頭高山
散策:2004年11月中旬
【低山ハイク】 頭高山
概 要 頭高山は丹沢の南側にある標高300mほどの低い山で、渋沢丘陵とひと続きになった山稜です。 渋沢の街を過ぎて緩やかに山道を登っていくと、あまり苦労することもなく頂上に立つことができます。 尾根筋の道からは丹沢の山々を、頂上からは箱根の山々などを間近に望むことができます。
起 点 秦野市 渋沢駅
終 点 秦野市 渋沢駅
ルート 渋沢駅…泉蔵寺…白山神社…頭高山登り口…梅畑…四つ辻…八重桜の里…周回道分岐…頭高山…周回道分岐…四つ辻…丘の広場…頭高山入口…雁音神社…尾根道…震生湖分岐…渋沢中学校入口バス停…五叉路…渋沢神社…喜叟寺…国栄稲荷神社…渋沢駅
所要時間 3時間20分
歩いて... 山頂の手前まで広くて緩やかな道が続いているので、家族連れでも気軽に訪れることができます。 森の樹木の紅葉はあまり進んでいないようでした。 八重桜の里には花の咲く季節に訪れてみたい所です。 朝方には綺麗に見えていた冠雪した富士山は次第に雲で覆われてしまい、 山頂からその雄姿を見ることは出来ませんでした。
関連メモ 渋沢丘陵, 八国見山, 頭高山, 頭高山, 渋沢丘陵
コース紹介
渋沢(しぶさわ)駅
渋沢駅(小田急小田原線)の南口から歩いていきます。
渋沢駅は以前には南口の方が表玄関でした。 北側には臨時改札口があるだけでしたが、 今では立派なバスターミナルもできて、北口はすっかり様変わりしました。 バス停もなくなった南口には階段が迫り出して狭くなり、 何だか「裏口」といった雰囲気になってしまいました。 しかし、そばにあった看板によると、南口にも駅前広場を作る整備計画が進行中とのことでした。
南口から正面の道を進み、すぐの所の十字路を右折していきます。 以前はバスが頻繁に通っていた道を150mほど進んでいくとT字路があります。 右手の踏切は見送って左折していきます。
綺麗に整備された道を200mほど進んでいくと十字路があります。 ここを右折して、民家の間に続く緩やかな坂道を登っていきます。
ゲートボール場前バス停、萩が丘バス停と過ぎていくと、 「富士浅間大神」と刻まれた石碑などが幾つか並んでいる場所がありました。 そばには「頭高山」の道標もありました。
千村自治会館バス停を過ぎて更に進んでいくと、逆方向の萩山バス停の先に変則的な十字路があります。 とうふ料理店の先に「住居標示街区案内図」があるので参考にしましょう。 その案内図には頭高山は書かれていませんが、 千村配水場のある千村四丁目の方向へ、そのまま道なりに進んでいきます。
ペットの散歩はマナーと一緒に
フンを放置すると条例により罰せられます。
 (秦野市)
住宅が続く道を300mほど緩やかに登っていくと、カーブミラーが設置された十字路があります。 正面にはビニールハウスが並んでいました。 角にある道標「頭高山入口1.9km」に従って、ここを左折していきます。
千村貯水場の金網を両側に見ながら、小さな坂を越えていきます。 右手に道祖神を見ながら坂道を緩やかに降っていくと、道の両側には畑が広がるようになります。 道が右にカーブしながら降るようになると、左手の浅い谷間には畑が続いていました。 その向こうには渋沢丘陵が見えています。 これから向う頭高山はこの丘陵の右側(西側)にあります。
捨てないで!
ごみはもちかえろう。
ごみを捨てると法律により処罰されます。
 (秦野市)
「道路改良記念碑」を見ながらS字形に降っていくとT字路があります。 「寿湘ヶ丘老人ホーム」の案内板が左手を指しています。 白いガードレールの向こう側にある「頭高山」の道標も左手を指しているので、 ここを左折して小さな橋を渡り、竹林の間の坂道を登っていきます。
道路改良記念
道ひらく思いかなった町づくり 明日の暮らしに楽しみがわく
御協力いただいた関係者の皆様に感謝致します。
川をきれいに
ゴミを捨てないようにしよう。
ホタルやサカナのすめる流れにしよう。
 (秦野のホタルを守る会、秦野市)
泉蔵寺
墓地を右手に見ながら坂道を登っていくと、右手に石段が現れます。 両側に「萬霊塔」の石碑と「不許帯酒入山門」の石柱が立つ短い石段を登ると泉蔵寺があります。 檀家の方々でしょうか、境内では大勢で植え込みの手入れなどの作業が行われていました。 「東国花の寺百ヶ寺」とも書いてありました。 季節になると綺麗な花々が見られるお寺のようですが、訪れたときには咲いていませんでした。
秦野市指定重要文化財 石像十王像
地蔵十王思想に基づき、中世以降、閻魔王以下の十王及び地蔵像を一具とした諸尊の制作が、 絵画や彫刻で盛んになりますが、この石像十王は市内でも数少ない中世期のものと思われます。 年代を確定できる資料はありませんが、地蔵菩薩には、両目が極端に細長く一直線に並ぶといった 中世期の特徴が見られます。 この技法は、この近辺の木彫仏では南北朝時代を通じて見られることから、 この像は鎌倉時代後期から南北朝時代のものと推測でき、他の石仏も同時代のものと思われます。 中世期の石仏は、市内には数が少なく、真静院の六地蔵と掘西の個人宅で祀られている地蔵、 そしてこの十王像のほかには確認されていません。
 (秦野市教育委員会)
泉蔵寺から元の道へ戻って、その先へと進んでいきます。 坂道を緩やかに降っていくと、すぐにT字路があります。 角にはなぜだか東屋が建っていました。 「寿湘ヶ丘老人ホーム」の案内板や「頭高山」の道標に従って、ここを右折していきます。
墓地を巻くようにして進んで「寿湘ヶ丘老人ホーム」の前を過ぎて左へ曲がっていくと、 小道が右手へ分かれていきます。 角の道標によると、正面は頭高山への道で、右手は白山神社への道とのことです。 すぐそこにあるので、ちょっと白山神社に立ち寄っていきましょう。
広い土の道を少し進んでいくと木製の鳥居があります。 老朽化が進んでいるようで、ロープが張り巡らされていていました。 左手を迂回していくようにとのことなのでしょう。 鳥居の先には、天然記念物などにも指定されている大きな杉の木が生えています。
(鳥居は2005年4月に改修されました)
きけん
鳥居にふれないでください。
かながわの名木100選 白山神社のスギ
幹はそれほど太くはないが、まっすぐに高く伸びて遠くからもよく見える。 秦野市の天然記念物に指定されている。
樹高 44メートル 胸高周囲 4.9メートル 樹齢 約600年(推定)
スギは、本州から九州に広く分布する常緑高木で、神社などに植えられるほか、造林樹種として多く用いられる。 樹高60メートル、胸高周囲15メートル、樹齢約3000年に達するものもあると言われている。
 (神奈川県)
秦野市指定天然記念物 白山神社の杉
白山神社の社叢は市内随一の杉の森の里として知られ、市内の杉の中で幹囲が第一位から第四位までの杉が生育している。
一、市内で一番太い杉(鳥居南側) 樹高44.0米 胸高周囲44.9米
一、市内で二番目に太い杉(社前南) 樹高46.0米 胸高周囲44.5米
杉は日本の固有種で、自然分布は北は青森県から南は鹿児島県の屋久島に至るまで自生あるいは植林されている 常緑高木で雌雄同株である。 雄花は小枝の先に穂状につき、雌花はほとんど球形緑色で枝梢に一個ずつ生じる。 用途は建築、器具、酒樽、足場の丸太、電柱などと利用が多い。
 (秦野市教育委員会)
注意
杉の木穴からハチが出入りしています。
白山神社
杉の木の間に続く石段を登っていくと白山神社の本殿があります。 かなり歴史のある社殿のように感じました。 境内の右手には舞台がありました。祭礼などで催し物が行われるのでしょうか。 「ふれあい納涼大会」と書かれた横断幕も置いてありました。 左手には小さな八坂神社・八幡宮・琴平宮・天満宮が仲良く並んでいました。 境内に生えている細い木には、願い事を書いた絵馬が鈴生りに括り付けてありました。
まことの道
わがくには 神のすゑなり 神まつる 昔のてぶり わするなよゆめ
 (神奈川県神社庁)
頭高山登り口
白山神社から元の道まで引返して、その先の緩やかな坂道を少し登っていくとX字路があります。 左手は渋沢の街へ戻っていく道、正面は渋沢丘陵へ道で、 頭高山へは、右手に戻るようにして続く山道を登っていきます。 そばには「←渋沢丘陵」,「頭高山→」の道標も立っています。
注意
ハンターのみなさん!
この附近に人家、農耕地があります。狩猟に注意しましょう。
 (神奈川県)
農作業に支障となるため駐車ご遠慮願います。
梅畑
幅2mほどの山道を緩やかに登っていきます。 杉や雑木の森を進んでいくと、道の両側が競り上がって抉れたようになった所を過ぎていきます。 登り口から5分ほど進んでいくと、正面が開けて梅畑に着きます。 右手の梅畑の向こうには丹沢の峰々を望むことができます。 この日はちょっと曇り勝ちで、稜線附近がはっきりしなかったのが残念でした。
不法投棄禁止!
ごみを捨てると法律により処罰されます。
ここにごみを投棄すると秦野警察署に告発します。 告発されると懲役5年以下、もしくは千万円以下の罰金の刑に処せられます。
 (秦野市)
四つ辻
梅畑を後にして、落葉の絨毯になった広い道を進んでいきます。 雑木林の続く道を4分ほど進んでいくと、渋沢丘陵から続く稜線にある分岐に着きます。 稜線を越えて向こう側へも山道が延びていますが、今回はその道は歩きません。 稜線の左手に登っていく山道は渋沢丘陵への道で、頭高山へは右手の尾根道を進んでいきます。 左手の脇に「←渋沢丘陵」,「頭高山→」の道標が立っています。 頭高山まで行ったら一旦ここまで引返してきて、左手の山道へと進んでいきます。
(稜線の先の道を後日に確認したところ、1分ほど先にある畑の辺りで不明瞭になっていました)
尾根道を歩き出してすぐに、右手の高みに登っていく小さな道が分かれています。 この高みには送電線の鉄塔があるだけなので、そのまま真直ぐに進んでいきます。 2分ほど進んでいくと、左手に降っていく広い道が分かれていきますが、 この道も見送って、そのまま右手のなだらかな尾根道を進んでいきます。
(右手の高みからは丹沢の山並を見渡せる眺めが広がります。 「頭高山」を参照)
更に3分ほど尾根道を進んでいくと開けた場所に着きます。 頭高山の手前にある小広い広場です。 秋とあって、広場の木々も色付き始めていました。 右手の樹木の間からは丹沢の山並みが見渡せますが、 この日はあいにくと曇っていて、稜線には雲がかかっていました。 ここから見渡せる景色の写真も設置されています。 山の名前も書き込まれていて参考になります。 秦野市と秦野丹沢ライオンズクラブが設置したもののようです。
鍋割山1273、小丸1341、大丸1386、塔ノ岳1491、木ノ又大日1396、新大日、 行者岳1209、烏尾山1136、三ノ塔1205、二ノ塔1120、菩提峠、ヤビツ峠761、大山1252
八重桜の里
左手に分かれていく神山滝への細い道を見送った先には休憩所が建っています。 「八重桜の里」と刻まれた石碑も立っていました。 ここが八重桜の里なのでしょうか。そう云えばそれらしい木々があります。 春になると、この一帯が綺麗な花で一杯になるのでしょうか。 休憩所の側には真新しい石碑が二つ並んでいました。 また、「頭高山を愛する会、秦野丹沢ライオンズクラブ創立20周年記念事業」と記された細長い案内板もありました。 それによると、現在地は標高250mで、その先にある頭高山は303mとのことです。
発足記念碑
我がふる里千村 頭高山に花木を植える
ソメイヨシノ、イロハモミジ、コブシ、山ツツジ
愛する会
功労者 亡き友よ 永遠に咲かそう 八重桜
(後日に神山滝への道を歩きました。「頭高山」を参照)
周回道分岐
右手に続く広い道を進んでいくと、すぐに開けた場所に出ます。 右手に分かれていく細い山道は見送って左手への道を進んでいくと、すぐに道が二手に分かれています。 「←頂上(左まわり)近道」、「頂上(右まわり)遠回り→」との道標にもあるように、 どちらの道も頭高山の頂上へ続いています。 両方の道は頭高山の周囲を取り巻くように円く続いていて、頂上へは同じ所から登っていきます。 登り口までの距離は、円周360度で考えると、大まかには60度と300度くらいの感じになります。 確かに道標の通りに、左手の道の方がかなり近くなっています。
秦野ロータリークラブ 創立40周年記念植樹 八重桜の里づくり
言行はこれらに照らしてから
1.真実かどうか
2.みんなに公平か
3.好意と友情を深めるか
4.みんなのためになるかどうか
前回に訪れた時は左手の道を歩いたので、今回は右手の道を進んでいきました。 ここからは道幅も次第に狭くなり、普通の山道といった感じになってきます。 左手にある頭高山を反時計回りに廻るようにして、雑木林や植林地を歩いていきます。 道幅は狭まってはきますが殆ど傾斜はなくて、歩きやすい道が続きます。
後日に来てみると、山頂直下を巡るこの道は、小型車なら通っていけるだけの広い道になっていました。 頭高山の山頂にある東屋の建設資材の運搬用に整備されたのかも知れません。
先ほどの分岐から8分ほど進んでいくと、「頂上」を示す道標が立っています。 左回りの道を歩いてくると、2分とかからずに着きます。 そこから頂上を目指して横木の階段をひと登りすると、すぐに木製の鳥居があります。 「秋葉神社」という扁額が掲げられていました。 鳥居の脇には「奉納 共有地管理組合、氏子一同、頭高山を愛する会」という立板もありました。
鳥居をくぐっていくと頭高山の頂上に着きます。 頂上には小さな石の祠がありました。 これが秋葉神社ということなのでしょうか。 祠の前には石の小さなお地蔵さんが置いてありました。 祠のそばには馬頭観世音菩薩の石碑が二つ並んでいました。 祠や石碑に刻まれている文字を見ると、明治時代に造られたもののようです。
頭高山 (標高303m)
祠の後ろ側がちょっと開けた場所になっています。 ベンチも設置されているので、ちょっと休憩していきましょう。 これまで「頭高山」という標識が点々と続いていましたが、 ここが頭高山の頂上である旨を記したものは見当たりませんでした。 小さくても貧相でもいいから、是非とも設置しておいてほしいものです。
後日に来てみると、山頂には真新しい東屋が建ち、 その脇には解説板や「頭高山(ずっこうやま)標高303.4メートル」と書かれた立て札も出来ていました。
西側からは、眼下に広がる松田の街の向こうに、箱根の山々を一望することができます。 条件がよければ富士山までも望むことができるようです。 渋沢までの車窓からは冠雪した富士山が綺麗に見えていたので期待して登ってきたのですが、 時間が経つにつれて曇が増えてきて、残念ながら富士山は見えなくなってしまいました。 大空にはパラグライダーが幾つか気持ち良さそうに飛んでいました。 上昇気流に乗って円弧を描くようにしてゆっくりと舞っていまいした。 飛んだ経験はないのですが、眺めもよくてさぞ素晴らしい体験なのでしょう。
周回道分岐
頭高山の頂上からは、先ほどの鳥居をくぐって階段を降り、 そこから左折して、周回道の続きを進んでいきます。 右手にみかん畑を見ながら2分ほど進んでいくと、「右まわり,左まわり」の道標のある分岐まで戻ってきます。 ここからは、元来た道を四つ辻まで戻っていきます。
四つ辻
八重桜の里を過ぎていくと道幅も広がり、なだらかな道を快適に進んでいくと、 元来た四つ辻まで戻ってきます。 道が三方に分かれていますが、道標「渋沢丘陵」に従って、真ん中の山道を登っていきます。
登りもすぐに終わってなだらかな道になると、右手には畑が続くようになります。 栗やみかんの木が植えられた畑の脇の道を進んでいくと、小さな杉の林が現れます。
丘の広場
杉の林を抜けると簡易舗装された道になります。 左手には小さな広場がありました。 両手を合掌した慰霊碑「祈り」が建っていました。 ベンチも幾つか設置されているので、 眼下に見える渋沢の街並みやその向こうに聳えている丹沢の峰々を眺めながら、 しばらく休んでいきましょう。
慰霊碑「祈り」について
二十一世紀を目前に控えた大きな節目の年に、身近なところから「平和」について考え、 行動するきっかけとなることを願っています。 敗戦のがれきのなかから再出発して半世紀、現在、私たちは物の豊かさを手にして、 平和な暮らしを営んでいますが、この平和と繁栄も、先の大戦とそれに続く苦難の時代といった、 大きな犠牲のうえにきづかれたものであることを忘れることはできません。 戦場で散り、戦禍に倒れた方々への哀悼の念をあらためて表すとともに、 最愛の肉親を亡くし、限りない悲しみと永い苦難の日々を耐えてこられたご遺族などの戦争体験を、 「忘れてはならない記憶」として次代を担う子や孫にしっかりと語り継いでいきたい。 これが、今を生きる私たちの願いです。 平和の尊さをかみしめ、「共に生きる」社会をめざして、新たな時代を歩みつづけるために。
 (平成7年8月吉日 文責 谷利雄)
頭高山入口
広場を後にしてその先の道を降っていくと舗装道路に出ます。 最初の頭高山登り口のX字路からかなりの急坂を登ってくると、ここまで来ることができます。 そばには「ZUKO YAMA Pray hill」と刻まれた石碑がありました。 何故だか英語で書かれていました。どうして日本語で書かないのでしょうか。
雁音神社
道標「渋沢丘陵」に従って、広い道を右手へ緩やかに登っていくと、 左手の小さな高みに赤い祠が建っています。 その中には更に小さな石の祠が安置されていました。 お供え物なのでしょうか、二体の木彫りの人形もありました。 そばには「かりがねの松」の解説板がありました。 「かりがね」と呼ばれるお姫様をここに葬ったということなのでしょうか。
かりがねの松
この「かりがねの松」のお話は、いつのころのことかよくわかりません。
そのむかし、千村(西地区)は宿場として京にのぼるのに、 また西からの大山まいりのお客などでにぎわった所だと言われています。 この千村に「ちむらわかされ」と、呼ばれる辻があったんだそうな。 そんなむかしのある日のことですと。 その日は、大へんに寒く、いつもなら旅人でにぎわう「わかされ」ですが、 さっぱりと人通りがなく、ただ寒い西風が吹きすさび粉雪を舞い上げていたんだと。 びゅうびゅう吹きすさぶ西風に送られて来られたのでしょうか。 それはそれは美しいお姫様がただひとり、とぼとぼと…。 お姫様は、「わかされ」まで来ると、急に胸をかかえよろよろとひざまづいてしまったのだそうだ。 そんな姿を見た村人はおどろき、お姫様をだき起こしました。 そして、あれやこれやといたわり、手厚く看病しましたが、そのかいもなく、 村人にだかれたままとうとうかえらぬ人となってしまったのですと。 お姫様は、苦しいいきの中から、 『わたしは都の者でございます。名前は「かりがね」と申します。故あって…。』と、 そこまでやっと話されましたが、あとの声は小さくなっていき聞きとることができなかったそうだ。 村人たちは、あまりの急な悲しい出来ごとにほろほろと涙を流し、 「かりがね」をねんごろに、わかされにとむらいました。 そして、そこに一本の松を植えました。 松はすくすくと大きくなり、そのみごとな枝ぶりは口ではたとえようもありませんでしたと。 一枚一枚の松の葉はかりの羽のように。 大きな枝は、羽を広ろげたかりのように。 村人の中には「姫よりも美しい松」と言うものさえでてきました。 いつの間にか、だれ言うともなく、その松を「かりがねの松」とか、「かりがねの姫」と、呼ぶようになり、 姫の美しさとそのあわれさをしたって、松と一しょにいつまでも語りついできたのだと言うことですと。
尾根道
祠を後にして更に坂道を緩やかに登っていくと、4分ほどで渋沢丘陵から続く丘の上に出ます。 正面の谷間には畑が続いています。 尾根筋に続く広い農道は左右に続いていますが、 角にある道標「震生湖5.0km」に従って、左手に進んでいきます。 正面に聳える丹沢大山の姿を見ながら、舗装された丘の上の農道を進んでいくと、 左手には丹沢の山々が一望できるようになります。
(後日に右手の道を歩きました。 「頭高山」, 「頭高山」を参照)
次第に緩やかに降るようになるとT字路がありますが、道標「震生湖4.8km」に従って、 更に左手へ広い農道を進んでいきます。 右手の谷筋には畑地が広がっていて、季節の野菜が栽培されていました。
しばらく進んでいくと、道が二手に分かれています。 そばにある道標によると、左手に降っていく道が「渋沢駅1.8km、震生湖4.3km」とのことです。 正面に続く道に関しては何も書かれていませんでしたが、震生湖へと続いているようにも思えます。 今回はここから左手の道を通って渋沢駅へと戻っていきます。
山火事注意 火の用心!
たばこ・たきびは確実に消そう!
みどりとのふれあいでリフレッシュ
 (森林共済セット保険、神奈川県)
震生湖分岐
林の中の坂道を降っていくと、やがてT字路があります。 右手は震生湖への道ですが、道標「渋沢駅1.7km」に従って、左折して坂道を降っていきます。
雑木林や桧林の中に続く簡易舗装された坂道を降っていきます。 2分ほど降っていくと、森も終わって住宅街の上に出ます。 正面が開けていて、丹沢の山々や渋沢の街並みが見渡せます。
この付近で見られる野鳥
【1年中見られる野鳥】
ハシブトカラス、ハシボソガラス、オナガ、ムクドリ、イカル、カワラヒワ、ホオジロ、メジロ、 エナガ、シジュウカラ、ヤマガラ、モズ、ヒヨドリ、コゲラ、アオゲラ、キジバト、コジュケイ
【春から夏に見られる野鳥】
キビタキ、サンコウチョウ、サンショウクイ、スバメ、サシバ
【秋から冬に見られる野鳥】
カケス、シメ、アオジ、カンラダカ、ウグイス、ツグミ、シロハラ、ルリビタキ、ジョウビタキ、マヒワ
 (鳥もすめる環境都市 秦野市)
渋沢中学校入口バス停
右下へ続く急坂を降っていきます。 民家の裏手を廻るようにしていくと車道に出ます。 道路の向かい側には、渋沢中学校入口バス停があります。 渋沢駅までのバスの便が40分に1本程度出ていますので、乗っていってもいいでしょう。 今回は渋沢の街を散策しながら歩いていくことにしました。
五叉路
右折して車道を降っていくと、すぐに五叉路があります。 丹沢の山並みを正面に見ながらバス道路をそのまま降っていってもいいのですが、 右からふたつ目の道を通って、少し寄道をしていきましょう。
渋沢神社
細めの道を少し降っていくと、道が左へ曲がる角の右手に、「渋澤神社」の扁額が架かる赤い鳥居があります。 その先の石段を登っていくと、渋沢神社の境内に着きます。
渋沢神社
鎮座地 秦野市渋沢2179
祭神 大雀之命(おおささぎのみこと)、伊邪那美之命(いさなみのみこと)、須佐之男之命(すさのおのみこと)
境内社 金毘羅社
例祭日 4月15日
社殿 本殿(入母屋唐破風)1.5坪 覆殿(切妻)幣殿、拝殿(入母屋)三棟一宇 22坪 神楽殿20坪
境内坪数 522.15坪
由緒沿革 往時は若宮八幡宮と称し、村の総鎮守であった。 神体銅像、建保6年(1218)11月喜叟寺の開基霊夢によりて鶴岡の若宮を勧請したと言われ、 古棟札に「河村菊千殿(実は菊千代)代官稲毛越前守拝御百姓中之請助成奉造立一顆弘三歳己…」 一札は造営祈願文と元亀4癸酉年(1573)を蔵している。 天正19年(1591)御朱印一石五斗を賜う。 また、千村に当社を産土神とするところがあり、天明の頃御嶽社より須佐之男之命を勧請し相殿とした。 その後御朱印確認書が贈られている(新編相模国風土記)。 明治6年7月渋沢神社と改称し、村社に列せられた。 当神社氏子は峠、渋沢本村、石打場、曲松全域を含んでいる。 昭和45年鳥居を新築し、神殿、神楽殿等大改修し、面目も新らたになった。
御大典記念として平成2年4月15日 渋沢神社御造営
宮司 草山清和
喜叟寺
渋沢神社から戻ってその先へと降っていくと、すぐに喜叟寺があります。 入口には六体のお地蔵様が並んでいました。 その後ろ側にも小振りのお地蔵様が同じく六体並んでいました。 門を入っていくと本堂があります。 藤棚もあったりして、春には綺麗に彩られるのでしょう。 釣鐘堂の側には、どういう訳かバスケットボールのゴールがあったりします。
おことば
…前略… 今こそ、私たちは、皆と共どもに仏の教えにかなった「同事行」を実践してまいりましょう。
 ・殺すことなかれ 殺されることなかれ
 ・差別することなかれ 差別を許すことなかれ
 ・美しき地球と未来を 子どもたちに
この願楽を実践することこそが、私たちの信仰生活にほかなりません。 今日ただ今から、その実現のための一歩を進めようではありませんか。
南無釈迦牟尼仏
 (曹洞宗管長 宮崎奕保)
喜叟寺から更に真直ぐに降っていきます。 小さな橋を渡って左手に進んでいくと十字路があります。 左手の道路向かいには「渋沢駅20分」の道標があります。 この十字路を右折して、車道を緩やかに登っていきます。
渋沢小学校入口バス停の先にある渋沢小学校入口の交差点を道なりに右手へと進んでいきます。 曲松郵便局前バス停を過ぎていくと降り坂になってきます。 道が平坦になると稲荷神社前の交差点があります。
国栄稲荷神社
交差点を渡ったすぐ左手に国栄稲荷神社があります。 社殿は最近になって建て替えられたようで、真新しいものでした。 そばには「大山道 矢倉沢往還」と刻まれた丸い石碑もありました。 境内には天然記念物の大きなイチョウの木がありました。 秋も本番とあって、地面には銀杏が沢山落ちていました。 うっかりして踏んづけたりすると、あの独特の臭いが立ち込めます。
正一位 国栄稲荷神社社殿改修 境内整備趣旨
国栄稲荷神社は、宇賀魂神を奉祀し、金刀比羅大神、菅原大神を合祀奉る、鎮守の氏神様です。 社殿改築造営に当たって、旧社殿には大変な雨漏りが生じ、屋根、外壁共に傷み甚だしく、 至るところ老朽化が進み深刻な状態でした。 責任役員会、神社総代会に諮り、御奉賛による社殿改築の施行を全会一致で決議した。 諸般の情勢は、景気が誠に冴えない中、改修事業を推進することとなった。 地区周辺では、渋沢駅南部区画整備事業の進展により、街は新しい景観に整いつつあります。 また、21世紀の初年(2001年、平成12年)に当たり、記念すべき事業となった。 社殿改修事業は、平成12年10月に着手し、御奉賛により平成14年12月に社殿を竣工した。 境内整備事業は、区画整理事業に伴い、鳥居、水屋、幟旗竿台の新設、 御神木銀杏を境内地の分割飛地に現状のまま存続保存、社務所移転等、平成15年3月、 諸施設の整備を完成した。
秦野市指定天然記念物 稲荷神社の大公孫樹(イチョウ)
樹高25m、 胸高周囲3.96m
イチョウはイチョウ科の一属一種の裸子植物である。 生ける化石と呼ばれるように、地質学上、古生代の末期二畳紀より中生代の三畳紀に至って発祥し、 ジュラ紀頃は全盛で、全世界に分布し栄えた丈夫で長命な樹木である。 しかし、現世では日本・朝鮮・中国しかみられない残存植物である。 イチョウは落葉高木にして雌雄異株、葉は扇形をなし、二浅裂または不規則に多裂する。 秋には黄色に黄葉する。花期は4〜5月、種子は銀杏と呼ばれほぼ球形で、10月に成熟し食用とする。 材は黄白色で緻密なため、碁盤・箱・彫刻などに用いられる。
 (秦野市教育委員会)
古道解説
ここは、東西に通る矢倉沢往還(江戸赤坂と駿河国吉原を結ぶ)と、渋沢峠を経て小田原に至る小田原道が 南北に交差しており、大山や富士参詣をする人々で賑わった。 曲松から北に進むと運動公園付近で水無川を渡り田原を経て大山に至る道を「どうしゃみち」と称し、 季節になると参詣や巡礼の人々が行き交った。 また、大山参詣者や大山講の人々によって数多くの道標が建てられ、 近くに江戸屋喜平治の建てた道標もあり、旅宿も何軒かあったという。
 (秦野市)
渋沢(しぶさわ)駅
神社のすぐ先にあるT字路を左折していきます。 角にある秦野警察署の渋沢交番が目印になります。 左折して100mほど進んでいくと、右手に渋沢駅(小田急小田原線)があります。
以前にはバス停もあって、南口附近は活気があったのですが、 いまでは北口側が開けてきて、南口側はすっかり寂れてしまいました。 南口に駅前広場を造るなどの再開発計画もあるようですが、 以前の活気ある街並みを知っている身にとっては淋しい限りです。