霧降りの滝
散策:2002年12月上旬
【里山散歩】 霧降りの滝
概 要 霧降りの滝は、平塚市の北東の山麓にあります。 山麓には畑地が続いていて、昔懐かしい風景に出会えます。 春の季節には菜の花で一面が黄色に染まります。
起 点 平塚市 松岩寺バス停
終 点 平塚市 上出縄バス停
ルート 松岩寺バス停…松岩寺…霧降りの滝…吉沢の池…上吉沢八剱神社…吉沢山宝積院妙覚寺…下吉沢八剱神社…上出縄バス停
所要時間 2時間40分
歩いて... 私が育ったところには、雑木林,田圃,畑,土手,小川,池など、自然が一杯ありました。 このコースでもそんな懐かしい風景に出会えます。 土手に寝転がって青い空に浮かぶ白い雲を飽きもせずに眺めている・・・ 幼い頃のそんな体験をふと思い出します。
関連メモ 霧降り渓流のみち, 大磯鷹取山, 大磯鷹取山, 大磯鷹取山
コース紹介
松岩寺(しょうがんじ)バス停
平塚駅(JR東海道線)から、[平31]徳延・中沢橋経由松岩寺行きバス、 [平32]中沢橋・国府新宿経由二宮駅行バス,または, [平34]纏・中沢橋経由松岩寺行きバスにて30分、 朝夕は1時間に4本、日中は1時間に3本程度の便があります。
松岩寺
曹洞宗、萬年山と号す。文亀2年(1502)後北条氏の家臣で、この地の領主であった 布施三河守康貞が建立し、同郷の山城国の僧、如幻宗悟を講じて開山とした。 本尊は釈迦牟尼仏。早くから曹洞宗の修業道場として知られ、昔は寺内に禅堂と 衆寮があった。寺の裏には不老水と名づける湧き水があり、開山の如幻禅師が、 竜神に祈って得たものと伝えられている。以前境内の不動堂に、国の重要文化財の 不動明王像(カンマン不動尊)を安置してあった。
不老水
平保12年(1841)に編纂された「新編相模国風土記稿」の松岩寺の項には、 「當時起立の時、此地水乏かりしに、如幻が法力にて、水を得たりと云、 今も本堂の裏に、湧出する清水是なり」と記されています。 如幻宗悟は松岩寺の開山で、享禄3年(1530)11月の示寂ですので、 ここに記された清水は1400年代末あるいは1500年代の初め頃から湧き続けていることになります。 枯れることなく、約500年にわたって湧き出していることから不老水と命名され、大切にされています。
松岩寺の山門前の右手から、丘の畑の中に続く道を進んでいきます。 雑木林、畑、土手などの風景の中を歩いていると、 子供の頃の田舎での暮らしを思い出します。
土手では、イタドリ,スカンポ,ツバナなどを採って食べたものです。 雑木林では、栗やシイの実採りをしました。 生でもいいのですが、炒って食べるとなかなかなものです。 熟れたアケビも結構おいしかったです。 小川では、魚すくいや蟹採りをしました。 川が流れ込んでいる池では魚釣りもしました。 小さなハゼくらいしか釣れませんでしたが、焼いて食べるとまた格別でした。
山の斜面には段々畑が広がっています。 畑の脇にちょこっと座って、働く親の姿をただじっと眺めていたあの頃の記憶が甦ってきます。
霧降りの滝
この滝は、日之宮山を水源とする宮下川の上流に位置している。 高さ12mの所から水量の多い時はまるで霧のように流れ散るので、 この名が生まれたといわれている。天保4年(1833)に建立された 「霧降爆の碑」によれば、このころから名爆として知られていた。 かつてこの滝は「魔王の滝」ともいわれ、傍に不動堂があり毎年7月28日には、 滝の不動尊祈願を上吉沢妙覚寺の住持が修法している。
吉沢の池
この池は、日之宮山(標高約150m)を水源とする宮下川の水を溜めた池で、 広さは49m×30m、水深は約10m。昭和10年(1935)に食糧増産を目的として 作られたもので、水不足のたびに利用されている。なぜこのような溜池が 必要かというと、吉沢の山々は、鷹取山レキ岩層と呼ばれる大変硬い岩盤から なっているため、この地域の降水は、地下水とならず地表水となり、 乾燥期には水量が極めて少なくなるからである。
丘の上には野菜畑が一面に広がっています。 このような景色を見るにつけ、日本は豊かなんだと感じます。
上吉沢八剱神社
上吉沢地区の鎮守。祭神は日本武尊、建速須佐之男命、大日霊貴命の三柱。 相殿として、神明と春日を祀る。創始の年代は不明であるが、伝承によると 日本武尊東征の折、この地に休息したところ、住民がこれを歓待したので、 尊は大いに喜ばれたという。この由縁をもって、尊を祭神として祀ったと 伝えられている。天正19年(1591)徳川家康は、社領1石5斗を寄進し、 また寛永20年(1643)中原代官坪井次右衛門が、本殿と拝殿を造営した。
吉沢山宝積院妙覚寺
妙覚寺は今の八剣神社の上八塚の丘陵に建立され、 周囲の山に不動堂、観音堂、鐘楼、又お寺(千平院)等もあり、 相当の大寺でありましたが、室町の頃か火災にあい、 すぐ下に再建されましたが再び焼失し、徳川の初め、 現在地に移ったと言われております。 又、大正12年の大地震に東海して大変小さくして翌年建てられました。 観音堂もともに倒れ、佛像は無事でしたので、観音堂に新しく安置されました。 四脚門は再度の火災をまぬかれ、そのまま現在の所に移されたので、 文化財に指定されました。八塚の所にありました当時を考えますと、 その大寺の面影をも見ることは出来ません。
妙覚寺四脚門
四脚門とは、本柱筋の前後に各2本、計4本の控柱を立てるところから、この名があります。 妙覚寺の四脚門は、大正12年の関東大震災前には扉もあり、萱葺で、黒く 塗られていたため「黒門」とも呼ばれていました。 斗杉の背は高く、蟇股の形等も室町時代末の形式を示していますが。 実年代は桃山頃と推定されます。 鎌倉地方の室町末から江戸初期頃の四脚門が宗派を問わず禅宗様であるのに対し、 当四脚門は親柱の上部の頭貫や台輪など、部分的に禅宗様を取入れてはいるものの、 全体の意匠は軽快な和様の風があり、西相模における室町末から桃山時代の 建築様式の一端を伝える貴重な門です。
刈り取られた田圃に稲藁が立ててありました。 こうしてまた自然に帰っていくのでしょうか。 何か郷愁を誘う光景に、しばしの間、見入ってしまいました。
記憶が不確かなのですが、私の故郷では田圃にこのように稲藁を立てることはせず、 その代わりに、細かく切って田圃にまいていたように思います。 田圃の養分となって翌年の稲の生育に役立つのは同じなのですが、 ところ変ると伝統も変るものですね。
下吉沢八剱神社
下吉沢地区の鎮守。祭神は日本武尊、素盞鳴命、宇迦之御魂命、猿田彦命、大宮比売命、市杵島姫命の六柱。 上下両吉沢村は往古吉沢郷と称し、八剣神社も元は一社であったが、 のち分村によって、上下吉沢両八剣神社の二社となった。 明治時代当地に祀られていた午頭天王社その他を合祀し、現在の数多い祭神となった。 現在境内下段の広場は、昔の通し流鏑馬又は鉄砲馬場と呼ばれた一部で、 往時はここで流鏑馬の祭事がなされた。
畑の脇で、季節外れのタンポポが健気に咲いていました。
ガンバれ!
畑から煙が立ち昇っていました。 落葉や枯れ枝などを焼いているのでしょう。
昔はいたるところでよく見られた光景ですが、最近では見る機会がメッキリと少なくなりました。 煙むたくて嫌だった記憶がありますが、この独特の匂いも、今となっては懐かしく感じられます。
浅い山あいには、まだ自然が残っています。 田畑の続く景色をぼんやり眺めていると、心が和んできます。
上出縄(かみいでなわ)バス停
平塚駅(JR東海道線)まで、平塚駅北口行きバスで20分、 1時間に2本程度の便があります。