曽我梅林
散策:2004年02月上旬
【街角散策】 曽我梅林
概 要 小田原の市街地の北東部に広がる曽我梅林は、中河原・原・別所の各梅林からなり、 約35,000本の梅が植えられています。毎年2月には梅まつりが開催され、 多くの梅見客で賑わう関東屈指の梅林です。
起 点 小田原市 下曽我駅
終 点 小田原市 下曽我駅
ルート 下曽我駅…梅の里センター…原会場…別所会場…中河原会場…下曽我駅
所要時間 3時間10分
歩いて... 今年は梅の開花が少し遅れているようで、訪れた時には花はまだチラホラ咲きでした。 満開までは後半月といったところでしょうか。 しかし、寒い中でも園内は多くの梅見客で賑わっていました。
関連メモ 曽我丘陵
コース紹介
下曽我(しもそが)駅
下曽我駅(JR御殿場線)から歩いていきます。
駅を出た右手に「周辺案内図」があるので参考にしましょう。 梅の里センターで梅に関する知識を仕入れてから、原梅林、別所梅林、中河原梅林と巡っていきます。 曽我梅林のパンフレットが駅に置いてあるので、もらっていきましょう。
梅の里センター
長谷川豊吉翁之像の後ろに続く道を国府津駅方向へ50mほど進んでいくと、 小田原市梅の里センターがあります。 小田原の梅に関する歴史と解説や、多くの梅干しが展示されていました。
開館時間は9時から5時までです。
 (小田原市梅の里センター)
梅の里センターの手前には「長谷川文右衛門氏架橋の石桁」がありました。
長谷川文右衛門氏架橋の石桁
この辺りは、昔から「曽我の郷」あるいは「曽我の里」と呼ばれ、 「曽我物語」の舞台として歴史上有名です。しかし、この丘陵は傾斜が急なため、 谷あいを流れる菊川、砂留川、鍛冶沢川、芳野川、殿沢川、剱沢川、観音沢などの渓流は、 沢山の雨が降ると水が溢れ、砂礫を流して橋を壊すことが非常に多く、 人々を悩ませていました。 そこで、明治の初期、曽我谷津村の名主であった長谷川文右衛門という人が、 堅固な石橋を築造して永くこの憂を救おうと決意し、自らの私財を投げ打ってこれらの川の上に、 二十数ヶ所に及ぶ石橋を架けました。 これ以降、大雨による被害は減りましたが、大正12年(1923)の大震災によって石橋の 大半が壊れてしまいました。また、その後の相次ぐ道路の改修工事によって橋は架け直され、 橋桁は道路の工事石垣などに利用され、現在では確認できなくなりました。 そこで、昭和39年(1964)1月、神戸天王社裏の殿沢川にかけられていたこの二枚橋桁を移設し、 保存することにしました。
{ 長さ:2メートル18センチ、幅:45センチ、高さ:27センチ }
{ 長さ:2メートル10センチ、幅:45センチ、高さ:19センチ }
 (小田原市教育委員会)
梅の里センターを後にして、線路沿いに進んでいきます。 自転車や自動車の駐車場を過ぎていくと、踏切のあるT字路があります。 そこを左折した先の十字路を右折して行きます。 角にある「瀬戸設備」が目印です。
小田原市役所下曽我支所を過ぎ、その先のJA小田原市下曽我支店の前のT字路を右へ進んでいきます。 民家の横に梅畑がありましたが、まだチラホラ咲きでした。
本年は開芯が遅れております。下見にどうぞ。 尚、2月15日は我が家のツルばあさんの88才の誕生日ですので、 皆さんとお祝いをしたいと思いますので、お気軽にお入り下さい。
おもちつき(13時)、梅干し、おでん、おしんこ、こんにゃく、みかん、お茶
無料です。
JA小田原市下曽我支店の先に少し行くとT字路があります。 角にある「原・別所会場」の看板に従って、ここを右折していきます。
ようこそ 曽我の梅林へ
右折して進んでいくと田畑が広がっています。 田んぼには稲藁が三角の形に並んでいました。
畑には梅の木がたくさん植えられていましたが、 満開までにはまだ日がかかりそうでした。
正面のY字路を左へ進んでいくと、更に田んぼが広がっています。 円筒形に積み上げられた藁の向うに富士山がそびえていましたが、 残念ながら雲がかかっていて全容は望めませんでした。
田んぼの横に続く快適な道を進んでいきます。 突き当たりを右折して更に左折して行きます。 左手に梅畑を見ながら進んでいきます。
ゴミを捨てるのはあなたですか!!
海・山・川 この自然を大切に!!
 (小田原市環境部)
原会場
T字路を左折していくと原会場があります。 周囲の梅林には沢山のベンチが設置され、梅見の会場になっていました。 売店では梅干しの販売や梅酒の試飲会などが催されていました。
原会場を後にして、右手の道を進んでいきます。 少し行った所にT字路があり、「別所会場」を示す看板があります。 その看板に従って左折していきます。
やがて右手に道が分かれていきます。 その道を進んでいくと、次第に左右に梅林が広がってきます。 この辺りから、道が複雑になってきます。 途中の道角に手製の「別所梅林案内図」が設置されていました。 今どこにいて、メイン会場はどこなのかをよく確認してから歩き出しましょう。
曽我梅林は白梅が主ですが、少ないですが紅梅も植えてあります。 ちょっとしたアクセントになっていて綺麗な眺めです。
真ん中に流れている小川の向こう側の食堂や売店のある場所が、 今回の梅まつりのメインの別所会場になります。
別所会場
別所会場には、食堂・餅つき御殿・売店などが並んでいました。 貸ゴザ(1枚1回50円)も用意されていて、しっかりと商売されていました。 ここにも周辺案内図があります。 また、下蘇我駅から国府津駅にかけてのウォーキングコースの案内図もありました。 曽我の里散策コース、国府津・曽我の里散策コース、国府津・曽我丘陵ウォーキングコースなどが 紹介されています。いつか挑戦してみたいものだと思います。
(後日に見晴台を経て曽我丘陵まで登りました。「曽我丘陵」を参照)
かながわの景勝50選地 曽我の梅林(曽我別所梅林)
曽我の梅林は、曽我別所梅林、中河原梅林、曽我原梅林からなり、 その規模は、およそ90ヘクタール、三万本の白梅が植えられており、小田原梅の産地であります。 主な栽培品種としては、白加賀(梅酒用)、杉田(梅酒梅干兼用)、十郎(梅干用)であり、 毎年6月から7月初旬にかけて約600〜650トンの生梅が収穫されます。 また、この地から見る富士山、箱根連山、丹沢山塊、相模湾等の眺めもすばらしく、 景勝の点でも優れています。 このように、曽我の梅林は、その規模、景勝の点で関東屈指の梅林として知られております。
食堂の前には小さな八幡社がありました。
下久保、防田の氏神・八幡社
旧曽我別所村の内、下久保、防田地区の氏神で、藩政時代は日蓮宗法蓮寺持ちの社であった。 祭神は誉田別尊、すなわち応神天皇。例祭は8月1日。創建、由来については史料、伝承に乏しく、 明らかではない。「皇国地誌残稿」によれば、明治9年頃の社地は東西7間(12.6b)、 南北5間(9b)あまり、面積約40坪(132平方b)であった。 かつて、周辺は水田地帯で、鎮守はおのずから農民たちの集合所にもなった。 昭和30年代から水田は梅林となり、こんにちその広さは20ヘクタール、曽我を代表する 「別所梅林」になっている。八幡社脇の多目的センターは"曽我梅まつり"の本拠となっている。
 (小田原市教育委員会)
「梅まつり」ということで露店も何軒か出ていて、 梅見客たちも思い思いに食事やお酒などを楽しんでいました。 私もここで大休憩することにしました。 おでん・あんこ餅・イイダコ入りジャンボたこ焼を食べて、お腹一杯になりました。
会場のそばの梅林では「ふれる彫刻展2004」が開催されていて、 10数点の作品が梅の木の間に展示されていました。 これは天野裕夫氏の「マウント・オーロックス」という作品で、 石とブロンズでできた70cmほどの大きさの像です。
次の中河原会場は下曽我駅の左手になるので、一旦下曽我駅まで引返していきます。 といっても、広い梅林の中をどう歩いてきたのかよく分かりません。 行き当たりばったりで進んでいくうちに、どうにか見覚えのある所にでました。 後は、両側に梅の木を見ながら、元来た道を戻っていきます。
下曽我駅に戻って、駅の左前方の道を進んでいきます。 少し行った所に、松の木が生えた分岐があります。 松のそばには「中河原梅林(近道)」とあります。 ここを左へ行くと線路のそばを通って中河原梅林へ行けますが、 この道は帰りに歩くことにして、このまま直進していきます。
しばらく進んでいくと下曽我駅入口の信号があります。 そこを左折して県道72号(松田国府津線)を進み、中河原交差点を過ぎていくと、 横断歩道のある所に中河原会場の入口があります。
中河原会場
梅林の中の歩道を降っていくと、小さな橋を渡った先に「中河原ふれあい広場」があります。 ここが中河原会場になっています。 食堂や売店などが設置され、多くの梅見客で賑わっていました。 ここにも別所会場と同じような曽我梅林の解説板がありましたが、 面積や収穫量などの数値が少し異なっていました。 どちらが正しいのでしょうか。
かながわの景勝50選地 曽我の梅林(中河原梅林)
曽我の梅林は、曽我別所梅林、中河原梅林、曽我原梅林からなり、 その規模は、およそ45ヘクタール、三万五千本の梅が植えられており、 小田原梅の産地であります。 主な栽培品種としては、白加賀(梅酒用)、杉田(梅酒・梅干兼用)、十郎(梅干用)であり、 毎年6月から7月初旬にかけて約380〜400トンの生梅が収穫されます。 また、この地から見る富士山、箱根連山、丹沢山塊、相模湾等の眺めも素晴らしく、 景勝の点でも優れています。 このように、曽我の梅林は、その規模、景勝の点で関東屈指の梅林として知られております。
小川を渡り返して線路方向へ降っていきます。 ちょうどこの時に御殿場方面行きの2両編成の電車が通っていきました。 この御殿場線では、4両編成の普通の電車と、2両編成のワンマン電車が運転されています。 熱海から三島へ通じる路線が出来るまでは、東海道線の一部として活躍する路線だったようですが、 現在ではその面影は余り残っていません。
補足
御殿場線はJR東海の路線なのでSuicaは使えません。 いつもニコニコ現金払いです。 無人駅もあったりして、ちょっと不便ですよね。
ビニールハウスの横を過ぎて小さな橋を渡っていくと、 正面に田んぼが広がっていました。 円筒形に積まれた藁もあり、どこか郷愁を誘う風景でした。
私が生まれて育った所ではこのような形のものは無かったのですが、 神奈川県内でよく見かけるこの藁束に何故だか愛着を感じてしまいます。 古来からの農耕民族の血が流れているためなのでしょうか。 今は第三次産業に従事する日々を送っていますが、 生活の基礎をなすこの第一次産業の大切さをどこかで感じ、 それへの回帰を願っているのかも知れません。
田んぼの中の道を進んでいきY字路を右へ行くと、 民家の先に「下曽我駅へ」という標識が立つT字路があります。 そこを右折していくと、梅林が広がっていました。 畑によって開花度が違っていて、ここの梅はまだ咲いていませんでした。 緑色と青色のネットの間の道を、線路へ向かって進んでいきます。
線路沿いを行くようになった先の分岐を左前方へ進んで民家の間を抜けていくと、 松の木が生えた先ほどの「中河原梅林(近道)」の分岐に着きます。 ここを右折していけば、下曽我駅はすぐそこです。
下曽我(しもそが)駅
下曽我駅から家路に着きます。 国府津駅方面へは、昼前後には1時間に1本程度の便しかありませんが、 夕方になると2本から3本程度に増えます。
この時は電車がくるまで30分ほど待ちました。 昼からは風が出てきて、寒い思いをしながらの待ち合わせになりました。