猿島
散策:2003年05月上旬
【海辺散策】 猿島
概 要 猿島は、横須賀沖1.7kmほどに浮かぶ東京湾唯一の自然島です。 周囲1.6kmほどの小さな無人島で、先の大戦までは砲台も設置された要塞になっていましたが、 今では一般公開されてフェリーも通う行楽地になりました。 海水浴・磯遊び・要塞跡の探検・尾根道の散策などで賑わう所になっています。
起 点 横須賀市 横須賀中央駅
終 点 横須賀市 横須賀中央駅
ルート 横須賀中央駅…三笠公園…三笠桟橋〜猿島港…広場(南東)…広場(中央)…展望台…広場(北東)…砲台跡…日蓮洞窟…猿島港〜三笠桟橋…横須賀中央駅
所要時間 4時間10分
歩いて... この時は丁度干潮の時だったので、島の周囲の岸を歩いていくことができました。 今回は東岸しか歩いていませんが、西側も歩けるのかどうかは分かりません。 西岸にはウミウの越冬コロニーや旧陸軍の隠し波止場があり、 東岸とはまた違った雰囲気が味わえそうです。
関連メモ 猿島
コース紹介
横須賀中央(よこすかちゅうおう)駅
横須賀中央駅(京浜急行本線)から歩いていきます。
三笠公園
東京湾へ向かって1kmほど進んでいくと、三笠公園があります。
入口には立派な記念碑が建っています。
三笠公園
本公園は昭和36年5月27日完成を見たもので、公園の名称はこの一角に 保存されている記念艦三笠に由来するものである。 三笠艦は日本海海戦(1905年)の際、わが連合艦隊旗艦として参戦し、 時の司令長官東郷平八郎の大号令「皇国の興廃此の一戦に在り云々」と共に、 世界海戦史上不滅の名をとどめた。
排水量15,140トン
全長132m
23m
軸馬力15,000H.P
速力18ノット
30cm×4
15cm×14
8cm×20
発射管45cm×4
三笠公園の岸壁には往時の戦艦「三笠」が係留されています。
記念戦艦三笠の由来
三笠は明治37年2月に始まった日露戦争において、 東郷大将が率いる連合艦隊の旗艦として、終始敵の集中砲火の中で奮戦し、 同年8月10日の黄海海戦では露国東洋艦隊に大打撃を与え、 終に明治38年5月27日の日本海海戦では、遠来のバルチック艦隊を全滅させる偉功を たてた日本海軍の代表的な軍艦であります。 日本海海戦の大勝利は、世界史の流れを大きく変えたと言われますが、 この偉業を成し遂げた日本民族の誇りと自信を新たにするとともに、その栄光を永く後世に 伝えるために、その「シンボル」として、三笠は大正15年以来収蔵する多数の記念品とともに、 ここ白浜海岸に保存され、多くの人に親しまれてきました。
傍には有名な行進曲「軍艦」の記念碑も建っています。 私の子供の頃には運動会の入場行進などでよく流れていた曲です。 楽譜も載っていたのでMIDIファイルにしてみました。 【♪演奏
碑文
行進曲「軍艦」は、明治30年海軍軍楽長 瀬戸口藤吉氏によって作曲された。 日本の勃興期における行進曲として親しまれ、未来への明るい希望と自信を 与え勇気づけるものである。世界3大行進曲の一つとして、音楽史を彩る稀有の 名曲で、作曲されてから一世紀を迎える年にあたり、瀬戸口軍楽長がこよなく愛し、 青春の日々を送り己が終焉の地ともなったこの横須賀の三笠公園に行進曲「軍艦」の 顕彰碑を建立いたしたものである。  (行進曲「軍艦」記念碑建立協賛会)
1. 守るも攻むるも黒鉄の 浮かべる城ぞ頼みなる
浮かべるその城日の本の 皇国の四方を守るべし
真鉄のその艦日の本に 仇なす国を攻めよかし
2. 石炭の煙は太洋の 龍かとばかり靡くなり
弾丸撃つ響は雷の 声かとばかりどよむなり
万里の波濤を乗り越えて 皇国の光輝やかせ
水と光と音
三笠を右手に見ながら先へと進んでいくと、大きなモニュメントが建っています。 モニュメントの向こうには、これから向かう猿島がすぐそこに見えています。 フェリーが通っていくと岸壁に波が打ち寄せてきます。 岸の近くにいると波しぶきがかかったりします。
メインモニュメント
高さ18mのステンレス製で、太陽の光りが当たると、様々な色の変化が楽しめます。
公園内には大きな池や噴水から流れる水の階段などもあり、涼しさを醸し出しています。
公園には、貯水槽として利用されている蒸気機関車D51がありました。
横須賀市緊急飲料貯水槽"D51"
この蒸気機関車は、いつか来る大地震のために、生活には欠くことのできない「水」を 貯えておくための飲料貯水槽です。大地震の時、この三笠公園に避難してくる33,000人もの人たちに、 ひとり当たり3リットルの水を配れるように、100立方メートル(100,000リットル)の水が常に循環して新鮮な状態で 保存されています。
 (横須賀市水道局)
三笠公園の傍には「めだかの学校」の歌碑が建っています。 よく知られた曲ですが、楽譜も載っていたのでMIDIファイルにしてみました。 【♪演奏
めだかの学校
昭和21年の春、茶木滋親子は小田原市郊外の小川のほとりを歩いていました。 幼い義夫くんが突然声をあげました。「お父さん、めだかがいるよ」。 滋はすぐ川をのぞきこみましたが、めだかは一匹もいませんでした。 「おまえが大声をあげたからびっくりして逃げたんだよ」。 すると義夫くんは、「待ってればくるよ。ここ、めだかの学校だもの」。 昭和25年の秋、NHKから"春らしい明るい歌"の作詞を頼まれた時、 ふとこの時の会話が浮かび、童謡「めだかの学校」は生まれたのです。
♪めだかの学校は 川のなか そっとのぞいて みてごらん
   そっとのぞいて みてごらん みんなでおゆうぎ しているよ
♪めだかの学校は めだかたち だれが生徒か 先生か
   だれが生徒か 先生か みんなでげんきに あそんでる
♪めだがの学校は うれしそう 水にながれて つーいつい
   水にながれて つーいつい みんながそろって つーいつい
作詞者の茶木滋は、明治43年1月5日、横須賀市汐入町6番地に生まれました。 汐入小・横須賀中・鎌倉中を経て明治薬学専門学校に学び、薬剤師となりましたが、 中学時代から童話や童謡に興味を持ち、児童雑誌「赤い鳥」などに投稿していました。 他に童謡「とても大きな月だから」、童話「くろねこミラック」などの作品があります。 作曲者の中田喜直は、大正12年8月1日、東京に生まれました。有名な「早春賦」の 作曲家中田章を父に、幼時から音楽的に恵まれた環境の中で育ち、やがて東京音楽学校ピアノ科を 卒業しました。「夏の思い出」、「かわいいかくれんぼ」、「雪のふるまちを」、 「ちいさい秋みつけた」などの作品があります。
 (横須賀市)
三笠桟橋
三笠公園のそばに猿島へのフェリー乗り場があります。 2隻のフェリー(シーフレンド1号、しーふれんど2号)が運行していて、 1時間に1本程度の便があります。
運航時刻
3月1日〜11月30日(毎日運航)
 [三笠発] 8:30 9:30 10:30 11:30 12:30 13:30 14:30 15:30 16:30
 [猿島発] 8:45 9:45 10:45 11:45 12:45 13:45 14:45 15:45 17:00
12月1日〜2月末日(土・日・祝日のみ運航)
 [三笠発] 9:00 10:00 11:00 12:00 13:00 14:00 15:00 16:00
 [猿島発] 9:15 10:15 11:15 12:15 13:15 14:15 15:15 16:30
往復料金 : 大人\1,200、子供\600
定員 : 85名(1号)、90名(2号)
お客様へお願い
猿島は東京湾に残された唯一の自然島です。島内の貴重な自然や景観を守り、 好感の持てる憩いの島となるよう心がけましょう。
 1.乗下船は、陸上係員の指示に従って下さい。
 2.乗船時には、乗船券を係員にご提示下さい。
 3.船内においては船長または船員の指示に従って下さい。
 4.船内においては船内掲示の禁止事項をお守り下さい。
 5.船長は各種指示に従わない旅客に対し下船を命ずる事があります。
 ★最終便に乗り遅れないように必ず帰りの船の時間を確認して下さい。
 ★運航便以外の特別便については別途料金を申し受けます。
この日は近くの学校の遠足だったらしく、 先生に引率されて多くの子供たちが乗っていきました。
横須賀港(新港)の紹介
横須賀市内の北は追浜から南は野比に至る港湾施設のある区域をまとめて横須賀港といいます。 向こうに見える島は東京湾唯一の自然島「猿島」です。伝説によると日蓮上人が上総の国から 鎌倉へ行く途中、嵐に遭い漂着した所といわれています。この島は四季を通して市民が海と親しめる 所でもあり、島内には弥生時代の洞穴住居あとや、かつての要塞、特に明治時代の赤レンガなどが 残されています。 さらに沖合には、第1海堡、第2海堡、水没している第3海堡の人工島要塞あとや千葉の新日鉄(株) 君津製鉄所が眺められます。
左に見える記念艦「三笠」は日露戦争の日本海海戦でバルチック艦隊を破り大勝を収めた時の 旗艦であります。大正15(1926)年、三笠公園に保存されることになりました。 ペリー提督の率いる黒船が浦賀沖に来航して以来、わが国の立遅れを痛感した徳川幕府は勘定奉行 小栗上野介忠順に製鉄所(後の造船所から海軍工廠と改称された)の建設を命じ、それを受けた フランス人技師レオン・ウェルニーは横須賀湾に着目し、建設しました。これがきっかけとなって 一寒村であった横須賀が大きく発展することとなり、やがて海軍がその施設を拡張するにつれて 貨物船等の横須賀湾内の航行が制約されました。そこで貨物船等は現在の稲岡町あたり、 白浜海岸を使うようになりました。
白浜は漁民の集落でしたが、明治11(1878)年、三浦郡長小川茂周によりこの辺一帯が埋立てられ、 郡長の名をとって小川町と名づけられました。そのころ鴨居「若松屋」の高橋勝七により若松町、 明治22(1889)年、その北側に後の工機学校敷地、大正4(1915)年、肥後富一郎、葦名金之助等により 大滝町地先に埋立地がそれぞれ造成されました。埋立地ができあがると緑ヶ丘にあった市役所や 諏訪小学校、平坂付近にあった警察署をはじめ、銀行や商店なども進出、活気のある下町が形づくられてきました。
昭和5年、今の京浜急行が浦賀まで開通されると、埋立地は横須賀の都心として賑わいのある町となっていき、 人々は「中央へ行こう」、「下町へ行こう」と言って新しい町に来ることを楽しみにしていました。
造船所開設以来、次第に都市として発達した本市にとって、交通機関の整備は第一の要件であり、 特に谷間の多い地形などによる道路網の不備もあって、海上輸送路は物資輸送幹線の上で中心的な 役割を果たしてきました。海軍の施設拡大のため、横須賀湾、長浦湾の一般利用が閉ざされてからは、 小川港は近くの安浦港とともに整備され、京浜急行からの生活必需物資や石炭、建築用材等の港湾物資の 取扱いに需要な役割を果たしてきました。なお戦後わが国の食料危機救済のため、長浦に外国貿易港が、 また久里浜に遠洋漁業基地及び国内貿易港が、それぞれ整備されてきました。
一方、戦後の目覚しい経済成長を背景に、三浦半島及び湘南地域を主とした海上輸送貨物の門戸として、 新港建設に昭和41年着手し49年完成に至りました。
現在新港では主に北米、欧州向けなどの輸送機械の輸出、遠洋航海する船舶への生活必需品、 また都心からの生活消費物資を取り扱っております。 これらの港湾活動を円滑に機能させるため、税関、検疫所、入国管理事務所、海上保安部、 運輸局、新港ふ頭(株)等の各港湾機関が設けられ活動しております。
爽やかな潮風に乗って、シーフレンド1号で猿島へ向かいます。 沖に小さく見えていた猿島が、進むにつれて次第に大きくなってきます。
三ツ磯
途中、島の200mほど手前、船の右手波間に平らな洗岩がのぞいています。 普段は一つしか見られませんが三つあり、「三ツ磯」と呼ばれています。 残りの二つは引き潮になると海面上に現れます。 この時は干潮だったので、三つとも海面に顔を出していました。 ウやカモメ、シギチドリなど海鳥の仲間にとって絶好の休憩場となっています。
猿島港
内海ということもあって波も静かで、船はそれほど揺れません。 10分ほどで猿島に着きます。
この島は、市民の皆さんが利用する目的で国有地の管理者である大蔵省(関東財務局横須賀出張所)から、 市が管理委託を受けています。島内の自然や歴史的建造物を大切にしましょう。
 (横須賀市)
猿島
この猿島は三笠公園の東南東沖合1.7kmに位置し、 面積約5.5ha、周囲約1.6kmの東京湾に残された唯一の自然島です。 島内の植生としては、関東地方では貴重なイノデ・タブの群集が見られます。 鳥類では、200羽以上からなる県下有数のウミウの越冬コロニーがあるなど、 他では見ることのできない自然に恵まれています。 また、明治中期に完成した、日本では珍しいフランス積煉瓦建造物を持つ、猿島要塞が残っています。
 (横須賀市)
注意
島内の貴重な自然や景観を大切に守り、皆さんの憩いの場となるようにしましょう。
・自然や施設を大切にしましょう。
・立ち入り禁止地区や危険な場所には入らないでください。
・ゴミは持ち帰りましょう。
・キャンプは禁止です。
・自家用モーターボートでの入島はできません。
・営利を目的とした映画や写真の撮影は、事前に許可が必要です。
・最終便に乗り遅れないように、必ず帰りの船の時刻を確認してください。
・バーベキューの行える場所は、砂浜だけなので注意して下さい。
 (横須賀市)
魚介類の採取禁止
1. この付近の海は、協同漁業権が設定されており、漁業者は生活の糧として、魚・貝・海藻類を 大切に守り育てていますので、タコ・ナマコ・アサリ・ウチムラサキ・アカニシなどや 海藻類をとると、漁業権の侵害となることがあります。
2. 次の行為は、法令により禁止されており、違反者は処罰されますので、厳重に注意してください。
(1)水中眼鏡をかけてイソガネ又はヤス使用したり、水中銃、アクアラング、モリを使用して 魚・貝・海藻類をとること。
(2)魚・貝・海藻類に有害なものを海や川に捨てたり、流したりすること。
(3)薬品を使用して餌虫をとること。
3. 猿島航路及び漁船等の航路周辺での潜水行為は、船の航行の妨げとなるばかりでなく、大変危険です。 絶対にしないようにしましょう。
 (神奈川県・横須賀市、横須賀市東部漁業協同組合、横須賀市海上保安部、横須賀警察署)
港のある島の南側には砂浜が広がり、海水浴場になっています。
 開設期間:7月6日〜8月31日
 遊泳時間:午後4時30分まで
海水浴場の向かい側には、横須賀の街がすぐそこに見えます。 「海水浴場の向こうにはずっと海が続いている」というこれまでの経験と違って、 なんだか不思議な感じがします。
浜辺では、子供たちが貝殻で何やら造っていました。 砂の色と貝殻の色とがうまくマッチして、綺麗に仕上がっていました。 だれかの顔なのでしょうか。
砂浜を過ぎていくと、売店・レンタルショップ・海の家(ビーチハウス)・コインロッカーなどがあります。
猿島売店
販売品目 カップ麺類、缶飲料、お菓子類、日用品等
営業日 3,4,5,6,10,11月……土・日及び祝日のみ営業
7,8,9月……毎日営業
12,1,2月……自動販売機のみ(缶飲料)
海の家(ビーチハウス)
営業案内 飲食店(軽食)、売店、更衣室、貴重品預り所・シャワールーム、救護室
営業日 7月第3土曜日〜8月末日……毎日営業
レンタルショップ
貸出物品 バーベキュー用具、アウトドア物品、つり用具、ゲーム用具(遊び道具)、ローボート(手漕ぎ3人乗り)
販売商品 バーベキュー用消耗品、マリングッズ類、つり具消耗品(エサ、ハリ等)、その他
※バーベキューについては、木炭・着火剤を始め、調味料・お皿・割り箸に至るまで食材以外なら何でもOK
営業日 通年貸出しOK
ただし、冬期期間不在時(売店営業日以外)は、三笠発券所又は船員まで。できれば予約申込み。
コインロッカー
営業日 通年利用OK
売店の前のボードウォークには、テーブルや椅子が設置されていて、 休憩したり食事をしたりするのにいい所です。
売店を過ぎて島の中央へと続く道を進んでいくと、整備工事中のため通行止めになっていました。 残念ながら、要塞跡やレンガの建物などは見られませんでした。 脇の迂回路の山道を登っていきます。
(正面の道は「猿島」を参照)
広場(南東)
登り始めてすぐの所に広場があります。 ここからは、海とその向こうの横須賀の街が見渡せます。
広場からはクサリ場の登り道が続きます。
登りきると急に道が広くなります。
広場(中央)
さらに少し進むと、展望台がある広場に着きます。 猿島の中で、標高が一番高い所だと思います。
展望台
広場の展望台からは、横須賀の街をはじめ、東京湾の向こうまでも見渡せ、 すばらしい展望が得られます。
展望台のある広場から降って砲台跡を2つ過ぎていくと、広場とトンネルへの十字路があります。
広場(北東)
十字路を右へ少し降っていくと、海沿いの広場に出ます。 三笠からフェリーに乗って先に出発していった子供たちが休んでいました。
広場から階段を降りていくと、海辺に降りられます。
海辺では、貝や海藻などを獲っている人や魚釣りをしている人たちをたくさん見かけました。
砲台跡
十字路に戻って右へ曲がって砲台跡を過ぎると、砲台跡と解説板のある所につきます。
砲台跡
日本が鎖国をしていた19世紀中頃、江戸幕府は異国船の江戸湾進入を防ぐために、 全国初の台場(大砲を据える台)を猿島に建設しました。以来、猿島は「要塞の島」としての 歴史を歩み始めたのです。 やがて明治時代中期、明治政府は、東京湾口の守りを固めるために、猿島に砲台と要塞を設けました。 砲台には敵国の戦艦を迎え撃てるよう、フランスから輸入したカノン砲が配備されました。 しかし、海から空へと戦法の主流が急激に変化したことなどにより、実戦で使われることはありませんでした。 その後しばらくの間、猿島は軍事拠点としては忘れ去られていましたが、第二次世界大戦の激化とともに、 戦雲が本土へと迫り、再び防衛施設として活躍されることになりました。 昭和16年頃より、鉄筋コンクリート製の円形の砲座が5座造られ、その上には高射砲が配備されました。 これが現存する高射砲の砲台跡です。高射砲は終戦を迎えるまで空に向かって火を吹き続けましたが、 終戦と共に進駐軍に解体され、砲台だけが残されました。
砲台跡の広場から階段を降りていくと、海辺に降りられます。 途中に、日蓮洞窟があります。
日蓮洞窟
日蓮洞窟は、海面上約6mの高さに開口し、入り口は北を向き、入口幅8m、奥行約16mの海食洞窟です。 弥生時代から古墳時代にかけて、住居やお墓として使われていたようです。 日蓮上人が避難したとの言い伝えから、日蓮洞窟とも呼ばれています。
海には色々な船が行き交っています。 海辺では、のんびりと休んでいる人も見かけます。
猿島には、各設備を結んでいるトンネルがいくつかあります。
中央にあるトンネルは、工事中のため通行止めになっていました。
工事のお知らせ
工事名平成14年度 猿島公園整備工事
場所横須賀市猿島1番地
工期15年2月10日〜15年6月30日
施工者株式会社 新晃産業
発注者横須賀市緑政部公園建設課
この時は干潮だったので、島の南側の砂浜から東岸を通って北側まで歩いてみました。
子供たちも海辺で磯遊びをしていました。 満潮になると、海藻がついている辺りまで海水がくるとすると、 満潮時にはこの東岸は歩いて行けなくなりそうです。
磯で何やら獲っている人も結構いました。
島の中の道を通って、上陸した猿島港へと向かいます。
猿島港
帰りはしーふれんど2号に乗って、三笠へと戻ります。 来た時はシーフレンド1号だったので、偶然でしょうが、1号と2号の両方に乗ったことになります。 因みにに1号と2号は少し形が違いますが、いずれも双胴船で、揺れの少ない船です。