嵐山
散策:2004年09月中旬
【低山ハイク】 嵐山
概 要 嵐山は相模湖の東側にある低い山です。 東海自然歩道のルートにも選ばれている山で、間の山というのが正しい名前のようです。 しかし、京都の嵐山と景観が似ていることから、いつしか嵐山と呼ばれるようになったとのことです。
起 点 相模湖町 相模湖駅
終 点 相模湖町 ピクニックランド前バス停
ルート 相模湖駅…相模湖大橋…相模ダム…嵐山登り口…嵐山…休憩所…鼠坂…ピクニックランド前バス停
所要時間 2時間30分
歩いて... 今回のコースは歩く人が少ないのか、ハイカーには一人しか出会いませんでした。 静かな散策を楽しめましたが、季節がら夏草が生い茂っていて、道を被っている所もありました。 晩秋から早春にかけての季節の方が歩きやすいかも知れません。
関連メモ 小仏城山
コース紹介
相模湖(さがみこ)駅
相模湖駅(JR中央線)から歩いていきます。
駅の左手に見えているピラミッド型の山が目指す嵐山です。 改札口を出た所にあるバスターミナルの先に観光案内所があります。 そこで観光ガイドマップをもらってから出かけましょう。 陣馬山・景信山・高尾山・嵐山・石老山などのハイキングコースが紹介されています。
相模湖駅開業百年の歩み
与瀬駅(現相模湖駅)が誕生したのは明治34年8月1日であり、 神奈川県の北門といわれ、津久井の北玄関とまで称されるほどでした。 位置は現在と同じ与瀬町1385番地にあり、以前は附近一帯、一面の溝田であった所に駅が構築されました。 当時は老婆など切符のことをお札様と呼び、 汽車が通行中でも手を上げれば止めてくれたほどであったといわれています。 現在においては、相模湖の出現に伴い、観光の駅として一躍内外に知られるようになりました。
 (津久井郡勢誌より)
駅前の「相模湖 ようこそ SAGAMIKO」のゲートをくぐっていきます。 100mほど先の相模湖駅前の十字路を左折して国道20号を進んでいくと、 相模湖町与瀬の歩道橋があります。 その先で道が二手に分かれているので、右手の細めの道を降っていきます。
小学校の裏門を過ぎ、地域作業場「やまのべ館」を過ぎていきます。 相模ダム管理所の前を右手へ曲がっていくと、ちょっとした広場があります。 ここから相模湖大橋の全景を望めます。
相模湖
わが国最初の河川総合開発事業としてつくられたこの人造湖を相模湖と命名しました。 相模湖は豊富な水道用水やかんがい用水を県内各地へ供給するとともに、発電、こう水調節等に利用され、 また風光明美な観光地として、産業の発展と県民福祉の増進に大きな役割を果たしています。
 (神奈川県知事)
相模湖エリアご案内
相模湖を中心にハイキングコースやキャンプ場、釣り場など自然と調和したレクリエーション施設と、 古い旅籠の名残や、由緒ある社寺などがある緑ゆたかな「ふれあい」と「やすらぎ」のリゾート地です。
【相模湖】  昭和22年に完成した水道用水、農業用水の確保と発電、そして洪水調整を目的とした日本最初の多目的ダムで、 ダムの高さ58.4m、長さ196mの重力式コンクリートダムである。 ダムとともに誕生した相模湖は神奈川県最初の人造湖で、面積は約3.26ku、総貯水容量は63,200,000立方mである。
【美女谷伝説】  浄瑠璃や歌舞伎で知られる「小栗判官と照手姫」の物語。 照手姫は小仏峠の麓の「美女谷」に生まれたと伝えられ、その美貌が地名の由来になったともいわれています。 北面の武士だったという父と優しい母から生まれた照手姫は、美しい娘に成長し、 美女谷川上流の七ッ淵で豊かな黒髪をすくその姿は、まばゆいばかりの美しさを放ち、 里の若者を魅了していたといいます。 然し不幸にも両親が相次いでこの世を去り、いつしか照手姫の姿は美女谷の里から消えてしまいました。 その後、数奇な運命をたどった照手姫は、相州藤沢宿で小栗判官満重と劇的な出会いをしますが、 満重は盗賊に毒殺されてしまいます。しかし、姫の必死の想いが通じたのか、 遊行上人という名僧のお陰で蘇生し常陸の国の小栗城に帰り、照手姫を迎え末永く幸せに暮したといいます。
【石老山の伝説】  今から千百年あまり前のこと、当時の宮人三条貴承卿の若君が、八条殿の姫君と恋に落ち、 二人は都を出て相模川上流の巨岩を屋根にした巌窟「道志巌窟」に愛の巣をいとなんだ。 やがて一女一男が生まれた。男の子は巌窟にちなんで岩若丸と名付けられた。 若君は子どもの再会の証として、もっていた「銀鏡」を切断し一片を渡し、 「道志法師」となって諸国行脚に出た。 その後、成長した岩若丸は、残された鏡を手がかりに父母を探す旅に出て、 苦労の果てに父母と再会し、幸せな生活を送った。 父母の死後、岩若丸は名を「源海」と改め、再び相模の「道志巌窟」にもどり、851年(仁寿元年)に寺を建てた。 古い石の山から寺の号を石老山といい、鏡から顕鏡寺と呼んだという。 寺の号をとってその山を石老山と呼ぶようになったといいます。
相模湖大橋
広場の先にある道標「相模ダム」に従って、左下へと続く石段を降っていきます。 車道に降りて正面にある相模湖大橋を渡っていきます。
お願い
相模湖ではアオコ(植物プランクトン)の発生を防止するために、 湖底に「空気揚水筒」が8箇所設置されています。 その付近の水面では15〜20秒間隔で空気(水泡)が吹き出します。 波が立ち、ボートや釣り舟などは、流されたり水しぶきがかかることがありますので、 近づかないようにしてください。
 (神奈川県企業庁利水局)
橋上での釣り禁止
 (神奈川県津久井土木事務所、神奈川県津久井警察署)
相模ダム
相模湖大橋を渡って左折していくと相模ダムがあります。
(写真は相模湖大橋の中程から写したものです)
利水使用標識
河川名1級河川 相模川水系相模川
水利使用の目的発電(水道及び工業用水道)
取水量発電 85.00立方m/s
貯留量4,820万立方m
施設管理者神奈川県企業庁利水局相模川水系ダム管理事務所
所轄事務所国土交通省関東地方整備局京浜河川事務所
相模発電所
相模ダムのすぐ先に相模発電所があります。
神奈川県企業庁 相模発電所
最大出力31,000キロワット
使用水量毎秒85.00立方メートル
有効落差43.50メートル
発電開始昭和22年2月
相模発電所のおいたち
相模発電所は、相模川河水統制事業として昭和20年2月に2号機が、また、 昭和22年7月に1号機が完成し、最大出力28,700KWのダム式発電所としてスタートしました。 その後、昭和36年に最大出力31,000KWの発電所に増強され、 県営発電所の中でも重要な発電所として働き続けてきました。 しかし、運転を開始してから40年余りを経過し、水車や発電機をはじめ水路設備、建物など 発電所の各所に劣化現象が目につくようになりました。 そこで、神奈川県企業庁電気局では発電所を新しくするための相模発電所改造事業を計画し、 昭和61年4月から工事に着手しました。 そして、昭和63年4月1日に2号機が、平成元年7月1日に1号機がそれぞれ運転を開始し、 相模発電所は新しく生まれ変わりました。
嵐山登り口
発電所の少し先に嵐山への登り口があります。 そばには東海自然歩道の標識「嵐山0.8km」も立っています。 また、「産靈宮水上神社参道」と記された石標も立っていました。
山火事から自然を守ろう
 (津久井郡消防署)
火気に注意
 (神奈川県)
桧や雑木の林の中に続く山道をジグザグに登っていきます。 かなり傾斜もあるので、ゆっくりと登っていきましょう。
鳥獣保護区
この附近は鳥獣保護区内です。 狩猟は一切できません!
 (神奈川県)
保安林区域
この区域は森林がもっているいろいろな働きを守るため、保安林に指定されています。 保安林内で木を伐採したり、植物や土石を採取するときは許可が必要です。 詳しくは右記へお問い合わせ下さい。
 (神奈川県津久井地区行政センター森林保全課)
15分ほど登っていくと尾根筋に着きます。 西側が開けていて、相模湖町の街並みを見渡すことができます。 標識もありましたが柱だけになっていて、「嵐山」への道を示す板切れは袂に落ちていました。 長年の風雪のためか、東海自然歩道もかなり傷みがきているようです。
しばらくは緩やかな尾根道が続きます。 秋も深まってくると、周りの木々が紅葉して綺麗なのだろうと思います。 緩やかな尾根道も長くは続かず、再び傾斜が急になってきます。
木を折るな 山の緑は万人の宝
 (神奈川県)
嵐山 (標高406m)
15分ほど登っていくと、三等三角点のある嵐山の頂上に着きます。 登り口から30分ほどで到着です。 テーブルやベンチが幾つか設置された小広くなった場所です。 「東海自然歩道案内図」もありました。 東海自然歩道は、高尾山から城山・嵐山・石老山を経て丹沢へと続いています。
美しい自然を訪ねて
東海自然歩道利用者の心得
・事前にコースを十分検討し、余裕のあるスケジュールを組みましょう。
・天候の異変には特に気をつけ、無理をしないようにしましょう。
・歩道周辺の植物や施設は大切にしましょう。
自然を大切にしましょう!!
 (環境庁、神奈川県)
まずは、樹間から見える相模湖を見渡してみましょう。 「嵐山からの相模湖」は「かながわの景勝50選」にも選ばれているようです。 相模湖の北側に聳える奥高尾主脈なども遠謀できますが、 この時は霞がかかっていて、残念ながら余りはっきりとは見えませんでした。 山頂には小さな電波塔もあり、その先には石老山も望めます。
嵐山(標高405.9m)
南は道志山、北は小仏山脈の中間にあって、間の山(あいのやま)というのが本当の名であるが、 「相模湖東岸に迫るなだらかな山容と山肌を色どる美しい落葉広葉樹林が織りなす景観が京都の嵐山に似ている」ので、 いつのころか嵐山といわれるようになりました。
 (神奈川県)
嵐山宮
山頂には嵐山宮がありました。 産靈宮水上神社(むすびのみやみなかみじんじゃ)とも言うようです。 そばには嵐山宮の由緒が記された解説板もありました。 かなり傷んでいてよくは読めませんでしたが、御祭神は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)とのことです。 日本神話の中の最高位にあたる神様です。
嵐山宮の左手から降っていきます。 歩き始めは緩やかですが、すぐに急な降りになります。 桧や雑木の林の中を降っていきます。
たき火・たばこに注意
 (神奈川県)
15分ほど降っていくと沢筋に着きます。 ここからは山襞に沿うようにして道がクネクネと続きます。 起伏はそれ程はなくて、息が切れるようなことはありません。 小さな木橋で沢を渡っていく所が何箇所かあったりします。 所々で夏草が道を被っている箇所があったりしますが、 踏み跡をたどっていけば迷うことはありません。
休憩所
山襞に沿って5分ほど進んでいくと、少し開けた場所があります。 ベンチも二つほど設置されているので、樹間からの景色を楽しみながらひと休みしていきましょう。
山火事注意
火の用心!
たきび・たばこは確実に消して!
山歩き 心にいつも 火の用心!
 (森林国営保険、神奈川県)
ゴミはすてない 持ち帰り 心も山も 清けつに
 (神奈川県)
休憩所から先に進んでいくと竹林がありました。 竹林を抜けていった先にあるT字路を、道標「ねん坂」に従って左折していきます。
「ねん坂1.2km」の道標を過ぎていくと、再び山襞を縫うようにして山道が続きます。 小さな木橋で沢筋を渡っていく所があったりします。
「ねん坂0.8km」,「ねん坂0.5km」の道標を過ぎて5分ほどいくと、 右手の樹間から街並みが見えるようになります。 両側に金網が続くようになると、ピクニックランドはもうすぐです。
金網の間を進んでいくと石垣に突き当たります。 道なりに直角に右へ曲がっていくと、左手にピクニックランドの駐車場が広がっています。 駐車場を左手に見ながら、金網の間を更に進んでいきます。
金網の間を過ぎて少し登っていくと小高い丘に着きます。 畑地の向こうには、相模湖や奥多摩の山々が広がっていました。 しばらく足を止めて眺めていきましょう。
丘の先にある小さな墓地を過ぎて降っていくと、すぐに畑地に出ます。 畑地を抜けてコンクリートの小道を降っていくと、ねん坂の里に降り立ちます。 嵐山の山頂から1時間10分ほどかかりました。
里に降りて左手に進んでいきます。 すぐの所にある鼠坂歩道橋の手前から左手に続く坂道を降っていきます。
歩道橋の写真を撮っていると、地元のおばあさんに声を掛けられました。 「幾つか持っていきな、小さいけど美味しいよ」。 柿の木に丁度食べ頃の実が沢山なっていたのでした。
別に物欲しそうにしていた訳ではありませんが、 親切に言ってくれているのを無下に断ることもあるまいと思い、枝から一つ採りました。 「採り難くかったらハサミでも貸そうか?もっと持っていっていいよ」。 何処までも親切な方でした。折角だから二つ貰うことにしました。 心がこもっているのか、小振りでしたがとても美味しい柿でした。 子供の頃には私の実家の周りにも柿の木が沢山植えてあり、季節になると木から取ってよく食べたものです。 そんな子供の頃をふと思い出したりしました。
鼠坂
国道412号に降りて、そのまま少し先へ進んでいくと、 さがみ湖ピクニックランドの入口に着きます。 交差点の横断歩道を渡った所に、ピクニックランド前バス停があります。 そばには「鼠坂関址」の石碑がありました。 実際の関址は、右手にある道を200mほど行った所にあります。
鼠坂(ねんざか)関址
この関所は、寛永8年(1638)9月に設置された。 ここは、小田原方面から甲州に通じる要塞の地で、地元民の他、往来を厳禁し、 やむを得ず通過しようとする者は、必ず所定の通行手形がなければ通れなかった。 慶安4年(1651)には、由井正雪、丸橋忠弥の陰謀が発覚し、 一味の逃亡を防ぐ為、郡内の村人が総動員し、鉄砲組と共にこの関を警固したという。
ピクニックランド前(ぴくにっくらんどまえ)バス停
相模湖駅(JR中央線)まで、相模湖駅行きバスにて7分、 1時間に2本から3本程度の便があります。
この日は道路が渋滞していて、相模湖駅まで45分もかかりました。
2010年3月に、「ピクニックランド前」から「プレジャーフォレスト前」に名前が変更されました。