大切岸
この尾根筋は鎌倉市と逗子市の境になっているようです。
雑木林の中に緩やかな尾根道を進んでいきます。
「ここから先は民有地」の看板を過ぎていくと、右手が開けた場所があります。
切り立った崖のようになっていて、前後の道標からすると、ここが「大切岸」のようです。
方向からすると逗子市の小坪地区でしょうか、眼下には住宅街が広がっていました。
手前には畑地の跡らしい所がありました。
後からきた壮年の女性グループが、
「以前は畑だったのよね、ここ。ほら、あそこに小屋があるでしょ」などと言い合っていました。
ここから先は民有地です。
危険箇所もありますので注意をしてください。
また、タバコやゴミ等のポイ捨ては絶対にしないでください。
(逗子市、土地所有者)
展望地
展望を楽しんだら、引返して尾根道を進んでいきます。よく踏まれた緩やかな道が続きます。
やがて現れる横木の階段を登っていくと、5分ほど進んでいくと小ピークに着きます。
ここが衣張山の山頂かとも思える程の広い場所で、
石塔の前に置かれた丸い石には「ここが鎌倉山頂上です」とも書かれていました。
ほんとうのところは何という名前なのでしょうか。
西側が開けていて、すばらしい展望が得られます。
鎌倉の街並みや由比ヶ浜の向うに、江の島が望めます。
ベンチも設置されているので、ひと休みしていきましょう。
このピークの名前は「浅間山」との情報もありますが、
この200mほど北側にあるピークと合わせて、両方とも「衣張山」と云うようです。
衣張山はほぼ同じ高さのピークが二つ並んだ双耳峰になるようです。
パノラマ台の東側の水道設備がある通称「水道山」と呼ばれているピークが
本来の浅間山なのだそうで、間違われるのは「浅間山の位置取り違え事件」が根底にあるようです。
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杉本寺
石段を登り仁王門を過ぎていくと本堂への石段がありますが、
丸みを帯びて苔むしていて危険なのでしょうか、通行止めになっていました。
その代わりとして、左手に新たな石段ができていたので、そこから登っていくと本堂があります。
茅葺の趣きのあるお堂です。
境内にはお経がびっしりと書かれた前掛けをした六地蔵もありました。
季節とあって、境内のいちょうの木も綺麗に黄葉していました。
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坂東札所第一番 鎌倉最古仏地天台宗 大蔵山杉本寺 略縁起
当山は天平6年(734)の春、光明皇后の御願により大臣藤原房前と僧行基(行基菩薩)に命じ堂宇建立し、
行基自ら刻むところの十一面観世音を安置された。
次に、仁寿元年(851)に僧円仁(慈覚大師)当山に参籠して十一面観世音を刻み安置し、
また寛和2年(985)僧源心(恵心僧都)が花山法皇の命により十一面観世音を刻み安置し、
併て坂東第一番の札所と定め、法皇自ら御順礼有り、夫れより今日に至るまで貴賎の順礼絶えず。
時に文治5年11月23日の夜、隣屋より火災起り、類焼の際、本尊三体自ら庭内の大杉の下に火をさけられたので、
それより杉の本の観音と今日迄呼ばれたと「吾妻鏡」は伝えている。
…後略…
(杉本寺案内書きより)
杉本寺伽藍復興大勧進御案内
縁起にあるますように、当山は天平6年(734)光明皇后の御願により、
行基菩薩が開山となられ、自ら一刀三礼され、十一面観世音菩薩を本尊として奉安し創建されました。
爾来坂東第一番の観音霊場として日夜祈念修法されて参りましたが、
鎌倉・室町時代の大化、兵火に遭い、江戸期に於いては、一時期無住の時もあり、
後の明治の排仏毀釈、又震災等により寺運も衰微し、七堂伽藍も観音堂等を除き、悉く倒壊してしまいました。
昭和48年より伽藍復興大勧進の一つとして茅一束運動を勧めて参りましたが、
全国はもとより遠くハワイ欧米の方々も含め多くの皆様のご協力、ご協賛により浄財を得まして、
左記のごとく円成の運びと相成りました。これもひとえに御本尊の御加護と皆様の御信仰の賜物と、
住職並びに世話人一同厚く御御礼申し上げます。
引き続き勧進を勧めて参りますので、今後も皆様のご協力ご協賛を切にお願い申し上げます。
(住職、世話人一同)