豊顕寺市民の森
散策:2004年04月上旬
【横浜市民の森】 豊顕寺市民の森
概 要 豊顕寺市民の森は神奈川区南西部に位置し、三ツ沢公園に隣接する山林で、 古くから横浜のサクラの名所として親しまれてきた豊顕寺を中心とする森です。 早春は約200本の桜、初夏にはアジサイなどの花木が楽しめます。
起 点 横浜市 三ツ沢上町駅
終 点 横浜市 三ツ沢下町駅
ルート 三ツ沢上町駅…門前橋…豊顕寺…市民の森入口…山門…桜広場…藤棚広場…八幡広場…山門…門前橋…三ツ沢せせらぎ緑道…観音橋跡…島田橋跡…三ツ沢下町駅
所要時間 1時間40分
歩いて... 小さくて静かな森ですが、花木がたっぷりと植えられた石段では古都の風情を感じたりします。 桜広場での花見や藤棚・あじさい・秋の紅葉と、四季を通して楽しむことができます。 近くにある三ツ沢公園や三ツ沢せせらぎ緑道を散策するのも楽しみです。
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コース紹介
三ツ沢上町(みつざわかみちょう)駅
三ツ沢上町駅(横浜市営地下鉄)から歩いていきます。
エスカレータを乗り継いで改札口を出ると大きな周辺案内図があるので参考にしましょう。 左手の出口1「三ツ沢公園方面」から地上へ出ます。
地上へ出て、国道1号(横浜新道)を右手へ進んでいくと、すぐに豊顕寺入口の交差点があります。 ここを右折していきます。
門前橋
50mほど進んでいくと、小川に架かる門前橋を渡ります。 この小川は「三ツ沢せせらぎ緑道」として整備されいます。 この緑道は市民の森からの帰りに歩くことにして、このまま真直ぐに進んでいきます。
三ツ沢風致地区
三ツ沢風致地区は、三ツ沢公園を中心にした緑豊かな区域です。 風致地区内で次の行為を行なう時は、事前に市長の許可を受けてください。
・建築物の建築その他工作物の新築、改築、増設または移転
・建築物などの色彩の変更
・宅地の造成、土地の開墾その他の土地の形質の変更
・水面の埋立又は干拓
・木竹の伐採
・土石の類の採取
・屋外における土石、廃棄物又は再生資源の堆積
なお、この地区では、風致の維持向上のため植栽等の配慮をお願いしています。
 (横浜市緑政局緑政部緑政課)
豊顕寺入口
すぐに豊顕寺の入口の大きな石柱が立っています。 そばには豊顕寺の由来が記された解説板があり、往時の様子が描かれた挿絵もありました。
豊顕寺
当寺は、法照山と号す法華宗陣門流総本山本成寺末の寺院です。 三河国多米村(現愛知県豊橋市多米町)の郷士多米元興は、先祖菩提のため、 永正12年(1515)多米村に本顕寺を建立しました。 元興の父現益は、伊勢七騎の一人でした。 (伊勢はのちに北条氏と称す)元興は天文年間(1532〜1555)北条氏が関八州を領有した頃、 青木の地に城塞を構えていましたが、のちに連信斉と名乗り三ツ沢のこの地に隠棲して本顕寺を移し、 豊顕寺と改称しました。元興の歿後、その子長宗は青木城を領し、元興の隠棲の地を当寺に寄進し、 堂宇を造営したので、地方には希な巨刹となりました。 享保5年(1720)本宗の壇林として学舎5棟、学寮25棟を建設し、開講式を挙行しました。 学徒は300人を下らぬ盛況を極めたといいます。 その後も再建・増築をし、宏大な規模になりましたが、明治期になり火災による焼失、 大正期の地震による倒壊によって壇林は廃絶いたしました。 境内には、鷲津(静岡県)の本興寺から根分けした藤を記念しての碑が藤棚の下にあり、 また、江戸から保土ヶ谷宿に来宿し、宿内の人々に歌学を教授した山平伴鹿の歌碑があります。 多米家歴代の墓は、境内左側にあります。
 (横浜市教育委員会文化財課、横浜国際観光協会)
石柱を入っていくと、大きな桜の並木が続いています。 訪れた時は満開を少し過ぎた頃でしたが花はまだまだ残っていて、 一面がピンク色に満ちていて綺麗な景色でした。 桜の下を通っていくと右手に豊顕寺の山門があります。 豊顕寺市民の森はこの正面にあるのですが、ちょっと豊顕寺に立ち寄っていきましょう。
豊顕寺
豊顕寺の境内には、横浜市の名木古木に指定されている大きなイチョウの木があります。 また桜の花も咲いていて綺麗でした。 本堂の左手には日蓮大聖人像があり、その横からも豊顕寺市民の森へ入っていけます。
市民の森入口
先ほどの山門から元の道に戻っていくと「豊顕寺市民の森」と記された標柱が立っています。 右手には市民の森の案内図があります。
豊顕寺市民の森
神奈川区南西部に位置し、三ツ沢公園に隣接する山林で、 古くから横浜のサクラの名所として親しまれてきました豊顕寺を中心とする市民の森です。 早春は約二百本の桜、初夏にはアジサイなどの花木が楽しめます。
 所在地 神奈川区三ツ沢西町158-1
 面積 2.3ヘクタール
神奈川区ビューポイント36景「豊顕寺市民の森」
地域に親しまれている風景や魅力ある場所のうち「ふるさと神奈川区」を 再発見できる36景として、区民によって選ばれました。
桜の名所として知られる豊顕寺は、16世紀に三河国から三ツ沢に移された古刹です。 江戸時代には壇林が開かれ、大勢の学僧が修行していました。 また、境内周辺の山林は「市民の森」に指定され、市街地の中の貴重な緑として保全されています。
山門
植え込みの間の石畳の道を進み、石段を登っていくと山門があります。
山門をくぐっていくと市民の森が広がっています。 正面の石段は戻りに降ることにして、先ずは右手に進んでいきます。
花木を大切に
他人の迷惑になる行為はやめましょう
 (豊顕寺市民の森)
桜広場
山門の右手には桜広場があります。 満開を少し過ぎてはいましたが、桜が綺麗に咲いていました。 地面には散った花びらが一面に落ちていてピンク色に染まっていました。 広場にはテーブルやベンチが多く設置され、多くのグループが花見を楽しんでいました。
火の始末 山に来るたび 歩くたび!
たばこはよく消そう!
 (市民の森愛護会、横浜市)
広場に続く桜並木の下を通っていくと、正面に幅の広い石段があります。 この石段を登って左手へ進んでいきます。
間隔の広い横木の階段を過ぎていくと、やがて緩やかな道になります。 左側に続いている柵は、行楽客の安全のためというよりも自然保全のためにあるようでした。
危険です
これより立入禁止
 (豊顕寺市民の森)
この森は地元で管理しています。
尾根道をしばらく進んでいくと、右手に入っていく細い道があります。 両側の植え込みに囲まれ間ながら、その道を進んでいきます。
豊顕寺市民の森鳥獣保護区区地図
この区域は鳥獣の捕獲が禁止されております。 鳥獣の保護にご協力をお願いします。
 (神奈川県)
藤棚広場
植え込みの間を進んでいくと藤棚広場があります。 周りを樹木に囲まれた広場になっています。 テーブルやベンチがいくつか設置されています。 藤棚もありますが、藤の花の季節はまだ先のようでした。
コンロの使用禁止
タキビ厳禁
 (豊顕寺市民の森)
八幡広場
藤棚広場を抜けていくと、すぐに八幡広場があります。 広くなった尾根に東屋が一つ建っています。 ここがこの市民の森の最高地点になります。 地面には桜の花びらがいっぱい落ちていました。
八幡広場の先に市民の森の出口があります。 ここに市民の森の案内板があります。 入口の所にあったのと同じような図です。 この先は三ツ沢公園になりますが、今回は公園には立ち寄らずにおきます。
豊顕寺市民の森
市民の森は、山林所有者の方々と契約し、市民の憩いの場として、 整備、開放しているものです。 利用される方はこのことをご理解いただき、下記のことに注意して大切に利用して下さい。
・歩行中の喫煙等火災の原因となる行為はやめましょう。
・空き缶などのゴミは持ち帰りましょう。
・犬はクサリ等につなぎ、フンは飼い主が責任を持って始末しましょう。
・風紀を乱したり、他人の迷惑になる行為はやめましょう。
・生物や植物を大切にしてください。
 (豊顕寺市民の森愛護会、横浜市北部農政事務所)
案内板の左手から続く石段を降っていきます。 石段の両側にはアジサイの木がたくさん植えられています。 まだ花の季節には早すぎるようで、やっと若葉が出てきたところでした。
花木を大切に
他人の迷惑になる行為はやめましょう。
 (豊顕寺市民の森)
山門
周りの林の中からガサガサと音が聞えてきます。 何だろうと目を凝らしてみると、多くの小鳥たちが落ち葉の上を歩いていました。 石段を降りきると元の山門に着きます。
門前橋
山門を抜けて石段を降り、市民の森を後にします。 このまま元来た道を三ツ沢上町駅へと戻ってもいいのですが、 せっかくなので三ツ沢せせらぎ緑道を通って三ツ沢下町駅まで歩いていきましょう。
三ツ沢せせらぎ緑道
門前橋を渡って右手に続く緑道を進んでいきます(左手にも続いています)。 三ツ沢せせらぎ緑道は、上田橋跡から鶴亀橋跡まで続く約1.7kmの散策路です。 今回はそのうちの門前橋から島田橋跡までの1kmほどを歩きます。
「せせらぎ緑道」は歩行者のための散策路です
1.バイク自転車乗入禁止
2.ゴミは捨てないこと
 (神奈川県土木事務所、三ツ沢自治連合会)
住宅の裏手をコンクリート舗装された道が続いています。 その脇にはせせらぎが流れています。 近くの三ツ沢小学校の生徒たちが書いた説明書きや注意書きが至る所にありました。
ザリガニの1年間の生活
ザリガニのことをいっぱい知ってね。
(春)ザリガニが冬眠から起きます。
(夏)水が熱くなり、水が少なくなります。それで岩の下に隠れます。(岩の隙間)
(秋)ザリガニが冬眠します。(準備)
(冬)ザリガニが冬眠して寝てます。
ザリガニの鋏、歩き方、逃げ方
ザリガニはヤゴを食べるザリガニ。 大人のザリガニは大きくて強い鋏で獲物を捕らえます。 でも鋏が小さくて弱い子供のときは主に植物を食べてます。 ザリガニの鋏はギザギザが沢山ついています。 挟まれると痛いし、逃げようとしてもギザギザに体が引っかかって逃げられません。 歩き方は、鋏を持ち上げ、ゆっくりと押して歩きます。 逃げるときのザリガニは、尻尾を丸めて後ろに勢いよくジャンプします。
 (三ツ沢小学校3年2組)
しばらく進んでいくと、岩が幾層にも重なっている所がありました。 岩層の間からは水が滴り落ちていました。 苔類も生えていてしっとりとした雰囲気を出していました。 下末吉層というそうです。
せせらぎのゴミを拾っています。 ゴミは持って帰るか、学校の前のゴミ箱に捨ててください。 せせらぎの水の中にゴミを捨てると水が汚れて生き物が棲めなくなるので、 絶対にやめてください。 せせらぎを綺麗にするので、ご協力お願いします。
みなさん、ポイ捨てをすると、生き物が死んでしまうって知っていますか。 もし落としたゴミをザリガニやカワニナが食べたら死んでしまうかも知れないので、 ゴミを捨てないでください。ポイ捨ては禁止です。
 (三ツ沢小学校3年2組)
やがて三ツ沢小学校の裏手を通っていきます。 校舎の壁際には生徒たちの活動の様子が掲示されていました。 自分の子供の頃を懐かしく思い出しながら記事を読んでみました。
豊顕寺探検
豊顕寺探検では、崖登りや木のぼり、ブランコなどを何回繰り返しても楽しい遊びです。 また、木の家作りや秘密基地作り、ミミズやコオロギとり、木の実などを使ってお店やさんなど、 遊びを発見しながら楽しんでいます。 豊顕寺の自然と友だちになり、楽しい学習の場となっています。
せせらぎ探検
生活科のせせらぎ探検の学習では、ザリガニつりやカワニナとりをしながら、 生き物と仲良くなり、命を大切にすることを学んでいます。 ザリガニがたくさん釣れるように道具の工夫をしたり、 網を使って友だちと協力してつり上げたりして、楽しんでいます。
あじさい植樹
峰沢にあるあじさいロードで活動している花咲かせ隊の方々と、花咲かせ隊ジュニアとして、 色々なことを教えていただきながら活動してきました。 今あじさいを挿し木して育てています。 あじさいロードのように、あじさいや色々な花が咲く美しいせせらぎにしたいです。 3月にあじさいを植えます。
ホタル幼虫放流会
ホタル委員会の子供達が一生懸命卵から育ててきたホタルの幼虫。 その幼虫を各クラスで1週間お世話しました。 今年は幼虫の数が少ないということで、4年以上のクラスでの愛育となりました。 低学年にとっても「なぜホタルが少ないのかな」とホタルを育てることの難しさを考えるきっかけになりました。 1週間経ったこの日、ホタルを放流することになりました。 再び会う時には、成虫となって綺麗な光を私達に見せてくれることでしょう。
ホタル観察会
三ツ沢小学校体育館でホタルの観察会が行なわれました。 ホタル委員会の児童の司会・進行もすっかりおなじみになり、 これまで見守り育ててきた三ツ沢のホタルが飛ぶ日を心待ちにしていた皆さんと共に 和やかな会となりました。 会の後半では、ホタルの舞う時間を待っていよいよ「ほたるの里」へ。 暗闇の中に美しい光を放ち、ホタルの飛ぶ姿はまさに幻想的でそこだけ別世界のようでした。
ホタルの一生
6月〜7月 卵の大きさ0.5mm。成虫一頭から500前後の卵が産まれます。そのうち成虫になるのは1%ほどです。
7月 卵の孵化。およそ30日で孵化します。長い水中生活の始まりです。
8月〜3月 カワニナを食べる幼虫。5〜6回の脱皮を繰り返しながら成長していきます。
4月 上陸。体長20〜25mm。雨の降った夜に上陸します。深さ数cmのところまで潜り、土まゆをつくります。
5月 蛹。体長15〜20mm。土まゆの中で脱皮をして蛹になります。
小学校を後にして更に進んでいきます。 小さな小川が続いています。 何だか、ドロンコになって遊んだ子供の頃を思い出したりします。
せせらぎ緑道を利用される皆様へ
いつも清らかで、安全に楽しく遊べるよう、次のことを守って下さい。
1.せせらぎの密は循環して流れていますので、空き缶・ゴミ・タバコの吸い殻等を捨てないこと。
2.犬は水の中に入れないこと。糞は飼い主が必ず持ち帰って始末すること。
3.樹木、生き物は折ったり、採ったりしないこと。
 (三ツ沢連合町内会、神奈川土木事務所)
観音橋跡
今下橋跡を過ぎていくと住宅街が続くようになります。 やがて少し広くなった観音橋跡に着きます。 コンクリートばかりで味気ない所でしたが、それでも子供達が水遊びに興じていました。 ここに三ツ沢せせらぎ緑道の総合案内図があるので、ちょっと勉強していきましょう。
三ツ沢せせらぎ緑道
三ツ沢せせらぎ緑道は、滝の川跡地を利用して、周辺の豊かな自然を残し、 地下鉄から湧き出る地下水を使ってせせらぎをつくった水と緑の散策路です。 この緑道は、区役所周辺と三ツ沢公園、豊顕寺市民の森一帯とを結ぶ神奈川区の広域的散策路として、 みなさんに活用していただくとともに、通勤、通学、買い物などが安全で快適にできるよう整備したものです。
総延長約1,700m
せせらぎ延長約900m
児童公園三ツ沢南町公園、観音橋公園
広場水門広場、門前橋広場、ふれあい広場、わくわく学習広場
事業分担下水道局、道路局、緑政局、交通局、都市計画局、神奈川区
事業年度昭和56年〜63年度
総事業費約18億円
三ツ沢の地層
三ツ沢せせらぎ緑道の北側と南側に東西にのびる丘は、40から50メートルでほぼ同じ高さです。 この二列の丘の地層は同じものであることから、もとはつながっていたひとつの台地だった事がわかります。 そして三ツ沢の低地は、この台地が水による侵蝕作用をうけて形成された部分ということになります。 地層が水平方向に縞状に見える部分は下末吉層で、軟らかい砂や粘土と固い泥岩や砂岩が何層にも重なっています。 丘の上に降った雨水が浸み込み、下末吉層の水を透さない岩の部分までくると、 砂や礫の層を伝わって崖の表面に出てきます。 緑道からは、この絞り水がところどころで見られます。
三ツ沢貝塚
三ツ沢せせらぎ緑道の南側一帯の丘の上に「三ツ沢貝塚」の名で有名な遺跡群があります。 三ツ沢貝塚は縄文時代後期から弥生時代にかけて形成されたものですが、 特に縄文時代後期が全盛期であったようです。貝塚からは、土器、土偶、石斧、石皿、 やじり、釣針、装身具などの人工遺物のほか、魚、鳥類、シカ、イノシシの骨も発見され、 当時の食生活や文化の様相を知ることができます。 また、貝塚のほかに人骨や竪穴住居跡も発見されており、大規模な集落があったことをものがたっています。 この三ツ沢はその当時、現在の低地部まで海が入り込んでいて、 丘の上には約4000年前から人が住んでいたことがわかります。 遺跡の研究者の一人であった石野瑛氏は、昭和初期に遺跡の規模は翆嵐高校から松が丘までの約600メートルに及び、 その幅は三ツ沢東町の北斜面から沢渡の南斜面に及び、最大幅は300メートルを超えるもので、 貝塚、住居、墓地を伴う大集落であると推測しました。 この推測は以後この地区の急速な宅地化に伴い、本格的な発掘調査ができないまま現在に至っていますが、 昭和46年に北斜面の雑木林の一部で発掘調査が実施され、膨大な資料を採集することができました。
 (横浜市)
神奈川区ビューポイント36景「三ツ沢せせらぎ緑道」
地域に親しまれている風景や魅力ある場所のうち「ふるさと神奈川区」を 再発見できる36景として、区民によって選ばれました。
旧反町川の跡地に造られたうるおいとやすらぎのある小径です。 散策路の脇には、湧水を水源にしたせせらぎが流れる快適な緑の空間です。 三ツ沢小学校の子どもたちとほたるを育てる会の人たちが三ツ沢にホタルを呼び戻そうお 大切にホタルを育て幼虫の放流などをしています。 初夏には何頭のホタルがみられるか楽しみです。
島田橋跡
住宅街の中の道を進んでいくと国道1号(横浜新道)に出ます。 この辺りで散策を終えて帰路に着こうと思います。
鶴亀橋跡
国道に出た所にある島田橋交差点を渡った先にも緑道が続いているので、 鶴亀橋跡までを歩いてみました。 途中にある延命地蔵尊を過ぎていくと、三ツ沢せせらぎ緑道の総合案内板がある鶴亀橋跡に着きます。 そばには愛染地蔵尊がありました。 滝の川周辺の水車のある風景画もありました。自然が豊かにあった遠い昔が偲ばれます。
鶴亀橋跡
鶴亀橋は、江戸時代初期、三ッ澤の豊顕寺道の途中に架橋した木橋でしたが、 川は暗渠となり、一帯は三ツ沢せせらぎ緑道として整備されました。 現在、橋跡に青銅製の擬宝珠(寛永4年在銘)が遺されています。 寛永4年(1627)の銘がある擬宝珠は、市域としては貴重です。
 (横浜市教育委員会)
ガーデン橋とガーデン山
ガーデン橋は、愛染地蔵前の滝の川にかかっていた橋です。 川の跡地に三ツ沢せせらぎ緑道を整備するにあたって、長い間人々に親しまれてきた美しい橋の面影を残そうと、 青銅の擬宝珠を冠した親柱を緑道の入口に保存しました。 ガーデン橋と呼ばれるようになったのは大正時代以降で、江戸時代には鶴亀橋といわれていました。 橋名が変わったのは、この橋から北西に至る山に「横浜ガーデン」が造られてからのことです。
延命地蔵尊
延宝8年(1680)三ツ沢村を疫病から守るため、村の入口(今の島田橋付近)に建てられました。 戦後の混乱期には忘れ去られていましたが、社会が落ち着いてくると、 信仰の厚かった人々が滝の川に埋もれていたお地蔵様を今の場所に祀りました。
愛染地蔵尊
昔、滝の川に首のないお地蔵様が流れてきたのを地元の人々が供養してお祀りしたのが始まりです。 名前の由来は、この案内板のところに染物工場があり、そこにお地蔵様があったことにちなんで 名付けられたということです。その後大空襲で焼かれるなどいろいろと痛められましたが、 昭和44年に再び地元の人々によって御尊体を現在地に復旧しました。
滝の川の水車
明治時代までの三ツ沢は、田や畑の広がる農村地帯でした。 そして滝の川には四つの水車が回っていました。 電気のない時代、農家では収穫した「もみ米」を水車場へ持っていき、水車で精米をしていました。 四つの水車のうち、一つ目は上田橋の近くにあり屋号をニイヤといい、 二つ目は今下橋の少し上流にあり屋号を川端といいキネ6本でついていました。 三つ目の水車はガーデン橋のところにあり「中の水車」と呼ばれ、 キネ8連の大きな水車で大正5年頃までありました。 四つ目は東横線より少し下流にあり「下の水車」と呼ばれていました。 どの水車も川を部分的にせき止めて、水車に強い水流があたるように工夫していました。 当時の滝の川には四つの水車がゆったりとまわり、水をせき止めた所では子供達が水遊びに興じ、 夜の川岸には無数の蛍が飛びかっていたということです。
 (横浜市)
三ツ沢下町(みつざわしもちょう)駅
島田橋交差点を左折すると、すぐの所に三ツ沢下町駅があります。
三ツ沢下町駅(横浜市営地下鉄)から家路に着きます。