遠藤原
散策:2003年03月上旬
【里山散歩】 遠藤原
概 要 遠藤原は、平塚市と中井町の間に広がる風光明媚な丘陵地帯です。 その手前にある座禅川沿いの道も風情があります。 金目川河畔の田園、その名もゆかしい座禅川の流域、 そして遠藤原の台地と、色々な景色を堪能できるところです。
起 点 平塚市 土屋橋バス停
終 点 平塚市 七国峠バス停
ルート 土屋橋バス停…座禅川…芳盛寺…日枝神社…花籠の台…遠藤原…七国峠バス停
所要時間 3時間10分
歩いて... 金目川河畔から座禅川の流域、そして遠藤原の台地と、色々な景色に出会えます。 時間がゆっくりと流れていた昔の思い出がぽろぽろと浮かんできます。
関連メモ 座禅川
コース紹介
土屋橋(つちやばし)バス停
平塚駅(JR東海道線)から、[平71]南平橋・金目経由秦野駅北口行きバス, [平74]室川橋・下大槻団地経由秦野駅北口行きバス,または, [平75]井ノ口・金目経由秦野駅北口行きバスにて25分、 1時間に4本から5本程度の便があります。
バス停のすぐ先にある土屋橋を渡っていきます。 右手には、綺麗に冠雪した富士山が頭を覗かせていました。 残念ながら裾野が隠れていますが、もう少し右手へ行くと見えるのでしょうか。
この川は、下流では花水川と呼ばれていますが、上流では金目川と名前が変わるようです。
金目川沿いには長閑な田園風景が続いています。 実りの秋になると、黄金色の稲穂が一面に広がる 素晴らしい光景に出会えることでしょう。
畑の一角に菜の花が咲いていました。 見渡す限り一面に...という程ではありませんでしたが、 春を代表する花のひとつです。 菜の花畑にはよくモンシロチョウが舞っているものですが、 まだ春浅い日だったこともあってか、この日は見かけませんでした。
座禅川
金目川の支流である座禅川の終点(金目川との合流地点)からの光景です。 水田地帯をゆったりと座禅川が流れ、遠くには雪を頂いた富士山が見えています。
座禅川からは、広々とした田んぼ越しに、大山を始めとして丹沢の山々が見渡せます。
川沿いの道を歩いていると、後ろから子供が走ってきました。 道幅一杯にジクザグに曲がりながら駆けていきました。 内側の方にすこし傾いて、まるで遠心力を楽しんでいるかのようです。
子供の頃、私の家の近所には同学年の男の子がいませんでした。 少し先まで行くといるのですが、小さい頃は行動範囲も狭いので、 多少は学年が違っても、近所の子供同士で遊んでいました。 1学年上の子とよく電柱の間を駆けっこしたものです。 子供の頃の1歳の差はかなり大きいのですが、私はその子と 結構いい勝負をしていました。そうした遊びの中で自然に鍛えられたのか、 同級生の間では、短距離走は速い方から1割以内に入っていました。
川沿いの土手には、早くもタンポポが咲いていました。 これから季節が進んでいくに従い、次々と咲いていくことでしょう。
観音橋の先にある道祖神の所を過ぎると、一段と雰囲気が増してきます。 碁打橋、門前橋、座禅川橋と、何か曰くありげな名前の橋を過ぎて行きます。
川沿いに笹竹が生い茂っていました。
私の実家の近くの小川にも笹竹が茂るこんな感じの所がありました。 竹を切ってきては、鉄砲を作ったりチャンバラの刀として使ったりしたものですが、 護岸工事のため、今ではその藪はなくなってしまいました。 当時は今のように物が溢れている時代ではなかったので、 遊び道具は自分で作ったものです。竹を削って弓や竹とんぼを作ったり、 かまぼこ板を加工してロボット人形(鉄人28号など)を作って遊んだりもしました。 結構器用だったようで、図画工作は得意科目でした。
畑にもうもうと煙がたち込めていました。 枯れ枝などを燃やしているのでしょう。 自然の循環におけるひとコマなのでしょうが、 子供の頃にはよく見かけたこのような光景は、 今の市街地では見ることができなくなりました。
芳盛寺
座禅川の起点を示す標識から更に上流へ進むと、芳盛寺があります。
高野山真言宗土屋山 芳盛寺
創建は建仁4年(1024)。開山時は土屋山無量寿院阿弥陀寺と号す。 本尊、阿弥陀如来。源頼朝重臣・土屋弥三郎宗遠の菩提寺。 開山、普応国師退耕行勇上人。 その後、小田原城主・大森芳盛の菩提寺となり、現号に改む(応永23年ごろ=1416年)。 中興開山、後の高野山無量寿院(現大本山宝寿院)門首・長覚阿闍梨。 往昔は相模・武蔵・伊豆3州の壇林所。 室町時代初期(1400年代前期)の作と思われる「僧・空海画像」は平塚市重要文化財。
芳盛寺の境内には「仏足石」というのがありました。
仏足石(ぶっそくせき)
仏足石(跡)は、お釈迦さまの足の裏の相です。 その昔、お釈迦さまが人々の前で説法をされた時、 多くの人々に自分の姿が見えるように、岩や石の上に立ってお話しをされました。 説法が終わり、お釈迦さまがお帰りになった後も石の上に足の相が残っており、 人々はその足跡をそのまま石に刻み、有り難く拝んできました。 その後数百年を経てはじめてお釈迦さまの像がつくられるようになったと言われています。 私達が日々礼拝する仏さまの「基」が仏足石です。 その文様の一つひとつに、お釈迦さまの慈悲の心を、尊い教えがこめられています。 合掌。
芳盛寺を後にして更に上流へ、県道77号と別れて土屋霊園へ続く道を進みます。 しばらくしてその霊園への道とも分かれ、丘の上へと続く谷筋の道を登っていきます。 どこか昔懐かしい風景が続きます。
ふと宮崎勲のアニメ映画「おもひでぽろぽろ」の一節を思い出しました。 自分の生き方にどこか疑問を感じ、10日間の休暇をとって都会からやって来た女性と、 農業をしているその村の青年とが、里山風景を眺めながら話し合っている場面です。
【女】 あぁ〜ぁ、やっぱりこれが田舎なのね。本物の田舎!蔵王は違う。
【男】 う〜ん、田舎かぁ。
【女】 あっ、ごめんなさい、田舎田舎って。
【男】 いや、それって大事なことなんですよ。
【女】 え?
【男】 うん、都会の人は森や林や水の流れなんかを見て、すぐ自然だ自然だって有難がるでしょ。 でも、まあ山奥はともかく、田舎の景色ってやつはみんな人間が作ったものなんですよ。
【女】 人間が?
【男】 そう、百姓が。
【女】 あの森も?
【男】 そう。
【女】 あの林も?
【男】 そう。
【女】 この小川も?
【男】 そう。 田んぼや畑だけじゃないんです。みんなちゃぁんと歴史があってね。 どこそこの曾爺さんが植えたとか開いたとか、大昔からたきぎや落ち葉やキノコを取っていたとか。
【女】 あぁ、そおかぁ。
【男】 うん、人間が自然と闘ったり自然からいろんなものをもらったりして暮らしているうちに、 うまいこと出来上がってきた景色なんですよ、これは。
【女】 へぇ、じゃ人間がいなかったら、こんな景色にならなかった !?
【男】 うん、百姓はたえず自然からもらいつづけなきゃと生きていけないでしょ。 だから、自然にもね、ずぅっと生きててもらえるように、 百姓の方もいろいろやってきたんです。 まあ、自然と人間の共同作業っていうかな。そんなのが多分田舎なんですよ。
【女】 そぉっか、それでなつかしいんだ。 うまれて育った訳でもないのに、どうしてここが故郷って気がするのか、 ずうっと考えてたの。あぁ、そうだったんだぁ。
(C)岡本蛍・刀根夕子・TNHG/1991
坂道を登りきると、畑が一面に広がっています。 その向こうには丹沢の山々がすぐそこに見えます。
大根畑や菜の花畑が視界の果てまで続き、丘を渡るそよ風も心地よく感じます。 畑の上ではヒバリが元気よく鳴いていました。
日枝神社
創立由来等ははっきりしていない。祭神は大山咋命で、 江戸時代は山王大権現と称されていた。明治2年(1869)、日枝神社と改称され、 4月3日が祭日で、草競馬や芝居が盛大に行われ賑わった。
馬場跡
その昔は鉄砲馬場であったが、戦前は廻り馬場となり、 当時は草競馬が年に数回行われ賑やかだったといわれている。 また、この付近には「五十塚」と「六十塚」という地名があり、 永禄9年(1566)小田原攻めを行った武田信玄の一行がここを通る際、 北条の追撃に遭い、そのとき亡くなった者の霊を慰めるために五輪塔を 立てたと伝えられている。 また、北条早雲と三浦一族との古戦場ともいわれている。 以前は数多くの五輪塔があったが今はその姿はない。
花籠の台
江戸時代の末期、中村の女子と土沢惣領の男子との婚約が相整い、 挙式の当日、花嫁は花籠に乗り、媒酌人や親類に付き添われ、 行列を整えてこの地にさしかかった。その時、一人の若者が現われ、 花籠の外から簾ごしに花嫁を刀で刺して逃げ去ったという。 以来、この地を花籠の台と名付け、婚礼行列の通行禁止の場所となった。 また、あるとき強情者がこの習わしを軽視してここを通ったところ、 整いかけていた縁談も間もなく破談となったという伝説があるため、 今でもめでたい時には遠まわしをし、決してここを通らないようにしている。
 (中井町教育委員会)
遠藤原
平塚八景 遠藤原
この一帯から東、遠藤原にかけては富士山・箱根・丹沢・大山の パノラマがすばらしく、近くには清見原という地名もあるように、 澄みきった空は心が洗われる。 春には菜の花が、初夏にはツツジやリンドウの花が咲き乱れる。 また、晩秋の日暮れどきの富士山の眺めは一幅の絵をみるようである。
見渡す限り大地が広がり、ほとんど起伏のない平坦な野辺の道が続きます。
雪を頂いた富士山がすぐそこに見えます。 少し雲がかかっているのが残念ですが、朝方はきれいに晴れ渡り、 その雄姿を見ることができました。
七国峠(しちこくとうげ)バス停
平塚駅(JR東海道線)まで、[平75]井ノ口・金目経由平塚駅北口行きバス, [平76]片町通り・中沢橋経由平塚駅北口行きバス,または, [平76]上井ノ口・中沢橋経由平塚駅北口行きバスにて35分、 バスの便が少ないので、事前によく確かめておきましょう。
 土日曜 ...11:41 12:31 14:46 16:46 17:56...
秦野駅(小田急小田原線)まで、[平75]井ノ口・金目経由秦野駅南口行きバス, [平76]上井ノ口・中沢橋経由秦野駅南口行きバスにて15分、 バスの便が少ないので、事前によく確かめておきましょう。
 土日曜 ...12:13 13:23 14:23 16:23 18:10...