多摩自然遊歩道
散策:2004年11月中旬
【街角散策】 多摩自然遊歩道
概 要 多摩自然遊歩道は、川崎市の北西部に広がる多摩丘陵にある約4.2kmの遊歩道で、 その一部は東京都との境にもなっています。 多摩緑地保全地区から街中を経て小沢城址緑地へと続くコースで、 宅地化が進む中にもまだまだ自然が残されています。 途中のフルーツパークの展望室からは都心方面を見渡すことができます。
起 点 川崎市 読売ランド前駅
終 点 川崎市 稲田提駅
ルート 読売ランド前駅…多摩緑地保全地区…麻生区市民健康の森…多摩美ふれあいの森…菅さくら公園…フルーツパーク…寿福寺…小沢城址緑地入口…きたん坂…馬場跡…天神坂…穴澤天神社…小沢城址…空堀…小沢峰…浅間山…お台場…小沢城址緑地出口…指月橋…菅小谷緑地 …薬師堂…稲田堤駅
所要時間 3時間40分
歩いて... コースの各所には案内図が設置されていて、迷うことなく歩いていくことができます。 息が切れるほどの傾斜もなくて、気軽に訪れることができるコースになっています。 古伝が残る古寺もあったりするので、付近の寺社を訪ねながらゆっくりと歩いていきましょう。
関連メモ 今のところ、関連メモはありません。
コース紹介
読売ランド前(よみうりらんどまえ)駅
読売ランド前駅(小田急小田原線)の北口から歩いていきます。
この駅には急行電車は停車しないので、うっかりして通り過ぎないようにしましょう。
改札口を出た所にある横断歩道を渡り、左前方に続く道を進んでいきます。 角には、多摩自然遊歩道入口への道を示す看板が立っています。
多摩区の散歩道 生田・菅緑の小道コース
緑の小道をたどってフルーツパークへ
緑の小道(ふれあいの森)
よみうりランド(1.5km)
(多摩自然遊歩道入口)
1分ほど進んでいくと道が二手に分かれていますが、 角にある看板「よみうりランド遊園地方面遊歩道」に従って、右手の道を進んでいきます。 少し進んていった所にまた分岐がありますが、道標「遊歩道 読売ランド」に従って左手に進んでいきます。
角には「多摩自然遊歩道案内図」があります。 読売ランド前駅から稲田堤駅までの約4.2kmのコースで、所要時間は2〜3時間とのことです。 このような案内図は分岐道などの要所要所の20数ヶ所に設置されていて、迷うことなく歩いていけます。 「読売ランド前駅」は、この案内図では「読売ランド駅」となっていました。 以前にはそう呼ばれていたのでしょうか。
多摩緑地保全地区
道なりに2分ほど進んでいくと、民家の横から森へと続く階段が現れます。 階段を登り切った所で、横木の階段が右手に分かれていきますが、 道標「よみうりランド入口 800m」に従って、そのまま尾根道を進んでいきます。 そばには多摩自然遊歩道案内図もありました。 この図でも分岐道があるように描かれています。 「多摩緑地保全地区」と書かれた標柱も立っていました。 ここからが多摩緑地保全地区になるのでしょう。
犬のふんは必ず持ち帰りましょう
みんながこまる"放し飼い"
 (川崎市健康福祉局、区役所、保健所)
枯草火災注意
たき火・たばこ投げ捨て禁止
 (多摩消防署)
尾根道を少し進んでいくと、再び横木の階段が右手に分かれていきます。 そばにある「多摩自然遊歩道」の案内板によると、よみうりランド・多摩美ふれあいの森・フルーツパークへは 右手の道を進むように書かれていたので、それに従って右手の山道を登っていきます。
横木の階段を登って、雑木林の中に続く緩やかな道を進んでいきます。 「保全地区」というだけあって、綺麗に整備された雑木林が続いています。 4分ほど進んでいくと横木の階段を降るようになります。 階段を降りきると、先ほどの分れ道から続いてきた尾根道と合流します。 登り降りがないだけ、尾根道をそのまま進んできた方が楽だったようにも思いますが、 案内板を設置した方には「右手の道を是非とも歩いてほしい」という想いがあるのでしょう。 ここにも「多摩自然遊歩道」の案内板があり、読売ランド前駅への道として、今歩いてきた道の方を指しています。
この地区は里山保全管理計画にもとづき、川崎市とボランティア(こもれびの会)の協力によって 緑地の保全活動を行っております。 むやみに内部に入り、竹や樹木などを切らないでください。 また、花や植物などを採らないでください。
 (川崎市、こもれびの会)
尾根道を先へと進んでいくと、すぐに竹林へと入っていきます。 道端には「よみうりランド入口 550m」の道標も立っています。
ふれあいの森分岐
やがて、竹林も終わって雑木林に変わります。 「よみうりランド入口 300m」の道標を過ぎて、右手に続く竹製の柵を見ながら進んでいくと分岐があります。 尾根道はこのまままっすぐに続いていますが、左手にいくと「多摩美ふれあいの森」があるので、 ちょっと立ち寄っていきましょう。 そばには多摩自然遊歩道案内図があります。 この図によると、分岐道はもう少し先の方にあるように思えますが、 このすぐそこにある分岐がその道になります。 また、「健康の森掲示板」も設置されていて、 麻生区市民健康の森についての解説などが貼りだされていました。 左に分かれていく二つの道のうち、戻るようにして続く道は見送って、 ほぼ直角に続く道の方を進んでいきます。
麻生区市民健康の森
尾根道から左手に進んでいくと、すぐに畑地のような場所が広がっています。 ここが麻生区市民健康の森で、 多摩緑地保全地区と多摩美ふれあいの森に挟まれた浅い谷戸に広がっています。 広場や野草・花畑、炭焼き小屋が雑木林やササやぶに囲まれています。 この日も数人の方が出て、何やら整備作業等をされていました。
市民健康の森事業とは
平成9年の「かわさき健康都市」宣言を記念して、各区に1ヶ所の「水と緑の恵みを生かした森づくり」をめざし、 暮らしの中で実感できる緑の回復と創造に向けて、市民・行政の連携と参加による緑化を推進し、 併せて地域コミュニティの再生を図ることを目的とするものです。
麻生区市民健康の森整備の基本的な考え方
麻生区市民健康の森検討委員会で市民の意見を広く聞きながら、次の基本的な考え方がまとまりました。
(1)里山の自然環境の保全と創出
(2)健康とレクリエーションの場づくり
(3)地域コミュニティづくり、身近な防災拠点
(4)市民と協働作業により段階的に成長する「市民健康の森」づくり
この竹やぶはウグイスの大切なお宿です
篠竹を勝手に切ったり、ゴミを捨てたりしないようにしましょう。
 (麻生多摩美の森の会、北部公園事務所)
多摩美ふれあいの森
市民健康の森の先の森へと続く道へ入っていくと、多摩美ふれあいの森になります。 広い散策路には落葉が一面に積もっていました。 サクサクサク…と気持ちのいい音をたてながら進んでいきます。 左手に広場を見ながら、雑木林の中に続く散策路を進んでいきます。
多摩美ふれあいの森
この森は、土地所有者のご厚意により市が借り受け、ふれあいの森として整備したものであります。 おたがいに自然を大切にし、林内の立入り・動植物の採取、また他人の迷惑となる行為や、 喫煙・ゴミの投げ捨てはやめましょう。
 (川崎市)
禁止
BB弾使用による遊びはやめましょう!
 (川崎市)
途中にある分岐を見送ってそのまま進んでいくと、4分ほどで森の出口に着きます。 そこから右手に引返すようにして登っていく道を進んでいきます。 綺麗に整備された雑木林を楽しみながら、ゆっくりと散策しましょう。 この森で見られる樹木や小鳥などを紹介した解説板も設置されていたりします。
多摩美ふれあいの森で見られる木
コナラブナ科 薪炭材やシイタケのほだ木にされ、雑木林の代表種です。どんぐりの皿にはうろこがあります。
ヒサカキツバキ科 サカキと同じように枝葉を神事に使います。小鳥たちが大好きな、黒い実がなります。
スギスギ科 家、家具、酒樽などの材として大切な木です。
アカマツマツ科 乾燥に強く、尾根によくはえています。春には雄花と雌花が咲き、翌年の秋に実が熟します。
アオキミズキ科 葉がいつも青々としているのでアオキといいます。冬には雌の木に赤い実をつけます。
イヌシデカバノキ科 灰色の木肌が美しく、大木になります。羽のある実の穂がこずえにぶらさがります。
クヌギブナ科 雑木林の代表種。薪炭材やシイタケの原木。大きなどんぐりは毛深い帽子の中にあります。
モミマツ科 環境の変化に敏感で、周囲が都市化すると影響を受けます。若木の葉は先端が2裂します。
多摩美ふれあいの森で見られる鳥
みんなで見つけてください。
カワラヒワアトリ科 河原や林などで普通。スズメ大の鳥でオリーブ色の丸味をおびた体形。飛ぶと翼に黄色の帯が目立つ。 キリリコロロ、その合間にピィーンピィーンとさえずる。
シジュウカラシジュウカラ科 林に普通の鳥で、巣箱をよく利用する。スズメ大で、よく動きまわる。 黒い頭に白いほお、胸から腹に黒いネクタイ状の模様。ジュクジュク、ツーピーツツピーなどと鳴く。
キジバトハト科 ヤマバトとも呼ばれる。明るい茶色で首に黒と青白いしま模様がある。 デデッポーとのんびりした声で鳴き、地面をのこのこ歩いて餌をとる。
ホオジロホオジロ科 全国で見られ、明るい林や草原を好む。スズメ大の鳥で茶色の体。 顔は黒と白の斑(雌は褐色と白)。チチッチチッと鳴き、木のてっぺんで胸をそらせてさえずる。
メジロメジロ科 全国で普通に見られ、常緑広葉樹に多い。スズメよりやや小さい黄緑色の体で、目のまわりが白い。 甘いものが好みで、ウメやツバキの花の蜜を吸う。チー、チーと鳴く。
ウグイスヒタキ科 やぶはササの中にいて、姿はあまり見せない。スズメ位の大きさで、地味な茶褐色の体。 繁殖期にはホーホケキョと鳴く。冬の地鳴きはチャッチャッ。
ヤマガラシジュウカラ科 全国の広葉樹の森にすむ、スズメ位の小鳥。腹の栗色とほほのクリーム色が目立つ。 樹洞に巣をつくり、エゴの実やシイの実を木のうろなどに貯える。ツーツーピーと歌う。
ヒヨドリヒヨドリ科 全国に分布し人家附近や林で最も普通。スズメの2倍位の大きさで、尾が長く灰色の体。 春、秋に群れで移動をする。ピーヨピーヨと騒がしく鳴く。
オナガカラス科 低地から産地の村落や木の多い市街地に普通。灰色の体、水色の長い尾に黒の頭。 10羽ほdの群れで生活し、雑食性。グェーグェー、キュイキュイと鳴く。
多摩美ふれあいの森から元の多摩緑地保全地区の尾根道まで引返して、更に先へと進んでいきます。 雑木林の中に広くて歩きやすい道が続いています。
少し進んでいくと多摩緑地保全地区も終りになって舗装道路に出ます。 この手前の右手にある階段を登っていきます。 そばには「多摩自然遊歩道案内図」がありました。 これまでのよりも大きくて雰囲気も少し違った図になっています。 これから向っていく菅さくら公園とフルーツパークも載っているので、 そこまでのコースを確認しておきましょう。
階段を登りきると広い舗装道路に出ます。 ここにも多摩自然遊歩道案内図が設置されています。 左折して真直ぐに進んでいきます。 よみうりランドの駐車場を左手に、ジェットコースターやフリーフォールなどの遊戯施設を前方に見ながら、 住宅の建ち並ぶ道を4分ほど進んでいくとT字路があります。 角にある多摩自然遊歩道案内図に従って、ここを右手に進んでいきます。
菅さくら公園
右折してすぐに菅さくら公園の入口があります。 そのまま道路を降って行ってもいいのですが、せっかくだから公園を通っていきましょう。 道路に沿って続く細長い小振りの公園で、名前の通り、さくらの木が沢山植えられていました。 春には綺麗に咲き誇るのでしょう。
・みんななかよくあそびましょう。
・みんなできれいにしましょう。
・施設や木をたいせつにしましょう。
・犬のはなしがいはやめましょう。
・けがをしないように、きおつけましょう。
・野球をするのはやめましょう。
・きけんなあそびやほその人にめいわくのかかることはやめましょう。
公園の先から階段を降って道路に降ります。 公園を通らずにそのまま道路を歩いてくる場合は、最初の十字路を左折すれば、同じ所に来られます。 十字路には多摩自然遊歩道案内図が設置されているので、公園を通らないのが本来のコースなのかも知れません。
猫にエサを与えている方へのお願い
◎他人の土地や公共の場所をエサ場にしないでください。
◎エサを与える場合は、必ず土地所有者に了承を得て、食べ残しや糞尿の始末をきちんと行いましょう。
◎不妊・去勢手術を受けさせ、不幸な猫が増えないようにしましょう。
◎猫が嫌いな人・苦手な人もいます。地域の人の理解をしっかり得るようにしましょう。
 (多摩区役所保健福祉センター衛生課)
道路に降りて左手へと進んでいきます。 広い道路には桜の木が植えられて並木になっています。 少し進んでいくと、左手に開いている所があります。 ここはフルーツパークの一角になりますが、間には柵がしてあって、 この先にある入口の方からは来れないようでした。 車止めの鎖を越えていくと、左手には梨・蜜柑・柿・桃・栗・梅などが一面に植えられていました。
みかんについて
柑橘類の種類は非常に多いが、一般にみかんとして栽培されているものは約80%が温州みかんであります。 みかん栽培の自然要素としては年平均気温が16〜17℃が最適であります。
果実の成分(100g中)
水分87.10g 繊維0.40g
蛋白質0.90g ビタミンA,B,C少量
脂肪0.25g 石灰・燐・鉄少量
炭水化物9.90g カロリー47カロリー
灰分0.33g
梨園
金網とネットの間の細い道を進んでいくと、こんもりとした丘には東屋がありました。 そこからはこの梨園を見渡せます。 梨園の上には鉄線がスノコ状に張り巡らされていました。 枝をそれに這わせて収穫しやすいようにしているのでしょうか。 入口附近には、この梨園で栽培されている品種一覧表が掲示されていました。 赤梨と青梨とがあるようで、それぞれ20品種ほどの名前が列記されていました。 「梨園植栽品種一覧表」とのことなので、 この一覧表に書かれた品種が、ここにすべて植えられているということなのでしょう。
果実、草花は落下物を含め、持ち帰らないで下さい。
ペット類は持ちこまないで下さい。
ボール遊び、自転車遊び等はしないで下さい。
フルーツパーク
梨園を出て道路を少し進んでいくと、右手にカーブしていく所にフルーツパークの入口があります。 そばには大きな多摩自然遊歩道案内図や「フルーツパーク案内図」があります。 入園無料とのことなので、ちょっと見学していきましょう。 入口を入るとすぐに噴水があります。元気よく水が噴き上がっていました。 右手には大きな温室が3棟並んでいて、ブドウや熱帯果樹などが栽培されてました。
ご案内
開園時間 4月1日から8月31日まで 9:30から16:30まで
9月1日から3月31日まで 9:30から16:00まで
休園日 毎週月曜日 ただし月曜日が休日の場合は翌日
12月29日から1月3日まで
入園のお願い
−園内では次のことを守りましょう−
1.施設や展示品などを大切にしましょう。
2.果実や樹木、草花などをいためたり、取ったりしないこと。
3.温室内での喫煙はしないこと。
4.危険な物を持ちこんだり又は犬などを連れ込まないこと。
5.野球、サッカー、ローラースケートなどはしないこと。
−園内で次のことを行う場合は市の許可を受けてください−
1.営利を目的とした行為をすること。
2.業として写真又は映画を撮影すること。
3.競技会、展示会その他の催しをすること。
展望室
左手には事務所があり、その階上は休憩室・展望室になっているので、ちょっと登ってみましょう。 事務所の左手にある階段を登っていくと階上のテラスがあり、下にある噴水を見下ろせます。 休憩室から展望室へと上がっていくと、遠く都心の方まで一望できる景色が広がっていました。 展望室にはその昔に農家で使われていた道具類も展示されていました。
二ヶ領用水について
1)起点は多摩川の上河原堰提と宿河原堰提の二ヶ所より始り、現在の平間浄水場までの32kmを二ヶ領用水幹線と云います。
2)1597年(慶長2年)今から約380年前に小泉次太夫氏により測量が開始されました。
3)1609年(慶長14年)に8年間の歳月をついやして竣工。最盛期には約2007haの水田の灌漑を満していました。
4)1939年(昭和14年)川崎市の工業用水が不足して来たため、余った二ヶ領用水を工場の方に廻すことになりました。
多摩川なしについて
1)1650年代(江戸時代初期)に大師河原(現川崎区日の出町)に栽培された記録があります。
2)1893年(明治26年)に現川崎市日の出町故当麻辰次郎氏の梨園より長十郎が発見され全国に栽培されました。
3)1978年(昭和53年)現在、市内の梨栽培面積は約83.1haです。
寿福寺
フルーツパークを出て、更に先へと進んでいきます。 家が途切れたところからは都心の街並みが見渡せたりします。 降り気味に5分ほど進んでいくと寿福寺があります。
緑地保全協定地
当、寿福寺周辺の樹林について土地所有者のお寺さん関係者の方々の御厚意により、 川崎市と緑地保全協定を締結しました。 この樹林は、市内に残り少ない貴重な緑ですから、樹林等を大切にすることは勿論、 所有者の迷惑となる行為は厳に慎しむようお互いに気をつけましょう。
植生概要
樹木についてみると、コナラ・クヌギ・アカマツ・スギ・シラカシ・ケヤキ・ヤマザクラ・モウソウチク等の 落葉常緑混交林で、四季の変化に富む優れた自然林です。 草類では、タマアジサイ・タマノカンアオイ・ホタルブクロ・ホトトギス等が自生し、 とくに冬のクマザサは見事です。
 (川崎市)
松が植えられた石畳の道をまっすぐに進んでいくと山門があります。 地持地蔵・鶏亀地蔵・法印地蔵・宝性地蔵・陀羅尼地蔵・法性地蔵の六体の地蔵さまが出迎えてくれます。 山門をくぐっていくと本堂があります。 源義経が書き写したと云われるお経も伝わっているそうです。
多摩川三十三霊場 第一番札所
準西国稲毛三十三ヶ所 第四番札所
ふだらくの みめうののりは じゅふくじに いつもたえせぬ まつかぜのおと
 (寿福寺)
堪えがたい時は大木を仰げ
あの忍従の歳月と孤独とを思え
寿福寺の文化財
当寺は、臨済宗建長寺派の寺院で、創建年代は明らかではありません。 当寺所蔵の木造国一禅師坐像は、曲ろくと呼ばれる椅子に坐り、手に払子を持ち、寄木造、玉眼入で、 室町時代後期に制作された頂相彫刻です。 また、この像に納入されている二枚の胎内銘札と首柄の墨書銘により、 この像が国一禅師の像で、国一禅師が鎌倉時代末期の元享元年(1321)に亡くなられたことがわかります。 川崎市教育委員会は、この像を昭和49年2月19日、川崎市重要歴史記念物に指定しました。
 (川崎市教育委員会)
寿福寺 多摩自然遊歩道いこいの場
ここは、お寺さんのご厚意により、貴重な自然環境と歴史的文化遺産にふれることができる「いこいの場」です。 感謝の心をもって利用させていただきましょう。
・建造物や石仏、石塔などは大切にしましょう。
・禁煙を守ってください。
・ゴミは散らさないよう気をつけましょう。
・草木をいためないようにしましょう。
・手洗いは、きれいに使いましょう。
・そのほか、お寺さんが迷惑になることをしないよう、お互いに注意をしてください。
一口メモ
静かなたたずまいをみせる当寺は、木造国一禅師坐像(室町時代の作−市重要歴史記念物)などを安置する名刹であり、 寺に伝わる大般若経は、源義経と弁慶が奥州に逃れる途中、足をとどめ書き写したものと言い伝えられています。 また、境内一帯約3.4ヘクタールのすばらしい樹林は、緑地保全協定地になっています。
 (川崎市)
お願い
犬のフン等は、各自で処理してください。 境内の環境保全にみなさまのご協力をお願いいたします。
カラス等がお供物を荒し汚れますので、お参りがすみましたら、 墓前にお供えのお供物は、お持ち帰りください。
 (住職)
墓まいり用の手桶は寿福寺(備付)のものをお使い下さい。 個人用の手桶は以後なるべく置かないようにして下さい。
寿福寺を後にして、更に道を降っていきます。 寿福寺駐車場を過ぎていくと、2分ほどで分岐があります。 左手の脇の方にある多摩自然遊歩道案内図に従って、左手の道へ入っていきます。 白い柵沿いの道を2分ほど進んでいくと、行き止まりのような感じになります。 先まで行くと道は右手へと曲がっていくのですが、 左手にある民家の玄関先へ通じる細い隙間を通って、その先へと進んでいきます。
小沢城址緑地入口
民家の前を少し進んでいくと道路に突き当たります。 正面にある建物を右手から回り込むようにして進んでいくと、多摩自然遊歩道案内図があります。 ここから小沢城址緑地の山道が始ります。
1分ほどでコンクリート積みの崖の前に出ると、多摩自然遊歩道案内図があります。 そこから右手の道を登っていきます。 生産緑地地区や竹林を過ぎて山道を登っていきます。 山道とは言ってもそれ程の傾斜もなくて、息が切れるようなことはありません。 この辺りもよみうりランドの所有地のようで、「当社所有地につき立入禁止」の看板がありました。
近隣住民に迷惑となる夜間や早朝の入山は遠慮下さい。
 (川崎市)
きたん坂
更に登っていくと、多摩自然遊歩道案内図があります。 左手に戻るようにして道が分かれていますが、そのまま正面の道を進んでいきます。 その後も竹林の中へ入っていく道が分かれたりしていますが、上を目指して登っていきます。 道の脇にあった標柱によると、この辺りは「きたん坂」と言うようです。
火気厳禁
火災予防のため、たき火・花火等はやめましょう。
 (川崎市北部公園事務所)
馬場跡
下の道路から6分ほど登っていくと稜線に着きます。 樹木が茂ってはいますが広い場所になっていて、 その昔には戦国の武将達が馬術を磨いた馬場だったのだそうです。
馬場跡
皆さん、ここは馬場跡です。 今このように、ナラ・クヌギ・シラカシなどが植生し豊かに茂っておりますが、 鎌倉時代より南北朝・室町・戦国時代に至る約380年にわたって鎌倉幕府の北の防衛線として守られ、 ここで武士達が馬術を磨いた所です。 小沢城の戦乱期は、今申した380年間に6,7回の戦いが行われました。 一番激しい戦いは、新田義貞と北條高時との戦いでした。 時代は南北朝、元弘3年(1333)今から668年前の出来事です。 新田軍は今の東京都府中市の多摩川べりの分倍河原と言う地名の所に陣をとり、 一方、北条軍(当時は鎌倉幕府軍)はこの多摩丘陵の先の関戸と言う地名の所に陣をとり、 多摩川を挟んで相対しました。 そして6月の夏草を血で染めながら食うか食われるかの大激戦の末、新田軍の勝利となりました。 勝ち誇る新田軍はその勢いに乗り、関戸城を破りこの小沢城も落とし入れ、 北条軍の館を初め神社・お寺なども焼き払い、猛り狂う猛者のごとく一気に鎌倉幕府を滅ぼしました。
そんな兵共が馬術を磨いた夢の跡なのです。
 (小沢城址里山の会)
犬の飼い主の皆様へ
・フンは必ず始末して帰りましょう。
・放し飼いはやめましょう。
・蛇口から直接水を飲ませるのはやめましょう。
馬場跡を右手に見ながらそのまま登っていきます。 尾根道に着いた所に多摩自然遊歩道案内図があります。 そこから尾根道を右手へと進んでいくと、小さな石の祠があります。 そこから道が左手へと分かれていきます。 少し先には多摩自然遊歩道案内図があるので参考にしましょう。 案内図によると、この道を降っていくと穴澤神社があるとのことなので、ちょっと立ち寄っていきましょう。
天神坂
笹が生い茂る山道を降っていきます。 道端にあった標柱によると、この道は「天神坂」というのだそうです。 小沢小太郎重政が日参していたといわれているようで、神社までは300mとのことです。
山道を降りきると簡易舗装された道に出ます。 道標は見当たりませんでしたが、右手へと進んでいくと穴澤神社の鳥居があります。
穴澤天神社
当社の主祭神は、少彦名大神を御祀りした社である。 創立は孝安天皇4年3月で、後に元禄7年社殿を改修し、菅原道真公を合祀する。 例大祭は毎年8月25日で、当日は神職山本家に伝わる、武蔵流の指定文化財、江戸の里神楽が奉奏され、 又、三頭の獅子と天狗により、神社入口の石段を、舞いながら勇壮に登る、市指定の獅子舞が奉納される。 境内には江戸時代の終わり頃に、筆学を業とした原田金陵の功績をたたえて建てられた、市指定文化財の筆塚がある。 現在の社殿は昭和61年12月に修復した。
穴澤天神社
鳥居をくぐっていくと穴澤天神社の本殿があります。 社殿の前には、白と黄の菊の鉢植えが彩りを添えていました。 境内のイチョウも黄葉していて、陽射しを受けて綺麗に輝いていました。 その昔に御神木とされていた巨木の根株が東舎に囲まれて保存されていました。 また、筆塚や獅子舞なども伝わっています。
神拝詞
祓え給い 清め給え 神ながら 守り給い 幸え給え
神拝詞三唱 二拝二拍手一拝
御神老木 東舎建立記念
由来
昭和58年神輿庫建設をする際、地盤から一千年有余の巨大な根を発見。 これは昔から御神木と伝えられて来た老木であった事が分り、 神輿会有志の尊いご奉仕によって、この根を掘り起し、 今後神社の歴史を語る宝物として、神輿会は東舎を建立し、 当社に奉献されたのである。
稲城市指定文化財 筆塚
筆塚は書道の師や文筆家が死亡した際に、その人物の功績をたたえて門弟たちによって建てられた供養塔である。 この筆塚は江戸時代の後期に筆学を業とした原田金陵(天真堂という)の功績をたたえて、 文久3年(1863)に、矢野口村・長沼村・押立村の門弟164名によって建てられたものである。 原田金陵は江戸時代に現在の府中市で筆学を業として原田塾を開いた原田玄蕃(誠堂という)の弟子で、 川崎市多摩区管の福泉寺(今は廃寺)に住んで手習塾を開き、矢野口においても教えていたと伝えられる。 明治時代を迎える直前の、この地の教育の記録として重要な碑である。
 (稲城市教育委員会)
稲城市指定文化財 穴澤天神社獅子舞
毎年8月25日の祭礼の日に奉納される。 獅子舞の起源は明らかでないが、天正年間から江戸時代の初めにかけて、 村々に獅子舞が大変はやったことが文献に残っており、 この獅子舞も、その時期にあたると考えられる。 獅子舞の様式は青渭神社獅子舞と同じく、大獅子・女獅子・求獅子の三頭の獅子と天狗によるものである。 祭礼当日は矢野口自治会館(以前は神社代表役員の家)から穴澤天神社まで行列するが、 特に神社の石段を舞いながら登る姿は勇壮そのものである。 昭和10年代に一時中断したが、20年代後半には復活し、 その後獅子舞保存会を組織し、獅子舞の保存・伝承につとめている。
 (稲城市教育委員会)
小沢城址
神社から尾根道まで引返して先へと進んでいくと、すぐに小沢城址に着きます。 僅かに盛り上がった高見になっていて、ベンチも設置されています。 そばには「富士登山の碑」も建っています。 周りは樹木に被われていて、展望は得られません。
小沢城址
川崎市の北西端、稲城市と市境を接する丘陵地に小沢城址はあります。 「新編武蔵国風土記稿」の伝えるところによると、鎌倉時代初頭の小沢城址は、 小沢小太郎の居城だったようです。 この小沢小太郎は、源頼朝の重臣として活躍した稲毛三郎重成の子で、この地域を支配していた人です。 ここは、丘陵地形が天然の要害となり、鎌倉道や多摩川の広い低地や河原がそばにあったことから、 鎌倉時代から戦国時代にかけて、たびたび合戦の舞台になりました。 城の形跡として空堀・物見台・馬場などと思われるものがあり当時を偲ばせますが、 現在は小沢城址緑地保全地区に指定され、自然の豊かな散策路としても貴重な存在です。
 (川崎市)
富士登山の碑
皆さん、この石碑は何の記念碑でしょうか。 おわかりの方はおられますか。 一見すると何やら小沢城に関係ある石碑かと思われますが、 実は歴史をひもとくと、小沢城とは無関係は物で、これは富士登山の記念碑なのです。 右の大きい碑には、富士登山三十三回大願成就と刻まれております。 この様な小沢城の所にと不思議に思いませんか。その訳を話しましょう。
昭和20年8月15日、太平洋戦争が終わるまで我が国は神国でした。 昨年6月頃、森首相が「我が国は神国だ」と言ったために世論が沸き立ちましたね。 私たちの時代は神様の時代でしたから信仰心が旺盛せした。 多摩区や麻生区の柿生・岡上・鶴川方面の富士講(富士山の参拝者がつくった講社)の人たちは、 多摩丘陵の峰づたいに小沢城に来て菅村を通り多摩川を渡り、 調布より甲州街道を歩いて登山口の吉田口まで行きました。 登山するにも四・五日かかりました。 大正初期に中央線が開通したので、三鷹駅から汽車に乗ることができ、富士講の人たちは大変喜びました。 右の大きな碑は明治9年に建てられたもので125年経ちます。 そこに三十三回と書かれている訳ですから、明治9年以前に33回富士登山をしたことになります。 つまり、江戸時代後期から行われていたことになります。 また、左の小さな碑は、更に古く万延元年ですから今から141年前に建てられたものです。 この様にこれら石碑にも歴史が秘められています。
先人達が残してくれた貴重な遺産を後世に伝えるため、 小沢城里山ボランティアの私たちが山林管理作業を行っています。 そこで、ここを訪れる皆さんにもご協力を頂いて、 植生豊かなこの小沢城の環境を共に守っていきたいと思います。
 (小沢城址里山の会)
空堀
神奈川県と東京都の都県境になっている尾根道を進んでいくと、鞍部の十字路に着きます。 小沢城があった頃の空堀の跡のようです。 ここで左右に道が分かれていますが、多摩自然遊歩道案内図に従って、正面の階段を登っていきます。
そばにあった解説板によると「ここに来るまでに絶壁が続く」とのことですが、 そのような所はまったくありませんでした。 これから先にそのような所があるのでしょうか。 この少し手前には「多摩自然遊歩道誕生記」が掲示されていました。 開発から自然を守るために市民が立ち上がったのを契機として誕生した経緯が記されていました。
空堀の物語
ここが空堀です。人為的にこの様に掘って敵の来襲を防いだ所です。 なだらかな傾斜の所に掘られております。 皆さんがここまで来る途中険しい絶壁が続きましたね。 その裾を多摩川の本流が涛涛と渦を巻きながら流れていたと伝えられておりますので、 北からは絶対に攻められない自然の要塞にも拘らず、更にこの様な空堀を掘ったのです。 諺にあるように「念には念を入れて」,「石橋は叩いて渡れ」のたぐいでしょうか。 いかに小沢城が重要な所だったかがよく分りますね。
 (小沢城址里山の会)
多摩自然遊歩道誕生記
昭和36年頃より首都圏のベットタウンとして我が町、菅にも宅地化の波が押し寄せてきました。 そして昭和50年代に薬師堂や星が丘(現在の西菅団地)が開発予定地になると知り、 市会議員の市村護郎氏や当時の町会長宮崎広幸氏ら多くの人々が薬師堂の緑を守るための請願を行いました。 その甲斐あって薬師堂に続く緑豊かに映える丘陵は残されました。 そして、南武線稲田堤駅より小田急線よみうりランド駅に至る約4.2キロの現在の遊歩道の構想が生れました。 しかし、その実現に至るまでには筆舌に尽くし難いものがあります。 今、皆様が歩いている所は、その当時しの竹の生い茂る起伏の多い場所でした。 それがこの様に立派な遊歩道になっているのですから、開拓した人々の苦労が偲ばれます。 そしてそれは、多くの地主さんや、憩いの場として境内を提供して下さった寿福寺や薬師堂、 地元の沢山の方々の努力によって生れたものです。 昭和53年10月8日、当時の市長、伊藤三郎氏によってテープカットがなされ、 市内で第一号の遊歩道が誕生したのです。 開通式の式典に参加した人は、なんと千二百人に及びました。 市民の皆さんは、これらの事を心に留めて、常に安全で快適な散策が楽しめるようお互いに心がけて下さい。
 (小沢城址里山の会)
小沢峰
正面に続く横木の階段を登っていきます。 普通の山道にある横木の階段には直径10数cmほどの丸太が用いられていますが、 ここのは20cm角ほどの四角柱が使われていました。 土が流れて抉れてしまったような所もなく、靴底全体を水平に置けて大変に歩きやすくなっていました。
階段を登り切ると「小沢峰」と記された標柱が立っていました。 標柱やそばにある解説板によると、ここは天神山とも呼ばれていて、 戦乱の時代には物見台として利用され、見張りの兵が関八州を睨んでいたようです。 解説板には「先程のお台場」とあります。 「空堀」の解説板もそうでしたが、今回とは逆向きに歩く人には分りやすい内容になっているようです。
物見台の物語
皆さん、ここが物見台です。 前面の木を切り開くと、右手方面は東京即ち江戸、左は秩父連峰まで見渡すことが出来ますね。 だから関八州が見渡せるので八州公園とも呼ばれております。 ここは、鎌倉時代より南北朝・室町・戦国時代に至る約380年にわたって敵を見張っていた所です。 そして思うに、6月頃より9月頃にかけては蚊の大群に襲われ、 12月頃から2月頃までは身も凍る寒風なされざれ、その辛苦が偲ばれますね。 そして何時か経つと、先程のお台場に待機していた武士と交代するのです。 自然の地形を利用した素晴らしい物見台ですね。
 (小沢城址里山の会)
古井戸
小沢峰から横木の階段を降りていくと、右手に穴が開いていました。 古井戸か狼煙の跡かと言われているようです。
古井戸の物語
皆さん、この穴は古井戸か又は狼煙の跡かと言われておりますが、 地元の私たちには古井戸であるという確証がございます。 それは、下の竹藪に館があり生活用水が必要であること。 また明治の中頃、子供が落ちたので危険であると言うことで、 頂上に沢山あった投石用の石で埋めたと言い伝えられているからです。 私が幼い頃(昭和8年頃)これより2メートル位深かったのですが、 半世紀以上も経つとこの様に風化されてしまうものなのですね。
 (小沢城址里山の会)
浅間山
右手に竹林を見ながら進んでいくと、また横木の階段が現れます。 階段を登っていくと「浅間山」と記された標柱が立っていました。 そばには小さな石の祠もありました。
浅間神社の物語
皆さん、この小さな神社は浅間神社と申します。 この神社は富士山の守り神です。 どうして小沢城のこの峰に祀られているのでしょうか。 不思議でしょう。 でも、歴史をひもとくと判りました。 戦前は我が国は神国でしたね。 そのため信仰心が旺盛で、多摩区や麻生区の富士講の人たちが登山するには多摩丘陵の峰つたいに、 この小沢城に来て、これより山を下って菅村を通り、多摩川を渡り、調布より甲州街道を登山口のある山梨県の 吉田口まで歩いて行きました。 そして「富士登山三十三回」の大願も成し遂げ、その記念にこの峰に祭り、 登山の際には、道中の無事を祈りながら旅を続けたことでしょう。 また、この神社と関係のある石碑が頂上にありますのでご覧下さい。 こんな小さなお宮にも、この様な歴史が秘められております。
 (小沢城址里山の会)
お台場
横木の階段を降っていくとT字路があります。 道は右手へも続いているようですが、正面にある多摩自然遊歩道案内図に従って、左手の道を進んでいきます。 案内図の後ろ側が少し広くなっていました。 そこがお台場で、その昔に人馬が待機した所のようです。
お台場の物語
皆さん、ここがお台場と言って、人馬が待機していた所です。 いつ如何なる事態が起きようと対応することが出来るように。 そして下の竹薮の中を見てください。 平らになっている所に武士の舘がありました。 その下にもあり、計二棟あり、一棟の地積から想像すると、40人ぐらいが住んでいたと思います。 二棟ですから80人の武士が生活しておりました。 そして武器庫もあったと伝えられております。 このような所です。
 (小沢城址里山の会)
お台場からも小さなアップダウンが何度かありますが、 何れも短くて傾斜もそれほどは急ではないので、息が切れることもなく歩いていけます。 6分ほど進んでいくと、「←薬師堂」,「浅間山→」の道標が立っています。 更に進んで木製のテラス風の所を過ぎると、次第に降るようになってます。
小沢城址緑地出口
横木の階段を降っていって正面に人家が見えてくると、小沢城址緑地も終わりになります。 途中で穴澤神社に立ち寄っていたこともあって、先程の小沢城址緑地入口からここまで1時間ほどかかりました。 緑地だけを歩くのなら40分とかからないように思います。
平地に降りて左手に10mほど行った所に小さな橋があります。 そばには多摩自然遊歩道案内図があるので、これからのコースを確認しておきましょう。 菅小谷緑地を経て薬師堂を訪ね、そこから稲田提駅へと向かっていきます。
指月橋
橋を渡ってすぐに右折して小川沿いに進んでいくと十字路があります。 ここにも多摩自然遊歩道案内図があります。 右手には指月橋があります。 義経が奥州へ落ち延びる際にこの橋まで来た時に満月を指差した所なのだとか。
指月橋の物語
皆さんが、何気なく渡っているこの橋にも歴史の1コマが秘められております。 橋の袂には「指月橋」と刻まれております。 これは文治2年(1186)今から815年前の出来事に由来します。 皆さんもご承知の通り、義経と弁慶たちは義経の兄である源頼朝に追われる身となりました。 それは、一の谷の戦いで平家を傷め付け、壇ノ浦で滅ぼした功績により後白河法皇から検非違使の位 (盗賊の逮捕、風俗の取り締まり、非法の弾圧にあたる任務、現在の県警本部長に相当する位)を授かりました。 これが、頼朝の耳に入り、兄の許しも得ず平家を滅ぼし、 朝廷より過分な位まで授かった事への怒りをかってしまったのです。 そこで頼朝は「義経、弁慶どもを捕らえよ」という布令を出したのです。 そうとは知らぬ義経達は、京から鎌倉を目指していました。 しかし、途中の静岡あたりでその事に気付きました。 そこで鎌倉へは向かわず、義経が幼い頃より青年時代までを過ごした岩手県の藤原秀衛の元に逃れる事にしました。 その道すがら一夜の宿を寿福寺に求めてこの橋まで来ました。 しかし、橋板が朽ちて穴があいていました。 (私が10歳、つまり昭和9年頃は直径10センチ位の松の丸太が敷き詰められていました) このまま馬に乗って渡ったのでは馬の足がはまって骨折してしまうため、馬から降りて点検することにしました。 ふと夜空を見上げると満月が光々と輝いていました。 その満月を指さして「今宵もよい月じゃのー」と言ったかどうか定かではありませんが、 指月橋の指月とはまさにそれなのです。
 (小沢城址里山の会)
菅小谷緑地
指月橋を渡っていくと、その先の十字路の左前方に菅小谷緑地があります。 道路沿いにある小さな緑地です。
遠廻りでも明るい道を帰りましょう
 (多摩警察署、菅町会防犯部)
緑地を抜けて左下へ続く石段を降って車道に出ます。 脇にある多摩自然遊歩道案内図に従って、 そこを右折して、その先の十字路を直進していきます。 崖沿いに進んでいくとT字路に出ます。 ここにも多摩自然遊歩道案内図があるので、稲田提駅までの道を確認しておきましょう。 ここを左折して行けば稲田提駅ですが、右手に少し行くと薬師堂があるので、ちょっと立ち寄っていきましょう。
薬師堂
右折して50mほど先にある道を右手に入っていきます。 角には「薬師堂入口」の立て看板もありました。 緩やかに坂道を登っていくと、右手に石燈籠と石段があります。 その石段を登っていくと薬師堂があります。 境内には何故だか土俵がありました。 薬師堂と土俵…どういう関係なのでしょうか。
薬師堂 多摩自然遊歩道いこいの場
ここは、お寺さんのご厚意により、貴重な自然環境と歴史的文化遺産にふれることができる「いこいの場」です。 感謝の心をもって利用させていただきましょう。
・建造物や石仏、石塔などは大切にしましょう。
・禁煙を守ってください。
・ゴミは散らさないよう気をつけましょう。
・草木をいためないようにしましょう。
・手洗いは、きれいに使いましょう。
・そのほか、お寺さんが迷惑になることをしないよう、お互いに注意をしてください。
一口メモ
寺の縁起によれば、文治3年(1187)に、当地に領主稲毛三郎重成が建立したと記されています。 緑に囲まれた境内では、3年毎の9月12日に市の重要習俗技芸に指定されている"菅の獅子舞"が舞われます。 雄獅子、雌獅子、久獅子と天狗が豪快に踊る姿はふるさと川崎の数少ない民俗芸能として、大変美しいものです。
 (川崎市)
菅獅子舞と薬師堂
菅獅子舞の由来は明らかではありませんが、 この獅子舞の復活興行を願い出た明和8年(1771)の文書が発見されたことから、 相当古くからこの地に伝えられていたことが推察できます。 現在は、毎年9月第二日曜日に菅獅子舞保存会によって薬師堂の土俵で舞われています。 舞は、天狗と牡獅子・牝獅子・久獅子の4人で舞われ、 内容は牝獅子をめぐって牡獅子が争うという、いわゆる牝獅子隠しの形式です。 菅獅子舞は、平成13年2月13日、神奈川県指定無形民俗文化財に指定されました。
 (川崎市教育委員会)
猫は絶対に捨てないでください。 猫を捨てると、動物の愛護及び管理に冠する法律により罰せられます。 動物は、飼い主が責任を持って終生飼いましょう。
 (多摩区役所保健所)
稲田提(いなだづつみ)駅
先程のT字路まで戻り、大谷橋を渡って、正面に続く道を進んでいきます。 途中で横道もありますが、道なりにまっすぐに進んでいくと、5分ほどで府中街道に出ます。 左手にある横断歩道を渡って、その先にある「駅前中央通り」を進んでいきます。 踏切を渡った右手に稲田提駅(JR南武線)があります。