|
【街角散策】 祇園山
| 概 要 |
祇園山は鎌倉市にある低い山で、
八雲神社から東勝寺跡まで続く「祇園山ハイキングコース」も設定されています。
街中で手軽に山歩きの雰囲気を味わうことができる短いコースです。
コースの途中からは鎌倉の街並みや海浜などを見渡すこともできます。
|
| 起 点 |
鎌倉市 鎌倉駅
|
| 終 点 |
鎌倉市 鎌倉駅
|
| ルート |
鎌倉駅…若宮大路…八雲神社…祇園山…腹切やぐら…東勝寺跡…東勝寺橋…滑川…紅葉山やぐら…妙隆寺…日蓮上人辻説法跡…本覚寺…妙本寺…鎌倉駅
|
| 所要時間 |
2時間30分
|
| 歩いて... |
低い尾根筋に緩やかな山道が続いています。
息が切れることもなく、45分ほどで歩くことができるハイキングコースです。
この日は時々霧雨が降る天気でしたが、散策には何とか支障もなくて済みました。
鎌倉の街には多くの寺社や史跡もあるので、時間の許す限り訪ねてみましょう。
|
| 関連メモ |
鎌倉回峰,
祇園山,
衣張山,
名越切通,
名越切通,
鎌倉七福神
|
コース紹介
 |
鎌倉(かまくら)駅
鎌倉駅(JR横須賀線)の東口から歩いていきます。
|
 |
若宮大路
バスターミナルの先の広い道を50mほど進んでいくと若宮大路があります。
左手に行くと、段葛を通って鶴岡八幡宮へと続いていますが、
今回は交差点の横断歩道を渡って右手へと進んでいきます。
日本の桜名所100 若宮大路
若宮大路の桜は、大正7年、鶴岡八幡宮の段葛に植えられたのを手始めに、
かまくら緑の会がその帯を伸ばし、神奈川県・鎌倉市の協力を得てきました。
遠い昔から春毎に桜は日本の人々の心に語りかけてきました。
若宮大路を訪れる人にこの桜が喜びとやすらぎをもたらしますように。
(神奈川県、かまくら緑の会、日本さくらの会、日本花の会)
|
 |
郵便局を過ぎていくと横須賀線の陸橋があります。
このまま若宮大路を進んでいくと由比ヶ浜や材木座海岸へ行けますが、
今回は陸橋の手前を左折して線路沿いの道を進んでいきます。
|
 |
滑川に架かる大町橋を渡っていきます。
右手に分かれていく踏み切りを見送って更に街中を進んでいくと、
「八雲神社」の看板が立っているので、そこの路地を左手に入っていきます。
|
 |
八雲神社
路地を少しいくと八雲神社があります。
鳥居をふたつくぐって参道を進んでいくと本殿があります。
八雲神社略記
| 祭神 |
須佐之男命、稲田比賣命、八王子命、佐竹氏の霊
|
| 由緒 |
永保年中、新羅三郎源義光公の勧請と伝う。
室町時代、関東官領足利成氏公は公方屋敷に渡御した当社の神輿に奉幣を行うを例とした。
戦国時代、小田原城主北條氏直公は祭礼保護の「虎印禁制状」を下賜し、
慶長9年、徳川家康公は永楽五貫文の朱印地を下賜された。
古くは祇園天王社と称したが、明治維新に八雲神社と改称された。
|
| 祭礼 |
祭礼の神輿渡御に伴う「天王唄」や「鎌倉ばやし」の神事芸能を伝え、正月6日には「湯花神楽」が行はれる。
|
ご参拝の作法(二拝二拍手一拝のしかた)
まず、拝礼(90度に腰を折り頭を下げる)を二回繰り返す。
次に、両手を胸の高さで合わせ、二回拍手して祈る。
おわりに、もう一度拝礼を行う。
当分の間、犬の散歩 禁止します。
(社務所)
|
 |
登山口
本殿の右手に「祇園山ハイキングコース 祇園山0.3km」の道標があります。
ここから祇園山ハイキングコースが始まります。
本殿の右手奥の鳥居の横から境内を出て石段を登っていきます。
「祇園山ハイキングコース登山口」の看板もありました。
|
 |
金網沿いの石段を2分ほど登っていくと、樹木が途切れて景色を見渡せる所がありました。
鎌倉の街並みの向こうには由比ヶ浜が広がっていました。
|
 |
石段から山道に変わっていくと分岐があります。
道標もなくてどちらへ行けばいいのか迷いますが、そのまま正面の道を進んでいきます。
左手に戻るようにして登っていく道を行っても、最終的には同じ所に着きます。
|
 |
少し進んでいくと尾根道に出ます。
ここにも道標がなくてどちらへ行けばいいのか悩む所ですが、
ハイキングコースは左手へと続いています。
右手へ少し行った所に祇園山があるので、ちょっと立ち寄っていきましょう。
|
 |
祇園山
右手に尾根道をほんの少し行くと祇園山の頂上に着きます。
小高くなった場所ですが、周りの樹木が邪魔をして、残念ながら展望は余りよくありません。
僅かに開けた所から鎌倉の街並みや海浜を見渡せる程度です。
ベンチ等はなく、コンクリート製の四角い囲いと、
そこから見える四方の名前を記した案内図があるだけでした。
それによると、北には横浜港・東京・相模湖、西には丹沢山塊・富士山・箱根・真鶴・伊豆半島、
南には伊豆大島・城ヶ島、東には木更津・房総半島・横須賀と記されています。
周りに樹木がなければ見渡せるということなのでしょうが、ちょっと残念ではあります。
ただ、ここが祇園山である旨の説明はなく、本当にここが祇園山なのか、一抹の不安は残ります。
危険!
この先 断崖 絶壁
通り抜けできません
(鎌倉市)
|
 |
祇園山の先は行き止まりなので、先ほどの所まで引返し、尾根道を進んでいきます。
ほんの少し登った所で、左手から道が合流してきます。
最初の「左手に戻るようにして登っていく道」から続いている道です。
その道を合わせて、正面へと更に尾根道を進んでいきます。
|
 |
杉林や雑木林の中に緩やかな尾根道が続いています。
小さくアップダウンする箇所もあったりしますが、ほんの数m程なので大したことはありません。
道は結構しっかりとしていて、道標は少なめですが迷うようなことはありません。
持ち帰ろう 古都の香りと あなたのゴミを
(鎌倉市観光協会、鎌倉史跡パトロール隊)
|
 |
祇園山から8分ほど進んでいくと、左手に細い山道が分かれていきます。
余り歩く人がいないのか、道は草で被われていました。
後日に左手の山道を歩いてみました。
かなり傾斜のある細い道が植林帯に続いていました。
日陰の斜面なのかシダ植物が繁茂していましたが、しっかりと道は確認できました。
尾根から3分ほど降っていくと、真ん中に手摺の設置された石段の途中に降り立ちました。
そこから石段を左手へ降っていくと、妙本寺の祖師堂の脇に降りていけました。
たきび・たばこ 火気に注意
山火事から緑を守りましょう
(鎌倉市消防本部)
|
 |
分岐を直進して更に尾根道を5分ほど進んでいくと道標がありました。
白塗りの板に手書きで「祇園山ハイキングコース」と記されていました。
最初の登山口からここまで道標がなかったので、この道でいいのかと少々不安になりながら歩いてきましたが、
やっと見かけた道標にひと安心したりします。
|
 |
道標を過ぎていくと水色のフェンスが現れます。
フェンスを右に見ながら進んでいくと民家の横に出ます。
これで山道は終りなのかとも思いますが、もう少し続いています。
|
 |
しっかりとした山道を更に6分ほど進んでいくと、道が直角に左へ曲がっている所に着きます。
尾根道はこの先にも続いているようですが、歩く人が少ないのか、余りはっきりとはしていません。
ここにも白塗りの板に手書きで「祇園山ハイキングコース」と記された道標がありました。
鎌倉市観光協会が設置した道標のようです。
道標「腹切やぐら」に従って、左へ曲がっていきます。
後日にこの先に続く尾根道を歩いてみました。(「 祇園山」を参照)
火気に注意
緑の山を火事から守ろう
(鎌倉市消防本部)
|
 |
3分ほど進んでいくと、石燈籠がある巌窟がありました。
洞の中には小さな社もありました。
これが「腹切やぐら」なのかと思いましたが、どうやら違うようです。
本物はもう少し先にありました。
|
 |
2分ほど進んでいくと横木の階段が現れます。
その先には民家が見えています。
これで山道は終りになります。
八雲神社の登山口から45分ほどの短いハイキングでした。
降りた所には「祇園山ハイキングコース1.0km、鎌倉駅1.2km」の道標もありました。
右手すぐの所に「腹切やぐら」があるので、立ち寄っていきましょう。
そばには「東勝寺舊蹟」の石碑が建っていました。
東勝寺舊蹟
元弘三年五月 新田義貞鎌倉ニ乱入スルヤ高時小町ノ邸ヲ後ニ父祖累世ノ墓所東勝寺ニ籠リ
百五十年来殷賑ヲ極メシ 府下邸第肆廛ノ令ヤ一面ニ焔煙ノ漲ル所トナレルヲ
望見シツツ一族門弟八百七十余人ト共ニ自刃ス其ノ北條執権史終局ノ惨澹タル一齣ハ
實ニ此ノ地ニ於テ演ゼラレタルナリ
大正七年三月建之
(鎌倉町青年会)
|
 |
腹切やぐら
山腹に開けられた岩窟です。
中には塔婆が沢山あり、祭壇には献花もされていました。
腹切やぐら
霊処浄域につき、参拝者以外の立入を禁ず
(宝戒寺)
|
 |
東勝寺跡
横木の階段も終わって舗装された道になります。
民家のそばを過ぎていくと、自転車保管場所の対面に東勝寺跡があります。
小広い場所ですが、今では草が生い茂るだけとなっています。
国指定史跡 東勝寺跡
東勝寺は、13世紀前半に鎌倉幕府の三代執権北條泰時が創建した寺院です。
元弘3年(1333)、新田義貞らの鎌倉攻めの時、北條高時以下の一族郎党が
ここにたてこもり、火をかけて最後をとげました。
寺はその後直ちに再興され、室町時代には関東十刹の第3位に列する名刹となりましたが、
戦国時代には廃絶したとされています。
北條得宗家の氏寺跡、鎌倉幕府滅亡の地として政治史的に極めて重要な遺跡で、
昭和51年、平成8・9年に行った発掘調査により寺院跡の一部が確認されています。
※得宗…執権北条氏の嫡流(家督)のこと。
(鎌倉市教育委員会)
|
 |
東勝寺橋
坂道をまっすぐに降っていきます。
東勝寺橋ひぐらし公園の先に、滑川に架かる東勝寺橋があります。
丁度お客を乗せた人力車が来ていました。
鎌倉では観光用として此処彼処に人力車が見られます。
◇この川は滑川といって鎌倉で一番大きな川になります。
水が少ししかありませんよね。川床をなめるようにして流れているので滑川(なめりがわ)と言うんです。
◇一年中少ないんですか。
◇はい、昔からずっとそうなんです…。
曳き手がお客に何やら説明をしていました。
東勝寺橋
東勝寺橋は、鉄筋コンクリートが積極的に導入された震災復興期の大正13年(1924)に
建造されたアーチ構造の橋です。太く安定感のあるアーチング、V字形の谷間との微妙なバランスなど、
その美しい姿は多くの人に愛され、平成11年(1999)には「かまくら景観百選」に選定されました。
(鎌倉市)
|
 |
滑川
東勝寺橋を渡っていくとT字路があります。
鎌倉駅へはまっすぐに進んでいくのですが、右手を指す「紅葉山やぐら180m」の道標に従って、
紅葉山やぐらへ立ち寄っていきましょう。
せせらぎ「滑川」
せせらぎ「滑川」は、朝比奈峠を源流とし、全長5.6km。
その由来は、川床をなめるように流れている…というのが原名です。
なめり川は、なぜか多くの文人墨客が好んで暮したまちを、ゆったりと流れ、由比ヶ浜にたどりつく…。
かまくらならではの古都のたたずまいと、由緒ある文化の薫りが、ここからもうかがわれます。
神奈川県は、建設省・鎌倉市・財団法人砂防フロンティア整備推進機構の支援のもとに、
平成7年(1995)「滑川渓流再生事業検討委員会」(地域内の自治・町内会長を中心に、各界各層の
学識経験者で構成)を設置。7年間にわたり、上流の華の橋から宝戒寺橋までの1.5kmの渓流環境を再生。
「かまくら景観百選」に選定されている当地域は、滑川再生事業の重点地域として、
全国"せせらぎ"のモデルにもなっています。また、歴史的風土特別保存地区だけに、
宝戒寺橋から眺める滑川の四季おりおりの景観、若宮大路や鶴岡八幡宮のにぎわいとは無縁の静寂、
それに、鎌倉唯一のライトアップに浮かぶ史跡「紅葉山やぐら」の幻想的夜景は、まことにみごとなものです。
この地域は、鎌倉幕府の実力者・旧跡「北條執権邸」内にあり、
平成13年(2001)のHNK大河ドラマ「北條時宗」(第8代執権・1251-1284)生誕の地ともいわれ、
文永・弘安の役の二度にわたる蒙古襲来を撃退。
"神風"とともに、日本の歴史に名跡を残しました。
せせらぎの 川面にゆれる 木もれ月 萩村
(神奈川県、鎌倉紅葉山自治会)
|
 |
紅葉山やぐら
滑川に架かる宝戒寺橋を渡っていくと、すぐに紅葉山やぐらがあります。
史跡「紅葉山やぐら」
史跡「紅葉山やぐら」は、昭和10年(1935)に発見され、五輪塔や納骨、それに"海蔵寺十六井"と
全く同じものが出土しておりますが、その時代考証からも、北條執権ゆかりの納骨といわれております。
平成11年(1999)の大崩落後の神奈川県教育委員会の調査でも"十六井"が再確認されています。
鎌倉付近では、山腹の岩(第三紀層の凝灰岩質)をくりぬいて作った穴を「やぐら」と呼んでおり、
鎌倉時代から室町時代における上層階級の墳墓とされております。
この奥にある穴は、第2次世界大戦時の防空壕の跡ですが、
鎌倉西口駅前公園にあるラングドン・ウォーナー博士(1881-1958、米国)の顕彰碑にもあるとおり、
若かりしころ、東京美術学校(現在の東京芸術大学)に留学、
岡倉天心に私淑した同博士(テオドル・ルーズベルト大統領の女婿)は「文化は戦争に優先する」と、
京都・奈良・鎌倉の三古都を中心に「日本の重要文化財リスト」を作成。
そのおかげで、多くの重要文化財が戦禍から救われました。
この地域は、鎌倉幕府の実力者・旧跡「北條執権邸」(歴史的風土特別保存地区)内にあり、
平成13年(2001)のNHK大河ドラマ「北條時宗」(第8代執権・1251-1284)生誕の地ともいわれ、
文永・弘安の役の二度にわたる蒙古襲来を撃退。
"神風"とともに、日本の歴史に名跡を残しました。
もののふの 諸行無常の 鐘の声 永久に眠らぬ 紅葉山やぐら 萩村
(鎌倉市教育委員会、鎌倉市紅葉山自治会)
|
 |
妙隆寺
先ほどのT字路まで引き返し、鎌倉駅へと進んでいきます。
突き当たりのT字路を、道標「妙隆寺200m、鎌倉駅700m」に従って左折していくと妙隆寺があります。
境内には、鎌倉・江の島七福神のひとつ「寿老人」が祀られています。
妙隆寺
叡昌山妙隆寺と号する日蓮宗の寺で、開山は妙親院日英、本尊は日蓮上人です。
日親が法華経弘通のためその忍力を試す為、寒中百日間水行されたといわれる行の池があります。
又、寺宝として日親承認の親筆曼荼羅があります。
鎌倉・江の島七福神 寿老人 妙隆寺
当寺は、源頼朝の御家人・千葉常胤の子孫 千葉大隅守平胤貞の旧地で、
明徳4年(1393)七堂伽藍を建立し、妙親院日英上人を迎えて開山しました。
応永34年(1427)の冬第二祖・日親上人は21才の時、当寺に来て堂前の池で寒百日間、
水行などの修行を積み、京へ上り立正治国論の一書を足利義教将軍に献じて、
政道を諌めようとしましたが捕えられ、拷問の末、ついには焼き鍋をかぶせられる極刑を受けました。
後年、なべかむり日親と呼ばれるようになった。
日親上人のゆかりの妙隆寺には黷フ一木造りの寿老人の尊像が安置されています。
人々の安全と健康を守り長寿を司る福神です。
お供の鹿はそのお使いで、三千年の長寿を象徴しているのだそうです。
鎌倉・江の島 七福神
相模の海に 春の陽ざしと 幸せと…
江島神社(弁財天)、御霊神社(福禄寿)、長谷寺(大黒天)、本覚寺(夷寿神)、
妙隆寺(寿老人)、宝戒寺(毘沙門天)、浄智寺(布袋尊)、鶴岡八幡宮(弁財天)
|
 |
日蓮上人辻説法跡
妙隆寺を出て少し進んでいくと、日蓮上人辻説法跡があります。
日蓮上人辻説法跡
承久4年(1222)、安房国に生まれた日蓮上人は、比叡山に登り修業をつんだのち、
「南無妙法蓮華経」の題目をとなえ法華経の宣言をしました。
その後、鎌倉に来た日蓮は法華を広く普及させるため、この附近の辻に立って民衆に説法をしたと伝えられています。
日蓮上人辻説法址
此邊ハ往時ニ於ケル屋敷町ト商家町トノ境ヲナス地点ニ位シ
幕府ニ近キコトトテ殷賑ヲ極メシ所ナリ
建長五年五月日蓮聖人房州ヨリ鎌倉ニ来リ松葉ヶ谷ニ草庵ヲ結ビ
日ニ日ニ此邊リノ路傍ニ立チ弘通ノ為民衆ニ封シ獅子吼ヲ続ケシ址
ナリトテ世ニ辻説法ノ舊蹟ト傳ヘラル
(鎌倉町青年団)
|
 |
本覚寺
大巧寺への入口を見送って更に進んでいくと、夷堂橋の手前に本覚寺があります。
本覚寺
妙巌山本覚寺と号し、往古夷堂の跡地に建てられました。
日蓮上人はこの夷堂に留場し、ここから身延山に行かれました。
開山は日出上人、二代目は日朝様として知られています。
境内に政宗代々の墓、及び応永時代の梵鐘があります。
|
 |
本覚寺の境内には、鎌倉・江の島七福神のひとつ「夷尊神」が祀られている大きな夷尊堂もあります。
夷堂橋
鎌倉十橋ノ一ニシテ此邊ハ往昔夷堂アリシトイウ
此川ハ上流ニテ胡桃川ト云ヒ浄明寺前ニ至リ滑川ノ名アリ
文覚屋敷ト傳ヘラルル邊ハ坐禅川ト唱ヘ此邊ハ夷堂川ト呼ビ
延命寺ノ傍ヨリすみうり川ト名ツケ閻魔堂址の邊ニテハ閻魔川トイフ
(鎌倉町青年団)
|
 |
本覚寺の手前から右手に入る道を進んでいくと鎌倉駅前の若宮大路に出ますが、
夷堂橋の先に妙本寺があるので、ちょっと立ち寄っていきましょう。
橋を渡って、左手の道をまっすぐに進んでいくと、妙本寺の山門があります。
山門をくぐって更にまっすぐに進んでいきます。
道端には「妙本寺周辺観光案内図」があるので参考にしましょう。
鎌倉駅周辺の観光スポットが紹介されています。
今回歩いた「祇園山ハイキングコース」も載っています。
|
 |
まっすぐに進んでいくと、やがて欝蒼とした森になります。
正面には妙本寺への石段が見えてきます。
風致保安林
保安林内で知事の許可なく次の行為をすることは禁止されています。
立木竹の伐採・立木の損傷・家畜の放牧・下草落葉落枝の採枝・土石樹根の採掘・開墾その他土地の形質を変更すること。
(注)これに違反した場合は、森林法の規定により処罰されます。
(神奈川県自然保護課)
|
 |
妙本寺
石段を登り大きな山門をくぐっていくと、妙本寺の本堂「祖師堂」があります。
妙本寺
山号を長興寺といい、開山は日朗、開基は比企能員の子・熊本で、
文応元年(1260)の建立と伝えれています。
この辺を比企が谷といい、鎌倉時代には比企一族が住んでいました。
全国の日蓮宗院中で最古の寺です。
比企能員邸址
能員ハ頼朝ノ乳母比企禅尼ノ養子ナルガ
禅尼ト共ニ此ノ地ニ住セリ此ノ地比企ケ
谷ノ名アルモ之ニ基ク能員ノ女頼家ノ寵
ヲ受ケ若狭局ト稱シ子一幡ヲ生ム建仁三
年頼家疫ムヤ母政子関西ノ地頭職ヲ分チ
テ頼家ノ第二幡ニ授ケントス能員之ヲ憤
リ密ニ北條氏ヲ除カント謀ル謀泄レテ卻
ッテ北条氏ノ為一族此ノ地ニ於テ滅サル
(鎌倉町青年団)
|
 |
鎌倉(かまくら)駅
妙本寺から夷堂橋まで引返し、その先の本覚寺の右手にある道へ入っていきます。
まっすぐに進んでいくと、郵便局の脇の若宮大路に出ます。
ここからは元来た道を鎌倉駅(JR横須賀線)へと戻っていきます。
|
|