奥多摩むかし道
散策:2003年08月上旬
【低山ハイク】 奥多摩むかし道
概 要 甲州裏街道とも呼ばれた青梅街道は、江戸時代には重要な生活道路でした。 その中の氷川と小河内を結ぶ道は、現在「奥多摩むかし道」としてハイキングコースになっています。 今も随所に昔そのままの姿が残っており、昔をしのぶ道として貴重な存在です。
起 点 奥多摩町 奥多摩湖バス停
終 点 奥多摩町 奥多摩駅
ルート 奥多摩湖バス停…奥多摩湖…奥多摩水と緑のふれあい館…水根入口…水根集落…中山集落…南氷川入口…奥多摩駅
所要時間 4時間50分
歩いて... 山道もありますがそれ程険しい道ではありません。 多摩川沿いの緩やかな道を歩いていると、秋の紅葉の素晴らしさが想われます。 水根入口からは概ね降りになるので、南氷川入口から歩き出すよりも今回の方が楽なように思います。
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コース紹介
奥多摩湖(おくたまこ)バス停
奥多摩駅(JR青梅線)から、奥多摩湖行きバス,峰谷行きバス,鴨沢西行きバス, 小菅行きバス,または,丹波行きバスにて20分、 1時間に1本程度の便があります。
 土曜 7:30 7:50 8:30 9:30 10:00 10:30 11:00 12:20
 日曜 7:30 7:50 8:30 9:30 10:00 10:30 11:00 11:45 12:20
奥多摩駅の近くにある観光案内所や奥多摩ビジターセンターで、 周辺のパンフレットや地図をもらって出かけましょう。
奥多摩湖
バスを降りると、目の前には奥多摩湖が広がっています。
奥多摩湖は、19年の歳月をかけ昭和32年に完成した小河内ダムで 多摩川が堰き止められて出来た人造湖です。ここに貯められた水は多摩川を経て、 36km下流の羽村で取水され、東京都の貴重な上水源となっています。
湖岸は複雑に屈曲しながら奥深く続き、北側の青梅街道、南側の奥多摩周遊道路は、 美しい景観を楽しめる快適なドライブコースとなっています。
ダムサイト近くの傾斜地や湖岸には1万本以上の桜が植えられ、4月上旬から5月上旬が 見どころ。初夏はつつじが咲き乱れ、秋には紅葉と、奥多摩湖の彩りは四季を通じて さまざまに変化し、いつでも眼を楽しませてくれます。
 (建設省京浜工事事務所、東京都)
湖底の故郷 歌碑建立の辞
奥多摩湖は1億8千余万屯の清水を湛え毎日40数万屯に上る東京都民の用水を供給しているが、 このダム建設のために、600戸、3000人の小河内村民は、幾千年来護って来た祖先墳墓の地に 永劫の別れを告げることになり、その哀別離苦の心情は洵に切々たるものがあった。 情熱の詩人島田磬也氏は当時の離村民の心境を汲んで歌謡詩「湖底の故郷」を綴った。 鈴木武男氏作曲、東海林太郎氏独唱で発表を見るや湧然として世の共感を呼び、 全国内に愛唱されるに至り、村民もこれに依って離郷の悲想を大いに慰められた。 奥多摩湖建設当初から曲折を知る飛田栗山氏の推進により大方の協力を得て、 湖底の故郷の歌碑を此処に建て、離郷民の哀感を永く世に伝えると共に、 都民の命水を貯える奥多摩湖が永えに清浄であることを切に祈念する。
 (昭和41年4月10日 奥多摩湖愛護会理事長)
湖底の故郷
夕陽は赤し 身はし
涙は熱く 頬濡らす
さらば湖底の わが村よ
幼なき夢の 揺籠悲よ
奥多摩水と緑のふれあい館
バス停の道路の向かい側に、「奥多摩水と緑のふれあい館」があります。 奥多摩の自然、歴史、文化、生活、芸能、伝統などが解説されています。 また3Dシアターやジオラマでの展示もあります。 無料なので、気軽に見学して行きましょう。 奥多摩のバンフレットももらえます。
都民の水を守る水道水源林
多摩川上流域に広がる水道水源林は、明治34年に当時の東京府が多摩川の水源を守るために管理を開始し、 平成13年に100年を迎えました。 水道水源林は、水をたくわえ、土砂の流出を防ぎ、水を浄化するなど水道にとって大切な 役割を果たしています。また、二酸化炭素を吸収し地球温暖化防止にも役立っています。 東京都は、100年という節目にあたり、今日まで水道水源林を支えてきてくださった地元の方々に 深く感謝し、この緑豊かな森を引続き守り育て、次の世代に引き継いでいきます。
 (平成13年12月 東京都知事)
奥多摩水と緑のふれあい館を出て、「奥多摩むかし道」の道標に従って右側へ進んでいくと、 小さな陸橋があります。 陸橋を渡り坂道を少し降っていくと、車道がA字に交わっている所にでます。 道路の向かい側に「奥多摩むかし道」の案内板があります。
奥多摩むかし道
「奥多摩むかし道」のコースとなる、ここ小河内〜氷川間は、かつては道も狭く、 峻険であったため、明治32年、山腹を通る道に改修され道のりも3里半(約14km)から 2里半(約10km)に短縮し、東京・山梨を結ぶ重要な生活の道となりました。 その後も小規模ながら改修工事がなされ、昭和13年には小河内ダム建設のための 工事用道路がつくられ、昭和20年、この新道が一般の通行にも開放されて、 現在の国道になりました。 これにより、「奥多摩むかし道」は、旧青梅街道と呼ばれるようになり、人の往来も まばらなものとなっていきました。しかし、今も随所に昔そのままの姿が現存しており、 昔をしのぶ道として貴重です。
※地域住民の生活道路でもあります。植物を採ったりゴミを捨てたりしないでください。
 (奥多摩町)
奥多摩むかし道 水根入口
道路を渡り「秩父多摩国立公園」の標識の前を過ぎていくと、 すぐの所に「むかし道入口」の道標が立っています。 案内に従って、沢沿いの坂道を登っていきます。 坂といってもそれ程急ではなく、息が切れるようなことはありません。
谷川のせせらぎの音を聞きながら坂道を6分ほど進んでいくとT字路があります。 正面は七ツ石山・鷹ノ巣山への道で、むかし道はここを右折し、 右側にある「西地区簡易水道水根中継ポンプ場」を 巻くようにして坂道を登っていきます。
入山される皆様へ!
奥多摩の山には熊が生息しています。 入山する際は、鈴等音の出るものを携帯するなど、十分注意して行動してください。
 (青梅警察署、奥多摩町)
T字路から4分ほどで視界が開けます。 眼下には、奥多摩水と緑のふれあい館の向うに奥多摩湖が広がっています。
左へ大きくカーブしてすぐの所に、六ツ石山への分岐があります。 正面に続いているのは六ツ石山への道で、 むかし道は右手に戻るようにして登っていく狭い道を進んでいきます
水根集落
狭い道を登ると民家があります。ここが水根の集落です。 山の斜面に寄り添うように家が建っています。 段々畑では農作業をしているおばあちゃんを見かけました。 この辺りからも奥多摩湖が見渡せます。
狭い道を進んでいくと民家に突き当たりそうになりますが、 左の石敷きの道を登っていきます。 やがて道が降りになると、分岐にでます。 左は六ツ石山への道で、むかし道は右手に降っていく道を進んでいきます。
右手に降りだしてすぐの所に青目不動尊がありますが、残念ながら公開はされていません。
(非公開)青目不動尊
その昔、修験法印の奥平家で一堂に不動明王・薬師如来・弘法大師の尊像を祀り、 悪魔退散・衆生斉苦を祈願し、村の人々を守護して日々の暮らしに光明を与えていました。 その霊験の灼かさは近郷の人々からも信仰されています。(公開していません)
 (奥多摩町教育委員会)
さらに降っていくと、民家が2軒見えてきます。 小さな谷川に架かる橋が2つありますが、 左側の橋は民家へ入っていくので、右側の橋を渡っていきます。
しばらく行くと、沢に架かる小さな橋を渡ります。 沢を流れ落ちる水の飛沫が、涼しさを運んでくれます。 ここから滝のり沢バス停への道が分かれていますが、 道標に従って「中山集落」を目指して直進していきます。
雑木林の中に続く山腹の道を進んでいきます。 時々、樹木が途切れた所から小河内ダムが見えます。
浅間神社
沢から10分ほどいくと視界が開けます。 坂を登ると、左手に浅間神社があります。 短い石段を登っていきます。 浅間神社は富士山信仰の神社で、社殿は江戸中期に建築されました。 現在は愛宕神・稲荷神を祀り、ダム工事で取り払われた鎧塚より天狗様を合祀しています。
樹木の間からは、満々と水を湛える小河内ダムがよく見えます。
中山集落
多摩の山々を眺めながら3分ほど降っていくと民家が数件ある中山集落に着きます。 正面は青梅街道への道で、むかし道はUターンするようにして右手の道を降っていきます。
「高電圧通電中 きけん さわるな」と書かれた金網が道の左側に続いていました。 本当かどうか分かりませんが、触れないように注意して歩いていきます。 やがて植林帯になり、T字路があります。 左は山道で、右へ進んでいきます。 ふたたび雑木林となり、斜面に続く道を降っていきます。
5分ほど降っていくと、家の基礎だったらしいものが残ってる所がありました。 以前には家が建っていたのでしょう。 ここからは道幅も広くなり、緑のトンネルの中を降っていきます。
3分ほど降っていくと舗装道路にでます。 ここからは舗装された道路を歩いていきます。 道標に従い、右へ降っていくと、すぐの所にヘアピンカーブがあります。 ここに、奥多摩むかし道の案内図があります。 道々にある往時のスポットがいくつも紹介されています。 そのすべてを訪れようと思いながら歩きましたが、2ヶ所ほど見過ごしてしまいました。
危ない!!
水が急に増えます。 この川の上流0.7kmのところにある発電所から流れる水が急に増えることがありますから 十分注意して下さい。
 (東京都交通局発電事務所)
奥多摩むかし道植樹
奥多摩町は水と緑を大切にし、人と自然との調和した潤いのある町づくりをすすめています。 平成元年、かつて青梅街道として利用され、小河内ダム建設により廃道となったこの道を 「奥多摩むかし道」として蘇らせました。本年、奥多摩町発足40周年の記念にあたり、 多くの人に愛され親しまれる道として、ここに奥多摩むかし道植樹を行います。
 (平成7年5月21日 奥多摩町)
多摩川沿いの快適な道が続きます。 川の流れの音も心地よく感じます。 沿道にはカエデの木もたくさんありました。秋には綺麗な紅葉が見られそうです。
道祖神
案内板から10分ほど行った所にひっそりと立っていました。 夏草に覆われていて、危うく見過ごすところでした。 旅の無事を祈って祀られたのでしょうか。 文字だけの石塔です。
むし歯地蔵尊
その昔、村の人々は歯が痛くなってどうすることもできませんでした。 煎った大豆をお地蔵さまに供えて、ひたすら一心に祈るのでした。 すると奇態に痛みが治まった、といわれています。(民間信仰のひとつ)
 (奥多摩町教育委員会)
牛頭観音様
明治30年、小河内探勝記・露木敬身(漢学者)によれば、 「・・・牛馬の背荷を輸出しての帰途に遇う30余頭・・・岩壁に付して・・・ 通過を避く・・・婦女の牛を使役・・・多し・・・」とあるごとく、 馬よりは小数であったが牛も使役されていました。 牛頭観音様の造立は珍しい。牛馬の息災を祈りました。
 (奥多摩町教育委員会)
馬の水のみ場
ここで馬を休ませ、かいばを与えました。 馬方衆は「たてば」と呼称されている茶店で一服休憩ということになりました。 茶店はゴーロ・清水・大島屋の三軒があって、駄菓子・うどん・まんじゅう・タバコ等が 商われ、一杯酒もありました。
 (奥多摩町教育委員会)
縁むすびの地蔵尊
恋しい人と結ばれたい・・・いとしい方と添いとげたい・・・いつの世でもおなじです。 人に知られずにこっそりと二股大根を供えて一心に祈れば「結縁成就」といわれています。
 (奥多摩町教育委員会)
しだくら橋
「惣岳の荒」といわれて、多くの巨岩が渓谷美を見せています。 巨岩から巨岩をつなぐように直径約20cm程の杉丸太を4、5本ずつ藤蔓で結び架橋していました。 現在は吊り橋となりました。
 (奥多摩町教育委員会)
昔、江戸時代は奥多摩産木材の運搬を多摩川を利用して流していた。 その時代に一番の難所と呼ばれていた所が、惣岳渓谷であり、奥多摩の 杣職人の間で木やり唄にも歌われていた。
この橋を渡る際、五人以上で渡らないで下さい。
 (奥多摩町)
がんどうの馬頭様
現旧道以前の旧道にあります「・・・一人ゆきかう許りなる細道・・・」 (明治32年・小河内探勝記・露木敬身)という細い道であったので、 多くの馬が谷底に落ちて死んでいます。 その供養のため、沢山の馬頭様が造立されました。
 (奥多摩町教育委員会)
惣岳渓谷
太古以来の大洪水と、近くは寛保2年(1742)明治40年(1907)の奥多摩一帯を襲った 未曾有の大水害によって、多摩川南岸しだくら谷より押し出した多数の巨岩怪岩が 累々として「惣岳の荒」と呼ばれ渓谷美となっています。
 (奥多摩町教育委員会)
惣岳の不動尊
明治年代、水根の奥平大乗法印と信仰心の厚い惣岳の奥平庄助によって 成田不動尊を勧請・祭祀しました。 昭和10年、現本殿と覆舎を再建、近郷の多くの人々の信仰をあつめています。
 (奥多摩町教育委員会)
いろは楓
奥多摩の山々に自生する「山もみじ」の一種、この樹の紅葉は特にすぐれていて 「名状すべがたい」といわれています。旧道往来の多くの人々を楽しませた樹です。 11月中・下旬頃が見ごろ。樹齢は約200年位といわれています。
 (奥多摩町教育委員会)
耳神様
昔は耳だれや耳が痛いときは、お医者様もいないし、どうしようもなかったので、 穴のあいた小石を見つけて、耳神様に供えて御利益を一心に祈りました。 民間信仰のひとつです。
 (奥多摩町教育委員会)
弁慶の腕ぬき岩
高さ約3mの自然石。下の方に腕が入る程の穴があることから、 旧道往来の人々に親しまれ、力の強い弁慶に付合されて誰れ言うことなく 「弁慶の腕ぬき岩」と呼ばれるようになりました。
 (奥多摩町教育委員会)
白髭神社と大岩
古代において白髭大神信仰の文化が多摩川をさかのぼり、古代人の思想に一致した神やどる聖地として 巨岩のある清浄高顕のこの地に巨岩を御神体として、祭祀が営まれました。 大岩は秩父古生層のうち石灰岩層の断層が露頭したもの。層脈は多摩川をはさんで対岸へも続いています。
 (奥多摩町教育委員会)
都天然記念物 白髭大岩
白髭神社脇の絶壁は石灰岩に残された断層面の大露頭である。 境内近くには上部古生界の石灰岩のレンズが多摩川を横断して両側に分布している。 走向は北西−南東でほとんど垂直に立ち、断層はこの石灰石体を北東−南西に横断し、 北西に約70度傾斜している。 したがって断層の北西側が上盤になり、この境内の絶壁は上盤で、下盤が失われ露出するようになった。 高さ約30m、横巾約40mで、向って右上から左下に走る擦痕が一面に見られる。 断層の規模はあまり大きくないが、このように断層面が大きく露出しているものは 極めて稀であり、学術上貴重である。大切に保存したい。
 (昭和44年10月1日建設 東京都教育委員会)
不動の上滝
高さ約7mの滝で、旧道下に不動尊が祀られています。 旧道往来の人々に涼風と憩いを与えたそうです。 水量もかなりあり、涼しい風が流れてきました。
この日はここで水浴びを楽しんでいる子供達が10数人いました。
不動の上滝から10分ほどいくと、正面に青梅街道が見えてきます。 その手前に、奥多摩むかし道の案内図があります。 「現在位置」は違いますが、最初にあったのと同じ図です。 ここまでで、かなりの部分を歩いてきたことになります。 むかし道は青梅街道には出ず、その手前の左手にある石段を登っていきます。
桧村
石段を登ったと思ったらすぐに降りになります。 青梅街道へと降っていく道の途中で、 道標に従い左手の道を登っていきます。 14分ほど進んでいくと槐木に着きます。
槐木(さいかちぎ)
羽黒坂の急坂と桧村からの坂を登りつめた所、槐木の巨樹が地名となりました。 馬力,大八車や背負荷の上り荷,下り荷の人々の休み場として賑わった所です。 槐木と向きあって、赤松の根元に正徳2年(1712)の修業僧木食三世真円謁の念仏供養塔、 文化13年(1816)の馬頭観音他があります。
 (奥多摩町教育委員会)
槐木から少しいくと、道路が崩壊して通行止めになっていました。 右下へと続く山道を降りていきます。 この山道は、道路が崩壊したためのバイパスとして新たに作られたものではなく、 昔からここにあった道のようです。
この先崩落の危険が有る為、夜間通行止となります。
・期間 当分のあいだ
・時間 18時〜7時まで
 (奥多摩町、榎木工業)
小河内鉄道トンネル跡
降りだしてすぐの所に、ダム建設に使用した小河内鉄道のトンネルがあります。 トンネルには柵がしてあって、中に入ることはできません。 この鉄道は、正式には廃線ではなく休止線というのだそうです。 観光用にもう一度走らせて欲しいものです。
人工林と雑木林の混じる森の中を、石畳の道がしばらく続きます。 石畳が途絶えて3分ほどいくと羽黒坂があります。
羽黒坂
山手の石段73段上に古社羽黒三田神社が鎮座して坂の名となりました。 旧青梅街道が明治32年に改修されてからは、小河内方面で生産された木炭運びの 多数の馬力・大八車・背負い荷の人々と青梅・氷川方面からの荷の人々が苦労した坂です。
 (奥多摩町教育委員会)
羽黒三田神社
鳥居の先には石段が続いています。 その上には本殿があるのだろうと思って登ってみました。 結構急な階段で、一気に登ると息が切れてしまいます。 何とか上まで登ってみましたが、そこには何もありませんでした。 疲れも一段と増すというものです。 石段の途中に山門(?)のようなものがあり、そこに祠があったので、それが本殿なのでしょうか。
本社の御由緒
御祭神 : 正殿 高皇彦霊神 少彦名神、 右殿 天穂日命、 左殿 倉稲魂命
創立起源は社記に人皇56代清和天皇の御代、貞観3年巳年、出雲の国の人 土師連行基と云う人、東国に下向し、本郡御嶽山に請り神の告を蒙り、 該村に来り、高皇彦霊神・少彦名神の二社の神を祭り、是を穴澤天神と称す。 由緒は、本社南山麓に壱個の清水湧き出する洞穴あり。是を穴澤と称したりしたが、 今誤て葦沢と云う蓋し社号の因る処なり。然左殿に天穂日命を祭り、是を調布郡祖の社と称す。 ひとつには川邊神社と称したり。 亦後、永亨6甲寅年、村内元巣の森鎮座の羽黒大神の右殿に合祭し羽黒山大権現と称し、 亦後、永正3丙寅年6月、本郡の領主将門16世の孫三田弾正の忠平次秀宿願成就に因り、 社殿を再建し、神地を加付し扁額に領内惣鎮守たる旨を附記し奉納す。 今現に存在す。 寛文8甲年4月、徳川氏の代官曽根五郎左衛門吉廣、本村検地の時、畠壱反6畝9歩の地の 公租を除き、是羽黒権現免に付したり。後、宝永2乙酉年2月、社殿を再建し、亦後、 安永9庚子年更に是を再建す。明治3庚午年、官の命を奉戴し、羽黒山大権現・穴澤大神両社号を 併して羽黒三田大神と改正す。当時韮山県の管轄なり。同年酉年村社に定められ、同年9丙午年、 神奈川県廰神祇懸り、片岡大属へ伺済の上、更に羽黒三田神社と改替す。 明治22年、社殿を再建す。
 (明治25年8月2日 神奈川県知事)
奥多摩むかし道 南氷川入口
神社から坂道を少し降っていくとT字路があります。 そこを右折すれば、むかし道のゴールの南氷川入口に到着です。 ここに、奥多摩むかし道の案内図があります。 これまでにあった案内図とは違って各所の説明なども記してあり、 奥多摩町産のヒノキ材で作られた立派なものです。
奥多摩(おくたま)駅
むかし道の南氷川入口の所を左折してバス通りを進み、 氷川大橋を渡って左折すると、奥多摩駅(JR青梅線)に着きます。