金沢八景
散策:2003年09月上旬
【海辺散策】 金沢八景
概 要 金沢八景は横浜市金沢区にあり、平安時代の昔からすばらしい景勝地として知られていました。現在では埋め立てなどにより入江の形が大きく変わっているため、当時の姿は称名寺のほかは見ることはできませんが、今でも残る史跡や風景を訪ねて歩きます。
起 点 横浜市 金沢文庫駅
終 点 横浜市 金沢八景駅
ルート 金沢文庫駅…称名寺…金沢文庫…八角堂広場…海の公園…野島橋…野島公園…展望台…夕照橋…平潟湾…金沢八景駅
所要時間 4時間50分
歩いて... 金沢八景を求めて、称名寺・海の公園・野島公園と巡ります。残念ながら称名寺以外は昔の面影がほとんど残っていませんが、浮世絵などを見ながら往時を想像するのもいいかも知れません。
関連メモ 称名寺市民の森, 八景島, 野島公園, 称名寺市民の森
コース紹介
金沢文庫(かなざわぶんこ)駅
金沢文庫駅(京浜急行本線)から歩いていきます。
東口の階段を降りた所に、金沢八景の説明と付近の地図があります。 予備知識とこれからのコースを確認しておきましょう。 称名寺と金沢文庫を訪ねてから、海の公園から野島公園を経て、平潟湾沿いを金沢八景駅へと向かいます。
金沢八景の由来
金沢の景観は、平安時代の絵師巨勢金岡が余りの景観に感嘆して筆を捨てたといわれるほど、 古くから知られていました。 現在伝えられている金沢八景は、江戸時代、明の僧心越禅師が能見堂八景の詩をつくったとき、 この詩に金沢の八つの景勝地をあてはめたものです。 今では、幕末の絵師安藤広重の描いた「武州金沢八景」が当時の面影をよく伝えるものとして有名です。
・内川の暮雪(うちかわのぼせつ) 内川橋、瀬ヶ崎方面
・瀬戸の秋月(せとのしゅうげつ) 瀬戸橋付近
・平潟の落雁(ひらかたのらくがん) 平潟(野島橋付近)
・乙艫の帰帆(おっとものきはん) 海の公園付近
・小泉の夜雨(こずみのやう) 手子神社周辺
・洲崎の晴嵐(すさきのせいらん) 洲崎神社周辺
・野島の夕照(のじまのせきしょう) 夕照橋付近
・称名の晩鐘(しょうみょうのばんしょう) 称名寺付近
伝統的な「八景」は八つの景色を基本形につくられ、 次のような情景を表すのではないかと言われています。
・夜雨:水辺の夜の雨 ・晩鐘:山寺の晩鐘
・帰帆:港に帰る漁船 ・晴嵐:朝もやに煙る松林
・秋月:水辺に映える秋の月 ・落雁:干潟に降り立つ雁の群れ
・夕照:夕日に照らされた遠くの山 ・暮雪:夕暮れも雪景色
駅前の道を右折して100mほど行くと、金沢文庫バス停があります。 「金沢文庫 この先850m」と書かれた案内板があるので、 そこを左折して道なりに進んでいきます。
称名寺赤門
天使幼稚園を過ぎていくと、バス停から10分ほどで称名寺の赤門に着きます。 ここにも、金沢八景の説明と付近の案内図があります。
赤門をくぐると、桜並木の参道が続いています。 両側には、お食事処などの店が何件か並んでいます。
称名寺塔頭光明院表門
横浜市指定有形文化財(建造物)
構造及び形式 : 四脚門、切妻造茅葺、袖塀付
時代 : 寛門5年(1665)
光明院は、称名寺の塔頭のひとつで、「新編武蔵風土記稿」に、 「光明院、仁王門に向かって左にあり、五院の第一揩ネり、本尊地蔵春日の作なり」とあり、 江戸時代後期には、五つの塔頭の一位を占めていました。 この表門は、小規模な四脚門ですが、和様を基調に禅宗様を加味した意匠となっています。 また、市外から近年移築された三渓園の建造物などを別にすれば、造営年代が判明する市内の 建造物のなかで最も古く、極めて貴重です。
 (横浜市教育委員会)
称名寺仁王門
参道をまっすぐに行くと、仁王門があります。
史跡称名寺境内の整備について
横浜市教育委員会では、史跡称名寺境内の管理団体の立場で、 昭和53年度から昭和62年度までの10年に渡り、文化庁の国庫補助を受けて、 史跡の中心に位置する庭園苑池の保存整備事業を実施してきました。 整備の方針は、発掘調査の成果と重文「称名寺絵図」に基づき、鎌倉時代の苑池造営当初の 姿に復原するというものです。 この10年間で実施した内容は、発掘調査で出土した護岸は粘土で保護しながら 新しい石を張り、現況では発掘できなかった護岸部分は丸太杭で仮整備するとともに、 重文「称名寺絵図」に基づき、平橋・反橋の復原及び植栽・石組等の修景を施しました。
 (横浜市教育委員会)
称名寺庭園
称名寺の庭園は、元亨3年(1323)に描かれた重文「称名寺絵図並結界記」によって、 伽藍の配置と共に完成時の姿を知ることができます。 庭園は、金沢貞顕の時代の文保3年(1319)から、翌年の元応2年にかけて造られました。 作庭には性一法師が携わり、青嶋石を使用した90数個の景石を、中島や池の周囲に大量の 白砂と共に配置することなどを指示し、その満々と水が注がれた苑池には貞顕から 贈られた水鳥が放され、ここに伽藍の美観の要とされる浄土庭園の完成が見られました。 苑池は金堂の前池として、浄土思想の荘厳のために設けられたもので、 南の仁王門を入り、池を東西に二分するように中島に架かる反橋と平橋を渡って 金堂に達するようになっています。 このような配置は、平安時代中期以降盛んになった、浄土曼荼羅の構図に基づき造られた浄土庭園の 系列にあるもので、称名寺の庭園は、時代的に浄土庭園の基本的な形態を残す最後のものとして、 庭園史上高い評価を得ております。
 (横浜市教育委員会、史跡称名寺境内愛護会)
池には多くの鯉や亀がいました。 アヒルも見かけました。 天気のいい日には、亀が石の上にあがって日向ぼっこしています。
称名寺庭園ガイド
案内時間:午前10時〜午後3時
所要時間:約30分コースから
受付場所:山門脇ガイド詰所
 (横濱金澤シティガイド協会)
お願い
・はきものの土などを落としてから橋をお渡りください。
・橋の上から鯉などに餌を与えないでください。
・橋の上から小石などを池の中に投げ込まないでください。
 (史跡称名寺境内愛護会、称名寺、横浜市教育委員会)
称名寺
称名寺は、金沢山称名寺と号し、真言律宗の別格本山として西大寺末の律院で、 本尊には木造弥勒菩薩立像(鎌倉時代、重要文化財)が安置されています。 本寺は、金沢北条氏一門の菩提寺で、草創の時代は明らかにしていませんが、 正嘉2年(1258)、金沢氏の祖と称されている北条実時が、 六浦荘金沢の居館内に営んだ持仏堂から発したと推定されています。 その後、称名寺の基礎が定まるとともに伽藍の整備が着手され、実時の子、 顕時の時代には、弥勒堂、護摩堂、三重塔などが建立され、 さらに、顕時の子、貞顕は伽藍の再造営を行い、元亨3年(1323)には、 苑池を中心として弥勒来迎板絵(重要文化財)に荘厳された金堂を初め、 講堂、仁王門など、七堂伽藍を備えた壮麗は浄土曼荼羅にもとづく伽藍を完成させました。 しかし、元弘3年(1333)、北条氏の滅亡により鎌倉幕府の崩壊を契機として伽藍の維持が困難となり、 江戸時代に入ると創建当時の堂塔の姿を失いました。 大正11年、称名寺の内界である中心区域が国指定を受け、更に、昭和47年、境内背後の丘陵を含めた 範囲が指定されるとともに、昭和62年には、庭園苑池の保存整備事業が行なわれました。
 (史跡称名寺境内愛護会、横浜市教育委員会)
青葉楓
称名寺本堂前に枝葉をのばすこの木は「青葉楓」と呼ばれるものです。 その由来は、室町時代に活躍した佐阿弥の作とされる謡曲「六浦」によると、 ある時、称名寺を訪れた冷泉為相が全山の紅葉に先駆け、 本堂前の楓が紅葉することに感動して「いかにしてこの一本に時雨けん、山に先だつ庭のもみじ葉」と 詠んだところ「功なり名を遂げて身しりぞくはこれ天の道なり」と以後、 楓は紅葉することを止め「青葉楓」と呼ばれるようになったといいます。 この楓は近世の地誌類にも金沢の名木としてしばしば取り上げられましたが、 その後、枯れてしまい復活が望まれていました。この度、金沢区制50周年を記念して 「青葉楓」復活の機運が高まり、たまたまその葉の正確なスケッチが文政2年(1829)に 編纂された「鎌倉攬勝考」にあることがわかり、これをもとに紅葉せず常緑のままであるという 「常盤楓」に該当するであろうことが考証されて、区民のみなさんの協力・援助により 元のところに植樹されるに至りました。 ここに往時のごとく「青葉楓」がよみがえったのです。
 (金沢区50周年記念事業実行委員会)
称名寺鐘楼
境内には、金沢八景のひとつ「称名の晩鐘」の鐘楼があります。
金沢文庫
称名寺の境内から短いトンネルを通って金沢文庫へ行きます。 トンネルの壁には安藤広重が描いた武州金沢八景の絵画が展示してありました。 金沢文庫では、称名寺の美術工芸が特別公開されていました。
内川の暮雪(うちかわのぼせつ)
木陰なく松わむもれでくるゝとも いざしら雪のみなと江のそら
関東学院のある内川橋、瀬ヶ崎一帯の雪景色。 現在は柳町の町並が続いているあたり。深く入り込んだ六浦湾(平潟湾)はねずみ色に沈み、 陸地は全て白一色の様子。湾の近く雪に埋もれた塩田の中に点在しているのは塩焼小屋。 六浦町塩場付近でしょうか。
瀬戸の秋月(せとのしゅうげつ)
よるなみの瀬戸の秋風小夜更て 千里のおきにすめる月かげ
瀬戸と州崎の間はひょうたんのくびれのような海峡になっていて、その奥の泥亀、 大川、釜利谷町小泉あたりまで内海でした。潮の干満によって内海の水が一時に出入りするため、 容易に渡れない難所であったというこの場所に、瀬戸橋が架けられたのは嘉元3年(1305)ころ、 画はこの付近から中秋の名月を眺めた夜景で、手前は旅亭東屋です。
平潟の落雁(ひらかたのらくがん)
跡とむる真砂にもじの数そへて しほの干潟に落ちるかりがね
現在の乙舳町、平潟湾あたりの風景ですが、潮干狩りは江戸時代から盛んだったようです。 ここには足利時代からの塩田もあり、明治43年に専売制度ができるまで金沢の主要な産業でした。
乙艫の帰帆(おっとものきはん)
沖津舟ほのかにみしもとる梶の おとものうらにかへる夕波
「おとものうら」は、現在の乙舳町というより、平潟町から柴町方面に連なる海岸を指します。 大正から昭和の初期には、東京湾内でも有数の海水浴場としてにぎわい、海の家がぎっしりと立ち並んでいたほど。 今は、海の公園に生まれかわっています。
小泉の夜雨(こずみのやう)
かぢまくらとまもる雨も袖かけて なみだふる江の昔をぞおもふ
金沢文庫駅わきを流れる宮川の上流にあたり、昔は平潟湾の入江が入り込んでいて 舟を着ける場所でもあったのでしょう。手子神社の付近には、今も河岸(かし)という家や 中州という地名が残っています。
洲崎の晴嵐(すさきのせいらん)
にぎはえるすさきの里の朝けぶり はるゝあらしにたてる市人
少しくらい風のある日でも朝市が立っていたのでしょうか。 州崎から瀬戸神社の前に通ずる道は鎌倉街道で、この街道沿いに江戸時代中ごろまで、 桜並木がありました。
野島の夕照(のじまのせきしょう)
夕日さす野島の浦にほすあみの めならぶ里のあまの家々
野島は漁村としてばかりでなく、舟の発着場としてにぎわっていました。 三浦半島の交通が不便であった時代には、横須賀方面への舟の乗継場としてよく利用されていたのです。 画には、横須賀市追浜町天神の鼻にあった烏帽子岩や沖には夏島が描かれていますが、 今は追浜から地続きとなり、姿を消してしまいました。
称名の晩鐘(しょうみょうのばんしょう)
はるかしな山の名におふかね沢の 霧よりもるゝ入あひのこえ
称名の鐘は、寺の開基、北条実時が文永6年(1269)父実泰の7年忌を記念して鋳造したもの。 正応年間(1288〜1293)に破損してしまい、正安3年(1301)に実時の子顕時が再鋳造しました。 銘文によると、作者は当時関東で腕をふるった大和権守物語国光とその子、山城権守同依光です。 作者は入宋の沙弥円種、書は宋僧慈洪の筆による日宋合作の梵鐘です。 総高128.5cmの美しい形で中世名鐘のひとつとして知られ、重要文化財にも指定されています。
称名寺の境内背後の丘陵は、横浜市民の森のひとつになっています。 境内に登り口があるので、ちょっと立ち寄っていきましょう。 いきなりの急な石段を過ぎて石仏が建ち並ぶ道を登っていきます。
八角堂広場
こんもりとした経塚を越え、鞍部からひと登りすると八角堂広場です。 登り口から7分ほどで着きます。 市民の森は、称名寺の裏手をぐるっと一周できるのですが、 この時は、道が崩れて危険とのことで、八角堂広場から先は通行止めになっていました。
広場からは八景島や東京湾が見渡せます。
称名寺の赤門を出て、左手に進んでいきます。 文庫小学校入口交差点を直進していくと、「海の公園500m」の案内標識が右側の道を示していますが、 そのままやり過ごして次の信号まで行きます。
信号を右折して150mほど行くと、右手に金沢シーサイドラインの「海の公園柴口駅」が見えてきます。 駅へ向かって進み、道路を渡って海の公園に入ります。
海の公園
この公園では、みんなが楽しく安心して遊べるよう次のことを必ず守りましょう。
1.木や草花を大切にしましょう。
2.釣り・野球・ゴルフなど他の利用者に危険や迷惑を及ぼす行為をしてはいけません。
3.幼児の水遊びは、必ず大人が付き添ってください。
4.アサリマキ・スコップなどの貝取り器を使っての貝採取はできません。
5.公園内の火気の使用は、バーベキュー場を除いてできません。
6.犬は必ずクサリなどで繋いで散歩させ、ふんは飼主が持ち帰りましょう。
7.ヨット・ボートなどを公園内に放置してはいけません。
8.許可なく物品の販売をしてはいけません。
9.その他、ほかの利用者の迷惑になることはやめましょう。
 (横浜市緑政局南部公園緑地事務所)
公園には松林が広がっています。 林の中は芝生が生えていて、ちょっと休憩するのにはよさそうな所です。 松林の中の歩道を廻る一周2,200mのジョギングコースも設定されていて、 何人ものひとがジョギングを楽しんでいました。
松林を抜けると、浜辺には人工の砂浜が広がっています。 ビーチバレーのコートがいくつもできていて、複数のグループがゲームを楽しんでいました。 季節外れのためなのか、 海に入っている人はいましたが、泳いでいる人は見かけませんでした。 波打ち際には海藻が一面に打ち上げられていました。 人工的に栽培されているのでしょうか。 都会に近い浜辺一面にある海藻に、何処となく不自然さを感じました。

海の公園の砂浜について
海の公園は、乙舳海岸とよばれていた海を埋めてつくったもので、 砂浜も、まえにあったものよりも大きく、広くつくりました。 新しい砂浜が、海となじんで安定するように、波・潮流・風などをくわしく調べたり、 潮干狩りも楽しめるように貝や魚がすむことができるかどうかを調べて、砂浜の形や傾きをきめました。 砂は、千葉県の浅間山からとりだした山砂です。 船ではこんできて、およそ5年間海底においたものをポンプ式しゅんせつ船で吸い上げパイプを通して 吹き出す工法でつくりました。 昭和53年(1978)10月からこの砂浜をつくり始め、昭和54年(1979)9月に完成しました。
 ・使った砂の量 : 110万立方メートル
 ・砂浜の長さ : 約1,000メートル
 ・砂浜の幅 : 引き潮の時約200メートル、満ち潮の時約60メートル
海辺の生物を大切に
この砂浜は、昭和54年9月人工海浜としてつくられ、この海浜にアサリ、マテガイ、シオフキなどの 貝類をはじめ、色々な生物が住みついていますが、最近乱獲によりこれらの生物が大変少なくなっておりますので、 次のことを守って、生物の保護にご協力下さい。
1.稚貝については、殻長2cm以下の貝は採らずに大切にしましょう。
2.漁具については、くまで(アサリマキ、じょれん)は、幅15cm以下のものに限ります。 これ以上の漁具の使用は禁止します。
3.営利を目的とした採取は一切禁止します。 必要以上に貝を採らないようご協力をお願いします。
 (横浜市臨海環境保全事業団)
海ではウィンドサーフィンの練習をしている人がたくさんいました。
ウィンドサーファーの皆様へ
1. 海水浴期間中は、遊泳区域に立ち入らないでください。また、ウィンドサーフィン航路区域であっても、 遊泳者には十分注意してください。
2. 気象情報等により、天候の変化に十分注意しましょう。
3. 漁船の航路を妨げないように注意してください。
4. 公園内の一般水道で、艇やウェットスーツ等を洗わないでください。 (ウィンドサーフィン艇庫の施設をご利用ください)
5. その他、ルール・マナーを守り、事故のないように楽しく遊びましょう。
 (海の公園管理センター、金沢警察署)
バーベキュー場
浜の南側にあるバーベキュー場では、休日とあって多くの人がバーベキューを楽しんでいました。
バーベキュー場を利用される方へ
1. このバーベキュー場は有料の施設です。詳しくは「バーベキューセンター」へおたずねください。
2. ご利用当日は、「バーベキューセンター」で事前に手続きと利用料金をお支払いをすませてください。
3. お支払いのすんだ方は、バーベキュー場の番号旗と炭バケツ等をお渡しします。 また、必要に応じ有料でバーベキューコンロ等の道具をお貸しします。
4. 番号旗は、指定の場所に必ず立ててください。
5. 利用後は後片付けをすませて、番号旗や借りた道具を「バーベキューセンター」へ、お返しください。
6. ゴミは、缶・ビンと燃えるゴミに分別して、所定の場所に置いてください。
7. サイト以外の場所では火の使用は一切できません。
8. 他の利用者の迷惑になることや、危険なことはおやめください。
 (横浜市緑政局南部公園緑地事務所、横浜市臨海環境保全事業団)
海の公園を出て、金沢シーサイドラインの下に続く車道を進んでいきます。
やがて、左手に野島運河が近づき、その前方には野島橋が見えてきます。
野島橋
金沢シーサイドラインの野島公園駅の下の信号を左折して、野島橋を渡ります。 野島橋は、自動車用と人用の橋に分れています。
釣り客を運んでいるのでしょうか、 野島運河では、出て行ったり戻ってきたりする仕立て船が行き交っていました。
野島橋を渡ってすぐに左へ曲がり、運河沿いの道を進んでいきます。 仕立て船や貸ボートの店がいくつか並んでいます。
野島公園
運河沿いに少し行くと、野島公園の一角に着きます。
野島運河の入口でしばらく待っていると、出て行ったり戻ってきたりする仕立て船が行き交っていました。 休日ということもあるのでしょうが、釣り客は結構いるらしく、仕立て船も流行っているようです。
堤防の一部が切れていて、海辺の道へ降りることができます。 コンクリートが敷きつめられていて歩き易いのですが、風情は余りありません。
海辺の道から陸側に戻っていくと駐車場の前に出ます。 ここに野島公園の地図があるので参考にしましょう。
公園利用者の皆さんへ
1. 指定場所以外でのキャンプ及びバーベキュー等の火気使用は禁止します。
2. キャンプや火気の使用に際しては、許可及び使用料が必要です。 また、バーベキュー炉の利用には、予約が必要です。
詳しくは、野島公園詰所にてお尋ね下さい。
 (南部公園緑地事務所・野島公園詰所)
右手の駐車場への道と左手の海辺への道の間の坂道を登っていきます。 樹木が生い茂って涼しい木陰を作っています。 しばらく登っていくと道が二股に分れていますが、 どちらの道を進んで行っても、展望台のある広場に着きます。
展望台
野島公園の中央部はこんもりとした丘になっています。 その真ん中に展望台があります。
周辺の公園と歴史探訪
展望台には、周辺の公園と歴史の解説板があります。(抜粋)
野島公園 野島はかつて独立した孤島であったものが、乙舳(おっとも)海岸の砂州が伸びだして、 州崎村と陸続きになったものです。海抜55メートルの山頂付近には、縄文時代早期の野島式土器が 発見された野島貝塚があります。貝塚からは石器や骨角器も出土していますから、 約8000年以上も前から漁民の生活があったことになります。約18万平方メートルの総合公園で、 海に面した立地を生かしたバーベキュー、キャンプ場のほか、野球場、旧伊藤博文別荘や、 青少年研修センターなどがあります。
野島公園
展望休憩所
みなさんが立っている展望台の高さは、海抜64.2メートルあり、天気の良い日には、 富士山、丹沢山系、房総半島の山々や、ベイブリッジなど、360度のパノラマが楽しめます。
夏島貝塚 現在の横須賀市夏島町にあり、東西14メートル、南北13メートル程の広がりをもち、 3枚の貝層が整然と堆積しています。この貝塚から、夏島式土器をはじめ、縄文時代早期の 各型式の土器が出土しました。
野島貝塚 野島公園の山頂付近に貝塚があることが分かったのは、昭和20年代です。 貝塚の広さは、東西15メートル、南北10メートル、貝層の厚さは約30センチメートル程です。 発見された土器は縄文時代早期後半のものです。 野島貝塚は、平成2年11月横浜市の文化財に指定されました。
称名寺貝塚 称名寺周辺の標高8〜10メートルの砂丘上に、6ヶ所の貝塚がほぼU字形に点在しています。 称名寺山門脇にある貝塚は、古くから知られたものです。 魚骨やイルカの骨や、骨角製漁具が多いのがこの貝塚の特徴です。
金沢文庫 金沢文庫とは、およそ700年前に北条実時が称名寺とともに建てた物で、 一種の図書館として、当時の武士や僧侶に利用されました。 昭和5年に県が、歴史博物館として復興し、平成2年現在の位置に建て直されました。
称名寺 金沢区で最も歴史が古く、格式が高いお寺です。文応元年(1260)北条実時が、 自邸内に建てた持仏堂がその起源です。文永4年(1267)下野薬師寺の妙性房審海を迎えて 称名寺を開山しました。境内中央の阿字ヶ池を囲んで、七堂伽藍が建ち並ぶ壮麗な大寺院でした。 その後、北条氏滅亡と共に衰退しています。大正11年(1922)国の史跡に指定され、 昭和54年(1979)から、境内復元工事が行われ、見事に改修されました。
海の公園 海の公園は、乙舳(おっとも)海岸を埋め立ててつくり、昭和55年7月にオープンしました。 延長約1キロメートルの人工海岸は千葉県の浅間山の山砂を八景島近くの海底に約5年間置いたあとに、 およそ1年間かけてつくられました。そして待望の海水浴場が、昭和63年7月に16年ぶりに復活しました。 面積は約25万平方メートルあり、レストラン休憩所、シャワーロッカー室等、充実した施設があります。 金沢シーサイドラインが公園と平行して走り、交通の便もよく、市民の憩いの場所になっています。
階段を登って上までいくと、360度の大パノラマが広がっています。 八景島や先程歩いてきた海の公園などが一望できます。
野島貝塚
横浜市金沢区野島町に所在する野島貝塚は、昭和20年代前半に小発掘が繰り返され、 その存在が明らかにされた縄文時代早期後葉の遺蹟で、市域において現存する最古の貝塚です。 貝塚は、標高約53メートルを測る独立丘の頂部北側緑辺部及びそれに続く標高50〜37メートルの 斜面中腹部に点在しています。貝層は、厚さ10センチメートル〜30センチメートルで、 マガキ、オオヘビガイを主体とする純かん性の貝で構成されています。 貝層内からは、鹿角製の釣針、貝輪未製品、シカ、イルカなどの獣魚骨が、 更に隣接する包含層からは磨製石器が出土しています。 貝層内出土の土器は、縄文時代早期後葉の野島式土器として形式が設定されており、 また貝層下の土層からは大丸式、夏島式など早期初頭の土器が出土しているなど、 本貝塚は学術上極めて貴重な位置を占めています。
 (横浜市教育委員会)
展望台をおりて周回路を右方向へ行くと、降っていく石段があります。 かなり急な石段ですが、ここを降りていきます。
石段を2〜3分ほど降ると、広場に着きます。 ここを右手へ進んでいくのですが、左側に青少年研修センターやバーベキュー場や 野島稲荷神社があるので、ちょっと立ち寄っていきましょう。
野島稲荷神社
祭神:倉稲魂命 
合祀神:天照皇大神、菅原道真公、市杵島姫命、誉田別命、天児屋根命、須佐之男命
金沢八景の一つ野島の夕照で知られる野島山南側山麓に鎮座する稲荷神社(正一位稲荷大明神)は、 豊川稲荷、笠間稲荷、伏見稲荷の日本三大稲荷の中の京都伏見稲荷の系統です。 この神社は野島町の総鎮守で倉稲魂命(ウガノミタマノミコト)をお祀りしています。 野島神社は安貞元年(1227)今から約770年の昔、鎌倉時代に阿波守長島維忠の発願により、 その子修理佐頼勝が造立したものと伝えられています。 また、土地の古老によれば、万治年間(1658〜1660)野島浦の南端に紀州大納言徳川頼宣公の 別邸があり、これを塩風呂御殿と称したをいうことです。 稲荷神社はちょうど塩風呂御殿の東北の方向にあり、そのため鬼門の守り神として 頼宣公の厚い尊信を受け、社殿造営にも力を尽くしたということです。
 (氏子総代)
野島青少年研修センター
当研修センターは、青少年の集団宿泊生活を体験する研修活動と青少年指導者、育成者の研修活動の場と することにより、青少年の健全育成を図ることを目的としています。
利用時間
・宿泊研修  午後2時〜最終日の午前11時
・日帰り研修  午前9時〜午後5時(ただし、研修室,和室のみ利用可)
・休館日  原則として月1回施設点検日
 年末・年始(12月29日〜1月3日)
キャンプ場・バーベキュー場
海沿いにはキャンプ場・バーベキュー場があります。 休日とあって、多くの利用者がバーベキューなどを楽しんでいました。
キャンプ場・バーベキュー場を利用される皆さんへ
皆さんで気持ち良くお使いいただけるよう、次のことをお守り下さい。
1. キャンプ場・バーベキュー場の施設の利用は予約制です。混雑時には予約されていない方の ご利用をお断りする場合がありますので、必ず予約をして下さい。なお、予約は公園管理詰所にて受け付けております。
2. ご利用当日は、公園管理詰所にて事前に手続きと利用料金の支払いを済ませて下さい。 なお、利用料金支払い済みの方には詰所にて旗をお渡しします。目立つ場所に立てて下さい。 (バーベキューの炉には旗を立てる場所がありますので、そこに立てて下さい) また、使用後は必ず旗を公園管理詰所までお返し下さい。
3. 公園の施設は皆さんの施設です。他の利用者のことも考えて、お互いに譲り合って使うようにしましょう。 また、使用した後は必ず掃除をし、ゴミは散らかしたり流し場に流したりせず、所定の場所に捨てましょう。
4. バーベキュー場の利用時間は、午後5時(5/16〜8/15は午後7時)、炊事場は午後8時、キャンプファイヤーは 午後9時までです。それ以降の利用は、近隣の住宅の迷惑になりますので、利用時間は必ずお守り下さい。
5. ほかの利用者や近隣の住宅に迷惑のかかる行為や危険な行為は絶対にしなで下さい。 例:爆発性の燃料(プロパンガス・ガソリン・軽油等)の使用・指定された場所以外での火気使用、大きな音のでる行為等。
6. テントを張られる方は、なるべくキャンプふぁいヤーサイトから離れて設営して下さい。 また、バーベキュー場にはテントの設営はしないで下さい。
7. 公園の係員の指示には必ず従って下さい。これらのことがお守りいただけない場合、利用をお断りする場合があります。
 (横浜市緑政局野島公園詰所)
先ほどの広場に戻って、遊戯設備などがある公園を過ぎていくと、 正面に野球場があります。
野球場のところを左へ進んでいくと、公園の出口になります。 そばには野島公園管理棟の白い建物があります。 出口からすぐ左折して、民家の中の道を進んで行きます。
夕照橋
3分ほど進んで行き、正面の信号の先の夕照橋を渡ります。 夕照橋は「かながわの橋100選」にも選ばれているようです。
平潟湾
夕照橋からは平潟湾が一望できます。 湾内には、仕立て船やボートなど、多くの船が停泊していました。
夕照橋を渡って右手の信号を右折して小さな平潟橋を渡ると、 湾に沿って遊歩道が続いています。 歩道にはフェニックスなどの南洋植物も植えられ、雰囲気を出しています。 湾内の景色などを眺めながら進んでいきます。
投げ釣り禁止のお願い
この付近で投げ釣りを行いますと、シーサイドランの電車および線路に 釣具(錘り等)が当たり、事故になる恐れがあります。 危険ですから投げ釣りは行わないようお願いします。 尚、電車に危険を生じさせた場合は法令により処罰されることがあります。
 (金沢警察署、横浜新都市交通)
八景橋を渡る辺りから金沢シーサイドラインの下を行くようになります。 金沢シーサイドラインの金沢八景駅の手前に、「八景」を一つずつ説明した石板がありましたが、 鳥のフンで絵や文字が分かり難くなっているものもあり、ちょっと残念でした。
金沢八景(かなざわはっけい)駅
金沢シーサイドラインの金沢八景駅の前の国道16号を渡ると、 金沢八景駅(京浜急行本線)はすぐそこです。
ちょうどお腹が空いたので、駅前にあった大衆食堂で遅い昼食をとりました。 ここだけは時間がゆっくりと流れていて、 浮世絵に描かれた金沢八景の雰囲気と重なるような昔懐かしい感じがしました。