称名寺市民の森
散策:2004年05月下旬
【横浜市民の森】 称名寺市民の森
概 要 東京湾に近い金沢区にあり、称名寺を取り囲むようにして続く日向山・稲荷山・金沢山に広がる森です。 金沢山の山頂にある八角堂広場からは、八景島や野島などを見渡せる景色が広がっています。 すぐ近くには称名寺や金沢文庫もあります。
起 点 横浜市 金沢文庫駅
終 点 横浜市 金沢文庫駅
ルート 金沢文庫駅…称名寺赤門…称名寺仁王門…称名寺庭園…称名寺金堂…金沢文庫…北条実時廟…経塚…八角堂広場…台の広場…金沢文庫駅
所要時間 2時間50分
歩いて... 八角堂広場から北条実時廟までの尾根道は、がけ崩れのため通行止めになっていました。 それほど広い森ではありませんが、日向山・稲荷山・金沢山に続く尾根筋の雑木林の散策が楽しめるコースです。
関連メモ 金沢八景, 称名寺市民の森
コース紹介
金沢文庫(かなざわぶんこ)駅
金沢文庫駅(京浜急行本線)から歩いていきます。
東口の階段を降りた所に付近の案内図があります。 称名寺市民の森も記載されているので、市民の森までのコースを確認しておきましょう。 今回は称名寺の赤門から境内を経て市民の森へと進んでいきます。 以前に訪れた時には、金沢八景に関する説明図もあったのですが、 立て替えられたのでしょうか、今回は見当たりませんでした。
称名寺赤門
駅前の道を右折して100mほど行くと、金沢文庫バス停があります。 「金沢文庫 この先850m」と書かれた案内板があるので、 そこを左折して道なりに進んでいきます。 天使幼稚園を過ぎていくと、バス停から10分ほどで称名寺の赤門に着きます。 ここにも付近の案内図があるのですが、 以前にはあった金沢八景に関する案内図はなくなっていました。 どうしてなのでしょうね。
赤門をくぐると、桜並木の参道が続いています。 両側には、お食事処などの店が何件か並んでいます。
大宝院
参道の途中から、右手の路地を数10m進んで石段を登ると大宝院があります。 民家風の門を入っていくと、観音堂がひっそりと佇んでいました。
大宝院略縁起
当院は奈良西大寺の末寺で、金沢山弥勒院称名寺の一坊であった。 鎌倉時代、金沢文庫を経営した北条氏が、四代にわたって称名寺の伽藍を造立した頃、 僧坊として建立されたものと思われる。 文明16年(1484)に記された称名寺の僧鏡心の「鏡心日記」に当院の名がみえる。 本尊は聖観世音菩薩、江戸時代の中頃には金沢札所の第三番に数えられ、 所願成就の観音霊場として多くの参詣者で賑わった。 明治30年(1897)に明治憲法の草案作りのため金沢の地を訪れていた伊藤博文によって、 境内に金沢文庫と閲覧所が復興されたが、関東大震災により倒壊し、 現在は庫裏の一部として残存しているのみである。 本尊は観音堂正面の厨子内に祀られている。
 (大宝院住職)
光明院表門
参道の左手には光明院表門があります。
称名寺塔頭光明院表門
横浜市指定有形文化財(建造物)
構造及び形式 四脚門、切妻造茅葺、袖塀付
時代 寛門5年(1665)
光明院は、称名寺の塔頭のひとつで、「新編武蔵風土記稿」に、 「光明院、仁王門に向かって左にあり、五院の第一揩ネり、本尊地蔵春日の作なり」とあり、 江戸時代後期には、五つの塔頭の一位を占めていました。 この表門は、小規模な四脚門ですが、和様を基調に禅宗様を加味した意匠となっています。 また、市外から近年移築された三渓園の建造物などを別にすれば、造営年代が判明する市内の 建造物のなかで最も古く、極めて貴重です。
 (横浜市教育委員会)
称名寺仁王門
参道をまっすぐに行くと、仁王門があります。 右手には称名寺市民の森案内図があるので参考にしましょう。 市民の森は、称名寺を取り囲むようにして続く日向山・稲荷山・金沢山に広がる森です。
利用上のお願い
1.利用時間を守って下さい。
  ・市民の森内 日の出から日没まで
  ・称名寺境内 午前7時から午後5時まで
2.火気に注意して下さい。
  称名寺は国の重要文化財に指定されていますので、火気に十分注意して下さい。
3.ゴミは持ち帰って下さい。
 (横浜市、称名寺市民の森愛護会)
史跡称名寺境内の整備について
横浜市教育委員会では、史跡称名寺境内の管理団体の立場で、 昭和53年度から昭和62年度までの10年に渡り、文化庁の国庫補助を受けて、 史跡の中心に位置する庭園苑池の保存整備事業を実施してきました。 整備の方針は、発掘調査の成果と重文「称名寺絵図」に基づき、鎌倉時代の苑池造営当初の 姿に復原するというものです。 この10年間で実施した内容は、発掘調査で出土した護岸は粘土で保護しながら 新しい石を張り、現況では発掘できなかった護岸部分は丸太杭で仮整備するとともに、 重文「称名寺絵図」に基づき、平橋・反橋の復原及び植栽・石組等の修景を施しました。
 (横浜市教育委員会)
称名寺庭園ガイド
案内時間:午前10時〜午後3時
所要時間:約30分コースから
受付場所:山門脇ガイド詰所
 (横濱金澤シティガイド協会)
称名寺庭園
仁王門の左手から称名寺の庭園に入っていくと、阿字ヶ池が広がっています。 池には平橋・反橋が架かっていますが、 腐朽が進行して危険になったため平成16年3月から復旧工事中とのことで、この時には通行禁止になっていました。 池には鯉や水鳥が沢山います。 亀も多くいて、天気のいい日には畔の石の上で日向ぼっこをしていたりします。
称名寺庭園
称名寺の庭園は、元亨3年(1323)に描かれた重文「称名寺絵図並結界記」によって、 伽藍の配置と共に完成時の姿を知ることができます。 庭園は、金沢貞顕の時代の文保3年(1319)から、翌年の元応2年にかけて造られました。 作庭には性一法師が携わり、青嶋石を使用した90数個の景石を、中島や池の周囲に大量の 白砂と共に配置することなどを指示し、その満々と水が注がれた苑池には貞顕から 贈られた水鳥が放され、ここに伽藍の美観の要とされる浄土庭園の完成が見られました。 苑池は金堂の前池として、浄土思想の荘厳のために設けられたもので、 南の仁王門を入り、池を東西に二分するように中島に架かる反橋と平橋を渡って 金堂に達するようになっています。 このような配置は、平安時代中期以降盛んになった、浄土曼荼羅の構図に基づき造られた浄土庭園の 系列にあるもので、称名寺の庭園は、時代的に浄土庭園の基本的な形態を残す最後のものとして、 庭園史上高い評価を得ております。
 (横浜市教育委員会、史跡称名寺境内愛護会)
1.この池の魚を釣ってはいけません。
2.池の中に石などを投げ込んではいけません。
3.樹木などをおったりきずをつけてはいけません。
 (横浜市教育委員会)
青葉楓
称名寺の本堂の前には青葉楓がありました。 当初からの木は枯れてしまったようで、幼木が植えられていました。
青葉楓
称名寺本堂前に枝葉をのばすこの木は「青葉楓」と呼ばれるものです。 その由来は、室町時代に活躍した佐阿弥の作とされる謡曲「六浦」によると、 ある時、称名寺を訪れた冷泉為相(1263〜1328)が全山の紅葉に先駆け、 本堂前の楓が紅葉することに感動して 「いかにしてこの一本に時雨けん、山に先だつ庭のもみじ葉」 と詠んだところ 「功なり名を遂げて身しりぞくはこれ天の道なり」 と以後、楓は紅葉することを止め「青葉楓」と呼ばれるようになったといいます。 この楓は近世の地誌類にも金沢の名木としてしばしば取り上げられましたが、 その後、枯れてしまい復活が望まれていました。 この度、金沢区制50周年を記念して「青葉楓」復活の機運が高まり、 たまたまその業の正確なスケッチが文政2年(1829)に編纂された「鎌倉攬勝考」にあることがわかり、 これをもとに紅葉せず常緑のままであるという「常盤楓」に該当するであろうことが考証されて、 区民のみなさんの協力・援助により元のところに植樹されるに至りました。 ここに往時のごとく「青葉楓」がよみがえったのです。
 (金沢区50周年記念事業実行委員会)
謡曲「六浦」と青葉楓
謡曲「六浦」は、梅、松、藤、柳等を人格化し、草木の精として扱った曲の一つです。 京の僧が称名寺を訪れて、山々の楓は紅葉の盛りなのに本堂前の楓が一葉も紅葉していないのを 不審に思うと、楓の精が現れて、昔鎌倉の中納言為相卿が、山々の紅葉はまだなのに この楓だけが紅葉しているので「いかにしてこの一本に時雨けん山に先立つ庭のもみじ葉」と詠むと、 楓は非常に光栄に思い「功なり名とげて身退くは天の道」の古句に倣い、 その後は紅葉せず常盤樹となったこと、草木にはみな心があることを語り、 僧に仏法を説くよう頼み、木の間の月に紛れて消え去ります。 新植された青葉楓の幼木の長寿を祈ります。
 (謡曲史跡保存会)
称名寺金堂
阿字ヶ池の奥には、本堂である金堂があります。 桁行5間、梁間5間、一重、入母屋造、本瓦葺の立派なお堂です。 再建当初は茅葺だったとのことです。 さぞ赴きのあるお堂だったことでしょう。往時の姿が偲ばれます。
称名寺境内
称名寺は、金沢山称名寺と号し、真言律宗の別格本山として西大寺末の律院で、 本尊には木造弥勒菩薩立像(鎌倉時代、重要文化財)が安置されています。 本寺は、金沢北条氏一門の菩提寺で、草創の時代は明らかにしていませんが、 正嘉2年(1258)、金沢氏の祖と称されている北条実時が、 六浦荘金沢の居館内に営んだ持仏堂から発したと推定されています。 その後、称名寺の基礎が定まるとともに伽藍の整備が着手され、実時の子、 顕時の時代には、弥勒堂、護摩堂、三重塔などが建立され、 さらに、顕時の子、貞顕は伽藍の再造営を行い、元亨3年(1323)には、 苑池を中心として弥勒来迎板絵(重要文化財)に荘厳された金堂を初め、 講堂、仁王門など、七堂伽藍を備えた壮麗は浄土曼荼羅にもとづく伽藍を完成させました。 しかし、元弘3年(1333)、北条氏の滅亡により鎌倉幕府の崩壊を契機として伽藍の維持が困難となり、 江戸時代に入ると創建当時の堂塔の姿を失いました。 大正11年、称名寺の内界である中心区域が国指定を受け、更に、昭和47年、境内背後の丘陵を含めた 範囲が指定されるとともに、昭和62年には、庭園苑池の保存整備事業が行なわれました。
 (史跡称名寺境内愛護会、横浜市教育委員会)
称名寺鐘楼
金堂の前には、金沢八景のひとつ「称名の晩鐘」の鐘楼があります。 金沢八景は平安時代の昔からすばらしい景勝地として知られていましたが、 現在では埋め立てなどにより入江の形が大きく変わってしまったため、 この称名寺のほかは当時の姿を見ることができなくなりました。
称名寺の庭園の左手には、金沢文庫へ続くトンネルがあります。 現用のトンネルの右手には中世に使われていた隧道があります。 岩盤をくり抜いて作られたトンネルで、現在では通行禁止になっています。
中世の隧道(史跡・称名寺)
この隧道(トンネル)は、中世につくられたものです。 称名寺の伽藍が完成した元亨3年(1323)に描かれた「称名寺絵図」には、 阿彌陀堂のうしろの山麓に両開きの扉があり、その洞門の位置に一致します。 江戸時代には、隧道の向こう側には「文庫がやつ」という地名があったことが記録されており、 鎌倉時代の金沢文庫の遺跡の有力な候補地です。 県立金沢文庫の建設直前の発掘調査では、この隧道に続く中世の道路が検出されております。 なお、東側は風化が進んでいますが、西側は比較的旧状を残しており、扉の支柱の痕跡も見られます。 この隧道は、国指定の史跡称名寺と金沢文庫をつなぐ重要な遺跡で、永久に文化財として保存されます。
金沢文庫
金沢文庫へ続く現用トンネルの壁には、安藤広重の描いた武州金沢八景の絵画が展示されています。 大きなタイルに描かれていて見ごたえがあります。 素晴らしい景観だったという往時に想いを馳せていきましょう。 金沢文庫では、「十二神将−守護神集結−」と題した特別展が催されていました。
十二神将 −守護神集結−
十二神将は、病気を治してくれるというご利益で知られる薬師如来の守護神として位置づけられ、 その十二という数から、後に十二支と結びつけられて時間や方位とも関わりを持つようになりました。 また天文とも結び付きを持ち、さまざまな形で造形され、祀られ、そして祈られてきました。 称名寺には、鎌倉時代に描かれた天文との結び付きを象徴する十二幅の十二神将の画像が伝わっています。 さらに、近隣の寺院にも特色のある十二神将の彫像や画像が残されています。 本展ではこれら地域の十二神将像の他、最近になって制作時期が平安時代にさかのぼることが 判明した十二神将像や、称名寺に伝わる鎌倉時代の文献とつながる可能性の高い、新発見の十二神将像など、 薬師如来や十二神将と関係する文献資料とあわせて、一堂に展示いたします。
[内川の暮雪]
[瀬戸の秋月]
[平潟の落雁]
[乙艫の帰帆]
[小泉の夜雨]
[洲崎の晴嵐]
[野島の夕照]
[称名の晩鐘]
称名寺の境内に戻り、鐘楼の先にある生け垣の間から外に出て左手に進んでいきます。 目の前には草地が一面に広がっています。 街の中にもこんなに広い草地が残っているなんて、何だか感動したりします。
浅い谷戸の奥から緩やかな山道を登っていきます。 道が広がり桜の並木を抜けていきます。 この辺りは春になると桜色で一杯になります。
北条実時廟
石段を登っていくと尾根道に着きます。 正面には金沢北条一門の墓があります。 中央に実時の墓、左手に3基、右手に2基の一門の墓があります。
北条実時の墓
北条実時(1224〜1276)は、鎌倉幕府の第二代執権であった義時の孫で、 貞応3年に実泰の子として生れました。 実時は、引付衆や評定衆など幕府の要職を歴任し、文永3年(1275)には越訴奉行をつとめています。 政治面で活躍する一方、広範な分野の学問にも力をつくし、文武ともにすぐれた知識人で、 現在の称名寺がある地に別業を開き、金沢文庫の礎を築きました。 墓地中央の宝篋印塔は、実時の墓と伝えられ、さらに左右の五輪塔は一門の墓といわれています。 また、江戸時代この墓地を修理したときは、素焼きの壺の額が出土したといいます。
 (横浜市教育委員会)
左手の尾根道は、稲荷山休憩所を経て八角堂広場へと続いていますが、 がけ崩れ等により危険とのことで、この時には通行止めになっていました。 雑木林に続く右手の尾根道を進んでいきます。 各所に手摺りが設置されていますが、それほど危険な感じはありません。
左手の道を後日に歩きました。(「称名寺市民の森」を参照)
散策路・広場以外の立ち入りはできません。
 (横浜市緑政局)
道標によると、展望所になっている日向山デッキが途中にあるはずなのですが、 見落としたのか、それらしいものは見かけませんでした。 やがて急な横木の階段が現れます。
草花の採取禁止
自然を大切に
階段を降ると称名寺の横の草地に出ます。 ここにも市民の森の案内図があるので参考にしましょう。 正面に続く道を進み、突き当たりを右折していくと、先ほど称名寺から出てきた生け垣の所に着きます。 称名寺の境内を通って、八角堂広場へと向かっていきます。
金堂の左手に、八角堂広場への登り口があります。 ここにも市民の森の案内図があります。
称名寺市民の森鳥獣保護区
この区域は鳥獣の捕獲が禁止されております。 鳥獣の保護にご協力をお願いします。
 (神奈川県)
市民の森ご利用の皆様へ
危険なため、現在、八角堂広場から北条実時御廟までを通行止めにしています。
 (称名寺市民の森愛護会、横浜市南部農政事務所)
急な石段を登っていきます。 四角い石柱に掘られた特徴的な形をした石仏が並んでいます。
石仏にさわるのはやめよう
キケンです。
 (称名寺市民の森愛護会)
経塚
石仏のそばを過ぎていくと経塚があります。 石段を登っていくと観音様がある観音広場になっています。
石仏を大切に!
 (称名寺市民の森愛護会)
観音広場を過ぎていくと小さな鞍部があります。 その先からは横木の階段を登っていきます。
ゴミの投捨てはやめよう。
 (称名寺市民の森愛護会)
八角堂広場
階段を登りきると八角堂広場に着きます。 ここにも市民森の案内図があります。 八角堂の右手からは、稲荷山休憩所を経て北条実時廟へと尾根道が続いていますが、 がけ崩れ等により危険とのことで、2年前に訪れた時には通れたのですが、この時は通行止めになっていました。
右手の道を後日に歩きました。(「称名寺市民の森」を参照)
犬を連れていらっしゃる方へ
・この場所で犬の放し飼いはやめましょう。
・犬のふんは飼主が必ず始末しましょう。
・愛情をもって犬は正しく飼いましょう。
 (横浜市緑政局)
広場からは金沢の街や八景島・野島などを見渡せます。
八角堂の左手から、道標「台の広場・金沢文庫駅方面」に従って、横木の階段を降っていきます。 かなり急な階段なので注意しながら降っていきましょう。
階段を降りきると分岐があります。 道標に従い、右手の道を台の広場へと進んでいきます。
森の美化に協力を!
台の広場
まき道を左手に見送って階段を登っていくと、台の広場に着きます。 周りは樹木に被われていて展望はありませんが、 ベンチが幾つも設置されいて、ちょっと休憩するにはいい場所です。 ここにも市民の森の案内図があるので、帰り道を確認しておきましょう。
樹木を保護して取るのをやめよう
 (称名寺市民の森愛護会)
台の広場の先へ進んでいくと、やがて視界が開けます。 石段を降り、その先の道路を真直ぐに進んでいきます。 突き当たりのT字路を右折し、20mほど先にある十字路を左折していきます。
再びT字路があるので右折して道なりに進んでいくと、信号のある交差点に着きます。 ここを左手に行けば、金沢文庫駅はすぐそこにあります。
金沢文庫(かなざわぶんこ)駅
金沢文庫駅(京浜急行本線)から家路に着きます。