名越切通
散策:2004年06月下旬
【街角散策】 名越切通
概 要 名越切通は鎌倉七切通のひとつで、鎌倉市と逗子市の間にあります。 朝比奈切通ができて交通の中心がそちらへ移ったこともあり、 七切通の中では最もよく旧状を留めています。 国指定史跡にもなっている切通には石段や岩畳が続いています。
起 点 逗子市 逗子駅
終 点 鎌倉市 長勝寺バス停
ルート 逗子駅…熊野神社…横穴古墳群…久木隧道…久木神社…妙光寺…岩殿寺…久木五丁目庚申塔…久木踏切…法性寺…奥之院…山王大権現…久木新道バス停…名越切通入口…まんだら堂跡…無縁諸霊之碑…名越坂踏切…長勝寺バス停
所要時間 3時間50分
歩いて... 今回は地図を持たずに散策したので、名越切通への道にたどり着くのに少し苦労しました。 切通から鎌倉逗子ハイランド方面へも道が続いているようなので、 またいつか機会をみつけて歩いてみたいと思います。
関連メモ 鎌倉大町, 衣張山, 鎌倉回峰, 名越切通, 衣張山, 名越切通, 巡礼古道, 名越切通
コース紹介
逗子(ずし)駅
逗子駅(JR横須賀線)から歩いていきます。
駅前に「歴史と伝説の道」の案内板があります。 名越切通コース,披婆山コース,六代御前コース,神武寺コースが紹介されています。 そばには市街地の案内図もあるので参考にしましょう。 今回は、案内板で紹介されている「名越切通コース」に沿って歩いていきます。
改札口を出て左手に進んでいきます。 山の根歩道橋の下を過ぎると踏切があります。 その踏切を渡って右手10mほどの所にある路地へ入っていきます。 先の方には鳥居が見えています。
「熊野神社」と記された石標の立つ鳥居をくぐって真直ぐに進んでいくと、また鳥居があります。
境内に入ったらまず神社に参拝しましょう。 拝礼は、ニ礼・二拍・一拝で行います。 境内は神域です。次の行為を禁止します。
 ・自動車・バイク・自転車の乗り入れ
 ・むやみに社殿に登り、また休憩すること
 ・指定場所以外で喫煙および飲食すること
 ・キャッチボール・サッカーなどの球技
 ・その他、神域を汚し良俗に反すること
憩いの場があります。休憩はここでどうぞ
 ・喫煙・飲食もこの場所でお願いします
 ・吸殻は所定の容器に捨てること
 ・出したゴミ・空缶は持ち帰ってください。
 (熊野神社氏子総代会)
熊野神社
鳥居の先の石段を登っていくと熊野神社に着きます。 参拝記念品として、マスコット熊手・おもちゃ・ゲーム等がプラスチックケースに入れて置いてありました。 「お一人一個で」ということのようです。
熊野神社由来
祭神 伊弉諾尊・伊弉冉尊
社殿 本殿 神明造り 2間半×1間半
弊殿 1間半×1間半
拝殿 3間×2間
祭礼 初詣 1月1日〜3日
例祭 7月最終日曜日
七五三祝い 11月中旬
年越祭 12月30日
由緒 明治2年社殿炎上のため古記録はないが、源頼朝の勧請と伝えられる。 当時、荘厳な社殿と松並木が続く参道があったといわれる。 明治2年廃仏毀釈となった旧松本寺の建物を神社の神殿とした。 境内の手水鉢は天保4年の銘があり、旧松本寺の遺物である。 昭和12年、氏子の総力で現社殿を再建した。 平成10年、本殿屋根の葺替え等の大修理と境内の改修整備を行う。
一、参拝者以外、日没以降境内への立入禁止
一、許可された者以外、境内での火気取扱禁止
一、催事時以外、境内の清浄静寂維持
一、掟を守らぬ者のケガ・損害等は保障しません。
神域は いつもきれいに 心がけ 神を敬い 加護を願って
横穴古墳群
境内の右手から続く山道を少し登っていくと横穴古墳群があります。 横穴が三つありましたが、その内の一つはほとんど埋ってしまっていました。 他の二つはまだしっかりとしていました。 内部は結構広いようでしたが、前には柵がしてあって、中へ入っていくことはできません。
お願い!
横穴保存及び見学路整備の基金をお願いしてます。 ご賛同の方は浄財として下の小社に奉じて下さい。
 (横穴保存会)
この穴は 山神様の 安らぎ場 古き前より そっとそのまま
緑は森呼吸
山火事注意
たばこ・たき火はよく消そう!
 (森林国営保険、神奈川県)
熊野神社横穴古墳群
社殿の裏山に古代の横穴があります。 また参道以外は急傾斜で危険です。 次の注意を守って見学して下さい。
1.決められた賛同を通ること
2.参道以外の徘徊はしない
3.喫煙・たき火をしないこと
4.横穴内にイタズラ書きや傷をつけないこと
5.植物の採集をしないこと
ルール違反によるケガなどは保障しません。
久木隧道
最初の鳥居の所まで戻り、右折して住宅街の中を進んでいきます。 突当りを左折したすぐ先のT字路を右折して、 山の根一丁目と二丁目の境を道なりに進んでいきます。 4分ほど進んだ所にある久木隧道を抜けていきます。 幹線道路ではないので、自動車もそれほどは通っていきません。
久木隧道を抜け、聖和学院のある十字路を過ぎていきます。 角には付近の「住居表示街区案内図」があるので参考にしましょう。 十字路の先にある久木小学校の手前のT字路を右折して、道なりに進んでいきます。
久木神社
久木デイサービスセンターを過ぎていくとT字路があります。 その右前方の鳥居をくぐり石段を登っていくと久木神社があります。 稲荷社だからなのでしょうか、ここの鳥居にある注連縄は、他の神社のものとは少し違って橙色をしていました。 お下がりも白い紙の御幣ではなく、藁を束ねて太い房状にしたもので、同じく橙色に塗られていました。
久木神社由緒
御祭神 宇迦之御魂命
相模風土記稿に「稲荷社妙光寺持」とあり、久野谷村の総鎮守として享和2年(1802)に再建された記録がある。 また「柏原明神社は柏原村の鎮守なり古は子の神と号せしが元禄中(1688〜1703)今の神号に改む」とあり、 ともに古社であったが、明治維新神仏分離令により、妙光寺の管理を離れ、明治6年(1873)稲荷社が鎮守として 「村社」に列格された。その後、明治7年両村が合併して久木村となるにおよび、両村民合議の上、 明治15年両社および字内鎮守五社が合併して久木村総鎮守とし「稲荷神社」と称し、社殿が新築された。 大正12年9月、関東大震災により社殿倒壊したが、大正14年10月、現社殿を新築した。 昭和19年11月、神饌幣帛料供進神社に昇格指定された。 昭和20年、終戦とともに神社制度の改正により、国の管理を離れ神社本庁に所属した。 昭和25年8月、境内官有地が神社に譲与され、昭和28年10月、宗教法人となり、 昭和45年7月、神社本庁および県知事の認証を得て、社号を「久木神社」と改称した。
妙光寺
久木神社から戻って、先ほどのT字路を直進(来た道からすると左折)していきます。 ここにも付近の住居表示街区案内図があるので参考にしましょう。 久木神社から少しいくと妙光寺があります。 山門をくぐっていくと、参道には立派な桜並木が続いていました。 その先にある本堂は大きくて立派な建物でした。 鐘楼や藤棚もあったりして、歴史を感じさせるお寺です。
妙光寺を訪ねてから、住宅街の中を更に進んでいきます。 最初の十字路の10mほど先にある次の十字路を右折して、久木三丁目と五丁目の境の道を進んでいきます。 先ほどの住居表示街区案内図ではT字路として書かれていたので、間違えないようにしましょう。
しばらく進んでいくと、少し曲がった十字路があります。 ここを右折して岩殿寺へと進んでいきます。 角には「坂東三十三観音霊場 第ニ番 岩殿寺」の看板があります。
やがて分岐の所に「岩殿観音」と記された大きな石柱が立っています。 そばには岩殿寺の大きな案内図もありましたが、長年の風雨に晒されて見えにくくなっていました。
道端にはあじさいに混じって歌碑が点々と並んでいました。 あじさいの咲く道を真直ぐに進んでいくと、岩殿寺の山門に着きます。
岩殿寺縁起
相州三浦郡久野谷郷(神奈川県逗子市久木)海前山岩殿寺(現在は海雲山となっている)の由来は、 皇統45代の聖武天皇の勅願による大和の国(奈良県)の長谷寺の開山本願徳道上人が、 この地に下向されたときに始まる。 それゆえ、当山は徳上、行基両聖人の開基といわれている。 また、大悲殿前から南海を見渡せるので、山を海前(現代は海雲山)と名付け、 岩窟が自然の殿堂のようであったので、寺を岩殿寺と号したといわれる。 正歴元年、庚寅春3月17日、65代花山法皇が来山され、護自身導師となられて百僧法要御供養を営なまれた。 従僧は仏眼上人、弁光僧正、良窓上人、元密上人、伝光僧都、満願上人、威光上人であった。 又、承安4年4月18日、77代後白河法皇が来山され、ここを坂東三十三ヶ所第ニ番の霊場とお定めになった。 なお、源頼朝が蛭ヶ児島にいた頃、文覚上人の勧めで、当時の本尊を厚く信仰し、 夢に現われてお告げを蒙ることがしばしばあったという。 戦乱の折、敗色濃くなってからも、大悲の冥助を幾度も得て立直れたというが、 なかでも石橋山敗軍のときは、観世音が船人となって頼朝を房州州崎に渡し、 たちまち十一面観世音の妙容をあらわして、三浦の方にとび去ったという。 文治3年正月23日には頼朝公の姫が参詣。建久2年子の3月には三浦義澄同六兵衛義村参詣。 建久3年乙末の3月23日には頼朝公幕下参詣。 建久3年巳卯の5月8日には御白河法皇四十九日の御仏事のため百僧集まり参詣。 この折に南堂を補修する。承元3年5月5日には右大将実朝将軍参詣。 寛喜2年11月11日、大破せる伽藍再建のため、大僧正院家並び十二院の別当が日夜法要を修行され、 そのとき、鎌倉殿の命に依り、僧西願に勧進して堂宇を再建、三代盟主37日昼夜祈念したことが 「東鑑」にも記されている。 しかし、その後また、ものかわり星うつりて七堂伽藍も荒廃し、寺院の面目もなかったものを、 東照神君(徳川家康)の御仁恵により境内ならびに田畑山林と御朱印を賜わり、 その徳沢に潤い、天正19年11月には県令長谷川七衛門長綱が荘厳なる堂宇を再建し、 且つ申し請けて寺領五石の御朱印を賜わったという。
(以上、「東鑑」「三浦郡誌」「相模風土記」および土地旧家覚之書による)
御願い
御参詣の皆様へ
古寺護持のため、入山の方は金百円也を御喜捨願い上げます。
 (岩殿寺)
入山時間 午前8時より午後5時まで
岩殿寺
山門をくぐり、八角の幸福観音や納経所がある境内を過ぎ、 あじさいの咲く石段を登っていきます。 瓜堀地蔵や報恩供養碑を過ぎていくと観音堂に着きます。 境内には熊野権現社や稲荷明神社、裏手には奥の院岩殿観音もあります。 また「鏡花の池」という名前のちょっとした池もあったりします。 結構高い場所にあるので、振り返るといい眺めが広がっています。 境内のベンチに腰を下ろしてちょっと休憩していきましょう。
堂内にはこの三体を祠ってあります。
・毘沙門天
・観世音菩薩
・不動明王
建物が老朽しておりますので中に入れません
岩殿観音堂
坂東第ニ番の札所で、養老4年(720)徳道上人と行基菩薩とによる開創と伝えています。 縁起には、10世紀の花山法皇の御来山、12世紀の後白河法皇の御幸臨などが記されていますが、 鎌倉時代には将軍の信仰が厚く、頼朝の娘大娘が文治3年(1187)に、将軍実朝が承元3年(1209)に 参詣したことが吾妻鏡に記されています。 棟札によると、享保13年(1728)、住職寄徹萬英和尚が勧進をして、工事には鎌倉の大工蔵並杢之助藤原政吉と 工匠清右衛門が当り、今のお堂が建てられたことがわかります。 鎌倉地方近世寺院建築様式の展開を知る上で貴重な建築物であると考えられます。
 (逗子市教育委員会)
先ほどの十字路まで戻って右折していくと、やがて線路沿いの県道205号に出ます。 名越切通へは、正面の踏切を渡って県道311号を右折していくのですが、 今回は踏切の手前を右折して法性寺を訪ねていきましょう。
久木五丁目庚申塔
線路沿いにしばらく進んでいくと、道路脇に庚申塔があります。 解説板も立っていましたが、風雨に晒されてすっかり擦れてしまっていて読めませんでした。
久木踏切
鎌倉逗子ハイランドへの道を見送って更に真直ぐに進んでいきます。 やがて道は左へ曲がって久木踏切を渡っていきますが、 その手前の右手にある道へ入っていきます。 角には馬頭観世音の石碑が立っています。
すぐに「猿畠山」の扁額の架かる山門があります。 その名に因んでなのでしょうか、額の両脇には猿の像が付いていました。
法性寺
山門をくぐり坂道を登っていきます。 木戸を抜けていくと法性寺があります。 お寺というよりも普通の民家風の建物でした。 それでも、手桶置場や手洗い場などもあって、寺院らしい雰囲気も漂っています。
お願い
空かん、ごみくずは必ず御持ち帰り下さい。
 (法性寺)
法性寺の上に奥之院や山王権現があるので立ち寄っていきましょう。 お寺の右手の坂道を登っていくと石段が分かれていますが、その先ですぐに合流します。 左へ曲がって坂道を登っていくと、その右手に石段があります。
奥之院
石段を登り手洗い場を過ぎていくと、すぐに奥之院があります。
略縁起
當山ハ文應元年八月二十七日、日蓮大聖人、松葉ヶ谷御草案焼討御難ノ砌、 山王権現の霊應白猿ノ導クニ任セ難ヲ此ノ山腹ノ岩窟ニ避ケ給イシ霊跡ニシテ、 猿畠山法性寺ト号ス。 又大聖人ノ上足師孝第一日朗聖人ノ全身舎利ヲ奉安スル御廟ノ霊場ニシテ、 池上本門寺比企ヶ谷妙本寺両山ノ奥ノ院ト称ス。
山王大権現
左手にある「山王大権現」の扁額の架かる鳥居をくぐり石段を登っていくと、 小高い所に山王大権現があります。
山王様
山王の字の縦三本横一本横三本縦一本の構成は、一心三観三観一心の妙法の心を示すものです。 文應岩塩7月16日、立正安国論による第一次国諫(光則寺)の反應は8月27日の名越御草案の焼打(安国論寺)と なって顕はれました。 この時、天諸童子以為給持の佛讖は山王様の白猿となって義に従って實の如く實證を示されました。 多實塔は万世を貫ぬき永遠不磨の妙法の實果を具現します。
 (山王清浄講社有志建之)
振り返ると、逗子の街並みや相模湾を見渡すことができます。 岩殿寺からの展望よりも広がりがあるので、しばらく眺めを楽しんでいきましょう。
久木新道バス停
先ほどの久木踏切まで戻り、名越切通へ向っていきます。 踏切を渡るとすぐに県道311号に出ます。 そこを左折して、線路沿いの道を進んでいきます。 法性寺バス停を過ぎていくと、踏切から300mほどの所に久木新道バス停があります。 バス停そばの横断歩道を渡った所に、名越切通への道があります。 角には「名越切通・まんだら堂」と書かれた道標もありますが、 擦れていて少し読みにくくなっていました。
岩殿寺から降ってきた所にあった踏切を渡ってきても300mほどで着きます。 また、逗子駅から亀が丘団地循環バスでここまで来ることも出来ます。 1時間に2本程度の便があります。 名越切通だけを歩く場合には利用するといいでしょう。
亀が丘団地の住宅街の北東沿いの道を進んでいきます。 すぐにかなりの坂道が現われますが、それも2分ほどで終わります。 十字路やY字路もありますが、右へ右へと進んでいくと、 バス停から10分ほどで正面に白い建物のある場所に着きます。
名越切通入口
建物の前を右に曲がった所から名越切通が始まります。 そばには「国指定史跡名越切通」の道標が立っています。 団地ができるまでは、この下の方からずっと道が続いていたのでしょうか。
捨てるなゴミ・空きカン
みんなでつくろう きれいな環境
 (逗子市)
大切にしよう 私たちの水道施設!
安心して飲める水をお届けしています。
水をたいせつに
ここには、大切な飲料水がたくわえてあり、重要な施設がありますので、 無断でこの中に入らないでください。
 (神奈川県企業庁水道局)
テントを過ぎていくと、「国指定史跡名越切通し」の標識の立つ所が通行止めになっていました。 崩落の恐れがあるので迂回路を廻るようにとの注意書きがありました。 この先に岩壁を切り開いた切通があるのですが、 逗子市教育委員会による埋蔵文化財発掘中とのことでした。
山火事注意
・吸いがらの投げ捨てを禁ず
・無断で火を焚くことを禁ず
 (逗子市消防署)
左手に造られた迂回路を進んでいくと、切通の向こう側に出ます。 左手からは緑ヶ丘方面からの道が合流してきます。 金網の間から切通を写してみました。 かなり狭い道のようです。
まんだら堂跡
岩盤を削ってできている切通の道を進んでいくと、まんだら堂跡への登り口があります。 石段を登っていきましたが、門が閉ざされていました。
「まんだら堂跡」は現在閉鎖しております
鎌倉大町方面、鎌倉・逗子ハイランド方面、亀ヶ丘団地方面(切通部分の通行は迂回路を利用)へは、 いままでどおり散策できますのでご利用下さい。 今後は「まんだら堂跡」の周辺を数年かけて文化財調査し、史跡整備を実施した後、 やぐら群を中心とした史跡としての公開を計画しています。
 (逗子市教育委員会)
更に進んでいくと、少し低くなった所に名越切通の説明板がありました。 何故だか道から少し離れた所に設置されていて、見づらくなっていました。
史跡 名越切通し
鎌倉幕府の基礎が一応確立すると、平時には交通の便をはかり、戦時には敵の侵入を防ぐため、 七つの切通しが設けられました。 名越の切通しは、比較的当時の姿をとどめており、逗子側からの登り路は数ヶ所で切岸の迫った部分を通らねばならず、 天然の地形に人工を加えて防備の万全をはかったあとがみうけられる。
 (神奈川県教育委員会)
3分ほど進んでいくと、右手に道が分かれています。 ここにも「国指定史跡名越切通し」の標識がありました。 ここが名越切通では一番高い所になるのでしょうか。 この先からは降っていきます。
たばこの投げ捨て!火事のもと
 (神奈川県)
無縁諸霊之碑
切通の道は正面へと続いていますが、何があるのかとちょっと右手の道を歩いてみると、 少し広くなった所に無縁諸霊之碑がありました。 碑の右手からは山道がその先へと伸びています。 鎌倉逗子ハイランド方面へ続いているようです。 この道も名越切通の一部なのでしょうか。 今回は歩きませんでしたが、いつか挑戦してみたいと思っています。
人里離れた所と思われるのに、碑の周辺には何故だか猫がたくさんいました。 誰かにもらったのか、柿の種をカリカリと音をさせて一心に食べていました。 後で調べてみると、すぐ近くに妙行寺があるようです。 そんなに人里離れた所という訳でもなさそうです。
切通の道に戻って、その先へと進んでいきます。 次第に降り坂になってきます。 日陰の谷筋のようで、シダ類が沢山はえていました。 雨降りの翌日とあって、石段が続く道には少し水が溜まっていたりしました。
正面が明るくなってくると、横須賀線のトンネルの上に出ます。 右手の狭い道を進み庚申塔を過ぎていくと、鎌倉市大町の住宅地に出ます。
名越坂踏切
急な坂道を降っていきます。 降りきった所を左手に進んでいくと名越坂踏切があります。 踏切を渡って右手に進んでいきます。
20mほど先の左手にある小橋を渡っていくと、直ぐに県道311号に出ます。 横断歩道を渡って右手に100mほど進んでいくと、踏切の手前に長勝寺バス停があります。
長勝寺(ちょうしょうじ)バス停
鎌倉駅(JR横須賀線)まで、鎌倉駅行きバスにて6分、 朝夕は1時間に3本程度、昼前後は1時間に2本程度の便があります。 鎌倉駅までそれ程の距離はないので、歩いていっても15分ほどで着きます。