大庭城址公園
散策:2003年04月下旬
【里山散歩】 大庭城址公園
概 要 大庭城址公園は、引地川河畔にぽっかりと島のように浮かぶ緑の丘です。 公園から遊水池の広場を経て、引地川沿いには水田が一面に広がっています。 若草の萌える頃、大庭城址公園の広い緑地と、引地川沿いの一面に広がる田畑に出会えます。
起 点 藤沢市 大庭小学校バス停
終 点 藤沢市 引地橋バス停
ルート 大庭小学校バス停…城下公園…大庭城址公園…舟地蔵…舟地蔵公園…大庭遊水地…引地川…千人力弁天社…引地橋バス停
所要時間 2時間50分
歩いて... 訪れた季節がよかったのか、綺麗な藤棚を見ることができました。 花の香りに包まれながら、藤棚の下でいつまでも佇んでいたい気持ちになります。
関連メモ 引地川・フジ史跡ロード
コース紹介
大庭小学校(おおばしょうがっこう)バス停
辻堂駅(JR東海道線)から、[辻24]大庭隧道・駒寄経由湘南ライフタウン行バス, [辻26]隧道・駒寄・桐ヶ谷経由湘南台駅西口行バス, [辻28]バイパス・カントリー経由湘南ライフタウン行バス,または, [辻29]隧道・カントリー経由湘南ライフタウン行バスにて10分、 1時間に10本程度の便があります。
城下公園
交差点手前にある湘南ライフタウン交番の右側の道をまっすぐに進んでいくと、城下公園があります。 小糸川に架かる城山歩道橋を渡ると、正面に大庭城址公園があります。
公園利用についてお願い
・バイク、自転車等の乗り入れはやめましょう。
・ゴルフ、野球など球技をしないようにしましょう。
・花火、爆竹、焚き火等、火の使用はやめましょう。
・ゴミは持ち帰りましょう。
・犬は必ず鎖等でつなぎ、フンは飼い主がきちんと後始末しましょう。
・砂遊びの後は、手をよく洗いましょう。
その他、人に危険や迷惑のかかるようなことはやめましょう。
 (藤沢市公園課)
大庭城址公園
この大庭城山は、古くは縄文時代、弥生時代、古墳時代から 奈良・平安時代まで、引き続いて人々の生活舞台となり、 中世の山城跡としても広く知られています。 藤沢市では、大庭城山のこのような歴史性と、豊かな自然に留意し、 これを市民の財産として残すために、公園とする計画をすすめました。 この公園は、西部開発事業の協力を得て、3.8haが提供され、 その後、面積を11.8haに広げ、昭和53年度に総合公園として都市計画決定し、 事業認可されたものです。
 (藤沢市役所公園課)
管理事務所
入り口から坂道を少し登っていくと、正面に管理事務所があります。 パネル展「中世の古城を歩く」で、歴史などが紹介されていました。
中世の古城を歩く
現在、神奈川県内及び近隣各地に中世の城跡が残っています。 最近では発掘調査が進み、各地の中世城郭がタイムカプセルから甦っています。 しかし、残念ながら発掘調査は調査期間でなければ簡単に見学することはできません。 そので、大庭城をはじめとして、現状でも遺構のうかがえる中世の古城を中心に、 その歴史的背景をたどってみたいと思います。 土塁や空掘の多くは、土に埋まり草に覆われ、発見しにくいかも知れません。 また、表面観察によって見ることのできる古城の多くは、その城が改築を重ねた最終段階の姿、 つまり中世城郭の最も発展した戦国時代(16世紀)の遺構とされています。 しかし、ここで紹介する古城の中には、公園として整備されている城址もあり、 眺めのすばらしい城址もあります。機会があれば、ハイキングやドライブを兼ねて 訪ねてみてはいかがでしょうか。
大庭城:位置と現況
大庭城は、相模台地の南端部に位置し、城山(しろやま)と呼ばれる海抜30mほどの 台地上に築かれた中世城郭である。 かつては南北800m、東西250mほどの台地の全域を城域とし、 北に駒寄(こまよせ)・二番構(にばんがまえ)東に門先(もんさき)、 西に裏門(うらもん)・城下(しろした)などの地名が残ることから、 その周辺にも城に関連sる施設があったといわれている。 1970年代に台地の北側が宅地化され、現在は南部の450mほどが城址公園として名残をとどめている。
大庭城:歴史的背景
中世城郭の多くがそうであるように、この広大な城を、いつ、だれが築城したのか、 はっきりしたことはわかっていない。ただ、現在の大庭城址は、平安・鎌倉時代の 大庭氏の館址ではなく、室町時代後半に相模に勢力を持った扇谷上杉氏の拠点の ひとつであったと考えられている。その後、戦国時代初めに小田原北条氏に攻め落とされ、 少なくとも江戸時代には廃城となっている。 明応8年(1499)の「玉隠和尚語録」は、大庭城に関する唯一の確実な史料である。 ここで、建長寺住持玉隠は、扇谷上杉持朝の子弟について触れた中で、 「一人大庭堅其塁、大庭氏館、此去不遠」と述べている。 つまり扇谷上杉氏の「一人」が大庭城で守りを固めており、かつての大庭氏の館は その近くにあったというのである。 この記述から、当時の大庭城主である「一人」とは扇谷上杉朝昌であり、 「館」lが「タテ」「タチ」とも呼ばれたことから、 大庭氏の館は大庭城址南西の城(たて)にあったと考えられている。
大庭城:立地と遺構
開発以前に実施された発掘調査やかつての地形図などから、大庭城の姿を想像してみよう。 城山の東に引地川、西に小糸川が流れ、二つの川は城山の南部で合流している。 その流域は湿地帯であり、大庭城は東西南の三方から敵の攻撃を受けにくい自然地形を利用して 築かれていた。城山の北側はさらに北方の台地と細い尾根続きになっていたが、 この尾根上を土塁と空掘で遮断して北面からの攻撃に備えている。 城内は土塁と空掘によって南北に連なる四つの曲輪に大きく区分され、 南端部が近世城郭でいう本丸に相当する部分であったと考えられている。 現在、城址に残る土塁や空堀は、その規模や遺構の形態から、小田原北条氏によって改築された 可能性が指摘されている。1970年前後に行なわれた発掘調査の結果、 建物跡や土橋跡などが確認されている。 しかし、天守閣はもちろんのこと、石垣も検出されていない。
 (藤沢市教育委員会)
管理事務所からは、緑のトンネルの坂道を登っていきます。
大芝生広場
原始・古代の集落
この台地上には、縄文・弥生・古墳・奈良・平安時代など各時代の遺物が広く散布しており、 大庭城が築かれる以前から、人々の生活舞台となっていました。 これまでの数回におよぶ部分的な発掘調査でも、縄文時代の集石遺構をはじめ、 弥生時代後期から古墳時代にかけての竪穴住居や方形周溝墓、さらに奈良・平安時代の 竪穴住居などが、豊富な生活用具(土器・石器・鉄製品・装身具等)をともなって、 数多く発見されています。 これらの貴重な資料は、特に弥生時代以後の人々が、東側の引地川や西側の小糸川流域に 水田を開き、この地に大規模な集落生活を営んでいたことを物語っています。
広場には見事な藤棚がありました。 藤の花が今を盛りと綺麗に咲き誇っています。
大庭城址
大庭城は、平安時代の末期(12世紀末)、大庭荘を本拠として興った関東平氏の雄、大庭氏の拠点で あったと伝えれれていますが、明らかな記録はなく、室町時代中頃(15世紀後半)になって、 扇谷上杉定正の執事太田道灌が、本格的な築城を行なったとされています。 その後、上杉朝良のとき、北条早雲によって攻略され、以後、小田原北条氏の支配下に置かれました。 そして、天正15年(1587)、小田原北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされ、大庭城は廃城となったようです。 現在残されている土塁・空堀などの城址の構えには、小田原北条時代の改修があったものと 考えられますが、雄大でかつ綿密に設計されていたことは、築山、裏門、二番構、駒寄などの 地名からも偲ばれます。
花の広場
花の広場では、藤棚やツツジなどの花が咲いています。
藤棚の下に座っていると、藤の花の香りが漂い、 花に寄ってくるアブの羽音も心地よく感じられます。 何も考えずにいつまでも佇んでいたい気持ちになります。
掘立柱建物址
大庭城は、台地上を東西に横断する三本の空堀によって、一の郭、二の郭、三の郭、四の郭に分かれます。 ここは、最南の郭にあたり、北縁の空堀によって、北側の郭と区画されています。 周囲には、土塁の跡が部分的に見られ、東斜面には腰郭、西斜面には二段の空堀や帯状の 腰郭が残っています。 この石柱は、昭和43年の発掘調査で確認された高床建築の柱穴の配列(掘立柱建物址)を示したもので、 実際の柱穴は現地表下50cmに保存されており、これは原位置ではありません。 このほかにもいくつかの遺構が発見されていますが、この郭が大庭城のなかで、 どのような役割をはたしたかは、今後の全面的な発掘調査を待たなければ分かりません。
大庭城址公園からは、幅2mほどの山道を降っていきます。 道路に出て左へ行くと、県道43号の右手に舟地蔵があります。
舟地蔵
地蔵尊の台座が舟型になっていることから舟地蔵と呼ばれています。 その昔、北条早雲が大庭城を攻めたとき付近一帯は沼地で、 なかなか攻め入ることができませんでした。 北条方は、沼近くに住む老婆から引地川の堤を切れば沼は干上がることを 聞き出しましたが、秘密漏れを防ぐため、老婆を斬り殺してしましました。 その結果、北条方は、ようやく城を攻め落とすことができたそうです。 舟地蔵は、殺された老婆を供養するため建てられたという言い伝えがあります。
 (表郷町内会)
舟地蔵公園
舟地蔵の向かい側には、舟地蔵公園があります。 出会いの広場、緑陰広場、芝生広場、遊具広場、多目的広場などがあり、 綺麗な花で一杯でした。
芝生広場では、クローバがいっぱい咲いていました。 草の上に腰を下ろしてみると、少しヒンヤリした感触です。 幸せを運ぶという四つ葉のクローバを探してみましたが、 残念ながら見当たりませんでした。薄倖な身の上を再認識したりします。
子供の頃、クローバを摘んで、花輪を作って遊んだものです。 作り方は余り覚えていませんが、1cm〜2cmくらいの太さで1m程の長さの花輪にしたように思います。 出来上がった花輪を首に掛けていると、クローバの香りがプーンと漂って、 心地よかったことを思い出します。
大庭遊水地
県道43号を渡ると、大庭遊水地が広がっています。 多目的ゾーン、自然ふれあい体験ゾーン、自然保全ゾーンなどがある広い所です。
自然ふれあい体験ゾーンでは、湿地帯の上に散策用の木道が続いており、 湿地の独特の雰囲気を味わうことができます。
遊水地の土手に、懐かしい「つばな」が一面に咲いていました。 正式にはなんという名前かは知りませんが、若い芽を摘んで、醤油を垂らして食べたものです。 大きくなってしまうと美味しくはありません。 穂を抜いた茎を草笛にして、鳴らして遊んだものです。 ピーという澄んだ高い音や、ブーという低めの音がしたりします。
小糸川沿いに昔の風情を残した土手が続いています。 土の道の両側には草花がいっぱい咲いていました。 昔はこんな風景は至るところで見られたものですが、 最近では少なくなってしまいました。 右や左の景色を見渡しながら、ゆっくりと時間をかけて歩いていきます。
小糸川が引地川に合流する所に架かる関下橋を渡り、引地川沿いに進んでいきます。 川の右手には水田が一面に広がっています。 まだ田おこしも済んでいないようです。 これから、水が張られて瑞々しい稲の海に変っていきます。
引地川沿いの道は綺麗に整備され、とても歩きやすい道です。 しかし、引地川は両岸がコンクリートで固められ、瀕死の状態です。 人間からみた環境保全のためには仕方がないのでしょうか。
畑で農作業をする老夫婦を見かけました。 このような姿を見ていると、何故だか安心感を覚えます。 子供の頃、父親が田畑で働いているのを、そばでじっと見つめていたのを思い出します。
引地川
自然を大切に
引地川は、藤沢市のほぼ中央を流れ、大和の草柳に源を発して相模湾に注いでいます。 岸辺には色とりどりの草花が咲き、故郷の川は豊かな四季の移りかわりと共に、 市民に安らぎを与えてくれています。 私たちは、心のふるさとである川の自然を再生するため、 明治小学校の生徒たちと共に稚魚の放流を行なっております。 急速に進む都市化から川が汚れるのを防ぎ、市民がいつでも親しむことのできる 「憩いの場」となるように努力を続けていきます。 わが故郷の自然の稔りがいっそう豊かになることを祈っています。
千人力弁天社
周りを池に囲まれ、弁天橋が掛けられた小島に千人力弁天社がありました。 由緒などの説明板は見かけませんでした。 入口には「柏山稲荷神社」と刻まれた石柱もありましたが、千人力弁天社は別物のように思えました。 この弁天社の他にも社殿があるのかも知れません。
引地橋(ひきちばし)バス停
県道43号に出て、引地川に架かる引地橋を渡っていくと引地橋バス停があります。 藤沢駅(JR東海道線)まで、藤沢駅北口行きバスにて10分、1時間に5本から6本程度の便があります。