矢倉岳
散策:2004年08月上旬
【低山ハイク】 矢倉岳
概 要 矢倉岳は箱根連山と丹沢山塊の間にある山で、お椀を伏せたようなこんもりとした姿をしています。 低い山のわりには登りが結構急だったりしますが、 頂上に着くと、箱根外輪山・丹沢山塊・富士山などを一望できるすばらしい眺めが待っています。
起 点 南足柄市 矢倉沢バス停
終 点 南足柄市 地蔵堂バス停
ルート 矢倉沢バス停…矢倉沢公民館…本村バス停…白山神社…矢倉岳…21世紀の森分岐…矢倉沢分岐…地蔵堂分岐…万葉公園…足柄万葉公園バス停…足柄関所跡…足柄道…見晴台バス停…相の川橋バス停…地蔵堂…地蔵堂バス停
所要時間 5時間50分
歩いて... 台風がまだ西の方にいたためか、雲っていて湿度も高く、蒸し風呂のような状態での登りとなりました。 残念ながらガスが一面を被っていて、矢倉岳の山頂からの絶景はお預けでした。 真夏は避けて、爽やかな秋や春に訪れてみたい所です。
関連メモ 矢倉岳, 鷹落場, 足柄峠, 鷹落場, 矢倉岳
コース紹介
矢倉沢(やぐらさわ)バス停
大雄山駅(伊豆箱根鉄道大雄山線)の改札口を出た右手にある関本バスターミナルから、 地蔵堂行きバス,または,矢倉沢経由内山行きバスにて10分、 朝は1時間に2本から3本程度、日中は1時間に1本程度の便があります。
 土日曜 ...7:55 8:10 8:25 8:43 9:19 9:55 10:20 10:59 11:50...
矢倉沢公民館
矢倉沢バス停のすぐ先にある横断歩道を渡って、右手に続く県道726号を進んでいきます。 バス停のそばに「足柄道と矢倉沢往還」の説明板がありましたが、 残念ながら文字が擦れてしまっていてほとんど読めない状態になっていました。 数分進んでいくと、車道が右へカーブしていきます。 その左手に矢倉沢公民館があります。 そばにある「観光案内板」に、矢倉岳への登り口までの道順が示されているので参考にしましょう。 この図によると、矢倉岳ハイキングコースは所要時間100分とのことです。 どこまでの所要時間かはよく分かりませんでしたが、公民館から山頂までの時間なのでしょうか。
公民館の右手にある前田橋を渡っていきます。 左手には内川の流れや田園風景が続いていました。 なんだか古里の景色にも似ていて郷愁を誘う眺めです。
ポイ捨て禁止!
ごみは持ちかえろう。みんなでつくろう美しい環境。
 (南足柄市)
農地・河川に空カン・空ビンなどの投げ捨てはやめましょう!
 (あしがら農業協同組合、あしがら農協農政対策協議会)
釣りをする皆さんにお願い
釣りをする人は、遊漁券を購入して釣りをして下さい。
現場日釣り券 1,400円、 現場雑魚券 800円
売店日釣り券 1,000円、 売店雑魚券 500円
*小学生以下は無料です。
 (酒匂川漁業協同組合)
本村バス停
前田橋を渡った先に本村バス停があります。 本数は少ないですが、矢倉沢経由内山行きバスに乗れた場合は、ここまで乗ってくることができます。 バス停の先にある十字路を左折していきます。 正面にある民家の壁に「矢倉岳ハイキングコース」と書かれています。
少し先にあるY字路を左へ進んでいきます。 内川沿いに広がる田畑の間をしばらく進んでいくと、カーブミラーのあるT字路があります。 矢倉岳へは道標「矢倉岳」に従って右折していくのですが、 「矢倉沢裏関所跡 この先40m」の標識があったので、このまま直進してちょっと立ち寄っていきました。
江戸時代に入り、箱根関所が東海道の表関所として完備されたのに対して、矢倉沢にも関所が置かれていたようです。 この関所は矢倉沢の裏関所として明治2年まで機能していたのだそうです。 関所跡は現在は民家の宅地になっていますが、その家の人が代々関所の常番を務められていたのだそうです。
関所跡の民家を過ぎて更に先へと足を伸ばしてみました。 登山地図によるとこの先へも道が続いていて、こちらからも矢倉岳へ登っていけるようです。 内川には小さな砂防ダムがあり、流れ落ちる水音が周りに響いていました。 昔懐かしい光景が広がっています。
利用者の皆さんへ
この道路は森林施業を行うためにつくられた林道です。 森林関係者以外の車両の通行は遠慮して下さい。 林道は、安全施設が完備されておりませんので、利用者は次の事を厳守し、安全走行を心掛けて下さい。
・走行速度は時速20km以下で走行して下さい。
・降雨時等の走行や避けて下さい。
・ゴミの投棄や土石,植物の採取をしないで下さい。
※事故等については一切責任を負いません。
 (南足柄市)
先ほどのT字路まで引返して、矢倉岳へと進んでいきます。 2分ほどの所にあるY字路を、道標「矢倉岳」に従って左折していきます。
白山神社
左折して坂道を50mほど進んでいくと、白山神社がありました。 鳥居をくぐり短い石段を登っていくと本殿があります。 この本村地区の鎮守なのでしょうか。 これからの散策の安全をお祈りしていきましょう。
白山神社の左手へ続く道を進んでいきます。 蜜柑や栗などが植えられた畑が続いています。 途中で小さな分かれ道もあったりしますが、真直ぐに進んでいきます。 しばらくは道標がないので少々不安な気持ちになったりもします。 最後の民家を過ぎ、作業小屋のような所を過ぎていくと、白山神社から12分ほどで分岐があります。 ここに「矢倉岳」を示す道標が立っているので、その道標に従って左手の坂道を登っていきます。
坂道を登っていくと茶畑がありました。 関本の街でしょうか、その向こうには街並みが広がっていました。 これからしばらくは見通しのきかない山道になるので、ここからの眺めを味わっていきましょう。
茶畑を過ぎ、その先の作業小屋をふたつ過ぎていくと、 簡易舗装された道も終わって杉林の中の細い山道に変わります。
たき火・たばこに注意
 (神奈川県)
杉林を10分ほど登っていくと、高さ3mほどの大きなドラム缶のような物がありました。 何なのかよく分かりませんでしたが、貯水槽のような感じでした。
「矢倉岳」を示す道標を過ぎていくと、杉林に雑木が混じるようになってきます。
神奈川県「水源の森林づくり」契約地(水源協定林)
水資源を大切にしましょう。
 (神奈川県環境農政部水源の森林推進課、神奈川県足柄上地区行政センター森林保全課)
自然環境保全地域
自然を大切にしましょう。
 (神奈川県)
ゴミは持ち帰りましょう。
来たときよりも美しく。ゴミみつけたら拾ってね。
 (鎌倉凧の会)
次第に杉の木が減って、雑木林へと変わっていきます。 この日は曇っていて日差しは余りなかったのですが、湿度が高くて蒸し風呂の中のようでした。 いくら拭いても、後から後から止め処もなく汗が噴き出してきます。 少し登っては立ち止まり、汗を拭いてまた登る、というスローペースの登りになりました。 時折、谷筋から吹き上がってくる涼しい風が、束の間の心地よさを運んできたりします。
日除け用に被っていた帽子も汗でグッショリと濡れてしまいました。 つばが垂れ下がり、その端からは汗が滴り落ちてきます。 余にも鬱陶しいので、日差しが余りなかったこともあって、帽子は脱いでしまいました。
貯水槽の所から45分ほど登ってくると、横木の階段が現われます。 土砂の流れ止め目的なのか、何本も積み重ねられていて、間隔もかなり広くなっていました。
山火事注意
火の用心!
たきび・たばこは確実に消して!
 (森林共済セット保険、神奈川県)
登りにくい階段を3分ほどかけて登り切ると、少し緩やかな道になってきます。 やがて赤松が混じるようになってきます。 辺りが何だかモヤってきました。 天気予報によると雨が降るようなことはなさそうですが、何だか少し心配になってきたりもします。
根元から細い幹が出ている潅木が続くようになると、矢倉岳の頂上は間もなくです。
矢倉岳 (標高870m)
両側に草が生い茂る道を抜けていくと、突然に目の前が開けて、矢倉岳の頂上に到着します。 麓の白山神社からは1時間35分で着きました。 矢倉沢公民館の案内板では100分となっていたので、 公民館から白山神社までの所要時間10数分を考慮すると、まずまずのペースでしょうか。 矢倉岳の頂上は広い草地になっていて、2mほどの高さの木製の見晴台があります。 その上に登ると、箱根外輪山や丹沢山塊や富士山が一望できる大パノラマが広がっているはずなのですが、 この時はガスがかかっていて、残念ながら何も見えませんでした。 時折、ガスの切れ間が少し広がって、 晴れていたらさぞ絶景なのだろうと思える眺めがチラリと垣間見れる程度でした。 小腹が空いたので、お昼にはまだ少し早かったのですが昼食タイムにしました。 見晴台の上でおにぎりを食べていると、父と娘のふたり連れが反対側から山頂へ登ってきました。 ずっと見晴台を占拠しているのも失礼なので、降りて場所を譲りました。 この山頂からの絶景を楽しみにして登ってこられたようでした。
矢倉岳見晴台
気をつけてお登り下さい。責任は負いかねます。
 (南足柄ライオンズクラブ)
矢倉岳の山頂からは、万葉公園を経て足柄関所へと向っていきます。 ガスに覆われていましたが、正面には晴れていると素晴らしい景色が広がっていそうでした。 降り始めは横木の階段が続く急坂ですが、それも程なくして終わりになります。
背の低い雑木林を抜けて山頂から10分ほど降っていくと、展望が開けた所がありました。 丁度ガスが少し薄くなってきて、箱根外輪山などを微かに見渡すことができました。 晴れている時の絶景が想われます。
21世紀の森分岐
杉が混じる雑木林を抜けていくと、10分ほどで分岐があります。 右手は「21世紀の森・酒水の滝」への道で、左手は「万葉公園・足柄峠」への道です。 道標に従って左手の道を進んでいきます。 左手に進んだすぐ先で小路が右下へ分かれていきますが、 そばにある道標「足柄峠・地蔵堂」に従ってそのまま真直ぐに進んでいきます。
矢倉沢分岐
雑木林から杉林に変わっていくと、21世紀の森への分岐から2分ほどでまた分岐があります。 左手は「地蔵堂・矢倉沢」への道で、今回は右手の「足柄峠・足柄万葉公園」への道を進んでいきます。
脱いだ服を道標に掛けて汗を拭いている人がいました。 左手の道から登ってきたとのことでした。 麓の矢倉沢裏関所の奥にあった林道から続いてきている道のようです。 何度も歩いた道だが今回は迷ってしまい、少し違った所へ出てしまったようでした。 夏草が生い茂っていて分かりにくいので、この道は歩くのは止めた方がいいとのことでした。
植林帯の中を緩やかに降っていきます。 ここから万葉公園までは、軽い登りが一部にあるものの、概ね緩やかな道が続いています。 小さな鞍部を過ぎて軽く登っていくと、矢倉沢分岐から20分ほどで、樹木が途切れた所がありました。 振り返ると、今降ってきた矢倉岳が聳えていました。
更に植林帯に続く緩やかな道を進んでいきます。 大きな岩が露出した所を過ぎていくと、再び樹木が途切れて見晴らしが広がっている所がありました。
地蔵堂分岐
更に10分ほど進んでいくと、地蔵堂へ降っていく万葉ファミリーコースが分かれていきます。
地蔵堂分岐のすぐ先に万葉公園への分岐があります。 この右手のすぐ上から万葉公園が続いています。 ここをまっすぐに進んでいっても、この先で同じ所に出ます。
万葉公園
万葉公園は散策路の山側に続いています。 園内には樹木に因んだ多くの和歌や歌碑が設置されています。 東屋も一軒建っていました。
古楢尾砦跡
古楢尾砦は、足柄峠から地蔵堂方面へと下向する尾根「楢尾」の頂部に位置している。 当砦は東西26m・南北24mの中部で、北・西・南の3方に堀が築かれており、 郭の西側には幅約10mの掘切が設けられ、沢道から攻め寄せる敵に備えている。 古楢尾砦は浜居場城・丹十尾砦・阿弥陀尾砦・通り尾砦・猪鼻砦と共に、国境防備の砦として、 足柄城を中心とした足柄城背部の角を守っており、 足柄城へは800m、阿弥陀尾砦までは…程の至近距離にある。
鳥総立て 足柄山に 船木伐り 樹に伐り行きつ あたら船木を
梧桐の日本 琴一面 対馬の結石山の 孫枝なりこの琴 夢に娘子に 化りて曰はく
かき数ふ 二上山に 神さびて 立てる栂の木 幹も枝も 同じ常盤に 愛しきよし
古の 人の植ゑけむ 杉が枝の 霞たなびく 春は来ぬらし
奥山の しきみが花の 名のごとや しくしく君に 恋ひ渡りなむ
ひさかたの 天の原より 生れ来たる 神の命 奥山の 賢木の枝に 白香著く…
吾が背子が 捧げて持てる 厚朴 あたかも似るか 青き蓋
足柄の 箱根の嶺呂の 和草の 花つ妻なれや 紐解かず寝む
ちさの花 咲ける盛りに 愛しきよし その妻の子と 朝夕に 笑み笑まずも うち噴き
黄葉する 時になるらし 月人の かつらの枝の 色づく見れば
下つ毛野の 美可母の山の 小楢のす まぐはし児ろは 誰が笥か持たむ
むばたまの 夜の深けゆけば 久木生ふる 清き河原に 千鳥数鳴く
…この片山の もみ楡を 五百枝剥ぎ垂り 天光るや 日の気に干し…
印南野の あから柏は 時はあれど 君を吾が思ふ 時は実なし
昼は咲き 夜は恋ひ寝る 合歓木の花 君のみ見めや 戯女さへに見よ
足柄の 吾を可鶏山の 穀の木の 吾をかづさめも 穀割かずとも
吾が門の 榎の実もり喫む 百千鳥 千鳥は来れど 君ぞ来まさぬ
梓弓 春山近く 家居らば 継ぎて聞くらむ うぐいすの声
礒の上に 生ふる馬酔木を 手折らめど 見すべき君が 在りとはなくに
南淵の 細川山に 立つ檀 弓束纏くまで 人に知らえじ
枳の 棘原苅り除け 倉立てむ 屎遠くまれ 櫛造る刀自
春雨に 争ひかねて 吾が屋前の さくらの花は 咲き始めにけり
春されば まづ三枝の 幸くあらば 後にもあはむな 恋ひそ吾妹
ひさかたの 天の戸開き 高千穂の 嶽に天降りし 皇祖の 神の御代より はじゆみを…
いにしへぬ ありけむ人も 吾が如か 三輪の桧原に 挿頭折りけむ
吾妹子が 鞆の浦の むろのきは 常世にあれど 見し人ぞ亡き
わが背子を 大和へ遣りて まつしたす 足柄山の 杉の木の間か
巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ思ばな 巨勢の春野を
梅の花 しだり柳に 折り雑へ 花に供へば 君に逢はむかも
岩代の 浜松が枝 引き結び ま幸くあらば またかへり見む
吾が待ちし 秋は来りぬ 然れども 萩が花ぞも 未だ咲かずける
めづらしき 君の家なる はな薄 穂に出づる秋の 過ぐらく惜しも
足柄の 崖の小菅の 菅枕 何故か巻かさむ 児ろせ手枕
足柄の 吾を可鶏山の 穀の木の 吾をかづさねも 穀割かづとも
霍公鳥< 鳴く声聞くや 卯の花の 咲き散る岡に 田葛引く娘子
疾く来ても 見てましものを 山城の 高の槻群 散りにけるかも
吾が屋戸に 黄変つ鶏冠木 見るごとに 妹を懸けつつ 恋ひぬ日はなし
足柄の 御坂に立して 袖振らば 家なる妹は 清に見もかも
足柄の 御坂畏み 曇夜の 吾が下這へを 言出つるかも
万葉公園の下側に続く小道を進んでいくと、ふれあい広場への道が分かれていきます。 分岐のところに「万葉ハイキングコース案内板」があり、 先ほどの地蔵堂分岐から地蔵堂までのハイキングコースが図示されていました。
吸いがらは灰皿に捨てましょう。
樹木・草花を大切にしましょう。
万葉公園を進んでいくと車道が近づいてきます。 車道をかすめるようにして、右手に続く山道を進んでいきます。
自然環境保全地域
自然を大切にしましょう。
建築物の新築改築、土地の形質変更等は届出が必要です。
 (神奈川県)
山道をほんの少し登っていくとまた広場になっています。 広場の先にはまた東屋が建っていました。
通り尾砦跡
足柄峠は、神奈川県と静岡県の県境に位置しており、 戦国時代には、小田原の北条氏によって足柄城を中心として、国境防備の城砦群が形成されていた。 この通り尾砦もそのうちの一つである。
金時山−猪鼻砦−足柄城−通り尾砦−古楢尾砦−阿弥陀尾砦−浜居場城
足柄万葉公園バス停 (標高744.6m)
公園を抜けて車道に出たところに足柄万葉公園バス停があります。 週末だけですが地蔵堂までの便があるので、乗って帰ってもいいでしょう。
 土日曜 12:00 13:30 14:10 14:50 15:20
そばには足柄万葉公園の案内図がありましたが、擦れてしまっていて余りよく見えませんでした。 また、足柄峠の解説板もありましたが、足柄峠はもう少し先の方にあるようです。
足柄峠
古代、足柄峠は都と東国とを結ぶ要路であった。 大和朝廷の昔、日本武尊が東征の帰路この峠に立ち、弟橘姫をしのんで「あづまはや」と叫んだという記述が 古事記にある。奈良時代、東国の任地に赴く役人たちが、ここで都に最後の別れを告げ、 また防人の任におもむく東国の農民たちも、この峠で故郷に残した肉親を思い、心の叫びを詠じている。 こうした万葉人の痛切な声は、時代を越えて今もなお私たちの胸をうつ。 ここ足柄峠は標高759メートル、当時の旅人たちは畏怖のあまり思わず 「足柄の御坂かしこみ」と峠の神に手向けせずにはいられなかったというが、 往時の森厳さと神秘感寂寥感は今もその名残りをとどめている。
足柄関所跡 (標高759m)
尾根に続く広い車道を10分ほど進んでいくと足柄関所跡があります。 そばには足柄峠一里塚と記された石碑もありました。 この周辺一帯は足柄城址公園になっていて、大きな「足柄城址遊歩道案内図」がありました。 「足柄峠」と記された大きな標柱も立っていましたが、実際の峠はこの少し先にあるようです。
足柄城
足柄城は、後北条氏によって築城された戦国時代の出城です。 この城は、足柄峠を中心に尾根上のいくつかの城郭群に守られた堂々たる城でしたが、 天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻め後、廃城となりました。
古代の足柄の関
足柄の関は、昌泰2年(899)、足柄坂に出没する強盗団、就馬の党を取り締まるために設けられた。 関の通行には、相模国の国司の発行する過所(通行手形)が必要だった。 関の設置された場所や規模、関の停廃の時期などは分かっていない。 「源平盛衰記」に治承4年(1180)のこととして、土屋宗遠が甲斐に越える時、 「見レハ峠ニ仮屋打テ、(中略)夜半ノ事ナレハ、関守睡テ驚カス」と見える。 また、鎌倉時代の歌人 飛鳥井雅経が、 「とまるべき せきやはうちも あらはにて 嵐ははげし あしがらの山」 (明日香井和歌集)と詠んでいることから、源平の動乱の時代に、足柄峠に臨時の関が設けられ、 鎌倉時代初期にはその残骸が残っていたことがわかる。 峠付近の路傍から採取された4000年前の縄文土器片が語るように、この峠道の歴史は古く、 鎌倉時代に箱根道が開かれるまでは官道・公道として利用され、 東海道最大の難所として有名であった。 また、歌枕として関・峠とともに、多くの歌に詠まれている。 この関は、昭和60年、黒沢明監督の映画「乱」の撮影で使われた城門のセットを 足柄の関伝承地へ移築したものである。
 (小山町観光協会)
足柄峠一里塚
一里塚は慶長9年(1604)、江戸幕府が日本橋を起点として一里(約四キロ)毎に塚を盛り上げ、 榎の木を植えたもので、道中の里程と旅人達が駕籠かきや馬方と運賃をきめる手段とした。 従来は一里が六町(645m)としていたが、三十六町(3927m)に変えた為、その周知を目的としたとも云われている。 この街道は官道として栄えていたが、元和4年(1618)より箱根路に変ったので、 足柄街道とか鎌倉街道と呼ばれ、甲斐(山梨県)と相模(神奈川県)を結ぶ物資の輸送や、 富士山・大山詣などの信者でにぎわいをみせたと伝えられている。
倭建命(日本武尊)
古事記(和銅5年・712年完成)によれば、景行天皇の皇子 小碓命は、九州の熊襲建を征服した後、 倭建命と名を改めた。九州から大和へ帰った命は、天皇より東征の命令を受け、上総(千葉県)へと出発した。 相模(神奈川県)では野火の難を草薙の剣で無事切りぬけ、いよいよ相模半島(三浦半島)から海路、 目的地へ向った。船が大海原にさしかかった時、海の神の怒りにふれたか、平穏な海は一瞬にして 怒涛さかまく荒海に変った。この時連れの弟橘媛は、荒狂う波間に身を投じ、神をなだめ海を静めた。 上総の岸へ無事着いた命は、任務を果したその帰路、足柄峠の頂に立ち、 再び見ることはないであろう東の海をながめ、あの橘媛を思い「吾妻はや」(あゝわが妻よ)と 嘆き悲しんだのだった。
足柄道
足柄関所跡から少し引返してくると、古代の官道である足柄道の入口がありました。 車道を歩いていくのも趣きがないので、この足柄道を通って地蔵堂まで降っていくことにしました。 入口には「足柄道の案内図」があり、解説と地蔵堂の先までの地図が記してあります。 足柄道は、概ね車道沿いに続いているようです。
足柄道
足柄道は、今から約1200年前の奈良・平安時代の官道で、西の都から静岡へ、 さらに、御殿場からこの地(足柄峠)を越えて坂本(関本)をとおり、小総(国府津)から箕輪(伊勢原)、 武蔵へと続いていました。 802年に富士山が噴火して足柄道が埋まってしまった時は、御殿場から箱根へ出て碓氷峠から明神を越えて、 関本へ下る碓氷道が利用されたこともありますが、古代の官道はほとんど足柄道であったのです。 その後、今の東海道が主流となり、足柄道の往来も少なくなりました。 南足柄は都から関東に入る玄関口であったわけで、中央の文化の一番早く伝えられる所でもあったといえます。
足柄城跡
この城は相模と駿河の国境で、万葉時代より坂東への玄関として名高く、足柄峠に築き、 峠を本城として足柄街道をおさえた戦国の城であります。 天文5年(1536)頃、北条氏によって甲州街道につながる足柄道筋の防備を固めるため築城したと伝えられています。 その後、北条・今川・武田の三者は後継者争いをもとに再三に渡り一進一退を繰り返していたが、 北条氏は武田勢に苦しみながらも伊豆・相模を防衛し、小田原本しろの背後を固めるため、 足柄・浜居場・猪鼻城を強化し、足柄山の通行をも規制した。 要所には砦を築き、全山要塞で固め武田勢へ備えたが、天正10年、武田滅亡により時は流れ、 天下統一の流れの中で、天正18年4月1日、小田原攻めの徳川家康の配下の大勢の下に落城に至った武田に対して、 堅固に固めた要塞足柄城は一戦も交えず城を明け渡したのである。
 (南足柄市)
足柄道には石畳が続いていますが、コンクリートで補強されていて、往時の趣きも今ひとつといった感じでした。 車道を渡ったり渡り返したりしながら続いています。
あなたです 山を守るも 火を出すも
つけた火は ちゃんと消すまで あなたの火
 (南足柄市消防本部)
見晴台バス停
車道を掠めながら10分ほど降っていくと、石畳の道も終って土の道に変ります。 更に5分ほど降っていっていくと見晴台バス停がありました。 先ほどの足柄万葉公園バス停から地蔵堂までのバスが通っています。
 土日曜 12:03 13:33 14:13 14:53 15:23
道路を渡った先に、東屋と「足柄古道案内図」がありました。 足柄道は足柄古道とも呼ばれているようです。
足柄古道
足柄道と名付されたのは大化の改新(645)頃で、大和朝廷はこの道を官道と定めました。 その後、約1240余年にわたり親しまれた道であり、又一方恐れられた峠道でもありました。 景行天皇の皇子 日本武尊が東征のおり、この峠で3度「あづまはや」我が妻よと叫んだ所でもあり、 源頼光や新羅三郎義光・武田信玄・徳川家康等々の武将や旅人達が通った道でもあります。 又、万葉集や更級日記等で数多く詩われた万葉ロマンの峠道でもあります。 これより先約1km峠に万葉公園・足柄明神社跡…(以下判読不可)
何度か車道を横切りながら降っていきます。 「足柄道入口」という道標が各所に立っているので、何とか迷わずに降っていけます。 沢を流れる水音が大きく聞える辺りまでくると、道標が見当たらなくなります。 これからは車道を降っていきます。
相の川橋バス停
数分降っていくと正面が開けて見晴らしが良くなってきます。 橋の手前に相の川橋バス停がありました。 地蔵堂へは橋を渡って道なりに車道を降っていくのですが、 右手の山道へほんの少し入っていくと沢に降りられるので、 ちょっと立ち寄っていきましょう。
笹の間を抜けていくと沢に出ます。 右手には砂防ダムがあり、流れ落ちる水音が谷筋に響いていました。 沢の周りは明るい雑木林で囲まれていて、雰囲気のいい場所です。 沢の水を手ですくって、汗ばんだ顔を洗いました。 冷たくてすっきりとした気持ちになります。
車道に戻り、左手の谷筋に続く棚田や茶畑を眺めながら、地蔵堂を目指して降っていきます。 この辺りまでくると、やっと空が晴れてきました。 残念ながら半日ほどの差で、矢倉岳の頂上からの素晴らしい展望を見逃してしまいました。
地蔵堂
相の川橋バス停から10分ほどで地蔵堂に着きます。 先ずはお参りして、無事に下山できたことを報告していきましょう。 そばには「みなみあしがらハイキングマップ」があり、 今回の矢倉岳や足柄峠をはじめ、金時山や明神ヶ岳などへのコースが紹介されています。 地蔵堂のすぐそばに地蔵堂バス停があります。 バス停の横には土産物屋があり、みそ田楽・おやき・甘酒などを売っていたりします。
地蔵堂
地蔵堂という地名の起こりは、この地に地蔵菩薩がまつられてからのことでしょう。 堂内の地蔵尊は鎌倉時代の作といわれ、大きさは人の背丈ほど、温顔で慈悲の心が満ちあふれています。 この地には金太郎が生まれ育ったという伝説が古くから伝わり、金太郎の産湯の水につかったという 夕日の滝や遊び石などがあります。 そのほか、お正月の松飾りにはかしの木を使う風習や、 田畑を四万町歩も持っていたという四万長者の物語も残っています。 足柄峠へ通じる道は、古くからひらけ、江戸時代には旅籠が数軒あってさかえていました。 今でも「富士屋」、「大黒屋」などの屋号が残っています。
みんなで守ろう山のエチケット
・ハイキングは体力を競うものではありません。マイペースで歩きましょう。
・ハイキングも登山と同様、登りの人が優先です。
・ハイカーに出会ったら"こんにちは"と声をかけましょう。
・空き缶の投げ捨てはやめましょう。
地蔵堂(じぞうどう)バス停
大雄山駅(伊豆箱根鉄道大雄山線)のそばにある関本バスターミナルまで、 関本行きバス,または,新松田駅行きバスにて15分、 1時間に1本程度の便があります。15時台には少し便が多くなっています。
 土日曜 ...12:25 13:52 14:25 15:05 15:30 15:40 16:25 17:25