初音の里
散策:2003年02月上旬
【里山散歩】 初音の里
概 要 初音の里は三浦半島の南部あり、畑地が一面に広がっています。 広い畑地には、キャベツや大根が一面に栽培されています。 丘の上も畑として開拓され、地区全体が畑に囲まれています。 多くの畑に触れられ、懐かしい香りも体験できる、すてきな里です。
起 点 三浦市 和田バス停
終 点 三浦市 高円坊バス停
ルート 和田バス停…白旗神社…記念碑…霊泉と塔の台…クリエ三浦…三峰神社…高円坊バス停
所要時間 1時間40分
歩いて... ・・・
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コース紹介
和田(わだ)バス停
三崎口駅(京浜急行久里浜線)から、 [須6][須7][須8]横須賀駅行きバス,[三10][三11][三24]横須賀市民病院行きバス, [三12][三22]荒崎行きバス,または,[三13][三21]長井行きバスにて5分、 1時間に5本から6本程度の便があります。
バス停から道路を挟んだ向かい側にある細い道を進んでいきます。 民家の間をしばらく行くと、庚申塔が並んでいます。
白旗神社
庚申塔の少し先には、旧領主の和田義盛の遺徳を偲んで里人が勧請したといわれる 白旗神社があります。
神明白旗神社
祭神 天照大神、和田義盛
神明社は、後に白旗神社に合祀されたもので、神明を冠につけ、 これを神明白旗神社とよんでいます。 この神社の由来としては、鎌倉幕府侍所の別当であった和田義盛が 北条討伐の兵を挙げたが、利あらず破れ、鎌倉の和田塚に一族ことごとく自刃したが、 義盛の全政をしのび、弘長3年(1263)和田の郷氏がこの地に社殿を設け、 白旗明神と称して祭祀をあつくしてきたのであります。 また、白旗の名を得たのは、和田義盛が文治2年(1186)平家討伐に出陣し大勝を収め、 城内を開放して紅白の幟を建て城内鎮護の八幡社に戦捷を報告したことに始まり、 領民を交えて酒席での戦勝の舞「初音」を舞ったとされていて、 「初音町」の名もそこから始まったといわれています。 相模風土記によれば、神体は和田義盛の銅製の肖像で、 本地仏は和田党93騎の守護仏でありますが、 今では損傷してわずか8体のみと記録をされています。 なお、ここの境内は、和田・入江新田・下宮田の園風景が一望に眺められる景勝地で、 社殿は神明造りの社殿に拝殿、幣殿が設けられています。
 (三浦市)
白旗神社の前の石段のところに、人馴れした猫が3匹いました。 親子のような感じでしたが、大きさはそれほど変わりませんでした。 去年の春から夏にかけて生まれたのでしょうか。 子猫らしいのを草でジャラしてやると、興味をもったのか手(前足)を出してきす。 そばにいた父と娘の二人連れも、長い間猫をジャラしていました。
物心ついた頃、私の実家には猫がいましたが、 病気や怪我などで1年位するといつも死んでしまいました。 そのため、毎年、子猫をもらってきていましたが、 中学2年の時にもらってきた猫は10年以上も長生きしました。 姉弟で違う名前をつけたりして可愛がっていました。 その猫が天寿をまっとうした後は、農業をやめて必要がなくなったこともあり、猫を飼わなくなりました。
白旗神社を後にして少し行くと、一面にキャベツ畑が広がっています。 広々とした空間にのんびりとした里の時間が流れているようです。 かつてこの辺りは水田だったそうですが、現在ではみんな畑になっています。 これも減反政策の結果なのでしょうか。
記念碑
畑地の一角に、この「畑作台地」について記した石碑があります。
本事業対象地区約100ヘクタールは畑作台地に囲まれた谷戸田や湿田で、 生産性低く二毛作も不可能であった。 道路が東西2本の通過道のみで、 水利は蛇行する庄司川を用排水に兼用するなど水量の減少も起り、 生産規模の拡大と労働の効率化は永年の懸案であった。 国の第一次農業構造改善事業により、区画整理工事を行った。 耕地95ヘクタール3,163筆を1,039筆に区画整理し、水源さく井11ヶ所、 道路整備16,550メートル、用水路18,086メートル、排水路11,624メートルを 施工し、総事業費1億2千万円を投入した。 本工事は昭和39年度着工し、昭和41年度完成した。 昭和51年1月換地処分を行ない、同年3月登記管領した。 引き続き補完工事として約11億6千万円を投入し、 農道舗装工事河川改修工事等を行った。 組合員関係者の近代化農業への意欲の結果をこの碑に刻し、記念の碑とする。
昭和59年11月吉日建之
近くの農家の庭先に、大根が干してありました。 保存食にでもするのでしょうか。 最近では余り見かけなくなった光景です。
霊泉と塔の台(通称 わくり井戸)
天平元年(729)僧行基当国行脚のみぎり、 塔の台に来たり給ひ、その麓の西にあたりて、 湧きいずる泉に感じたまい、延命地蔵菩薩の尊像を彫刻し、 塔の台に一宇を建立して、これに安置したまへり。 鎌倉時代に至り、地蔵菩薩は霊験あらたかにして、奇特もっともこれ多く、 よりて、三浦大介平義明の長男杉本太郎義宗の嫡男和田左衛門尉義盛、 尊崇帰依の道場なり。故に、志ある輩は霊泉の流れ川で、垢離(こり)を 取りて参詣す、是れによりて精進川と云う。 −古文書より−
このことから和田義盛は、塔の台に安置された地蔵菩薩を信仰していたことや、 垢離(こり)を取った川を「精進川」と言うことがわかります。 なお、塔の台は現在の日枝神社の一帯を言います。 霊泉を「大井戸」と呼び、三浦七井の随一で、南西に広がる水田地帯を 潤す貴重な水源となっており、五劫寺が管理していました。 泉から東南に流れる精進川は、耕地の中程を流れていた庄司川に 合流していました。現在では、土地改良事業が行われ、 霊泉や精進川は見られなくなりましたが、 その水源は上水道に利用されています。
 (三浦市)
草がいっぱい生えて、まるで絨毯のような土手です。 こんな所に寝転んで青空に浮かぶ白い雲をいつまでも眺めていると、 心も洗われて落ち着いた気持ちになります。
人間って大昔はきっとこうだったんだよなぁ…。 何時からなのでしょうか、こんなにもアクセクと働かなければならなくなったのは。
丘の上にも、畑が一面に広がっています。 浅い谷を越えて向こうの丘までも、ずうっと一面に畑が続いています。
クリエ三浦
丘の一角には、乗馬クラブ「クリエ三浦」があります。
馬場では乗馬訓練をしている人たちを見かけました。 馬場って、結構ぬかるんでいるんですね。 馬の足に負担が掛からないように配慮しているのでしょうか。 いやいや、昨夜雨が降っていたから、その雨のせいかなぁ。
子供の頃には、馬に荷物を引かせているのをよく見かけました。 道の所々には馬の「落し物」もありました。 ある時、馬で荷物を運んでいたおじさんに揚げパンをもらったことがあります。 どういう経緯でもらうことになったのか覚えてはいませんが、 そのパンと「落し物」とが私の中で妙にシンクロして、 それ以降、揚げパンを見ると「落し物」を連想するようになりました。
三峰神社の入口に、庚申塔群があります。
三峰神社
庚申塔の少し先にある狭い石段を登っていくと三峰神社があります。 畑地を守る神様として信仰されている神社だそうです。 小高い丘の縁に続く道の周辺には、ツバキ、ヤブニッケイなどの 照葉樹の林が続いています。
高円坊(こうえんぼう)バス停
三浦海岸駅(京浜急行久里浜線)まで、三浦海岸駅行きバスにて5分、 1時間に1本から2本程度の便があります。
待つようなら、バス道路を歩いていきましょう。 丘の上に広がる畑や野菜直売所を過ぎていくと、30分とかからずに三浦海岸駅へ着きます。