渋沢丘陵
散策:2004年08月中旬
【低山ハイク】 渋沢丘陵
概 要 渋沢丘陵は丹沢の南側にある標高200mほどの低い丘陵です。 最初の坂道を登り切ると、あとは緩やかな道が続いています。 尾根筋の道からは、丹沢の山々をはじめ、条件がよければ富士山や相模湾までも望むことができます。
起 点 秦野市 渋沢駅
終 点 秦野市 秦野駅
ルート 渋沢駅…国栄稲荷神社…渋沢丘陵入口…頭高山分岐…栃窪神社…小原分岐…渋沢丘陵…向山配水場…震生湖バス停…震生湖入口…震生湖…福寿弁財天…白笹稲荷神社…今泉湧水池…秦野駅
所要時間 4時間50分
歩いて... 丘陵に続く尾根道は起伏も少なくて、誰でも快適に歩くことができるコースです。 訪れた日は曇がかかっていて、残念ながら富士山は望めませんでしたが、 丹沢山塊や相模湾へと続く丘陵を見渡すことができました。 谷間に佇む震生湖ではゆっくりとした時間が流れているようでした。
関連メモ 頭高山, 八国見山, 岩倉の里, 八国見山, 渋沢丘陵, 震生湖
コース紹介
渋沢(しぶさわ)駅
渋沢駅(小田急小田原線)の南口から歩いていきます。
渋沢駅は以前には南口の方が表玄関でした。 北側には臨時改札口があるだけでしたが、 今では立派なバスターミナルもできて、北口はすっかり様変わりしました。 バス停もなくなった南口には階段が迫り出して狭くなり、 何だか「裏口」といった雰囲気になってしまいました。 しかし、そばにあった看板によると、南口にも駅前広場を作る整備計画が進行中とのことでした。
南口から正面の道を進み、すぐの所の十字路を左折していきます。 100mほど行った所にある十字路を右折していきます。 角にある秦野警察署の渋沢交番が目印になります。
国栄稲荷神社
十字路を右折してすぐの所に国栄稲荷神社があります。 社殿は最近になって建て替えられたようで、真新しいものでした。 これからの散策の安全をお祈りしていきましょう。 境内には天然記念物の大きなイチョウの木がありました。 そばには「大山道 矢倉沢往還」と刻まれた丸い石碑もありました。
正一位 国栄稲荷神社社殿改修 境内整備趣旨
国栄稲荷神社は、宇賀魂神を奉祀し、金刀比羅大神、菅原大神を合祀奉る、鎮守の氏神様です。 社殿改築造営に当たって、旧社殿には大変な雨漏りが生じ、屋根、外壁共に傷み甚だしく、 至るところ老朽化が進み深刻な状態でした。 責任役員会、神社総代会に諮り、御奉賛による社殿改築の施行を全会一致で決議した。 諸般の情勢は、景気が誠に冴えない中、改修事業を推進することとなった。 地区周辺では、渋沢駅南部区画整備事業の進展により、街は新しい景観に整いつつあります。 また、21世紀の初年(2001年、平成12年)に当たり、記念すべき事業となった。 社殿改修事業は、平成12年10月に着手し、御奉賛により平成14年12月に社殿を竣工した。 境内整備事業は、区画整理事業に伴い、鳥居、水屋、幟旗竿台の新設、 御神木銀杏を境内地の分割飛地に現状のまま存続保存、社務所移転等、平成15年3月、諸施設の整備を完成した。
秦野市指定天然記念物 稲荷神社の大公孫樹(イチョウ)
樹高25m、 胸高周囲3.96m
イチョウはイチョウ科の一属一種の裸子植物である。 生ける化石と呼ばれるように、地質学上、古生代の末期二畳紀より中生代の三畳紀に至って発祥し、 ジュラ紀頃は全盛で、全世界に分布し栄えた丈夫で長命な樹木である。 しかし、現世では日本・朝鮮・中国しかみられない残存植物である。 イチョウは落葉高木にして雌雄異株、葉は扇形をなし、二浅裂または不規則に多裂する。 秋には黄色に黄葉する。花期は4〜5月、種子は銀杏と呼ばれほぼ球形で、10月に成熟し食用とする。 材は黄白色で緻密なため、碁盤・箱・彫刻などに用いられる。
 (秦野市教育委員会)
古道解説
ここは、東西に通る矢倉沢往還(江戸赤坂と駿河国吉原を結ぶ)と、渋沢峠を経て小田原に至る小田原道が 南北に交差しており、大山や富士参詣をする人々で賑わった。 曲松から北に進むと運動公園付近で水無川を渡り田原を経て大山に至る道を「どうしゃみち」と称し、 季節になると参詣や巡礼の人々が行き交った。 また、大山参詣者や大山講の人々によって数多くの道標が建てられ、 近くに江戸屋喜平治の建てた道標もあり、旅宿も何軒かあったという。
 (秦野市)
国栄稲荷神社を後にして、車道をまっすぐに進んでいきます。 曲松郵便局前バス停・渋沢小学校入口バス停を過ぎていきます。 渋沢小学校入口の信号を左折して更に進んでいくと、少し降るようになります。 降りきった所にある十字路を直進し、小川に架かる短い橋を過ぎていきます。 橋の袂に「震生湖 隧道下経由1時間20分」の道標がありました。 ここまでは道標がなかったので少々不安でしたが、やっと見つけた道標に、 この道でよかったのだと安心したりします。 堂坂バス停を過ぎると、道は次第に登りになってきます。 坂道を登っていくとやがて五叉路があります。 道標は見当たりませんでしたが、道なりに右へ続く道をそのまま進んでいきます。
渋沢丘陵入口
渋沢中学校入口バス停を過ぎていくと、左手に入っていく道があります。 そばには「頭高山入口1.5km」の道標が立っています。 震生湖はこの道でいいのかなと不安に思いながらも左折していくと、 20mほど行った所に「震生湖1時間15分」の道標が立っています。 あぁよかったと心丈夫に思いながら進んでいきます。
山腹に続く簡易舗装された急坂を登っていきます。 かなり急なので、息が切れないようにゆっくりと登っていきましょう。 坂道を登りきって左へ曲がっていく所が開けていて、渋沢の街並みや丹沢の峰々が見渡せましたが、 残念ながら雲がかかっていて、頂きは隠れていました。 雑木林や桧林の中に、簡易舗装された道が続きます。 最初の急坂よりは傾斜が緩やかで、歩きやすくなってきます。
この付近で見られる野鳥
【1年中見られる野鳥】
ハシブトカラス、ハシボソガラス、オナガ、ムクドリ、イカル、カワラヒワ、ホオジロ、メジロ、 エナガ、シジュウカラ、ヤマガラ、モズ、ヒヨドリ、コゲラ、アオゲラ、キジバト、コジュケイ
【春から夏に見られる野鳥】
キビタキ、サンコウチョウ、サンショウクイ、スバメ、サシバ
【秋から冬に見られる野鳥】
カケス、シメ、アオジ、カンラダカ、ウグイス、ツグミ、シロハラ、ルリビタキ、ジョウビタキ、マヒワ
 (鳥もすめる環境都市 秦野市)
頭高山分岐
数分登っていくと、右手に道が分かれていきます。 そばにあった道標によると、頭高山への道のようです。 頭高山ってどんな所なのでしょうか。 ちょっと興味を引かれますが、訪ねるのは亦の機会にして、 道標「震生湖近道」に従って、このまま真直ぐに進んでいきます。 この少し先でも再び頭高山への道が分かれていきますが、震生湖を目指して直進していきます。
山火事注意
火の用心!
たきび・たばこは確実に消して!
 (森林共済セット保険、神奈川県)
緩やかになった道を更に数分進んでいくと分岐があります。 簡易舗装された道は右へ曲がっていくのですが、左手に入っていく土の道を進んでいきます。 角にある道標「震生湖1時間10分」が左手の道を指しています。
右手の道は栃窪無線中継所へと続いています。 その途中の右側の尾根には八国見山があります。 栃窪無線中継所へ曲がっていく道を分けてその先に続く山道を抜けていくと、高台に広がる農地に出ます。 そこからは簡易舗装された農道が高尾バス停へと続いています。
(「八国見山」, 「八国見山」, 「渋沢丘陵」を参照)
ゴミを捨てないよう
美しい環境はみんなの財産。 一人一人の手できれいにしよう。 カメラ設置。 この附近にゴミを捨てると法律により処罰されます。
 (秦野市)
竹が生い茂る道を少し行くと、細い山道が右手に分かれていきます。 正面の広い方の道はこの先で行き止まりになっています。 角にある「震生湖」を示す手製の案内板が右手の道を指していますが、 草に隠れて少し見づらくなっていました。 見落とさないようにしましょう。
右手の細い山道を進んでいくと、ほんの少しで小さな祠がありました。
宇主山(薄山)の幡龍王様
この地より出ずる龍岩の御霊石なり。 幡龍王と称せられる大地を守る大神にして、 伊勢国神宮月読荒御魂大神様と深い係りを持たれる位高き龍王様なり。 変化される時は角大きく厳そかにして状大なり。 地中深く潜み、この宇主山及び秦野一帯を守護せられ、事ある時には忽然と光臨され、 不敬をすれば直ちに勢凄まじく、一度怒れば地震を起し泰山鳴動させる。 謹識
 (天忍部長老 豊秋津彦)
道は森の中へと入っていきます。 U字形に凹んだ山道を緩やかに降っていきます。 ここは本コースの中では最も山道らしい雰囲気のする所です。
やがてコンクリートが敷かれた山道へと変わります。 道幅が次第に広がってくると、この山道も終わりになります。 10分ほどの山道でした。 広い道に出ると道が左右に分かれています。 震生湖へは左手の道を降っていくのですが、 道標によると、右手の道を少し行った所に御嶽大権現があるとのことなので、 ちょっと立ち寄っていきましょう。
栃窪神社
明るくて広い道を進んでいきます。 左下側には犬の訓練施設でもあるのか、多くの犬の声が聞えていました。 2分ほど進んでいくと栃窪神社がありました。 短い石段を登り鳥居をくぐっていくと社殿があります。
栃窪神社
祭神倭建之命
境内社秋葉社、浅間神社
由緒沿革 創立年代は不詳であるが、波多野庄の頃、当村に富民あり。 山上に牛頭天王を祭祀し、鎌倉将軍の頃、社前は小田原道として交通が栄え、往時の地図に御嶽社とある。 寛門7年(1667)宗源宣旨により正一位御嶽権現と称し、村の鎮守であった。 相模風土記などによれば、天正19年(1591)11月、一石五斗の御朱印を賜わり、 また小田原城主大久保忠世より二貫文の社領寄進がなされている。 当社は小田原街道の要所のため、正保古図・元禄古図にも記載され、 当社附近の野立石道しるべには寛文年間の物多く御嶽道とある。 明治6年7月30日、栃窪神社と改称、村社となる。 現在殿は昭和52年4月6日、氏子30戸より資を捧げ、当村宮大工関野実によって完成された。
 (出雲大社相模分祠)
栃窪分岐
元の分岐まで戻り、道標「震生湖50分」に従って広い道を2分ほど降っていくと、栃窪地区に着きます。 民家の間を更に進んでいくと車道に出ます。 どちらへ行けばいいのかと道標を探してみると、左前方の民家の丸い庭木の脇にありました。 道標「渋沢丘陵0.9km 震生湖1.9km」に従って、右手正面の道を進んでいきます。
真栖寺を右手に見ながら車道を進んでいきます。 民家もなくなってきて、次第に雰囲気が出てきます。 ミニマラソン大会でもやっていたのでしょうか、 向こう側から合わせて10人ほどが走り過ぎていきました。
樹木が途切れた所からは、渋沢の街並みの向こう側に丹沢の峰々が一望できます。 この日は雲が出ていて、山頂がちょっと隠れていたのが残念ではありました。
小原分岐
車道が右へ曲がっていく所で、土の道が左手に分かれていきます。 このまま車道を進んでも小原地区を経て震生湖まで行けますが、 本コースのメインである渋沢丘陵を目指して、左手の道を歩いていきましょう。 角には「渋沢丘陵0.4km 震生湖1.4km」の道標が立っています。
明るい畑の中に続く道を進んでいきます。 左手に広がる丹沢の山並みを見ながら進んでいくと、やがて森へと入っていきます。 先ほどの道標によるとこの辺りから渋沢丘陵なのでしょうが、 「ここからが始まり」という案内板は見かけませんでした。 広い意味では、これまで歩いてきた丘陵地帯も含めて、この辺り全体が渋沢丘陵なのでしょうか。
緑は友だち 山火事注意
自然を守りましょう
 (森林国営保険、神奈川県)
火の用心
 (こひつじ保育園 幼年消防クラブ)
渋沢丘陵
桧や雑木の混じる森を5分ほど進み、軽い坂を登って道がなだらかになると、右手には畑地が広がるようになります。 何だか里山の雰囲気も漂ってきて、気分も爽快に歩いていけます。
道はやがて森へと入っていきますが、それも数分で抜けて、再び畑地が続くようになります。 畑にはトウモロコシやイモ類などが栽培されていました。 途中には「まほろば里山林を育む会」の活動林があったりします。 輪切りした丸太が円い形に並べられていて、休憩するのには良さそうな所でした。
少し進んでいくと、ベンチが幾つか設置された所がありました。 手前の樹木に邪魔をされて展望は今ひとつでしたが、大きな木がそばにあって丁度日陰になっています。 渋沢駅から1時間50分ほど歩いてきたので、ちょっと休憩していきましょう。 そばには「震生湖1.0km」の道標も立っています。
更に少し進んでいくと、正面に電波塔が見えてきます。 袂にあった案内板によると43.7mの高さがあるようです。
右手の畑地の向こうには、相模湾まで見渡せる雄大な景色が広がっていました。 しばらく足を止めて眺めていきましょう。
向山配水場
簡易舗装された道に変わって電波塔の袂を過ぎていくと、向山配水場の施設がありました。 右手には牛舎があり、乳牛が何頭か飼育されていました。
配水場の先で道が二手に分かれています。 道標「震生湖20分」が右手を示していますが、 その右手は更に道が二手に分かれていて、そのどちらを指しているのかよく分かりません。 ここは右下へ降っていく道は見送って、森の中へ登り気味に続く道を進んでいきます。
ゴミを捨て自然大事と語る人。 ああ、なげかわしや なげかわしや
震生湖バス停
2分ほどで森を抜けていくと、再び畑地が広がります。 左手の畑地の向こう側には、秦野の街並みや丹沢の山々が見渡せる景色が広がっていました。 道なりに緩やかに降っていくと車道に出ます。 先ほどの小原分岐から車道を歩いてきてもここまで来られます。 道標「震生湖0.1km」に従って、車道を左手に進んでいきます。 すぐの所に震生湖バス停があります。 秦野駅までの便がありますが、本数はかなり少なくなっています。
 土日曜 8:42 10:02 11:22 14:22 17:12 18:32
この辺りの名前でしょうか、バス停のそばには「峯坂」と刻まれた石碑と小さな祠がありました。
震生湖入口
車道は50mほど先で左へ大きく曲がっていきますが、その角から右へ分かれていく道へ入っていきます。 そばにはこの地域に因んだ歌碑がありました。
秦野の丘 空穂
日あたりの 若葉ほぐるる 楢山に あな珍らしや ちごちごの花 幸一郎 書
直ぐの所に「震生湖入口」の看板と、道標「震生湖畔0.1km」が立っています。 その間から始まる横木の階段を降っていきます。
手入れの行き届いた明るい雑木林を降っていきます。 コナラ・ミズキ・クヌギ・ヤマザクラなどが生えていました。
雑木林
この林は、地主のみなさんと秦野市とのパートナーシップ協定に基づき、 秦野雑木林を守る会(That's Kirin Saver)が手入れをしています。 美しい雑木林を楽しみながら手入れする仲間を募集しています。 …詳しくは裏面をご覧ください。
 (リコー環境ボランティアクラブ)
「That's Kirin Saver」とは…
秦野の豊かな自然を、自分たちの手で守っていこう! …そんなボランティアサークルの愛称です。 『ざっきりんセーバー』と呼んでください。 正式には『秦野雑木林を守る会』といいます。 私たちは「身近な自然を愛すること」が「自然を守ること」の第一歩と考え、 震生湖の美しい雑木林の手入れを通じて、楽しく活動しています。 ご一緒に楽しく活動しませんか?
人が育ててきた里山の自然 《木を切れば自然が豊かになる?》
石油やプロパンガスが現在のようにふんだんに使えるようになる前までは、 雑木林の木々は炭や薪などの大切な燃料でした。 また、化学肥料が普及していなかった時代、薪を燃やしたあとにできる灰は田畑で使うよい肥料でした。 林はおよそ15年から20年おきに伐採されてきました。 春には伐採した切り株から萌芽といってたくさんの芽がのびます。 あたらしい枝は2〜3年のうちに芽かきといって2〜3本に整理され、やがてもとの林にもどってゆきます。 伐採後の若い林は林床に日がよくあたるので、元気よく花を咲かせます。 またそれを好むチョウをたくさん見ることもできます。 かつては毎年里山のあちこちで小規模な伐採が行われ、 そこには伐採されたばかりの林から成長した林まで、さまざまな年齢の雑木林がまじり合っていました。 そのことが、里山を多くの生き物が棲める、変化に富んだ多様な自然環境にしていたのです。 このほか、伐採されたコナラやクヌギは、シイタケ栽培のほだ木にもよく利用されます。 また、雑木林にまじって生えるアカマツは、村の鍛冶屋さんが鉄製の農具などをきたえるときの燃料の炭にしました。 そして、大きく育ったアカマツ林は、家の屋根をささえる梁材などにも利用されました。 雑木林の林床に生える下草や落ち葉は堆肥などの肥料になりました。 また、堆肥の熱を利用して、葉タバコやサツマイモなどの苗床の発熱材にも使われます。
耕うん機が一般的でなかった時代、田をたがやしてくれる牛馬の飼料にも、雑木林の下草は利用されました。 このように、少し前の里山の雑木林は、いつも明るく開かれた林床が保たれ、 さまざまな草花が芽生えて育ち、秋にはいろいろなキノコが出るなど、そのを好む生き物の天国でした。 しかし、ゆたかな里山の自然も、今では人々の暮らしとともに大きく変わろうとしています。 戦後の高度成長時代におきたエネルギー革命や化学肥料の普及は、定期的な伐採や下刈り、 落ち葉かきをなくしてしまいました。手入れのされない雑木林はやぶがしげり、限られた植物が優占して生え、 そこには限られた種類の生き物した生きてゆけないのです。
私たちは、豊かな自然とは「さまざまな生き物たちが暮らすことのできる変化に富んだ環境」と考え、 雑木林を手入れすることで種の多様性を実現することも、活動の目的のひとつにしています。
震生湖
明るい雑木林を抜けると震生湖の西側の畔に着きます。 湖岸を一周する歩道が設けられているので歩いてみましょう。 先ずは南側を通って東側へと向います。 北側の歩きやすい歩道に比べて、南側は「山道」といった感じで、多少の凸凹があったりします。 湖面では小舟を浮かべて釣りをしている人が何人もいました。 また岸辺から釣糸を垂らしている人も沢山いました。 水鳥も優雅に泳いでいて、なんだかゆっくりとした時間が流れているようでした。
湖の東側には桟橋が突き出していて、釣堀のようになっていました。 多くの人が傘を差しながら釣糸を垂らしていました。
湖水浄化に協力を
へらぶな釣りのため湖水汚染が著しく進行しています。 撒き餌・バラケ等は最小限にとどめるようお願いします。
 (秦野市)
告 震生湖釣愛好者へ
日本ヘラブナ研究会から毎年、当震生湖へ多数のヘラブナを放流しております。 ブラックバス以外は持ち帰らないようお願いします。 また、夜釣は危険ですので禁止しております。 ご協力をお願いします。
 (秦野市観光協会、震生湖開発地主組合)
釣りをする人へ
震生湖は釣堀ではありません。 にもかかわらず、最近、自分本位の釣人が増え、 ハイキングの人やボート遊びの人に暴言をはく人まで出ています。 ルアーによる事故も増えています。 震生湖は「みんなの公園」です。 他の観光客のことも考え、楽しく過ごせるよう協力をお願いします。
 (秦野市観光協会)
桟橋の手前にある橋を渡って対岸へいくと売店があります。 家の佇まいからすると住居を兼ねているのでしょうか。 傍には藤棚や東屋もあります。 運がいいと、多くの猫たちに出会えたりもします。
震生湖
この湖は、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の時、渋沢丘陵の一部が崩壊し、 その土砂が谷川を堰き止めてできた堰止湖で、自然湖では日本で最も新しい湖であるといわれ、 北西部の主湖盆と南東部の副湖盆の二つから形成されている。
海抜150メートル
面積13,000平方メートル
最大巾85メートル
長径315メートル
周囲1,000メートル
平均水深4メートル
最大水深10メートル
(秦野市)
かながわの探鳥地50選
カルガモ(カモ科) 雌雄とも同じ黒褐色で黒いくちばしの先の黄色が目立つ。夏も見られる唯一のカモ。
キセキレイ(セキレイ科) 特に尾が長くスマートで、腹は鮮やかな黄色。チチンチチインと鳴いて波形に飛ぶ。
カワラヒワ(アトリ科) 全身緑褐色で、肉色の太いくちばしと羽の黄色が目立つ。キリキリコロコロと鳴く。
釣り人の皆様へ
この震生湖は「かながわの探鳥地50選」に入選している湖です。 野鳥たちの生活を守って行くために、釣人のマナーとして下記の事を守ってください。
投げ釣りをする人は、前後、左右、木のある所では上にも注意しましょう。 木の枝に釣糸をからませないようにしましょう。
生餌さは放置すると腐ります。 プランクトンの発生につながり、魚も死滅してしまいます。
釣り糸、釣り針、おもり、ウキ、ルアー、餌などは、必ず持ち帰る習慣を身につけましょう。 (鳥にからまってしまうことがあります)
ジュース等の缶、弁当箱、ビニール袋など、ゴミは必ず持ち帰りましょう。 また、自分の周辺のゴミも持ち帰るように心掛けましょう。
 (秦野市観光協会)
福寿弁財天
震生湖の北側の歩道を進んでいくと福寿弁財天があるので、立ち寄っていきましょう。
福寿弁財天
吾が国三大弁財天の一つ奈良に在します天河弁財天の御神霊が此の御霊で、 美女が琵琶を奏でるお姿です。 参観は自由にお参り下さい。
 (秦野福寿弁財天奉賛会)
秦野福寿弁財天
当弁財天は大和(奈良県吉野)の天河大弁財天より御分霊なされた神様です。 天河弁財天は建国三千年以来の由緒深いもので、特に神武天皇が御東征のみぎり、 この地の山岳が嶮しく進む道に迷われたとき霊鳥八咫烏現れ、木を食い折りてその道を示したと云う。 そのために無事に遷都されたのであります。 その後、僧空海(弘法大師)は高野山開山の直前に三年間天河弁財天を根拠として修業なされました。 かくて天河弁財天には歴代の天皇が皇室と万民の安泰を祈らせられ貴顕諸公も続々参詣せられ、 遂に日本六所弁天宮(天川・厳島・竹生島・江之島・金華山・富士山)の第一位に立たせられました。 更に特筆すべきは、日本歴史の華と咲く「南朝の悲史と天河郷の忠勤」である。 楠木正行四条畷に戦死し、賊将高ノ師直六万の大軍を率いて吉野山を攻め全山を焼き払う。 時に後村上天皇以下南朝の郷相雲脚はすべて天河に落ちられ、弁財天の七堂伽藍を本拠となされたのであります。 この地は山深き所ながら最も安泰な聖地されば、四十四年の永きに亘って南朝の恢復に活躍され、 終にその目的を達せられたのであります。 この時の蔭の力となったものに南朝随一の勤皇郷と云うべき天川の郷民があったのであります。 大義の為には終始一貫水火も辞さぬ気概は、この地の傳統として賞賛されております。
なお当社に宝蔵されております南朝皇室の御論旨・御令旨・御製・御歌等々限りなくあり、 昔を今に明示し感無量なるものがあります。 かかる尊き御霊を御分神するに当り当奉賛会では一般市民に浄財を仰ぎ、 その御神体としてこの弁財天像を作成し奉納した次第であります。 もともと弁財天女は水の神・海の神の外に万物生成守護の神であり、 智能(学問・技芸)の神であり、また七福神の一の女神、即ち福寿・財宝をもたらす神として 偏く一般庶民に愛敬されて参りました。
 (秦野福寿弁財天奉賛会)
弁財天の社の右手から続く坂道を登っていくと、震生湖バス停の先で別れてきた道に出ます。 この道を右手に進んでいきます。 震生湖の東側へ降っていく道を見送って更に進んでいくと畑が広がってきます。 その向こうには丹沢の峰々が見えています。 やがて道が二手に分かれています。 道標「池窪の大悲観音」が正面の道を示していますが、秦野駅へは左手の道を降っていきます。
(正面の道は「岩倉の里」, 「渋沢丘陵」, 「震生湖」を参照)
畑地の中に続く道を緩やかに降っていきます。 眼下には秦野の街並みや丹沢の峰々も広がっていて、何だか気分も爽快に歩いていけます。
道なりに降っていくとT字路があります。 そこを右手に降っていくと白笹稲荷入口交差点に出ます。 横断歩道を渡って、住宅地をまっすぐに進んでいくと、白笹稲荷神社の大きな赤い鳥居があります。
白笹稲荷神社
鳥居をくぐって100mほど進んでいくと、左手に白笹稲荷神社があります。 神社の前にある手洗い場は、横に渡した竹に穴を開けて水を流している珍しいものでした。 これまでの散策の無事を報告していきましょう。 そばには湧水地があり、ホタルも棲息しているようです。
白笹稲荷神社湧水地
ここの湧水地は、小さな崖から水晶のような水玉がぽたりぽたりしたたり、 谷あいには、こんこんと清らかな湧水があつまり室川にそそいでいます。 この水もいつかはきっと人の願いをかなえてくれることでしょう。
 (南地区まちづくり推進委員会)
ゲンジボタルを守ろう
ゴミを捨てないようにしよう
あぜや水路を荒らさないようにしょう
ホタルを捕らないようにしよう
 (秦野市、秦野のホタルを守る会)
今泉湧水池
神社から元の道に戻って、更に先へと進んでいきます。 室川に架かる白笹橋を渡っていくと南小学校があります。 校門のすぐ脇に「南小学校周辺地図」があるので、秦野駅までのルートを確認しておきましょう。 南小学校を時計周りに進み、南幼稚園の横を過ぎて住宅地の中を進んでいきます。 要所には「秦野駅」を示す道標があるので、見逃さないようにしましょう。 短い中里橋を渡り、「秦野駅0.7km」の道標のある十字路を右折していくと、太岳院があります。 その前には今泉湧水池があります。
今泉湧水池
秦野は丹沢山地と渋沢丘陵にはさまれた断層盆地で、 丹沢山地から流出した土砂は盆地内を埋めて厚い砂礫層を堆積し、大きな扇状地を形成している。 そのため山地から流出する河水は砂礫層にしみこんで地下水になり、 地表は水無川や葛葉川のように水は涸れて大雨の時に水を流す川となった。 地下水は砂礫層をたどって盆地周辺の扇状地の先端に湧出している。 従って盆地周辺の湧水には古くから集落が営まれ、中央は渇水地のため開発がおくれている。
市内の湧水池のうち、水量の最も豊富なのは今泉湧水であり、 平沢の東端から尾尻の一部にかけて、数多くの水源があって室川水流のほとんどの水を湧出し、 附近に大昔から集落が発達した。また今泉の地名も湧水にちなんだものである。 この太岳院池は古代からの水汲み場所であって、この池の底から、石器時代より奈良・平安の時代の 土器破片等を大量に発見している。現在の池は昭和初年に造られたもので、 それ以前は荒地に囲まれた湧水池であった。
秦野(はだの)駅
太岳院を出て直ぐの所にあるT字路を道標に従って左折していくと広い道に出ます。 右折したすぐの所から左手に延びる広い道を真直ぐに進んでいくと、秦野駅(小田急小田原線)に着きます。
駅のそばには大きな「水の里秦野 湧水マップ」がありました。
秦野名水のひみつ
秦野は、神奈川の屋根と呼ばれる丹沢山地と大磯丘陵に囲まれた、県内で唯一の典型的な盆地です。 その盆地の地下をのぞいてみると、お盆状の基盤岩の上に丹沢山地から流出した土砂と富士火山や箱根火山の 噴火により飛んできた火山灰などがサンドイッチ状に堆積して、大きな「天然の水がめ」となっています。 そこに雨水を豊富な地下水として蓄え、その量は約3億トン(芦ノ湖の約1.5倍)といわれています。 1985年には、全国名水百選に「秦野盆地湧水群」が選定されました。
竜神の泉 山腹に竜の形をした岩があることから、水を司どる"竜神"が宿ると伝えられる場所。 昔から行者や猟師などがのどを潤し、ひと息ついた泉として知られている。
葛葉の泉 秦野の水が昭和60年に環境庁の名水に選ばれたことをきっかけに、 地元の人たちが村おこしの一環として整備した泉。
護摩屋敷 護摩屋敷とは、山伏がヌルデの木などを焚いて修行を行うところ。 修行に訪れた僧たちは、この水で身を清めたと伝えられる。
髭僧の滝 昔、宝蓮寺の長い髭を生やした春嶽という僧がここで修行をしたことから名がついたと言われている。
春嶽の湧水 蓑毛地区の水道発祥の地であり水源でもある。
秦野水道発祥の地 秦野水道は、明治23年3月に給水を開始した。 これは、明治20年の横浜市水道、明治22年の函館市水道につぎ全国で3番目に当たる。
まいまいの泉 上古の井戸である「まいまいず井戸」から命名。 上古の井戸掘技術では深い垂直の井戸を掘ることがむずかしく、 このため地表付近の浅い部分の口径を大きくし、深い部分は小さくしたすりばち型の井戸を掘り、 その壁面をまわり歩いて深部に達し、水をくみだす手法が用いられた。 状況がカタツムリに似ることから「まいまいず井戸」と呼ばれる。
弘法の清水 夏のある日のこと、一人の僧が水を恵んでもらおうとある家を訪れたが、その家には水がない。 「ちょっと待って下さい」と外へ出た娘はなかなか帰って来ない。 水を求めて遠くまで行ったのだ。 僧は大変感謝し、つえをつき、そこから水が湧き出てきた。 後になってこの僧が弘法大師だとわかり、井戸を「弘法の清水」と呼ぶようになった。
今泉湧水池
(太岳院池)
この池は、古代からの水汲み場所であって、この池の底から石器時代より奈良・平安時代の土器破片等を 大量に発見している。現在の池は昭和初年に造られたもので、それ以前は荒地に囲まれた湧水であった。 現在でも池の中からどこからとなく湧き出し、湧出量は秦野盆地湧水群の中では多い。
白笹稲荷神社湧水地 この湧水地は、小さな崖から水晶のような水玉がたくさんしたたり、 谷あいにはこんこんときれいな湧水があつまり室川へそそいでいる。