鐘ヶ嶽
散策:2004年06月上旬
【低山ハイク】 鐘ヶ嶽
概 要 鐘ヶ嶽は丹沢山系の東部にある低い山です。 梵鐘を伏せたような特徴的な姿をしていて、かつては信仰の山でした。 鐘ヶ嶽へ登った後に、日向山を経て日本三大薬師の一つである日向薬師へと向います。
起 点 厚木市 広沢寺温泉入口バス停
終 点 伊勢原市 日向薬師バス停
ルート 広沢寺温泉入口バス停…鐘ヶ獄バス停…鐘ヶ嶽登り口…一丁目…拾三丁目…上杉公内室の墓…拾八丁目…廿二丁目…廿八丁目…浅間神社…鐘ヶ嶽…山の神鞍部…山の神隧道…広沢寺温泉分岐…大釜弁財天…日向山登り口…七沢温泉分岐…日向山…日向薬師奥の院…日向薬師…仁王門…衣裳場…日向薬師バス停
所要時間 5時間20分
歩いて... 一丁目から廿八丁目まで続く石碑に励まされながら鐘ヶ嶽へと登っていきます。 傾斜はそれ程急ではなくて比較的楽に登ることができます。 山頂は樹木覆われていますが、手前の拾八丁目や、日向山からの展望を楽しみましょう。 山の神隧道へ降る道はかなり急なので滑り落ちないように注意しましょう。
関連メモ 巡礼峠のみち, 梅の木尾根, 鐘ヶ嶽北尾根, 見城山, 日向山, 鐘ヶ嶽, 梅の木尾根
コース紹介
広沢寺温泉入口(こうたくじおんせんいりぐち)バス停
本厚木駅(小田急小田原線)の北口を出て新宿寄りに少し行った所にある厚木バスセンターから、 [厚33][厚34]上谷戸行きバス,または,[厚38]広沢寺温泉行きバスにて30分、 1時間に2本から3本程度の便がありますが、朝早い時刻には少なくなります。
 土日曜 7:30 8:00 8:40 9:00 9:20 9:40 10:00 10:20 10:40...
[厚33][厚34]上谷戸行きバスは、2006年12月のバス停の名称変更により「七沢行き」になりました。
バス停の20mほど先に、広沢寺温泉への道が左手に分かれていきます。 その道へ入っていくと「広沢寺・鐘ヶ嶽 大釜弁財天」への案内板があります。 すぐに右へ曲がり「県立丹沢大山自然公園」の石碑の横を過ぎていきます。 道は次第に登り坂になり、大きく左へ曲がっていきます。
坂道が平らになってくると、鐘を伏せたような特徴ある形をした鐘ヶ嶽が正面に見えてきます。 低い山のようで、何だか登り易そうな感じがします。
鐘ヶ獄バス停
広沢寺温泉入口バス停から5分ほど進んでいくと、鐘ヶ獄バス停があります。 本数は少ないのですが、[厚38]広沢寺温泉行きバスに乗れた場合は、ここまでバスで来ることができます。 そばには「鐘ヶ嶽 1時間10分」の道標と、「せんげん道」と刻まれた石碑があります。 鐘ヶ嶽への登り道は、山頂にある浅間神社への参道でもあったようです。
せんげん道
広沢寺入口から七沢の鎮守である浅間神社(鐘ヶ嶽山頂)までが「せんげん道」と呼ばれている。 江戸時代の中頃、富士山の噴火による被害が甚大であった事から、 怒る山の恐ろしさを信仰によって鎮めようと降灰を集めて塚を築き、浅間神社として信仰を集めた。
鐘ヶ獄バス停の先で、道が二手に分かれています。 左手は広沢寺温泉への道で、鐘ヶ嶽へは右手の道を降っていきます。 道の両側には民家や畑が続いています。 3分ほど進んでいくと5叉路がありますが、道標「鐘ヶ嶽山頂1時間5分」に従い、正面の道を進んでいきます。
(広沢寺温泉への道は「見城山」, 「鐘ヶ嶽」, 「梅の木尾根」を参照)
鐘ヶ嶽登り口
すぐ先にも分岐がありますが、道標「鐘ヶ嶽山頂1時間5分」に従って、そのまま坂道を登っていきます。 坂を少し登っていくと、左手に浅間神社への石段があり、 「鐘ヶ嶽ハイキングコース」の道標も立っています。 この石段を登って鐘ヶ嶽へと進んでいきます。
鐘ヶ嶽と七沢浅間神社
鐘ヶ嶽(標高561m)の名は古くから知られ、浅間山とも呼ばれています。 昔、龍宮から上げた鐘をこの山に収めたという伝説や、 戦国時代に上杉定正の居城となった七沢城への合図のために鐘が置かれたと言われています。 鐘ヶ嶽山頂付近には七沢浅間神社が建立されています。 この神社の創建については明確ではないが、上杉定正が心からこの神社を崇敬し、 社殿の造営を行いました。 祭神は、木花咲耶姫命・大山祇命・誉田別命の三柱が祀られています。 七沢浅間神社は古来から、養蚕・子宝・安産の神として信仰されてきましたが、 明治6年(1873)この浅間神社に旧七沢村の鎮守社であった八幡宮と日枝神社を合祀して 「七沢神社」と改め、「村社」となって現在に至っています。
 (厚木らしさの創造推進事業玉川地区協議会)
自然を愛する心で楽しいハイキングを!
1.樹木・竹類・農産物などの採取はやめましょう。
1.タバコの投げ捨て、たき火はやめましょう。
1.ゴミは持ち帰りましょう。
 (厚木市、厚木市森林組合)
一丁目
石段の途中には四角柱の石碑が建っています。 この石碑は一丁目を示していて、山頂まで全部で二十八丁の石碑が道端に点々と建っています。 石段を登って鳥居をくぐると、その先から山道が始まります。
緑は友だち 山火事注意
自然を守りましょう。
 (森林国営保険、神奈川県)
最初は杉や桧の植林帯を抜けていきます。 「鐘ヶ嶽山頂へ55分」の道標を過ぎていくと、道の脇には金網が続くようになります。 普賢菩薩が乗っている五丁目の石碑を過ぎていくと、鹿避けのような柵の扉があります。 しかし扉の金網は無くなっていて、用をなさなくなっていました。
たき火、たばこに注意
 (神奈川県)
許可のないワナは違法です。
 (神奈川県)
注意
カスミ網の使用は禁止!
 (神奈川県)
七丁目
大日如来が乗っている七丁目の石碑を過ぎる辺りから、雑木林に変わっていきます。 コースには、鐘ヶ嶽登り口から点々と「緊急時位置確認表示板」が設置されています。 1番からの通し番号が振られていて、その番号を伝えるとその場所を特定できるということらしいです。
緊急時位置確認表示板
鐘ヶ嶽コース No.3
緊急時は、携帯電話でコース名、番号を119番又は110番に通報して下さい。
 (厚木市)
拾三丁目
雑木林の中の広めの道を登っていきます。 両側が谷へ落ちて馬の背のようになった箇所もあったりします。 10分ほどすると、拾三丁目の石碑が立っています。 その左手に「上杉公内室の墓3分」の道標があるので、ちょっと立ち寄っていきます。
山火事注意
火の用心!たきび・たばこは確実に消して!
 (森林共済セット保険、神奈川県)
鳥を大切に
野鳥を捕るには許可が必要です。あなたは?
 (神奈川県)
たばこの投げ捨て!火事のもと
 (神奈川県)
上杉公内室の墓
雑木林の斜面に続く小路を少し進んでいくと、大きな木の袂に墓がありました。 石碑には「為上杉定正公夫妻之供養」と刻されていました。 お参りする方が多いのでしょうか、墓の前には小銭が沢山お供えされていました。
拾五丁目
元の尾根道の戻って更に登っていきます。 拾四丁目の石碑を過ぎていくと、右手に自然教室への道が分かれていきますが、 小さな道標「鐘ヶ嶽」に従って、そのまま尾根道を登っていきます。 分岐を過ぎて2分ほどで拾五丁目の石碑が立っています。 これまでのは四角柱だけか、その上に石仏が乗っている形でしたが、 この拾五丁目の石碑は、四角柱と石仏が別々になっていました。
(自然教室への道は「鐘ヶ嶽」を参照)
拾八丁目
拾五丁目を過ぎて5分ほど登っていくと、拾八丁目の石碑が立っている場所に着きます。
右手が開けていて、七沢の街や、その向うには横浜のランドマークタワーも遠望できました。 座るのにちょうどいい具合の石が石碑の横に顔を出しています。 鐘ヶ嶽登り口から45分ほど登ってきたので、その石に腰を下ろして小休止していきましょう。
廿丁目
拾八丁目からは山腹をジグザグと小刻みに曲がりながら高度を稼いでいきます。 ジグザグ道が終わって尾根道になった先の 廿丁目の石碑の側には大きな岩があり、その上に石仏がポツンと佇んでいました。
廿二丁目
廿一丁目を過ぎると岩ごろごろの坂が現れます。 その坂を登り切ると、周囲が少し開けた岩場に着きます。 廿二丁目の石碑と、他二つほど石碑が立っていました。 周りの若い木が育ってしまっていて、残念ながら展望は余りよくありません。 ここにある道標によると、鐘ヶ嶽の山頂まではあと20分とのことです。 もう一息です。
廿六丁目
廿二丁目から更に尾根道を登っていきます。 石ごろごろ気味の道がしばらく続きます。 樹木の梢越しに少し見晴らしが得られる所を過ぎていきます。 廿五丁目の石碑を過ぎていくと、右手に金網が続くようになります。 やがて廿六丁目の石碑がありますが、何故だか台座から抜け落ちて倒れていました。 この先からは石段が続くようになります。
廿八丁目
延々と石段を登っていきます。 途中で平坦な部分もあったりしますが、更にその上へと石段が続いています。 廿六丁目から8分ほどで廿八丁目の石碑が立っています。 n丁目という石碑はこの廿八丁目で終りになりますが、石段はこの先にもまだ続いています。
石仏が立つ大きな岩を過ぎていくと、浅間神社の鳥居が現れます。 左手には、法一山大神宮社や八尾松彦命と記された石碑の立つ小さな祠がありました。 鐘ヶ嶽登り口の石段を登った所にある鳥居からこの鳥居までを縮めて考えてみると、 「石段−鳥居〜鳥居−石段−本殿」という並びになります。 更に鳥居の間を短絡させて考えると「石段−本殿」という並びになり、 鐘ヶ嶽登り口から本殿までずっと石段が続いているという意味になるのでしょうか。
浅間神社
鳥居をくぐって最後の石段をひと登りすると、浅間神社の本殿に到着します。 鐘ヶ嶽登り口からは1時間30分ほどかかりました。 石段が何段あるのかと廿六丁目から数えながら登ってきましたが、三百数十段はありました。 社殿には「浅間宮」と書かれた額が架かっていました。 手前に解説板らしいものもありましたが、長年の風雨に晒されてきたためか、全く読めませんでした。 社殿の手前にある石灯籠に「鐘ヶ嶽ハイキングコース 鐘ヶ嶽山頂へ2分」と記された 道標の切れ端が置いてありました。 それに従って、左手から社殿の横を登っていきます。
鐘ヶ嶽 (標高561m)
杉林を抜け雑木林を抜けていくと、程なくして鐘ヶ嶽の山頂に着きます。 樹木に被われていて、残念ながら展望は得られませんが、 少し切り開かれていて、伐採された木が何本かベンチ代わりに置いてあります。 石像も二体立っていますが、何の石像なのかは分かりませんでした。 浅間神社の祭神と関係があるのでしょうか。
(後日に来てみると、真新しいテーブル・ベンチや解説板が設置されていました)
ゴミは持ち帰りましょう
 (丹沢大山ゴミ持ち帰り運動推進協議会)
山頂からは、石像の後ろ側から杉や桧林を降っていきます。 登りの時と同じく、それほどの急坂ではないので、安心して歩いていけます。 倒れた鹿避けの金網を過ぎていくと、やがて雑木林に変わっていきます。
山腹の雑木林の中を降っていきます。 所々で岩が露出して狭くなった場所があったりします。 滑り落ちないように注意しながら降っていきます。
山の神鞍部
山頂から20分ほど降っていくと鞍部に着きます。 右手にも道が続いているようですが、その方向への道標はありません。 道標「山の神隧道・広沢寺温泉」に従って、左手に戻るようして降っていきます。
(正面の道は「鐘ヶ嶽北尾根」, 「梅の木尾根」、 右手の道は「鐘ヶ嶽」を参照)
ここからは急な降り坂になります。 ロープや鎖が各所に設置されています。 滑り落ちないように気を付けながら降っていきましょう。
山の神隧道
10分ほど降っていくと山の神沢に降り立ちます。 小さな砂防ダムの横を進んでいくとすぐに広場があります。 正面にある簡易舗装された林道の左手には「山の神隧道」がありますが、右手へと降っていきます。
ハイカーのみなさんへ
・ゴミは必ず持ち帰りましょう
・タバコの投げ捨てはやめましょう
・樹木等の採取はやめましょう
自然はみんなの財産、マナーを守って楽しいハイキングを!
 (厚木市)
保安林区域
この区域は森林がもっているいろいろな働らきを守るため、保安林に指定されています。 保安林内で木を伐採したり、植物や土石を採取するときは許可が必要です。 くわしい事は右記へお問い合せ下さい。
 (神奈川県県央地区農政事務所森林保全課)
林道ゲード
林道を7分ほど降っていくと、小さな橋の先に車止めのゲートがありました。 そばでは、ゴミの不法投棄をしないよう警告する放送が自動的にくり返し流れていました。 太陽電池を使った装置のようで、半永久的に稼動しそうなものでした。
山火事注意
一、携帯灰皿を持ちましょう
一、小さな火から大きな火災
一、あなたの協力が山を救う
 (厚木消防、玉川分署)
ゴミ捨て禁止!
不法投棄は犯罪です。
 (神奈川県)
一般車輌通行禁止
この林道は、林業経営のために作られていますので、一般道路とは異なりカーブがきつく、 また防護施設も十分ではありません。 下記以外の車輌の通行を禁止します。 なお、7月1日より8月31日までは、神奈川県公安委員会の規則により前面通行禁止です。
 ・林業関係車輌 ・林道関係車輌 ・工事関係車輌
 ・地元関係車輌 ・林道沿線施設利用関係車輌
通行可能は方については、次の注意事項を厳守願います。
1.制限速度20km/h以下
2.制限重量40トン以下
3.台風・集中豪雨・地震・積雪・路面凍結時は通行禁止
4.日没1時間後から日の出1時間前までの時間帯は通行禁止
 (神奈川県厚木警察署、神奈川県県央地区農政事務所)
ゲートを過ぎて山の神沢沿いの林道を緩やかに降っていきます。 10分ほど降って使われなくなった民家を過ぎると、少し開けた場所があります。
「大平 石切場」と記された石標を過ぎて更に降っていくと、 7分ほどで七沢の里に着きます。 小橋を渡って幅が広がった谷筋には、復元された棚田が続いていました。
後日に来てみると、石標の先に「山の神沢2号提」や「新大平橋」が出来て道が付け替えられ、 かなり雰囲気が変わっていました。 (「鐘ヶ嶽」, 「梅の木尾根」を参照)
棚田復元事業
大自然七沢の景観を大切に。
この事業は厚木市の勧める「里山マルチライブプラン」を基に、 「七沢里山づくりの会」がしない在住者等のボランティアの協力により実施しているものです。
 (厚木市、七沢里山づくりの会)
棚田を過ぎて2分ほど進んでいくと、右手に「大釜弁財天道」と刻まれた石碑が立っていました。 昔にはこの道を通って大釜弁財天まで行ったのでしょうか。
大釜弁財天道
大釜弁財天へ参拝する道であり、昔は大勢の人々がお参りや山仕事のために通った。 弁財天前の七つの滝つぼは、往時晴天の続いたとき、村民が集り雨乞いをしたところと伝えられている。
広沢寺温泉分岐
石碑をやり過ごして更に進んでいくと、小さな橋の先で道が分岐しています。 角にある道標によると、正面の道は広沢寺温泉へ続く道で、 右手に鋭角に戻るようにして登っていく道は、大釜弁財天や日向薬師への道です。 このまま広沢寺温泉を経て最初の広沢寺温泉入口バス停へと戻っていってもいいのですが、 まだ時間的に余裕があったので、日向山を経て日向薬師まで行くことにしました。 道標「大釜弁財天0.7km、日向山山頂1.3km」に従って、右手の道を登っていきます。
注意
ハンターの皆さん!
この付近は鳥獣保護区になっています。猟犬の訓練はしないでください。
 (神奈川県)
この林道は許可車輌以外は進入禁止です。
 (厚木市役所)
分岐から緩やかな林道を6分ほど登っていくと、右手の沢の向こう側に岩が露出した箇所がありました。 垂直に近い岩場で、数人がロープを使って岩場登りの練習をしていました。
山火事注意
火の始末 山に来るたび 歩くたび
タバコの投げ捨てはやめましょう
 (厚木市)
美しい七沢にゴミを捨てないでネ
 (丹沢大山ゴミ持ち帰り運動推進協議会)
大釜弁財天
岩場を過ぎて4分ほどすると、右手に大釜弁財天があります。 「大釜大弁財天尊」の石碑と鳥居が建っています。 鳥居の先では岩場に勢いよく水が流れていました。 滝壺が三段になっていて、それぞれが釜のような形をしています。 水の流れで磨かれたのでしょうか、岩の表面がツルツルになっていて滑りやすいので注意しましょう。
日向山登り口
大釜弁財天を後にして少し行くと、道幅が広がって駐車場のようになっている場所があります。 その左手の山腹に細い横木の階段が続いています。 そばにある「日向薬師60分」の道標が、この道を指しています。
土石流出防備保安林
保安林があれば…保安林がないと…
この保安林は厚木市七沢地域の土砂の流出防止に役立っています。 森林は、枝や葉や枯枝等で土地を覆い、根によって土壌を締め付け、 降雨による林地の表面浸食や、崩壊によって生ずる土砂の流出を防止する重要な役割りをはたしています。 この保安林は、これらの機能を高めるため、特に指定された保安林です。 保安林内においては、次の行為は知事の許可を受けなければなりません。
一、立木竹の伐採及び立木の損傷
二、土石の採取及び樹根の採掘
三、その他土地の形質を変更する行為
森林は国の宝です。保護育成に努め、後世に引き継いで行きましょう。
 (神奈川県)
土石流危険渓流
相模川水系二の足沢
土石流が発生する恐れがありますので、大雨の時は十分注意して下さい。
 (神奈川県、厚木市)
山火事注意
たばこの投げ捨て注意
 (厚木市消防署玉川分署、厚木市消防団)
七沢温泉分岐
桧林の中に急な横木の階段が続きます。 8分ほどの急登で尾根に着きます。 右に曲がった直ぐ先で、七沢温泉への道が左手に分かれていきますが、 道標「日向薬師40分」に従って、尾根道を直進していきます。 ここからは、これまでの急登よりは幾分緩やかな道になります。
日向山 (標高404m)
広めの尾根道を登っていきます。 やがて現れる横木の階段を登り詰めると、七沢温泉分岐から10分ほどで日向山の頂上に着きます。 山頂には小さな石の祠があります。 祠のそばには「日向薬師の森案内図」がありました。 ここから道が二手に分かれています。 一つは正面の「日向薬師」への道で、もう一つは祠の奥の方へ続いている「弁天の森分岐・梅の木尾根」への道です。 頂上にはベンチが幾つか設置されています。
日向山山頂
ここは日向山という標高404mの山の頂上で、伊勢原市と厚木市の境界になっています。 この山頂にある石祠は、天明8年(1788)と刻まれており、弁天さまが祀られていました。
東側が開けているので景色を楽しみながら休憩していきましょう。 伊勢原市から厚木市の街並みが一望できます。 この日は天気がよくて、横浜のランドマークタワーや新宿の高層ビル群までも遠望できました。
日向薬師奥の院
桧林を抜け雑木林を抜けて降っていくと、4分ほどで山腹に穴が開いていました。 中は四角い壁に囲まれていて小さな石造の位牌のようなものがありました。
日向薬師奥の院
この自然の地形を利用した祠は日向薬師奥の院です。 以前は虚空蔵菩薩さまが祀られていましたが、現在は参詣しやすいように本堂の脇の霊樹のなかに祀られています。
昭和30年代まで使われていたという「炭がまの跡」を過ぎていきます。 雑木林の中の道を8分ほど降っていった所にある短い石段の下で広めの道に降り立ちます。 右手は弁天の森キャンプ場を経て広沢寺温泉へと続く道で、 日向薬師へは左手の道を緩やかに降っていきます。 少し先に、日向山の頂上にあったのと似た「日向薬師の森周辺案内図」がありました。 この図によると、この周辺には今回のコース以外にも色々と散策路があるようです。 またの機会に訪れてみたいものです。
豊かな緑 山火事注意
たばこ・たき火は完全に消そう!
 (森林国営保険、神奈川県)
昭和50年頃に植えられたという約100本の梅の木がある日向梅園を過ぎていくと、 日向薬師の上にある駐車場に着きます。 この左手には、薬師林道を経て巡礼峠から御門橋バス停へと向う関東ふれあいの道「巡礼峠のみち」が続いていますが、 日向薬師へは右前方にある「日向薬師」「霊山寺」と記された大きな石柱の間を降っていきます。
小さな火 「まさか」がおこす 山の火事
私は山火事防止のシンボルです
 (神奈川県)
日向薬師
石柱を抜けて降っていくと、日本三大薬師の一つ、日向薬師に着きます。 この地は日向山霊山寺といいますが、阿夫利山(大山)の東側山麓にあって東の方、 日光をさえぎるものがなく日向と呼ばれるので、俗に日向薬師といわれています。 「宝城坊」と呼ばれる本堂は茅葺屋根になっていて赴きがあります。 境内にある鐘堂も茅葺屋根になっています。鐘堂の四隅に3本ずつ合計12本ある柱は、 刻を守るとされる十二神将をあらわすとも云われているようです。
日向薬師 高野山真言宗
日向薬師は、日向山霊山寺と称し、霊亀2年(716)行基菩薩によって開かれた。 行基が熊野を旅していたときに、薬師如来のお告げを受けて、この地に 霊山寺を建立したと伝えられている。 薬師信仰は、奈良時代に盛んになり、全国に広まった。薬師如来は、 東方瑠璃山に在って、現世の利益を願う尊である。 行基は薬師如来を深く信仰し、その教えに従い、各地に農業用水池・橋・道路をつくった。 また、旅人の苦難を救うための布施屋(無料休泊所)を設置した。一方、病者の救済には 献身的であった。このように社会活動に尽くしたため、人々から仏の生まれ代わりと 称えられた。 宝殿内には、国指定文化財24を有している。本尊の薬師三尊像は一本造りのなた彫りで、 平安前期(782〜897)の作で、なた彫り像の代表といわれている。その他、前立薬師三尊像・ 阿弥陀如来像・四天王像は鎌倉期(1185〜1333)、十二神将像は鎌倉後期(1330)または 南北朝期(1340)頃の作といわれている。これらの尊は仏像彫刻の代表であると賞賛されている。 寺は、かつて勅願寺とされたが、民衆の篤い信仰をうけて、今日まで法燈が受けつがれてきた。 日向薬師は、周囲の自然との調和の中で、人々の心の安らぎ・和やかさ・健康保持等の、 加護を願う尊として、益々信仰を厚くしている。
 (伊勢原ライオンズクラブ)
史蹟 宝城坊
宝城坊は、古来日向山霊山寺と称し、また日向薬師の名で知られ、 霊亀2年(716)僧行基が熊野権現と白髭明神(高麗三若光)の援助により開創されたと伝える。 元正天皇より勅願寺の宣下があり、爾来国家の庇護のもとに栄えたが村上天皇の頃炎上し、 勅によって、天暦6年薬師堂をはじめ諸堂が再興された。 寛仁年間の頃、相模の国司大江公資の妻相模は眼病平癒の祈願をして当寺に参籠し、 「さして来し 日向の山を頼む身は 目も明らかに 見えざらめやは」と詠している。 仁平3年(1153)鳥羽法皇により梵鐘が再鋳、後一条帝より霊山寺の勅額がおくられた。 建久3年(1192)源頼朝は、妻政子の安産を祈願、建久5年には、姫の病気平癒を祈って自身参詣している。 その後も鎌倉の幕府、関東公方、小田原北条氏、徳川幕府と引きつづき崇敬し、 寺内の保護につとめたので、現存する数多くの文化財が、この辺地に往時のままで保存されたのである。 文明18年(1486)京都聖護院門跡道興准三后は、奥州巡錫の際、当山に宿泊しており、 当山が本山派修験の主要な道場となっていたことを物語っている。
 (伊勢原市教育委員会)
仁王門
正面の石段から参道を降っていきます。 5分ほど降っていくと、大きな仁王が両側に立つ仁王門があります。
重要文化財 金剛力士像
金剛力士は仁王ともいわれ、寺の表門にいて寺の境内を守るとされる。 一体は口を開いて左に金剛杵をとり、一体は口を閉じて右手を開いた形に 現れている。阿・吽二形像である。像高は阿形3.5メートル、吽形像は3.4メートルある。 天保初年の火災により仁王門とともに焼失した後、天保4年(1833)に造像されたと 思われるのがこの像である。作者は鎌倉扇谷の後藤慶明で、明治20年代に子の後藤慶広と その長男運久により彩色が施された。
 (伊勢原市教育委員会)
神奈川県指定天然記念物 日向薬師の寺林
日向薬師の境内には、スダジイ、モミ、ウラジロガシ、イロハモミジ、タブノキ、 ケヤキなど自然植生の構成種とスギの植栽樹種が高木として多数生育しており、 イノデ・タブ郡集、ホソバカナワラビ・スダジイ群集にまとめられ、肥沃な立地に 発達する林相を示している。 また、ホソバカナワラビ・スダジイ群集は真鶴、湯河原より飛地分布しており、 学術的に極めて貴重な林である。 この寺林は参道脇に発達したスダジイ林と薬師堂裏手のウラジドガシ・モミ林の中に ケヤキ、タブノキ、モミの高木が生育しており、各種植生単位が立地条件の差異に 応じてみられる。 自然植生に挟まれた参道は景観的にも優れており、幽玄な寺林特有の厳かさを 保っている。
 (神奈川県教育委員会、伊勢原市教育委員会)
衣裳場
山門を過ぎて石段を降っていくと、景色が広がってきます。 住宅地に降りる手前に関東ふれあいの道の解説版があります。 ここから日向薬師バス停までは200mほどです。
衣裳場
頼朝公が日向薬師参詣の時、ここにおいて旅装を脱ぎ白装束に衣裳を着替えたところから 「衣裳場」といわれ、現在ではなまって「いしば」と呼ばれています。 鎌倉時代、征夷大将軍の源頼朝は、娘が建久5年(1194)7月29日から危篤状態におちいり、 八方手を尽くしたが、遂にその効があらわれないので、相模国では霊場として並びないほど 信仰をあつめていた日向薬師に参詣し、病気全快を祈るため、建久5年8月8日の明け方・ 寅の刻(午前4時頃)に鎌倉武士を従えて、日かげ道(大山道)を通り神明橋を渡って、 熊野・白髭の両社の間の道からここに到着しました。 日向薬師参詣は、先陣の随兵として14名、中陣の随兵として22名、後陣の随兵として14名の 諸将たちを従えての行列は日向全山を圧し、まさに壮観の極みであったと伝えられています。
 (環境庁、神奈川県)
石段を降りて正面の道を真直ぐに進んでいくとT字路があります。 手前には関東ふれあいの道の案内板や石仏数体もあります。 ここを右手に行けば、日向薬師バス停はすぐそこにあります。
日向薬師(ひなたやくし)バス停
伊勢原駅(小田急小田原線)まで、伊勢原駅北口行きバスにて20分、 1時間に2本から3本程度の便があります。
ここは3つの関東ふれあいの道の起終点にもなっています。
関東ふれあいの道
この地点は、県内17コースのうち「順礼峠のみち」・ 「大山参り蓑毛のみち」ならびに「太田道灌・日向薬師のみち」の分岐点です。 みどころは、白山・順礼峠・日向薬師・日向渓谷・二重の滝・ 阿夫利神社・太田道灌の墓・三之宮比々多神社など各コースとも他にいろいろあります。
 (環境庁、神奈川県)