江の島道
散策:2003年06月上旬
【街角散策】 江の島道
概 要 江の島道とは、藤沢宿から江の島へ至るまでに通った道のことで、 遊行通りから龍口寺への片瀬旧道を経て、江の島通りへと続いていました。 そんな往時の面影を残した古道を歩きます。
起 点 藤沢市 藤沢駅
終 点 藤沢市 江の島駅
ルート 藤沢駅…馬喰橋…岩屋不動…泉蔵寺…上諏訪神社…密蔵寺…下諏訪神社…一遍上人地蔵堂跡…本蓮寺…西行もどり松…常立寺…龍口寺…江ノ島駅
所要時間 2時間50分
歩いて... 江の島道には、まだまだ往時の面影が残っています。 江の島までの古道を、ゆっくりと時間をかけて歩いてみましょう。
関連メモ 江の島
コース紹介
藤沢(ふじさわ)駅
藤沢駅(JR東海道線)の南口から、旧江の島道を歩いていきます。
片瀬旧道・江の島道を訪ねて
古来より弁財天信仰の聖地として、また江戸時代から、江戸より程良い距離にある景勝地として、 江の島は多くの参詣人で賑わいました。江の島道とは、藤沢宿から江の島へ至るまでに通った道のことです。 当時の道筋は、現在の遊行通り、石上通りを経て石上の渡し(現在の上山本橋付近)で片瀬川を渡り、 泉蔵寺、龍口寺へと続く片瀬旧道を経て、州鼻通り(江の島通り)へと向いました。 現在でも馬喰橋を過ぎると「ゑのしま道」と刻まれた道標や、江の島への道案内を兼ねた庚申塔が 数基建っており、当時の江の島道の名残りをとどめています。
東京電力ビルの手前を右折して、国道467号を南下していくと、 多目的広場の向うに藤沢市民会館があり、その一角に旧近藤邸があります。
旧近藤邸
この建物は1925(大正14)年、関東大震災の直後に藤沢市辻堂の松林の中に近藤賢二氏の 別荘として建てられました。生活の近代化が叫ばれはじめた当時にあって、 いち早く日本の風土と生活にそくした新しい建築をつくり出した建築家遠藤新の36歳の時の作品です。 1980年、老朽化のため取り壊しが決定されましたが、地元市民の保存の声に守られて、 1981年3月、藤沢市によってこの地に移築されました。
 (藤沢市)
藤沢メディカルセンターの手前を左折して50mほど行くと、境川沿いの道にでます。
上山本橋
右折して川沿いに少し進むと上山本橋があります。 江戸時代には、この辺りに「石上の渡し」があったそうです。 橋を渡り、そのまま真っ直ぐに進んでいきます。
新林公園
マンションのある所を戻るようにして左へ進んでいくと、 やがて新林公園があるので、時間があれば立ち寄って行きましょう。 芝生広場、冒険広場、里の広場、古民家、湿地帯、川名大池などがあり、山辺を巡る散策路も続いています。 今回は、橋を渡ってすぐに右折して、川沿いの道を進んでいきます。
馬喰橋
「新編相模国風土記稿」は、源頼朝が片瀬川に馬の鞍を架けて橋の替わりにしたことから、 馬鞍端、また昔馬がこの橋にさしかかるといななき、突然死んでしまうことから馬殺橋と 呼ばれたが、ある時に行者聖が橋の石を取り替えてから災難はなくなったと伝えています。 ほかにも、文化5年(1808)の片瀬村の石橋建立発起帳には、馬鞍結橋とあります。 何度も流出し、明治末年には、長さ二間半(約4.5m)、幅二間(約3.6m)の木の橋となっていました。 この付近は、江戸時代に江の島参詣の往来のほか、海上交通の拠点としても賑わったところです。
 (藤沢市教育委員会)
岩屋不動(快祐上人入定窟)
岩屋不動は、正式には石籠山不動尊という。 ここは、かつて弘法大師が穴居修行したところであると伝えられ、 その後、元禄8年(1695)に快祐上人が石籠山救法経寺を開き、不動尊を安置したといわれている。 快祐は寛文3年(1663)片瀬に生まれ、手広の青蓮寺で修行し、その後、江戸湯島の霊雲寺で解行を積み、 再びこの地に戻って不動尊を開いたといわれる。 そして、延享元年(1744)快祐はこの岩屋で入定し、即身成仏したと伝えられる。 後に、石籠山救法経寺は廃寺になってしまったが、享和2年(1802)に泉蔵寺の隆誉が再興に尽くし、 現在、その泉蔵寺が別当としてこの不動尊を管理している。また、「新編相模国風土記稿」によると、 当寺の梵鐘が青蓮寺にあったというが、太平洋戦争中に供出されてしまったということである。 毎年1月28日の初不動には赤い布を結びつけた竹が道筋にたち、護摩がたかれる。
 (藤沢市教育委員会)
江の島弁財天道標
この道標は、管を用いた鍼治療をする管鍼術の考案者で、江の島弁財天を厚く信仰したと言われる 杉山検校(1610?〜1694)が、江島神社に参詣する人々の道しるべに寄進したものと伝えられ、 現在、市内にある十余基が市重要文化財に指定されている。 いずれも火成岩製。ほぼ同じ大きさの尖頭角柱型であり、 多くが前面に「ゑのしま道」(上部の梵字は弁財天の種子「ソ」を表わす)、 横面に「一切衆生」「二世安楽」と刻んであり、道中する一切衆生(=世の中に生きている全てのもの)の 現世および来世の安楽を祈念した造立者の温情が偲ばれる。
 (藤沢市教育委員会)
泉蔵寺
江の島弁財天道標の横から入っていくと泉蔵寺があります。
庚申塔
泉蔵寺の前にある庚申塔です。
上諏訪神社
諏訪神社上社御由緒
我国の諏訪神社は5000社を数うも、上・下両社を備えしは、信濃諏訪本社と我諏訪社のみと言うの可なり。 養老7年(723)信濃国諏訪大社の御分霊を勧請、上社に建御名方富命、下社に八坂刀売命を奉斎、 弘仁3年(812)諏訪谷の地より浪合の現地に御遷座、天慶2年(939)伊豆国守護菅原氏胤御修理、 正慶2年(1333)新田義貞鎌倉攻の類焼、貞和3年別当負玉蔵院の再建、安永7年(1778)の改修、 爾来200年御社殿老朽は止むべくもなかりし。ここに甘糟豊太郎、甘糟三郎、甘糟四郎、三兄弟は、 敬神崇祖の志より、氏神弥栄、父母孝養を祈り、多額の浄財もて、一間社流造の荘厳なる御社殿を御造営、 御境内をも整備、ここに上社の面目一新せり。 三兄弟の義挙を称え、且つは御神威一層の御発揚を祈り、昭和の御造営記とする。
 (諏訪神社 宮司)
上諏訪神社の参道からは江の島が見えますが、 現在は無粋な建物に遮られ、せっかくの絶景も感動は半減です。
密蔵寺
密蔵寺は、弘安年間創建と伝えられています。 お寺の前にあるスズカケノキの大木は、かつては道標のひとつだったそうです。 境内には多くの地蔵さんが並んでいました。
下諏訪神社
密蔵寺の前の狭い道に降りて進んでいくと、右手に下諏訪神社があります。
下諏訪神社
長野県諏訪大社(御本社)は上社下社から成り、古代より著名な神社として知られ、 水の神、風の神、ひいては生活の根源神として崇敬されています。 神名のタケは強く正しい威霊を表わし、その神威を称えて朝廷は素より、 鎌倉時代には源頼朝公をはじめ北条氏等武家の信仰が極めて篤く、 次第に諏訪神社の御分霊が諸国に奉遷され、郷村の守護神又は氏神として広まりました。 当社も御本社の御分霊が上下両社に御分祀されており、御分社は全国数千社に達します。 御本社同様に、両社御鎮座の形態は極めて稀であります。現在の御社殿は、下社が 昭和14年に、上社は昭和59年にそれぞれ御改築されました。 殊に、上社社殿左右の脇障子の彫刻は、長野県乙事村鎮座諏訪神社(旧諏訪大社社殿)の 彫刻を模し、飛騨高山の伝統工芸士により、御神紋梶の葉が見事に施されています。 上下両社を御参拝され、お諏訪様の有難い御神徳をお受け下さい。
江の島弁財天道標
下諏訪神社から密蔵寺の前まで戻り、江の島への道を進んでいくと、また江の島弁財天道標があります。 このような江の島弁財道標は、何ヶ所かにあります。
一遍上人地蔵堂跡
一遍上人の地蔵堂があった所は、現在は「片瀬三丁目まちかど公園」になっており、 「史跡 一遍上人地蔵堂跡」の標柱だけが立っています。
本蓮寺
本蓮寺には大きな木があり、その太い幹からは鍾乳石のように垂れ下がっていまいした。 これは枝なのか根なのか、それとも幹の一部なのかはよく分かりません。 不思議な気持ちになりながら、しばらく眺めていました。
片瀬市民センターの前にも江の島弁財天道標がありました。
江の島弁財天道標
この道標は、管を用いて鍼をさすた管鍼術の考案者で、江の島弁財天を厚く信仰していたといわれる 杉山検校(1610?〜1694)が、江島神社に参詣する人々が道に迷うことのないようにとの配慮から 寄進したものと伝えられている。もとは48基あったといわれるが、 現在は11基が残され、市指定重要文化財になっている。 いずれも花崗岩製。ほぼ同型同大で標身高120cm、各面幅20cmの尖頭角柱製で、 うち9基は四面のうち三面に「一切衆生」「ゑのしま道」「二世安楽」と刻んであり、 片瀬の西行もどり松脇の道標だけは第四面に「西行もどり松」と刻みつけられている。 "道しるべ"を兼ねて道中する一切衆生の現世及び来世の安楽を祈念した造立者の温情が偲ばれるものである。 また、市役所構内にある3基のうち1基は、他の10基とは異なり、 三面に「願主江戸糀町従是右江嶋道左龍口道」の銘がみられる。
 (藤沢市教育委員会)
西行もどり松
西行もどり松
杉山検校が立てた道標のうち、この道標には「西行もどり松」と刻まれています。 もどり松は、見返り松、ねじり松とも呼ばれ、枝葉が西に傾いているのが特徴です。 昔、西行法師が東国に下った際、この松の枝ぶりの見事さに都恋しくなり、 思わず見返って枝を西にねじったと伝えられています。 また、法師がこの松で出会った童に行き先をたずねたところ、 「夏枯れて冬ほき草を刈りにいく」と麦刈に行くことを歌で答えたので、 恐れをなした法師は歌行脚をやめて都へ引き返したともいわれています。 もとは本蓮寺の門の脇にあったものです。
 (藤沢市教育委員会)
常立寺
常立寺では、赤い帽子と前掛けをしたお地蔵さんが迎えてくれます。
龍口寺
モノレールの江の島駅を過ぎて左へ少しいくと、龍口寺があります。
龍口寺の入口にある仁王門の天井を見上げると、大きな龍の絵が描いてあります。
龍口寺の入口の横には、龍の口刑場跡があります。
龍の口刑場跡
当地は鎌倉幕府時代の刑場跡で、文永8年(1271)9月13日子丑の刻(午前2時)、 日蓮聖人は立正安国論の諌言により、この刑場敷皮石(首座)にすえられ、 時あたかも江の島の方より満月の如き光りものが飛び来たりて、 役人共や眼がくらみ、この奇瑞の為、ついに聖人の首を斬ることが出来なかった。 即ち日蓮聖人龍の口法難の霊場であります。
 (寂光山 龍口寺)
龍口寺本堂
当山は正式には日蓮宗霊跡本山寂光山龍口寺と称し、1271年の日蓮上人「龍の口の法難」の龍の口処刑場跡に 建立されました。壮大な本堂、豪壮な大書院、山門の彫刻、県内唯一の本式五重塔など、主要な建物は 全てけやき造りです。仏舎利塔からは江の島、相模湾が一望できます。
ここは霊場です。境内の清浄保持に御協力下さい。
一、歩きながら煙草を吸わない事。
一、裸体や奇異な服装で徘徊しない事。
一、放歌放吟その他喧噪に亘る行為をしない事。
 (霊跡本山 龍口寺)
五重の塔
本堂の右手から坂道を少しいくと、立派な五重の塔があります。 五重の塔の先にある、金色の擬宝珠が輝く七面堂を過ぎて、丘に登っていきます。
仏舎利塔
丘の上には、大きな白い仏舎利塔が建っています。 どこかインドや東南アジアなどの仏教の故郷を偲ばせる風情があります。 仏舎利塔がある丘からは江の島が見渡せますが、 無粋な建物が邪魔をして、趣も今ひとつです。
江ノ島(えのしま)駅
龍口寺から先程のモノレールの江の島駅まで戻ります。 ここでモノレールに乗ってJR大船駅まで行ってもいいのですが、 左へ少し進んで踏切を渡ると江ノ電の江の島駅なので、江ノ電に乗って家路につきましょう。
江ノ島駅(江ノ島電鉄)からは、藤沢駅へ行くか鎌倉駅へ行くかですが、 街並みや潮風に吹かれながらの楽しいひと時を味わえるので、ここは鎌倉経由で帰りましょう。 約25分で鎌倉駅に着きます。