片倉絹の道
散策:2004年10月下旬
【街角散策】 片倉絹の道
概 要 片倉絹の道は八王子市の南部にある道で、 幕末から明治期にかけて、生糸を八王子から横浜港まで運ぶ商人達が行き交った道です。 当時は10里(約40km)ほどあったこの道も宅地化の波に押され、 現在では1.5kmほどに往時の面影を残すだけになってしまいました。
起 点 八王子市 片倉駅
終 点 八王子市 鑓水中央バス停
ルート 片倉駅…片倉城跡公園…住吉神社…白山通り…片倉第2跨道橋…大塚山公園…絹の道…絹の道資料館…御殿橋…小泉家屋敷…鑓水中央バス停
所要時間 3時間10分
歩いて... 昔の面影が残る絹の道の部分は16分ほどと短いのですが、 往時の雰囲気を感じながらの静かな散策を楽しむことができます。 里にある資料館では、絹の道の歴史などの知識を得たりすることもできます。
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コース紹介
片倉(かたくら)駅
片倉駅(JR横浜線)から歩いていきます。
改札口を出て、「片倉城跡公園」を示す案内板に従って、左手の出口から駅を出ます。 駅前広場を右回りに進み、最初の信号を左折していきます。
片倉城跡公園
街中を200mほど進んでいくと、国道16号のT字路に出ます。 横断歩道を渡って右手へ20mほど行った所に「片倉城跡公園」の看板があります。 そこを左折していくと、すぐ正面に片倉城跡公園があります。 入口には「片倉城跡公園案内図」があるので参考にしましょう。
片倉城は、室町時代、大江広元を祖先とする長井氏によって築かれたと伝えられています。 歴史的にはほとんど不明で、規模こそ小さいが、外敵に対して堅固な山城だったようです。 太平洋戦争中は、高射砲人智として使われました。 公園に入ると湧水を受けて池があり、進めばすこし息ぎれのするのぼり坂、高い広場は城あとです。 春には、カタクリ、ニリンソウ…夏、秋、冬の草花も負けじと可憐に顔を出します。 小鳥も虫も林の中で生れ育ちます。
 (八王子市都市整備部公園課)
皆さんの公園です。 お互いにルールを守ってゴミは持ち帰り、楽しいきれいな公園にしましょう。
 (八王子市役所公園課)
彫刻広場
東屋の脇を通って園内へ入っていくと、 長崎の平和祈念像の作者として知られる故北村西望の自刻像をはじめとして、約20の彫刻像が点在しています。
西望自刻像
選文
日本を代表する彫刻家北村西望氏にゆかりのある公園として、ここに「西望自刻像」を設置する。 北村西望氏は、本市が進めている"彫刻のまちづくり"事業に共鳴され、 自然に恵まれた片倉城跡公園が、日本彫刻会主催の日彫展の特別賞である「西望賞」受賞作品の展示に ふさわしい場所であると自ら選定された。 八王子市では同氏の意向を受けて昭和56年度から自作の「浦島−長寿の舞」とともに 「西望賞」受賞作品を設置し、市民に親しまれる彫刻のある自然公園として整備している。
 (八王子市)
北村西望(1884〜1987)略歴
明治17年生まれ長崎県出身、東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科を卒業、 昭和33年文化勲章・文化功労賞を授与され、昭和55年名誉市民となる。 長崎の「平和祈念像」や「浦島−長寿の舞」を始め数多くの作品を残す。 昭和62年102歳で逝去。
はす池
入口の近くには「はす池」があります。 池には蓮が沢山浮かんでいて、水鳥や鯉なども泳いでいました。
お知らせ
平成16年5月末より、コイヘルペス病(KHV)が市内で発生しています。 まん延防止のため、当公園において、コイの持ち出し持ち込みを禁止します。 ご協力お願いいたします。
コイヘルペスのウィルス病の特徴
・コイ、ニシキゴイ以外の魚には感染しません。
・コイヘルペスウィルス病は人には感染しません。
 (八王子市公園課)
公園利用者へのお願い
柵の中には入らないでください。
 (八王子市公園課)
ほたる沼
彫刻広場から右手に続く道を進んでいくと、池が点在するようになります。 東屋や藤棚があったり、池の中にはボードウォークが設置されていたりして、雰囲気のいい場所です。
ほたる沼
この附近には、ホタルの幼虫の餌となる「かわにな」がいますので、水の中に入らないでください。 また、「かわにな」を取らないでください。
 (八王子市公園課)
水車小屋
ほたる沼の先には水車小屋があります。 せせらぎの水を受けて今でもゴトゴトと廻っています。 それ程の広さはありませんが、その昔の田園風景がよく保存されています。
犬の放し飼い禁止
 (八王子市公園緑政課、東京八王子東ロータリークラブ)
山火事防止
忘れるな 山の心得 火の始末
 (八王子市役所、八王子消防署)
奥の沢
水車小屋の右手にある棚田の奥から森の中へと入っていきます。 短い横木の階段を登っていくと、明るくて手入れの行き届いた雑木林が続いています。 奥の沢に架かる小さな木橋を渡って森の中を登っていきます。 分岐もありますが、先ずは「二の丸広場」を目指していきます。
小動物捕獲・植物採取禁止
 (八王子市役所、八王子自然友の会)
二の丸広場
雑木林を登りつめると二の丸広場に着きます。 一面に芝生の生えた広い場所になっていて、右手にはつつじが植えられていました。 広場の先の方には畑地が広がっています。 明るい日差しが降り注ぐ広場で、お弁当を広げるには格好の場所です。 ここにも「片倉城跡公園案内図」があるので参考にしましょう。
公園利用者へのお願い
1.自転車及びオートバイ等の乗り入れはやめましょう。
2.サッカー、硬いボールのキャッチボール、バットの使用、火遊びなど危ない遊びはやめましょう。
3.雨あがりの時は遊具が滑りやすいので注意しましょう。
4.保護者の方は幼児の一人遊びには充分注意しましょう。
5.犬のふんは飼い主の方が後始末をしましょう。
6.ゴミやタバコの吸いがらはもちかえりましょう。
7.公園の施設や樹木を大切にしましょう。公園は皆様のものです。きれいに使いましょう。
 (八王子市公園緑政課)
本橋
広場の手前側にある藤棚の横の「本橋」を渡って、その先にある本丸広場へと進んでいきます。 二の丸広場と本丸広場の間は少し窪んでいて、その上に「本橋」が架かっている形になっています。
本丸広場
本丸広場にも芝生が一面に生えていますが、 周りを樹木で囲まれていることもあって、二の丸広場よりも少し狭い感じがしました。
住吉神社
本丸広場の左手の細い道を降っていくと、遊び場の先に住吉神社があります。 この丘陵にあった片倉城の鎮守の神として勧請されたものだそうです。
住吉神社
鎮座地 八王子市片倉町2475番地
御祭神 上筒男命、中筒男命、底筒男命
由緒 鎌倉官領、片倉城主、長井大善大夫道広が、応安5年(1372)城の鎮守の神として、 摂津(大阪市)住吉大社を勧請したのである。 慶安2年(1649)10月17日、徳川三代将軍より朱印七石を受ける。 境内は城跡で、都の指定を昭和11年3月受ける。
例祭日 8月第4日曜日
附記 当神社には、嘉永4年(1851)川幡元右衛門泰吉およびその門人が「数学の実力がつきますように」 という祈願された算額が奉納されています。
都旧跡 片倉城跡
丘陵上に二本の空濠があって二つの郭に分かれている。 東の郭が城の主郭と思われ、「武蔵名勝図会」には「空湟深く、南の隅に当たりて掘切の外に高く築きあげたる 独立の地あり、物見櫓など構えたるにや」と見える。 西側の郭は「南の方に表口と見えて坂道の跡あり、平地へ入口のところは左右築地の間二、三間切れて見ゆれば、 ここは城門口なるべし」とあって、おそらく大手口であったろうと考えられる。 城の鬼門に住吉社があり、城主と目されている大江備中守師親が長門国住吉神社を勧請したものであると 言われるが確証はない。
 (東京都教育委員会)
神拝詞
祓え給い 清め給え 神ながら 守り給い 幸え給え
神拝詞三唱 二拝二拍手一拝
神社の正面にある短い石段を降りて、右手の坂道を降っていきます。 民家が見えてくると国道16号の片倉交番の横に出ます。 そばには「住吉神社参道入口」の標識が立っていました。
あそびのやくそく
1.道具を大切に使います。
2.草木をいたわります。
3.あとしまつをしっかりします。
4.助け合って仲よくあそびます。
5.決められた時間に帰ります。
 (由井二小児童会、由井二小PTA)
境内地内に自動車、オートバイ等の乗り入れを固くお断り致します。
 (住吉神社)
白山通り
右折して国道16号を進んでいきます。 片倉駅入口バス停を過ぎ、短い兵衛橋を渡っていきます。 歩道橋を過ぎた先にある日本文化大学入口の交差点を左折して、 住宅街の中に続く白山通りを緩やかに進んでいきます。 左右への分岐もありますが、ニセアカシアの並木が続く歩道を真直ぐに進んでいきます。
片倉第2跨道橋
信号のある交差点を過ぎていくと、やがて八王子バイパスの上に架かる片倉第2跨道橋があります。 橋を渡ってすぐ右手に道が二つ伸びています。 右手の道はバイパスへの道なので、左手の道へ入っていきます。
正面にパラボラアンテナを見ながら、石垣と金網に挟まれた道を進んでいくと、 アンテナの手前で、左手に登っていく長い石段が現れます。
犬のフンはあとしまつを
きれいなまちはマナーから
 (八王子市、北野台自治会)
長い石段を登りきって振り返ると、奥多摩の山々を背にした八王子の街並みが広がっています。 本コースの中で一番眺めが広がる場所です。 階段で疲れた足を癒しながら一息入れていきましょう。
すぐ先で道が二手に分かれています。 右手はパラボラアンテナへの道で、絹の道へは左手へ進んでいきます。 少し進んでいくと、「鑓水商人記念」,「日本蚕糸業史蹟」,「絹の道」と刻まれた石碑の建つ場所に着きます。 絹の道はここから右手へと続いていきますが、 左手の石段を登っていくと大塚山公園があるので、ちょっと立ち寄っていきましょう。
大塚山公園 (標高213m)
石段を登っていくと樹木に囲まれた大塚山公園があります。 奥の方には道了堂跡があり、今では礎石だけが残されています。 この時は多くの方が出て、公園内の落葉掻きをされていました。 石段の右手にある坂道を登っていっても公園に着きます。
大塚山公園
この公園は、明治8年(1875)に東京浅草の花川戸から勧進された道了堂の跡地につくられたものです。 道了堂は、生糸商人として活躍した鑓水の豪商達によって建立され、 多くの人々の信仰を集めたといわれています。 公園内には、その当時の石段や石碑が保存されており、往時をしのぶことができます。
 (八王子市教育委員会)
公園の奥には二等三角点の標石もあります。 貧相ながらも「大塚山213.5m」と書かれた手作りの標識もありました。
史跡への夜間の立ち入りは、大変危険なうえ、ご近所の迷惑になりますので、ご遠慮ください。
 (八王子市、八王子市教育委員会)
絹の道
大塚山公園から戻って、正面に続く絹の道を進んでいきます。 歩き出してすぐの所で左手へ分かれていく道がありますが、このまま真直ぐに進んでいきます。 左手には円筒形をした東京都水道局の鑓水給水所が見えています。
雑木林の中に、広くて歩きやすい道が続いています。 その昔には、生糸商人がこの道を通って生糸を運んでいったそうです。
私の前方を年配の方が歩いていました。 近所の方のようで、毎日の散歩コースになっているのでしょうか。
12分ほど歩いていくと、土の道から舗装された道へと変わります。
民家が点在する道を緩やかに降っていくと、正面に車道が見えてきます。 絹の道はこの先へも続いていますが、昔の雰囲気が残っている道はここで終りになります。 16分ほどの短い道でした。
車道に出た所に庚申塔や供養塔がありました。 桜の木も一本生えていて、春には彩りを添えるようです。
市指定史跡 絹の道
指定区間 御殿橋から大塚山公園(道了堂跡)まで
安政6年(1859)の横浜開港から明治はじめの鉄道の開通まで、 八王子近郷はもとより長野・山梨・群馬方面からの輸出用の生糸が、 この街道(浜街道)を横浜へと運ばれました。 八王子の市にほど近い鑓水には生糸商人が多く輩出し、 財力もあって地域的文化も盛んとなり、鑓水は「江戸鑓水」とも呼ばれました。 なお、この「絹の道」という名称は、地域の研究者が昭和20年代の末に名づけたものである。
 (八王子市教育委員会)
絹の道入口 車両進入禁止
(ただし、関係車両を除く)
 (八王子市教育委員会)
絹の道資料館
道標「絹の道 鑓水公会堂」に従って、正面に延びる車道を少し進んでいくと、 鑓水村の名主であった八木下要右衛門の屋敷跡に建てられた「絹の道資料館」があります。 絹の道に関する色々な展示がされているので、ちょっと立ち寄っていきましょう。 入口で「横浜市…」と記帳してから入っていきます。 「絹の道物語」と題して、この道が歩んできた歴史なども紹介されていました。 パンフレットなども貰えるので参考にしましょう。 資料館の中には休憩室が、敷地内には東屋もあって、 絹の道を訪れた人達の休憩所としても利用されているようです。
展示室ごあんない
本日はようこそ「絹の道資料館」へいらっしゃいました。 その昔、日本がまだ東洋の小国であった頃、多摩丘陵の一寒村にすぎなかった鑓水村が、 遠くアメリカやヨーロッパから「江戸鑓水」と注目を浴びたことがありました。 それはこの村から生糸の貿易に携わる多くの商人が出てきた事によるものでした。 山間の小さな農家の片隅で引かれた細い生糸は、太い束となり大きな荷駄となって、 「絹の道」を通り抜け、港へ集められ、世界へ旅立って行ったのです。 当館では、幕末から明治にかけて「絹の道」を舞台に、 生糸と生糸にかかわった人々のドラマを、いくつかの資料により解説しています。 どうかごゆっくり楽しんでいって下さい。
絹の道と整備計画
市史跡「絹の道」は、幕末から明治期にかけて、主に生糸を運んだ交通路として 歴史的意義があることが認められ、昭和47年に指定を受けました。 その後、周辺の環境がしだいに変わり、絹の道の歴史的な雰囲気もそこなわれかねないようになってきました。 そこで市では昭和60年に、絹の道の保全と環境整備を目的として、基本構想を策定しました。 その構想の中には、旧道了堂のあった大塚山を公園として整備し、絹の道に沿った自然を できるだけ守るなどの方策と、さらに絹の道史跡の中心的な施設として、 休憩所を兼ねた資料館をもうけることが示されました。 この計画にしたがって、昭和62年から、かつての鑓水の豪商、八木下要右衛門屋敷跡に見学者のための施設建設が始められ、 発掘調査による遺構の確認や、石垣の復元などを経て建物の建築が進められました。 そして鑓水商人屋敷の景観を充分に想像させる木造の門や塀をめぐらせ、入母屋風の屋根をもった本館が完成しました。 その後、資料館としての展示作業が加えられて、平成2年3月に開館をみました。
 (出典:絹の道資料館パンフレット)
資料館の前には田畑があって、刈り取りが終わった稲が稲木に干してありました。 その昔にはこのような光景がずっと広がっていたのでしょうが、 宅地化の波に押されて、残されている田畑もかなり減ってきているようでした。
御殿橋
道路を道なりに降っていくと、大栗川に架かる御殿橋があります。 先ほどの解説板によると、絹の道はここで終りということになります。
八王子道道標
御殿橋の左脇には、かつて集落の人が使った八王子道の道標があります。
八王子道道標
この道標は、輸出品の花形であった生糸を横浜へ運ぶ時の道しるべとして慶応元年(1865)に建てられました。 当時、この道すじには家屋敷が建ち並び、外国人等も往来し、大変なにぎわいをみせていました。 生糸の仲買人として活躍したこの地の商人達は、鑓水商人として後世にその名を残しています。 その姿は道標の正面に描かれています。 なお、この道標は、御殿橋南側にあった旧鑓水公会堂横に建てられていましたが、 大栗川の改修工事に伴い、昭和63年に現在の場所に移されました。
 (八王子市教育委員会、八王子市鑓水町会)
八王子道道標を過ぎ、大栗川に沿って進んでいきます。 しばらく行って嫁入橋を渡ると谷戸入口の十字路があります。 その右手に鑓水中央バス停があります。
小泉家屋敷
十字路の正面の道を少し進んでいくと、 有形民俗文化財に指定されている小泉家屋敷があるので、ちょっと立ち寄っていきましょう。 個人宅なので中に入ることはできません。 外側からそっと眺めるだけにしておきましょう。
東京都指定有形民俗文化財 小泉家屋敷
小泉家の主屋(建築面積112u)は明治11年(1878)に再建されたものであるが、 入母屋造り・茅葺き・田の字形四間取りで、この地方に旧来からみられる典型的な民家建築の様式を示している。 屋敷地の面積は約33.2アールで、南面した道路沿いは宅地、田畑地となっており、 背後の畑地から北側にかけては山林で、次第に高くなり尾根に達している。 変化に富む敷地内には主屋のほか、納屋・堆肥小屋・稲荷社・胞衣塚・板碑などが散在し、 多摩丘陵地域の一般的農家の屋敷構・生活形態を知る上で貴重な民俗資料となっている。
 (東京都教育委員会)
庭先では季節の野菜などが無人販売されていました。 何だか、暖かい心が伝わってくるようです。
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サツマイモ ポリフェノール、植物繊維
ガン予防、動脈硬化、高血圧症、便秘、美肌
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高血圧症、肝臓病、糖尿病、胃、十二指腸、便秘
ネギ アリシン、βカロチン、ビタミンC、カルシウム
動脈硬化、風邪、健胃、冷え性、疲労回復、鎮静剤
ネギ有ります。納豆にはやっぱりネギがなくちゃ!!
かりん(そのままでは食べれません)
かりん酒にどうぞ。 カリウム、カロテン、ビタミンE・C、せき・たんを取る効果がある。
鑓水中央(やりみずちゅうおう)バス停
橋本駅(JR横浜線)まで、橋本駅行きバスにて10分、1時間に1本から2本程度の便があります。
道路の向かい側からは、南大沢駅(京王相模原線)までの便が、1時間に1本から2本程度あります。