなるといわれています。
男坂女坂分岐
女坂を緩やかに降っていくと、すぐに男坂と女坂の分岐に着きます。 ここの左手にある短い石段を降ると高来神社があります。
神奈川県指定天然記念物 大磯高麗山の自然林
高麗山は東海道沿線で、常緑広葉樹からなる自然林が残存している唯一の場所である。 花水川のつくった沖積地に接した海抜150メートル前後のこの山は 千畳敷山に東接している比較的急峻な山である。 頂上付近から南斜面一帯は自然林に近い形で存続している。ほとんど全山が スダジイ・タブ林によって被われていたのであろう。これらの森林は尾根口、凹地、 山麓部などの局地的な地形の変化に対応して、その種組成はことなる。すなわち、 クロマツは尾根筋などの土壌の浅い露呈した母岩上の潮風の強い立地に生育して いる。次いでスダジイ、アラカシも比較的乾いた土層の薄い立地にみられる。 一方凹地や山麓部の比較的湿っていて、しかも土層の厚い腐植に富んだ土壌上 には、タブ、ケヤキ、イロハモミジ、ネズミモチなどが見られる。いずれも ヤブツバキ、イタビカズラ、テイカカズラ、ジュズネノキ、ウラジロガシ、ベニシダ、 アオキ、イズタ、トベラ、ヤマイタチシダ、ツルマサキ、カヤ、ビナンカズラ、 キチジョウソウなどの照葉樹林(ヤブツバキクラス林)のスダジイ・タブ林の 構成種である常緑植物が主として生育している。特に注目したいことは、 モクレイシがほとんど全山の自然林の林床に生育していることである。モクレイシは 一属一種の常緑、大形低木であり、我が国では本州の伊豆、相模と九州の海岸付近に 生育しているだけである。 また、カゴノキの広く見られる。樹幹がかのこ模様で特異な暖地性常緑高木の 一種といえよう。このような南半分の残存自然林を、県の天然記念物として指定し、 学術的立場からも、県民の郷土の森としても保存することとした。
[注意]
樹木・草本の採取は勿論、枝葉の伐採、その他樹木をき損するおそれのある行為は 総て禁止します。 特に歩道でない斜面へ侵入し林床を痛めたり、登山をしたりしないでください。 またヤマイモ堀等地形を変更するようないっさいの行為を禁止します。 山崩れの原因になるからです。
 (神奈川県教育委員会)
高麗の山神輿
現在廃絶した高麗寺の本尊である千手観音の祭りが神仏分離令による影響で高来神社の春祭りの様相になった 相模国3大市のひとつに数えられる高麗寺祭、高来寺市(こうらいじまち)は、毎年4月17・18・19日に実施され、 江戸時代から大正の初め頃迄は「農具市」でしたが、現在は「植木市」になっています。 この祭りのなかで「山神輿」の行事があります。 寛永21年(1644)4月17日より始まったと伝えられ、由来については不明ですが、 高来神社(下宮)の神霊(みたま)を神輿に移し、麓から山頂の上宮(大堂)まで神輿を担ぎ上げるというもので、 祭りに大勢の人が集まるために地上の穢れを避けて山頂の上宮に仮宿するのだと言われています。 神輿は祭りが終わった19日に再び山を降ります。 この「山神輿」は平成元年(1989)10月18日に大磯町の無形民俗文化財に指定されています。
 (神奈川県自然環境保全センター県有林部)
高来神社
石段を降りると高来神社の境内に着きます。 本殿の左手にも大きな社があります。 境内には珍しいシイニッケイの大木もあります。
御祭神
神皇産霊尊、邇々杵尊、神功皇后、応神天皇
高来神社は類聚和名鈔に相模大住郡高来郷とあり、 現今の高麗山は高来郷内の第一高山を以て高来山という。
高来神社のシイニッケイ(町指定)
この木は、樹幹の心材が枯死腐朽し空洞化しているスダジイの 古樹の凹部に、ヤブニッケイが密着生育しているものです。 ヤブニッケイは100〜150年です。 このような例は各種各様のものがありますが、 外観が完全に一本の樹に見え、しかも違和感なく一本化した樹はたいへん珍しいものです。
本殿の正面に続く参道の石畳を進んでいきます。 鳥居をくぐると車道に出ます。 更にその少し先にある鳥居をくぐると国道1号に出ます。 信号を左折して国道を100mほど進んでいくと花水バス停があります。
高麗山賛歌
若葉よく 紅葉またよく 広重の 名所絵にある 大磯高麗山
花水(はなみず)バス停
平塚駅(JR東海道線)まで、平塚駅北口行きバスにて10分、 1時間に2本から3本程度の便があります。
国府津駅(JR東海道線)まで、国府津駅行きバス,または,小田原駅行きバスにて40分、 1時間に2本程度の便があります。
本数は少ないものの、朝夕には大磯駅(JR東海道線)までの便もあります。