城ヶ島
散策:2003年05月下旬
【海辺散策】 城ヶ島
概 要 城ヶ島は、三浦半島の最南端の海上に浮かぶ島です。 三浦半島とは「城ヶ島大橋」で結ばれており、歩いていくこともできます。 城ヶ島の東側・南側・西側は岩ゴロゴロの磯浜で、民家は北側に集中しています。 丘の上には城ヶ島公園をはじめとして緑が広がり、気持ちのいい散策を体験できます。
起 点 三浦市 白秋碑前バス停
終 点 三浦市 三崎港バス停
ルート 白秋碑前バス停…白秋碑…水っ垂れ…安房崎…城ヶ島公園…ウミウ展望台…馬の背洞門…ながとろの磯…西崎の磯…城ヶ島灯台…旧城ヶ島分校海の資料館…三崎港…三崎港バス停
所要時間 5時間30分
歩いて... 城ヶ島は神奈川県で一番大きな島です。 磯辺や内陸部の散策にも赴きがあります。 海の水も結構綺麗で、夏場には水遊びが楽しめそうです。
関連メモ 城ヶ島
コース紹介
白秋碑前(はくしゅうひまえ)バス停
三崎口駅(京浜急行久里浜線)から、[三9]三崎港・白秋碑経由城ヶ島行きバスにて25分、 1時間に2本程度の便があります。
かながわの景勝50選 城ヶ島と大橋
三崎港の天然の防波堤城ヶ島は、北原白秋の詩で有名な抒情の島です。 島の開発のために、従来の渡し舟にかわって三崎と島を結ぶ城ヶ島大橋が 昭和35年4月に完成しました。 城ヶ島大橋は、全長575m、幅7mの車道、その両側に幅2mの歩道があります。 橋の海上部分の長さは235m。わが国では最初の本格的なもっとも長い鋼製の橋で、 はこ形の橋けたを用いて軽量化をはかり、高度の技術を用いて20トンの重量にも 耐えるようにしてあります。 また、橋脚の海面からの高さは22m、海面下は18mで、安定度の高い構造で、 千トン級の船がこの下を楽に航行できるボックス・ガータ式の橋としては 東洋一を誇っております。使った鋼材千トン、セメント5,300トン、 工費は7億円であります。
 (三浦市)
白秋碑苑
バス停から少し先にいくと、大橋の下に白秋碑苑の入口があります。
白秋碑苑内利用者の皆様へ
〜苑内では次のことを守って下さい〜
・キャンプ、バーベキュー、たき火、花火、爆竹をしないこと。
・ごみは家へ持ち帰ること。
・施設をこわしたり、落書きをしないこと。
・花や木を採ったり、折ったりしないこと。
・その他、公衆の迷惑となる行為をしないこと。
 (三崎警察署、三浦市、城ヶ島観光協会)
白秋碑
大橋をくぐっていくと、北原白秋の「城ヶ島の雨」の歌碑があります。 帆型の自然石に白秋の自筆で、歌詞の一節が記してあります。 台座には作曲者の梁田貞の五線譜が刻まれています。
城ヶ島の雨
雨はふるるる 城ヶ島の磯に 利休ねずみの 雨がふる
雨は真珠か 夜明の霧か それとも私の 忍び泣き
舟はゆくゆく 通り矢のはなを 濡れて帆あげた 主の舟
舟は櫓でやる 櫓は唄でやる 唄は船頭さんの 心意気
雨はふるふる 日はうすぐもる 舟はゆくゆく 帆がかすむ
大正2年5月、白秋は家族とともに東京から三崎に移り、向ヶ崎に新居を構えました。 ときに白秋27才の春でした。 これは、世にいう「桐の花事件」による挫折、傷心から再起をはかるにあたり、 この三崎の地が白秋の心を深くとらえていたからでした。 そして、白秋は、三崎を訪れた数多い詩人の誰よりも三崎を愛し、 なつかしんだ人でもありました。 それは翌年、大正3年3月まで十ヶ月ほどの三崎時代でしたが、この間、 詩、歌、「雲母集」、「真珠抄」、「白金独楽」のほか、多くの作品が 残されていることでもわかります。 このように三浦三崎は、市内各所に青年白秋の足跡のしるしがあり、 まさに白秋詩魂のふるさとということができます。 「城ヶ島の雨」、大正2年若き音楽家中山晋平、梁田貞をはじめ音楽学校生徒等による 日本の新しい音楽の時代をひらく活動に参加するためのものであります。 白秋は、舟唄として「城ヶ島の雨」を作詞し、これに梁田貞が作曲してできたものです。 この詩碑は、白秋の筆跡を彫り、昭和24年7月、ここから50m東の磯に建てられ、 のち現在地に移りました。
白秋記念館
白秋の歌碑の前には白秋記念館があります。 三崎周辺には、白秋にちなんで「白秋文学コース」が設定されています。
 入館料  無料
 開館時間 9時30分〜16時
 休館日  毎週月曜日
さんさんと 海に抜手を 切る男 しまし目に見え 昼はふかしも
ちちのみの 父を裸に なしまゐらせ 泳ぎにとゆく その子が二人
寂しければ両手張り切り相模灘を抜手切りゆく飛びゆくばかり
躍り入り 抜手切れども ここの海の 渦巻く潮の 力深しも
抜手を切り 一列にゆく 泳手の 帽子ましろに 秋風の吹く
しみじみと 海のはたてに 見し煙 いつのまにやら 大船となる 大船となる
来て見れば けふもかがやく しろがねの 沖辺はるかに ゆく蒸気のあり
日が照る 海がかがやく 鰯船 板子たたけり あきらめられず
八景原 春の光りは 極みなし 涙ながして 寝ころびて居る
あまつさへ 日は麗らかに 枯草の ふかき匂ひも ひもじきかなや
空赤く 海また赤し 八景原 なかのとんがり 山なぜ黒いぞな
油壺から 諸磯見れば まんまろな 赤い夕日が いま落つるとこ
夕焼小焼 大風車の 上をゆく 雁が一列 鴉が三羽
後の雁が 先になりたり あなあわれ 赤い円日 岬にかかり
赤々と 夕日廻れば 一またぎ 向うの小山を 入跨ぐ見ゆ
油壺 しんととろりと して深し しんととろりと 底から光り
地面より 転げ出でたる 玉キャベツ いつくしきかも 皆玉のごと
摩訶不思議 思ひかけぬ わが知らぬ 大きなるキャベツが わが前に居る
しんしんと 湧きあがる力 新らしき キャベツを内から 弾き飛ばすも
日本づつ 鯖を投げ出す 二本の手 そろうて光りて ありにけるかも
桟橋に どかりと一本 大鮪 放り出されて ありたり日暮
しんしんと 夕さりくれば 城ヶ島の 魚籠押し流し 汐満ちきたる
相模のや 三浦三崎は 大まかに 恵美須三郎 鯛釣るところ
相模のや 三浦三崎は ありがたく 一年あまりも 吾が居しところ
相模のや 三浦三崎の 事思へば けふも涙の ながれながるる
白秋碑前バス停まで戻り、左手に続く道を進んでいきます。 水産総合研究所栽培漁業センターの前を過ぎていくと海に出ます。 ここは業船用の岸壁になっています。 ここから岩場を通って「水っ垂れ」への道があるのですが、 落石・倒木・危険ありということで通行止めになっていました。 引き返して城ヶ島公園を廻って水っ垂れへ行きます。
水っ垂れ
鎌倉幕府の昔、征夷大将軍源頼朝は、三浦三崎の風光を賞でて、しばしば来遊しましあ。 市内に桜、椿の三御所(今の別荘)を設けたり、船を浮べて歌舞音曲の宴を催したといわれます。 特にこの地は、清冽な清水が湧くところであったので、頼朝はこの水を煎茶や、硯の水にしたという 伝説があります。 その当時は恐らくもっと湧いていたものと思われますが、今でもどんな日照りにあっても、 この清水は涸れたことがないそうです。土地の人は訛って「みずったれ」とか「みぞったれ」と 詠んでおります。
 (三浦市)
奥の洞穴から流れ出た水は、小さな溜まり場に集まります。
磯浜に打ち寄せる海水は結構きれいです。 水遊びを楽しもうという気持ちになれるほど澄んでいました。
水っ垂れから安房崎にかけて、ゴツゴツした岩場が続きます。
安房崎
安房崎には岩場が広く続いています。
海辺では釣りをしている人を多く見かけました。
安房崎灯台
岩場を海に向かっていくと、先端に安房崎灯台があります。
この灯台は、船舶が安全に航行するための重要な施設です。 傷付けたり、汚した場合は、法律により罰せられます。 この灯台に関してお気付きの点がございましたら、 最寄りの航路標識事務所か海上保安部へ連絡をお願いします。
 (海上保安庁)
さらに岩場を進んでいくと、岬の上へ続く登り階段があります。 安房崎灯台から正面の森へ向かって行った所にも登り道があります。
城ヶ島公園
階段を登り切ると城ヶ島公園の一角のピクニック広場に着きます。 あおい芝生が広がっています。
公園利用者の皆様へ
みんなの公園です。次のことを守って楽しく過ごしてください。
・施設をこわしたり、落書きしたりしないでください。
・花や木を採ったり、折ったりしないでください。
・鳥類をとったり、害を与えたりしないでください。
・柵の外や危険なところには入らないでください。
・ごみはくずかごに入れるか家へ持ち帰ってください。
・キャンプ、バーベキュー、たき火をしないでください。
・行商、物品販売をしないでください。
・お互いに迷惑をかける行為はしないでください。
休憩所
ピクニック広場の高台にある休憩所からは、安房崎灯台の向うに広い海が広がっています。
この公園は、大蔵省(関東財務局横須賀出張所)所管の国有地を借り受け整備したみなさんのための施設です。 園内では規則を守って大切に利用して下さい。
 (神奈川県)
展望休憩所
植物生息地の道を進んでいくと展望休憩所があります。 三浦半島をはじめとして、東京湾から相模湾をぐるっと見渡せます。
展望休憩所の側からは、海辺まで降る階段が続いています。 城ヶ島は海洋の影響を直接うけるため、潮風や波しぶきに対して抵抗力の強い植物が多く見られます。
岩場タイトゴメ、ラセイタソウ、ハマボッス、イソギク
崖地トベラ、シャリンバイ、ハマヒサカキ、ハチジョウススキ
台地ハチジョウススキ、マツ、ツワブキ、アシタバ、ボタンボウフウ
北側斜面タブ、ヤブニッケイ
注意
1. この付近の海(漁業権区域内)で貝類(あわび、さざえ等)や海藻類をとらないでください。
2. 水中銃・アクアラング等を使って魚・貝・海藻類をとってはいけません。
3. 薬品を用いて餌むし(いそめ、ごかい等)をとってはいけません。
違反者は法令により処罰されます。
 (神奈川県、三崎警察署、城ヶ島漁業協同組合)
火の島へ 一帆目指すよ 芋の露 源義
この俳句は、角川源義 昭和39年の作。 城ヶ島より望む伊豆大島への願望です。 帆をいっぱいに追風をはらんだ帆掛船が大島に向って走っている情景、 芋の露(季語=秋)は、成長した里芋の業に夜露や雨が溜ってきらきらとかがやいているようす。
角川源義(俳号・源義)、大正6年、富山県生れ、折口信夫・武田祐吉を慕い 国学院大学に学ぶ。文学博士、国学院大学講師。慶応義塾大学大学院講師。 昭和20年角川書店を創立し、27年総合雑誌「俳句」、翌年「短歌」を創刊、 33年俳句の叙情性を目指し、俳誌「河」を創刊して俳句の指導に当る。 ことに三浦半島の風光を愛し、しばしばこの地を訪れている。 昭和50年10月27日没。この日を「秋燕忌」と名付く。昭和51年建立。
 (三浦市、俳誌「河」同人会)
松虫に ささで寝る戸や 城ヶ島 たかし
秋の夜、松虫が鳴いている。島の漁家は戸締りをしないまま、松虫の鳴く声に つつまれて安らかな眠りに入っている。「ささで」は「戸締りをしないで」の意。
この俳句は、松本たかし昭和13年の作。 当時この城ヶ島に大橋はなく、三崎との渡し舟が唯一の便であった。 更に東京湾防備の要塞地帯で、島へ渡るのには軍の制約があり、 殊に夜に渡る人など稀なこと、初秋の夕べには虫の鳴きこぞる島となった。 たかしは三崎の友の案内で虫を探ねることができた。 島の漁家のいとなみは、素朴そのもの。松虫の鳴く頃は、涼をとるため蚊帳を吊って、 雨戸を聞けたままで寝ている。このような島の抒情が、たかしの高い詩心によってうたいあげられた。 松本たかし=子規、虚子の写生を根本にした俳人。三崎の風光を愛し、 しばしば来遊。昭和31年没。その墓も三崎本瑞寺にある。
 (三浦市、俳誌「笛」同人会)
駐車場の先で左へ曲がり、両側が笹竹の壁になっている道をウミウ展望台へと進んでいきます。
ウミウ展望台
城ヶ島のウミウ・ヒメウ及びクロサギの生息地
城ヶ島の南側、太平洋の荒波を受ける断崖は高さ約30m、幅2kmに及び、 自然景観もよく残されている。この崖の中ほどやや東に位置する赤羽根海岸周辺には、 崖面の岩棚や割目にウミウとヒメウ、それにクロサギが生息することでよく知られている。 ウミウとヒメウはウの仲間で、夏期は北日本などの冷涼な地域で繁殖し、 冬季には温暖な地方へ南下して冬を過ごす。城ヶ島においては、例年10月末頃から渡来し、 小数のヒメウのほか、最盛期のウミウは千数百羽を数え壮観を呈するが、やがて春になると 北へ帰っていく。一方、クロサギは南方系のサギで、太平洋側では房総半島や城ヶ島を 生息の北限域とする。体は黒く見えるが、くちばしと足が長くて黄色がかるので、 全体黒色にみえるウミウやヒメウと区別できる。 城ヶ島赤羽根海岸周辺は、往時よりもウミウの渡来数が減少しているが、 なお関東地方最大規模の渡来地として重要であり、またクロサギの太平洋側分布北限地の 一つとして学術上きわめて貴重である。
 (神奈川県教育委員会、三浦市教育委員会)
ウミウ展望台から更に進んでいくと、城ヶ島灯台と馬の背洞門への分岐がありますが、 左手の馬の背洞門を目指します。
分岐から少し行くと、急に視界が開けます。
目の前には城ヶ島灯台までの海岸が続いています。 階段を降っていくと、馬の背洞門があります。
馬の背洞門
これは自然が作った海蝕洞穴で、長い年月をかけて波浪、風雨等に侵蝕されてこのような 見事な形となったものです。 地層は第三紀層、鮮新統、三浦層群に属し、土質は凝灰質砂礫岩という軟かい岩質です。 高さ8m、横6m、厚さ2mで、土地の人は「馬の背の洞門」のほか、「めぐりの洞門」、 「眼鏡の洞門」などど呼んでいます。 そのどの名前もみな洞門の形から推して名付けたものです。 明治の文豪、大町桂月はここを訪れて次のように述べています。
「・・・馬の背に至る。怒涛脚下の厳を噛む。左は房州、右は伊豆、前には雲の峰聳ゆ。 その雲の峰少し薄らぎて中より大島あらわる。馬の背はやがて馬の首となり、長厳海に突出す。云々」
 (三浦市)
馬の背洞門からは、岩混じりの浜辺を歩いていきます。
岩盤が続くようになると、磯伝いの道も終わりに近づきます。
ながとろの磯
ここ「ながとろの磯」は昔、北条早雲の臣、長津呂仁左衛門の屋敷下だといわれています。 また、この入江の付近は埼玉県の長瀞の景に似ているというところから、この名が出たといわれています。
 (三浦市)
ながとろの磯からは、城ヶ島めぐりの「遊び船」が出ています。
城ヶ島1/3コース城ヶ島一周コース
所要時間15分所要時間30分
一人の場合 1,200円一人の場合 2,500円
二人の場合 1,500円二人の場合 3,000円
三人以上一人に付き 700円三人以上一人に付き 1,300円
ながとろの磯の岸には、物産店や飲食店が何軒も立ち並んでいます。
長津呂(ながとろ)
ながとろの磯の岸には物産店や飲食店が何軒も立ち並んでいます。 ちょうど昼時になったので、その中の一軒で「さざえ丼」を食べました。
西崎の磯
ながとろの磯から西崎の磯に向って、城ヶ島灯台の周りをぐるっと巡ることができます。 磯を廻らなくても、ながとろの磯から物産店や飲食店が続く道を通って城ヶ島灯台に行けます。
城ヶ島灯台
城ヶ島灯台の歴史は古く、慶安元年(1648)、当時三崎奉行であった安部次郎兵衛が徳川幕府の命によって、 航行する船のために、島の東端安房崎に烽火台を設けたのが始まりで、 延宝6年(1678)にこれを廃して、島の西端に灯明台を設けました。 その後、享保6年(1721)に代官河原清兵衛がふたたびかがり火に代えましたが、 この火光については「晴夜光達約8里」と伝えられ、燃料費は浦賀入港の船舶から徴収したと言われます。 このかがり火による灯台は、明治3年8月12日夜まで続きましたが、以後フランス人技師の設計増築による 新灯台に代わりました。 この新灯台は横須賀市の観音崎灯台に次ぐわが国2番目の白色光の様式灯台で、関東大震災(1923年)で 破損しましたが、大正15年に改築、現在の灯台は「灯質閃白光15秒に1閃光、燭光数40万カンデラ、 光達距離2万8700メートル、灯器電灯750ワット、灯高地上から頂部11.5メートル、 平均海面上29.4メートル」で、今日まで城ヶ島沖を航行する船人の心の灯となっています。
 (三浦市)
施設の概要
城ヶ島灯台は、明治3年8月13日横須賀製鉄所首長フランス人ヴェルニーにより、 日本で4番目の西洋式灯台として設置されました。 当時の煉瓦造円形、灯高基礎上5.76メートルの灯台は、大正12年9月1日の関東大震災により、 灯塔・附属舎とも一瞬にして基礎から倒壊し、大正15年8月1日に改築されたのが現在の灯台です。
位置北緯35度7分54秒、東経139度36分51秒
塗色及び構造白色、円形、コンクリート造
灯器及び灯質第四等、閃白光、毎15秒に1閃光
光度40万カンデラ
光達距離16海里(約30キロメートル)
高さ地上〜頭部:11.5メートル、水面〜灯火:30.1メートル
管理事務所城ヶ島航路標識事務所
この灯台が、100年以上の歴史の中で、数多くの船人の命と貴重な財貨を人知れず救ってきたであろう ことを想うとき、これからも、毎夜美しい光りを沖行く船に投げ掛け続けるよう祈念するものであります。
 (社団法人 燈光会)
城ヶ島灯台からは、海をぐるっと見渡せます。 小奇麗なテラスもあるので、しばらく休憩していきましょう。
旧城ヶ島分校海の資料館
城ヶ島灯台から、物産店や飲食店が並ぶ道を通って車道に出ます。 そこから、右折して車道を城ヶ島大橋目指して進んでいきます。
旧三崎小学校城ヶ島分校
現在の旧城ヶ島分校海の資料館は、昭和6年、三崎尋常高等小学校城ヶ島分教場として建設されたもので、 教室と教師住宅が鉤型に配し、両棟の接点に玄関ポーチと昇降口土間が設けられ、両棟に挟まれた部分が 運動場となっています。 この分教場は、昭和11年の大火にも類焼を免れ、昭和23年三崎小学校字が島分教場と改称され、 昭和30年三崎第一小学校城ヶ島分校と改称、昭和45年本校に統合させ廃校となり、 その後、城ヶ島公民館に転用されました。 昭和初年の学校建築物のほとんどが取り壊されてしまった今日、城ヶ島分校は、 当時の学校建築および分校建築の典型例として、今日では極めて貴重なものです。
 (三浦市教育委員会)
城ヶ島漁撈用具コレクション
城ヶ島漁撈用具コレクションは、471件(657点1隻)からなり、その内容を大きく分類すると、 (1)裸潜水漁関係用具、(2)覗突漁関係用具、(3)網漁関係用具の他に、漁網製作関係用具、 漁船及び船上用具(服装関係も含む)等から構成されています。 城ヶ島の漁業生産活動は、近世以降、江戸城下町の発達にともなって活発となり、 その漁業の伝統は、夏期の男(海士)による裸潜水漁(アワビ、サザエ等の採取)と 冬期の覗突漁(舫丁)、それに小規模な網漁(磯立網、七目網など)の組み合わせによるものでした。 それに、明治以後、各種の網漁業が盛んにおこなわれるようになりました。 この、地域に伝えられた漁撈用具は「伝統的な暮らしかた」を具体的に理解し、地域的特色を 示すとともに、漁撈文化の伝統や本質を探るための資料として貴重であります。
 (三浦市教育委員会)
海南神社
旧分校の斜め前には海南神社があります。 7月17日〜19日には例大祭が行われるようです。
帰りは城ヶ島大橋を歩いて三崎までいきます。 城ヶ島大橋の通行は、自動車は有料ですが徒歩は無料です。 橋からは三崎の街並みが見渡せます。 ドックで修理中の船もありました。
城ヶ島大橋の通行は、自動車は有料ですが徒歩は無料です。
城ヶ島大橋利用料
徴収時間:午前8時から午後7時まで(11月1日から翌年2月末日までの間は午後6時まで)
利用種別料金摘要
原動機付自転車
軽自動車
50円50cc以下無料
貨物自動車
小型乗用自動車
100円料金は往復
普通乗用自動車150円
乗合自動車(路線)200円
乗合自動車(その他)520円
特殊自動車300円
三崎港
マグロと蔵のまち三崎
三崎は昔から遠洋漁業のマグロで栄えた街。 昭和30年あたりから、マグロ船が入港するとワンやワンやの大騒ぎ。 恋人に遭うために訪れる人、家族でお父さんを向えに来る人、港の玄関口として賑わった街です。 街をそぞろ歩くと2階建部分の開口部が大きな蔵が目立ちます。普通、蔵は貯蔵庫として利用されます。 しかし、ここ三崎は大火が多かった土地柄で、特に冬の海からの西風は強く、 そのため、一旦火が起ると大火にまでなってしまいました。そこで、人命も家財も守るため、 住居空間を兼ねた蔵が登場しました。 私たちの三崎も近年のグルメブームに乗って、多くの方々が訪れて頂けるようになりました。 観光地としてはこれからですが、素顔の三崎を満喫してください。
三崎弁標準語
おめっちらああなた達
しゃんねえしょうがない
けえろください
うんめろたくさん
しゃっせーョしてください
くわっせーョ食べなさい
けえすけアワビ
てってに本当に
・・・だんべえ・・・でしょう
やしやし一生懸命
おっぺす押す
えっ!三崎にも方言があった?
驚かれるのも無理はありません。しかし、立派にきちんと現存していたのです。
ここではほんの一例を紹介します。覚えて損はねえだんべえ。
三崎にゃー、うんめろうんめー店があんからぁ、けえすけでも、くわっせーよぉー。
【訳】三崎には、たくさんおいしい店があるから、アワビでも、食べなさい。

 (三崎まちなみ事業協議会)
三崎港(みさきこう)バス停
三崎口駅(京浜急行久里浜線)まで、[三26]三崎口駅行きバスにて20分、 1時間に4本から5本程度の便があります。