真鶴半島
散策:2003年07月下旬
【海辺散策】 真鶴半島
概 要 真鶴半島は、箱根火山の外輪山の一部が相模湾に突き出たもので、海岸は高さ20mほどの岸壁が続き、 松・楠・椎などの常緑樹の巨木とシダ類が生い茂っている豊かな森が広がっています。 森林浴と磯の潮騒を楽しめるコースです。
起 点 真鶴町 サボテン公園バス停
終 点 真鶴町 真鶴駅
ルート サボテン公園バス停…真鶴サボテンランド…中川一政美術館…お林遊歩道入口…森の十字路…小鳥の池園地…真鶴岬…三ツ石…番場浦海岸…森の十字路…灯明山…琴ヶ浜…真鶴港…鵐の窟…真鶴駅
所要時間 4時間30分
歩いて... 巨木が生える森林や、潮騒を聞きながらの磯辺の散策が楽しめます。 サボテンランドや美術館もあり、相模の歴史にも触れられます。 割とこじんまりとしたコースですが、変化に富んだ景色を堪能できます。
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コース紹介
サボテン公園(さぼてんこうえん)バス停
真鶴駅(JR東海道線)から、真鶴岬ケープパレス行きバス、 またはサボテン公園行きバスにて10分、 1時間に2本程度の便があります。
真鶴サボテンランド
バス停の目の前に真鶴サボテンランドがあります。 入口のそばに、壱万円札のキジの説明板がありました。
昭和59年11月に発行された「壱万円札」の裏面に描かれている「日本雉」は、 当真鶴サボテンランドに飼育されていたものです。 当時は、各方面でたいへん話題になりました。 モデルとなった雉はすでに亡く、これと同系の日本キジをサボテンランド内「野鳥苑」展示小屋で 見ることが出来ます。
入口を入ると大きな温室が四つあります。 色々なサボテンや南国の植物たちに出会えます。
南アフリカとマダガスカルの多肉植物
南アフリカ、マダガスカルは貴重な動植物の宝庫として知られています。 マダガスカルは日本の約1.6倍の面積を持つ世界で4番目に大きい島で、 アフリカ大陸との間にはモザンビーク海峡が横たわり、そこには現在でも 「生きている化石」シーラカンスの存在が確認されています。 また、マダガスカルは約6,500万年前にアフリカ大陸と別れて以来、 ここに隔離された生物たちは、閉ざされた環境の中で独自の進化を続けてきました。 動物ではキツネザルの仲間はほとんどがマダガスカルだけに生息し、 多肉植物ではアロエ属約150種、ディディエレア科全種、パキポディウム類など 自生種の85%がマダガスカル特有の植物です。 この異国情緒豊かな植物たちをご覧下さい。
真鶴の植物
日本は、照葉樹林帯の農耕文化圏と云われています。 御暖帯の日本の国土も昔は常緑広葉樹で覆われていました。 しかし人間が生活するようになり、食物の生産や加工が必要となりました。 そのため森林を伐採し薪炭材や開墾をし、田や畑、道や家の建築など 長い間森林を破壊し続けてきました。 真鶴半島は照葉樹林帯、即ち常緑広葉樹林の典型的な植生を残す貴重な森林です。 手厚い保護のもと、引き継がれた先人の遺産です。 森林の中のクスノキ、クロマツは江戸時代に植えられた人工林です。 クスノキは樟脳を産したり、また木工芸品の材料にされました。 クロマツは魚つき林、航行目標林として利用されていたと云われています。 ここにはスダジイ、クスノキ、クロマツの高木を背景に、 手近な親しみやすい植物が植えてあります。
真鶴の主な植物
高木 スダジイ、クスノキ、クロマツ
亜高木 シロダモ、ヤブニッケイ、タブノキ、イヌビワ、ヤマハゼ、カラスサンショウ、アカメガシワ
低木 アオキ、ヒサカキ、ヤツデ、ヒメユズリハ、ハコネウツギ、トベラ、ヤブムラサキ、 ヤブコウジ、アズマネザサ
草本 ホウチャクソウ、ジャノヒゲ、チヂミザサ、キチジョウソウ、ホシダ、ツワブキ、キズタ、 オオイタチシダ、テイカズラ、ナツヅタ、フウトウカズラ、アリドウシ、フユイチゴなど
見晴らし広場
温室を出てカナリーヤシが生える道を海へ向かっていくと、見晴らし広場があります。 広場からは、湯河原・熱海の海岸や伊豆半島、三ツ石、初島をはじめ、 晴れて空気が澄んだ日には、遠くに大島、利島までも見渡せます。
広場には、この素晴らしい眺めを詠んだ清超 金子哲太郎氏の歌碑が建っていました。
歌碑 真鶴岬
自古傳開祥景尤 (古え自り祥景の尤なるを傳え聞く)
依稀地勢鶴翔遊 (地勢は鶴の翔り遊ぶに依稀たり)
指呼初島蒼波上 (初島を蒼波の上に指呼し)
遥眺湘崎翠靄頭 (湘崎を翠靄の頭に遥眺す)
日出漁歌潮氣和 (日は出でて漁歌潮氣に和し)
月昇松籟秀靈収 (月は昇りて松籟秀靈に収まる)
馳懐萬里清霄外 (懐いを萬里清霄の外に馳せて)
頓覺胸中廊落悠 (胸中は頓に廊落として悠なるを覺ゆ)
意読
古くからめでたい景色が大変秀れていると伝え聞いている。
地形は鶴が翔け遊ぶ様にも似ている。
初島を蒼き波の上に指さし呼ぶ。
湘崎(江の島の方に突き出した所)を翠の靄の頭に遥か遠く眺める。
日が出でては漁をする船歌が潮のさし来る気に調和し。
月が昇りでは松風の音が秀れて靈妙なる気の中に収まる。
懐いを萬里の清い空の果てに馳しらせていると、
頓て胸中は気分広大となりゆったりとして来るのを覚える。
見晴らし広場からは、小鳥舎・鹿舎を見ながら南側の林の中を進んでいきます。 左手には海の向こうに湯河原の街が見えます。
野鳥苑
ちびっこ広場・鶏舎を過ぎていくと野鳥苑があります。
野鳥苑は大きなゲージに囲まれており、その中にキジなどが飼育されています。 金網の二重扉を通ってゲージの中へ入っていきます。 中の野鳥達は人馴れしているのか、人が通っても逃げようとはしません。
万葉植物
日本の美しい自然、万葉人はこの自然を愛し、自然に心を移し、 花に、草に、木に寄せ詠ったのが、日本の一大文化遺産万葉集です。 万葉集中の植物は、草や木約150種と言われている萩の137首をはじめ、 約1600首がうたわれている。実に万葉集の1/3の数です。 枕詞に使われ、食用・薬用・染料・衣料・建築や工芸材料等、生活と深く係わった 植物が多く、観賞的に詠われた歌は比較的少ないようです。 ここにはカタクリ(かたかご)、ヒオオギ(むばたま)、ミツマタ(さきくさ)、 ウツギ(うのはな)など美しい花をつける植物が植えてあります。
万葉の主な植物
草本 アカネ(あかねinnertextききょう)、アヤメ(しょうぶ)、スベリヒユ(いわゐずる)、 ヨメナ(うはぎ)、カタクリ(かたかご)、ナンバンギセル(おもひぐさ)、クズ(くず)、 サワヒヨドリ(さわあららぎ)、ススキ(すすき)、スミレ(すみれ)、コウヤボウキ(たまばはぎ)、 ツユクサ(つきくさ)、ナデシコ(かわらなでしこ)、ヒオオギ(ぬばたま)、ヤブコウジ(やまたちばな)、 カンゾウ(わすれなぐさ)
木本 アセビ(あしび)、アジサイ(あぢさゐ)、エゴノキ(いちし)、ウツギ(うのはな)、ウメ(うめ)、 エノキ(え)、アカガシ(かし)、ヌルデ(かづのき)、カエデ(かへるで)、コナラ(こなら)、 アオギリ(ごどう)、エゴノキ(ちさ)、イヌビワ(ちち)、ケヤキ(つき)、タブノキ(つまま)、 クヌギ(つるばみ)、ヤマハゼ(はじ)、ハギ(やまはぎ)、アカメガシワ(ひさぎ)、ヒノキ(ひ)
中川一政美術館
真鶴サボテンランドを出て、右手に行くとすぐのところに中川一政美術館があります。 平成元年に開館した町立の美術館で、真鶴半島自然公園の樹林に囲まれた落ち着いた雰囲気の建物です。 明治生まれの中川一政の自由奔放な創作活動によって生まれた油彩、岩彩、書など多くの作品と 向き合うことができます。
開館時間  9:00〜16:30(入館は16:00まで)
休館日  第1・第3水曜日(当日が祝日の場合翌日)
 12/28〜12/31
観覧料  大人:600円 高校生以下:350円
美術館から右手に進み、車道に出たところのT字路に美術館前バス停があります。 道路の向こう側のバス停そばの石の上に案内図があるので、 これからのコースを確認しておきましょう。 御林遊歩道を通って真鶴ケープパレスから三ツ石へ行き、 そこから潮騒遊歩道、番場浦遊歩道、森林浴遊歩道を通り、 灯明山を経て岬入口バス停へと降っていきます。
魚つき保安林「魚を集める森」
真鶴半島にはマツやクス、シイ類の大木が生い茂り、自然観察や森林浴などの憩いの場として 親しまれています。また、この森林は漁業でも重要な役割を持っています。 森林周辺の海域には魚が多く、よい漁場になっており、昔から地域の方々の間では 「魚を集める森」として大切に守られてきました。
森林が魚を集める理由ですが、
海面に暗がりをもたらし、それを好んで魚が集まる。
海に落ちた枯れ葉や虫にプランクトンが繁殖し、それを食べよう魚が集まる。
雨が降っても、一旦森林に吸収されてから海に流れ出すため、海水温の変化が少なく、魚の生息環境に適している。
などと考えられています。
 (神奈川県西湘地区行政センター農林部林務課)
お林遊歩道入口
T字路になった道の所に「お林遊歩道入口」の道標があります。
殿様が植えた松
真鶴半島はもと小田原藩の領地。殿様が地元民に命じて松を植えさせた。 そのため、昔から「御林」と呼ばれている。 明治維新の際、御林も皇室の御料林となったが、昭和27年町に払下げられた。 この御林には樹齢約300年を経た黒松と楠そして桂等の巨木が林立している。
お林遊歩道
雑木林の中の幅1mほどのよく整備された緩やかな道を登っていきます。
注意
この柵の外側は切り立った崖になっていて、大変危険です。 柵の外側へ出ないようにご協力をお願いします。
 (神奈川県箱根自然公園管理事務所)
森の十字路
入口から4分ほどで、石の方位板がある十字路に着きます。 ここは小さな峠になっており、お林遊歩道と森林浴遊歩道が交わっています。 道標も設置されています。 右は番場浦、左は灯明山ですが、 道標の「野鳥観察小屋」、案内石の「三ツ石」を示す正面の道を降っていきます。
小鳥の池園地
山道を2分ほど降っていくと、野鳥観察小屋のある小鳥の池園地に着きます。 「池」ということですが、植物が生い茂っていて水面は見えませんでした。
更に2分ほど降っていくと、車道に出ます。 道標がないので一瞬迷いますが、左手に行きます。
少し行くと駐車場があり、その先のT字路を右側に進んでいきます。 歩き始めたところに「番場浦遊歩道」の道標が立っています。 やがて鞍部になり、番場浦海岸への道が右に分かれていきますが、 案内板に従って「三ツ石」を示す左手の緩やかな坂道を登っていきます。
真鶴ケープパレス
分岐から2分ほどで真鶴ケープパレスに着きます。
当施設は、神奈川県真鶴半島の先端に位置し神奈川の景勝50選の ひとつ三ッ石を眼下に見下ろし、遠くには伊豆大島、初島、伊豆半島 を望む景観抜群のドライブインです。 館内には、4つのお食事施設と売店をご用意して皆様の御来館を、 お待ちしております。 
真鶴岬
真鶴ケープパレスの左手を通って行くと真鶴岬の先端です。 岬からは初島が浮かぶ相模湾を一望できます。
幕末の台場の遺跡
江戸時代の末期、外国船が日本の近海に現われるようになると、 幕府は「外国船打ち払い令」を出して、海防を厳重にした。 小田原藩でも、小田原海岸に3ヶ所の外、大磯の照ヶ崎海岸と真鶴岬の この場所の計5ヶ所に台場(砲台)を築きました。 この台場は、縦約36m、横約30mの規模をもっていましたが、 その台座の石材が、わずかに当時の面影を伝えています。
真鶴岬の左手にある「かながわの景勝50選 真鶴岬と三ツ石」の石碑のところを降っていきます。
花の展望台画廊
階段を降っていくと、花の展望台画廊「望月秋羅の店」があります。 「片岡鶴太郎氏の絵日記と星野富弘氏の作品とその他いろいろ展示中」とのことです。 無料なので気軽に入ってみましょう。
画廊の前からは三ツ石が一望できます。 干潮時には陸続きになり、歩いて先端まで行けるようです。
真鶴半島に生息するウメボシイソギンチャク
岩浜の潮間帯上部に生息するウメボシイソギンチャクは、南は九州沿岸まで、北は太平洋側では 茨城県沿岸、日本海側では北海道沿岸まで分布しています。 体の大きさは、十分に成長すると高さが6cm、口盤の直径は4cmぐらいになります。 体の色は濃紅色、触手の色は鮮紅色で、大変美しいイソギンチャクです。 干潮時には岩陰などで丸く縮み、その色や形が「しそ漬の梅干」を連想させることから、この名があります。 関東大震災以前には相模湾の岩礁のいたる所に見られましたが、震災によって海岸が隆起した結果、 ほとんどが死滅し、一部の海岸だけに残ったと言われています。 真鶴半島の海岸にはとくに個体数が多く、県内随一の生息地として動物分布の上からも重要であるので、 本種をサンゴイソギンチャクとともに半島汗顔の豊かな自然を示す一つの指標として県の天然記念物に 指定し、保護をはかるものです。
 (神奈川県教育委員会)
坂道を降っていくと、やがて海岸に着きます。 軽飲食・海浜用具・温水シャワーなどを商う「オーシャンプラザ三ツ石」が営業しています。 海岸では、磯遊びや魚釣りなどを楽しんでいる人達が多くいました。
注意
1. この付近の海(業業権区域内)で貝類(アワビやサザエ等)や海藻類をとらないでください。
2. 水中銃、アクアラング等を使って魚・貝・海藻類をとってはいけません。
3. 薬品等を用いて餌むし(イソメやゴカイ等)をとってはいけません。
違反者は法令により処罰されます。
 (小田原警察署、神奈川県真鶴町漁業協同組合)
三ツ石
この時は満潮ではなかったので三ツ石の先端まで行けるかと思って歩き出しましたが、 潮が満ち始めていたので、途中で引き返しました。
ごみは持ち帰ろう みんなの手で きれいな海を
 (真鶴町観光美化推進協会)
三ツ石から陸地を眺めると、岩場が海の中に続いているのがよく分ります。 普段は余り見かけない光景なので、少し新鮮に感じたりします。
潮騒遊歩道
「オーシャンプラザ三ツ石」の前を過ぎ、コンクリート舗装された道を磯伝いに歩いていきます。
番場浦海岸
足元に砕ける波の音を楽しみながら進んでいくと、蒼く澄んだ小さな入江の番場浦海岸に着きます。
番場浦海岸からは、海岸を離れて石段を登っていきます。 3分ほど登っていくと駐車場にでます。 左手にある自動販売機コーナーの前を過ぎて、山道に入っていきます。
登り始めてすぐの所で、山道が十字に交わっています。 そばには三角錐の石の道標があります。 正面はお林広場、右はお林駐車場、今きた方向は番場浦海岸と記してあります。 左は何も書いてありませんが、今回は左折して、番場浦遊歩道へと進んでいきます。
番場浦遊歩道
雑木林の中の緩やかな道を進んでいきます。 やがて車道と並行して進むようになり、十字路から4分ほどで車道にでます。
車道を左へ少し行くと、右側に「森林浴遊歩道入口」の道標があります。 この山道を登っていきます。
森林浴遊歩道
緩やかな道が続きます。 森には直径1mを優に超えるマツやクスノキなどの巨木が多く生えています。
かながわの名木100選 真鶴半島のクロマツ
県立真鶴半島自然公園内の樹木として大切に保存されている松の大木の中でひときわ目立ち、姿も実に美しい。 県内最大の巨木である。
 樹高:45m 胸高周囲:5.8m 樹齢:約350年(伝承)
クロマツは、本州から九州の海岸に生える常緑の針葉高木で、 アカマツとともに防風林、防砂林や街道の並木などに植えられることが多い。 樹高45m、胸高周囲10m、樹齢約800年に達するものもあると言われている。
 (神奈川県)
森の十字路
車道から7分ほどで、石の方位板がある先程の森の十字路に着きます。 右は先程通った小鳥の池園地への道、左は最初のお林遊歩道入口への道で、 今回は正面の灯明山への道を進んでいきます。
クロマツやクスノキの巨木が生い茂る尾根道を進んでいきます。
灯明山
森の十字路から6分ほどで灯明山に着きます。 「山」といってもなだらかな尾根が続いているだけなので、 標識が立っていないと見落としてしまいそうです。
灯明山から少し降り気味の道を進んでいくと、5分ほどでT字路に着きます。 道標に従って左の「真鶴駅」へ向かいます。
横木の階段を降っていくと、やがて緑のトンネルの向うに車道が見えてきます。 出口には「森林浴遊歩道入口」の道標があります。 ここからは車道を歩いていきます。
山神社
左折してすぐの所に小さな山神社がありました。
山神社修復記念碑
当町の主要産業の一つである石材採掘場として、ここでも石が切出され、 また、魚つき保安林として永く保存されているが、元文元年(1736)奉納の 燈篭にも刻まれているとおり、商売繁盛、文漁祈願等の信仰の場でもある。 今回、露木勇太郎氏の遺志により、笠原律子、前田サト、高橋義雄、青木清治、 青木タエ、三木隆、原小作の各氏、また、貴船神社、真鶴町漁業協同組合、 貴船神社山神講、(有)青木東男石産、石芳石材店、(株)鈴木組各社の厚意と、 真鶴町の了解により、本殿の修復、参道の改良、鳥居の移転等の修復ができた。
 (昭和59年7月吉日)
さらに車道を少し進んでいくとT字路にでます。 角には付近の案内図があります。 右折してバス道路を降っていきます。
佐佐木信綱先生和歌
真鶴の林しづかに 海の色のさやけき見つつ わが心清し
竹柏蘭の名を懐かしみ、佐佐木信綱博士は昭和29年7月30日当岬にみえられた。 晩年歌碑建立を快諾されたが急逝。 遺志は女婿文学博士久松潜一氏の筆により実現した。
 (昭和44年10月25日 真鶴町長)
琴ヶ浜
道なりに県道739号を降っていくと、やがて琴ヶ浜に着きます。 磯料理の店が数件あり、ちょうど昼時だったので、 席が空くのを待つ行列ができていました。
琴ヶ浜から真鶴港の手前までは、車道の下の海辺に遊歩道ができています。 磯の香りを楽しみながらゆっくりと歩いていきましょう。
貴船神社
御祭神 大国主神、事代主神、少彦名神
創建は平安時代、宇多天皇の寛平元年(889)6月15日と伝える。 古来真鶴の鎮守で、漁業や海上安全の守り神ともされ、人々の篤い信仰を受けて、 貴宮大明神と呼ばれた。明治初年、貴船神社と改称し、 同6年郷社に列せられた。大正12年の関東大震災から復興するに当たり、 境内を拡張して昭和10年現在地に社殿を移転、同38年8月本格的な造営が完成した。 拝殿内部の彫刻一切は、幕末の巨匠江奈の半兵衛の名作である。 大正3年2月、華項宮博忠王殿下、久邇宮邦久王殿下の御参拝があった。 例祭は毎年7月の27、28日、神輿の海上渡御は日本三大船祭の一つとして名高く、 これを含む「貴船神社の船祭り」は、昭和33年に神奈川県無形文化財、 同51年に同県無形民族文化財、平成8年には国の重要無形民俗文化財に指定されている。
真鶴港
真鶴港は小さな漁港です。 その一角には、三ツ石沖まで約30分間の遊覧船の発着場があります。 1日8便が運航されていますが、荒天時には欠航することもあるとのことです。
鵐の窟(しとどのいわや)
治承4年(1180)8月、源頼朝は源氏再興の為、伊豆相模の兵300を以て石橋山に陣どり、 平家方大庭景親の兵3000と戦ったが、23日遂に敗北し、土肥の杉山に逃れ、 28日ようやくこの地に来り、海路房州に渡りしことは、史実の明らかなことである。 この時、頼朝とともに逃れてくるもの土肥実平、遠平の主従7騎となり、 この岩屋に身をひそめ飢をしのぎ、敵の何をまぬがれし所であると伝える。 頼朝らがこの地にかくれんとした折、岩屋のうちより鵐(しとど)という鳥が舞い出たと いふ所より、後世この岩屋を鵐窟と伝える。 頼朝は房州に渡ってよりのち、12年たち建久3年志をとけ、鎌倉幕府を創立するに至ったのであるが、 公の挙兵の当初、石橋山で敗北し、この岩屋で敵の虎口を脱した開運再生の地として由緒深い所である。
 (真鶴町、真鶴町観光協会)
明日は貴船祭りということで、真鶴港には綺麗に飾られた船が何艘もありました。
真鶴港からバス通りを15分ほど登っていくと真鶴駅に着きます。
旗揚げ鍋
源頼朝は治承4年(1180)に源氏の再興を期して旗揚げをしましたが、 初戦である相模石橋山の合戦で、大庭景親の軍勢に大敗をしました。 土肥実平・遠平父子などわずか7騎で逃げ迷い、九死に一生を得て 真鶴のしとどの窟に身を隠し、浦人たちの心暖かいもてなしを受け、 再興の意も新たに岩海岸から房州へ脱出し、後に鎌倉幕府を礎きました。 この時に世話になった浦人三人に、真鶴三苗字(五味と青木、御守)を与えました。 なかでも食事を提供してくれた伊右衛門に、料理の醍醐味をご馳走になったことをよろこんで 醐味という姓を命名されましたが、時の天皇と同じ字のために五味となったといわれています。 この史実に基き、運を開く縁起の良い食物であったことから、この料理を「旗揚げ鍋」と称し、 当時のレトログルメに再現工夫しました。真鶴の山海の珍味を主材にした究極の料理を、 源頼朝旗揚げフェスティバルで皆様にご賞味して頂ければ幸いです。
 (真鶴商工会青年部)
真鶴(まなづる)駅
真鶴港からバス通りを15分ほど登っていくと真鶴駅(JR東海道線)に着きます。
ふるさとの碑
箱根外輪山を背にした暖国的風土の真鶴は、海山の幸に恵まれ、人々は先史時代から住みついていた。 遠く平安朝の寛平元年(889)6月、大国主神ほか二神をまつる鎮守の貴船神社が建てられた。 7月27、28日の例祭は日本三船まつりの一つに数えられ、絵巻物にも似た華やかな神輿の海上渡御は名高い。 県は昭和33年11月にこれを無形文化財に指定した。社殿には江戸後期の名匠江奈の石田半兵衛邦秀による 24孝の木彫がある。
先史時代の出土品に石錘が多いように、この地に住む人々は漁にたつきの道を求めた。 黒潮の恵みは相模湾を潤し、魚介の宝庫としたので、昔から多くの漁獲法をつたえた。 特にぶり漁法の豪快さは一網よく数万を揚げ、浦々に名をひびかせた。その一方、かつぎ、みづぎの 古い伝統を残し、てんてんえび漁など数百年の歴史を今にみせている。しかし社会の近代化にともない、 海も変わった。今や観光漁業への道を歩みながらも、取る漁業から作る漁業へと新しい技術開拓に 乗り出そうとしている。
漁業とならぶ郷土産業の石材採掘の起源は奈良時代との説もあるが、石工先祖碑は平安時代のつたえている。 鎌倉開府や江戸築城のため運び出された石材はおびただしく、大阪城における小豆島産石と対比されている。 今も大名の銘のきざまれた用石が各所に残され、当時の面影を偲ぶことができる。 その後、幕末から明治にかかえての官需も多く、国の発展に寄与した。また記念碑、佛石などの好個の 素材として、銘石小松石の名称は全国安山岩の代名詞となり、その優れた材質は石彫国際シンポジウムでも 真価を発揮し、特にまた港湾事業など建設面においては幅広い需要にこたえている。 これら石材の運搬は昔から船を用いた。万葉集に足柄小舟とうたわれたように、船の伝統は古く、 明治初期の木造洋式帆船は黒船にたとえられるなど、相模湾の風浪にたえた船乗り魂は力強くつたえられている。 造船技術も船大工の昔からの船の移りかわりに応じ、鋼船の現在においても海の使命を支えている。
青い海を置き遠い島山に対する真鶴岬は、300余年の風雪をきざむ松、楠、椎の樹林の道も苔むし、 数多くの動植物の繁殖地でもあり、四季を通じての魅力に事欠かない。昭和29年4月、県立公園に指定された。 また町内には史蹟、文化財も多く、作家、画家など好んで訪れ、そのまま住みついた。 みかんのたわわに実る健康的な観光地として脚光を浴び、旅館、磯料理、土産店なども軒をならべ、 全国からの来遊客が絶えない。 かって小江戸とも称され、濃やかな人情をうたわれた我がふるさと真鶴をここにたたえ、道ゆく人のしおりとした。