鷹取山・里のみち
散策:2002年11月上旬
【関東ふれあいの道】 鷹取山・里のみち (神奈川県8番コース)
概 要 徳川家康の鷹狩りの言い伝えにちなんだ鷹取山、鎌倉時代の豪族土屋氏にちなむ遺構や名刹など、 里の歴史と文化をたどるコースです。
起 点 大磯町 月京バス停
終 点 秦野市 南平橋バス停
ルート 月京バス停…馬場公園…諏訪の下橋…東の池…鷹取山…路傍休憩地…妙円寺…土屋一族の墓…大乗院…熊野神社…南平橋バス停
所要時間 5時間10分
歩いて... 鷹取山までの登り道に一部急な所がありますが、それ以外はなだらかな道が続きます。 空気が澄んでいると、富士山や丹沢の山々が綺麗に見えます。
関連メモ 霧降り渓流のみち, 大磯鷹取山, 大磯鷹取山, 大磯鷹取山, 万台こゆるぎの森, 大磯鷹取山, 大磯鷹取山
コース紹介
月京(がっきょう)バス停
大磯駅(JR東海道線)から、[磯01][磯14]二宮駅北口行きバス,または,[磯02]西久保行きバスにて9分、 1時間に3〜4本程度の便があります。
大磯駅から、[磯13]湘南大磯住宅行きバスで東海大学大磯病院バス停まで行っても、 月京バス停のすぐ側(50m位)まで行けます。 1時間に2〜3本程度の便があります。 また、二宮駅(JR東海道線)からも、1時間に1〜2本程度の便があります。
馬場(ばんば)公園
歩道橋がある交差点の角の大磯町役場国府支所の前を通り、東へ向って進んで行きます。 大磯駅(JR東海道線)から[磯01][磯14]二宮駅北口行きバスで来た場合は、 月京バス停手前の馬場公園バス停で下車してもいいでしょう。 不動川を渡り馬場公園バス停を過ぎると交差点があり、その右前方には馬場公園があります。 関東ふれあいの道は、この交差点を左へ曲がって行きます。
正面にこんもりとした森を見ながら進んでいくと、 右側に「神揃山50m」の道標があります。 そこの道を登っていくと、ほどなくして神揃山に着きます。
神揃山(みそろいやま)
この神揃山と馬場公園の一角にある大矢場で、毎年5月に 相模国府祭(さがみこうのまち)という祭りが催されます。 相模国の神社6社が集まる祭で、平安後期から続く貴重な祭りです。
(相模国府祭は「相模国府祭」を参照)
諏訪の下橋
もとの道に戻って更に車道を進んでいきます。
神奈川県立おおいそ学園を過ぎると、不動川に架かる諏訪の下橋があります。
諏訪の下橋を渡ってすぐ右へ曲がり、川に沿って進んでいきます。 やがて東海道新幹線が見えてきて畑地へ出ます。 「鷹取山」を示す道標に従い、川と別れて新幹線の高架へ向っていく道を進みます。
東の池
新幹線の高架下をくぐって進んでいくと、やがて左手に東の池が見えてきます。 池にはハスが群生していて、水面はほどんど見えません。 池の中には厳島神社があります。
東の池
江戸時代に、付近五町歩余(約50,000u)の農業用水として当地の皆川氏が掘削し、 農業振興に大なる貢献をしたと伝えられている。 池の広さは約四反歩(約4,000u)で、その頃の用水池築造としては、大変卓越したものであったといわれている。
厳島神社(弁天社)
ここにある神社が厳島神社である。 祭神は多岐都売命で、御魂は蛇の木造である。 例祭は従来四月初巳日とされていたが、第二次大戦後は八月十三日に神事が行われている。
注意事項
この池は、管理及び危険防止の為、次の禁止事項を必ず守って下さい。
一、池の周囲と北側空き地に許可なく駐車する事を禁止する。
二、池で魚釣りする事を禁止する。
三、フェンスを越えて中に入る事を禁止する。
四、池の中に入ることを禁止する。
五、蓮の葉・蓮の花・黄菖蒲・マコモ等を許可なく採る事を禁止する。
六、自分のゴミは、持ち帰りましょう。
 (生沢東水利組合)
新幹線の高架下から続いてきた道を更に進んでいくと、県道に出ます。 県道を横切って正面の道をいくと、「鷹取山」を示す道標があります。 道標に従って左折して進んでいきます。
道がS字に曲がって竹林を過ぎ、高速道路の下をくぐります。
関東ふれあいの道の路傍サインを過ぎて急坂を登っていくと、やがて尾根に出ます。 緩やかに続く尾根道を進んでいきます。 果樹が植えられた畑を過ぎ、横木の階段を登るようになると、程なくして鳥居が見えてきます。 ベンチも置いてあるので、ひと休みしていきましょう。
この附近の野鳥
シジュウカラ 全長約14.5cm。 頭は黒くほおは白い、のどから胸、腹にかけてネクタイのような黒い縦すじが一本ある。 ツツピーツツピーと鳴く。
メジロ 全長約11.5cm。 体の上面は暗黄緑色で、喉は黄色く目のまわりは白い輪になって見える。 チーチュルチーチュルチチルチチルと鳴く。
エナガ 全長約13.5cm。 体は白く翼と尾は黒く、背に赤紫色がある。 長い尾を振りながら活発に行動し、木の幹にとまり樹液をのむこともある。 ジュルリ、ジュルリ、チーチーチーと鳴く。
コゲラ 全長約15cm。 背は褐色と白の横じまで、最も小さなキツツキ。 木の幹にたてにとまり、虫などを食べる。 ギィーッ、ギィーッキッキッキッと鳴く。
カワラヒワ 全長約14.5cm。 体は緑褐色、背と尾のつけねに黄色斑が目立つ。 群れて行動し、かわいらしい声で、キリリコロロと鳴く。
ウグイス 全長約15cm。 体は茶褐色で淡い眉斑があり、体の下面が少し淡い。 体を左右に活発に動かしながら枝移りする。 ホーホケキョ、ケケケケケキョ、ケキョと鳴く。
貴重な自然を大切にしましょう!!
 (環境庁・神奈川県)
鷹取山
横木の階段が終って道が広くなってくると、鷹取山にある鷹取神社の境内に出ます。 樹木が育っていて、山頂からの展望はありません。 鷹取山には鷹取神社があります。
(三角点のある鷹取山の山頂は、鷹取神社の少し北側にあるこんもりとした高みになります)
鷹取神社御由緒と沿革
鎮座地大磯町生澤1401
祭 神木花咲夜姫命
境内地277坪
保安林2,400余坪
鷹取神社は、生澤地区の鎮守氏神様として鷹取山 (218.98m)の山頂に鎮座し、御創建は天長3年(826)3月と 伝えられる。御創建当時の名称は「直下社」と言われた。 鎌倉時代の文献東鑑によると「建久2年4月27日相模国生澤直下社神主清包 地頭土屋三郎云々」と見える。これによると当神社は鎌倉時代には 専住の神主が在住し、執事していた事が知られ大変賑わいを見せた神社であったと思われる。 小田原北条氏も信仰が篤く、多くの社領の寄進があり、一説には300貫と言われる。 鷹取山の名は、古くは栗原山等の名があったが、 現在の名は、徳川家康が平塚の中原で鷹狩りを行なった時、その愛鷹が この山までにげてきて捕えた事から名付けられた。江戸時代の始め寛文元年 3月の当神社棟礼には、鷹取直下社造営と見える。 天正19年徳川家康公より社領2石の御朱印があり、御祭神が富士浅間社と 同じであることから、江戸中期から明治の始め頃までは鷹取浅間社と言われるように なったが、明治6年鷹取神社と現在と名称になり、同年指定村社に列せられた。 木花咲夜姫の神様は大山祇神と言う尊い神様の御子神であ、木の花(桜の事)の 咲くような美しい姫神様です。湧水を司さどられ豊作物の豊作の守護神であり、 又助成の方は熱心に参拝祈願をすると少しづつより美人となっていくという 御神徳の高い神様です。
神奈川県指定天然記念物 鷹取神社の社叢林
鷹取神社の周辺は、うっそうとしたスダジイやタブノキなどの 常緑広葉樹林で囲まれて、深山に鎮座する神社の風格を思わせています。 最も発達した樹林は、鷹取神社西側にみられ、胸高直径12 5センチのタブノキの老木を伴うタブノキの優占する林で、林高は27m、 高木層の植被率は90%に達して斜面を被い、これらの樹木が斜面崩壊を防いでいます。 神社東側のゆるやかな傾斜地にはタブノキとともに、木肌が鹿 の子模様にはがれるカゴノキがみられます。さらに、参道の周辺 にはスダジイ林が帯状に残され、傾斜地の尾根部を占めています。 また、参道下部や急斜面部には胸高直径が90cmのカラスザ ンショウや、オオシマザクラ、アカメガシワ、エノキなどの混生した夏緑広葉樹林がみられます。 林内にはアオキ、シロダモ、ヤブニッケイ、ヤブツバキなど常緑 の亜高木や低木が優占し、神奈川県の中部を北限とし、沖縄まで 分布するモクレイシが混生しています。林床にはカブダチジャノヒゲ、 キヅタ、ツルマサキ、ヤブコウジ、ヤブランなどど、県下では 比較的固体数の少ないカラタチバナがみられます。 鷹取神社の樹叢は、近くにある高麗山の樹林とともに、神奈川県の 郷土の森を代表する樹叢として景観的に貴重であるだけでなく、 この地の原植生の面影をとどめる学術的にも貴重な樹叢であります。
かながわの名木100選 鷹取神社の大タブノキ
鷹取山頂の一角にそびえ、幹に裂目を生じているが、樹勢は旺盛な古木である。 周辺の自然林を含めて大磯町の天然記念物に指定されている。
樹高:18m 胸高周囲:5.0m 樹齢:約400年(推定)
タブノキは、本州から沖縄に分布する常緑高木で、照葉樹林の代表的な木である。 樹高25m、胸高周囲10m、樹齢約700年に達するものもあると言われている。
 (神奈川県)
鷹取山の自然林(町指定)
鷹取山には、スダジイ・タブを主体にした、 この地方本来の自然植生が保存されています。 特に鷹取神社境内一帯は、カゴノキ・モクレイシが 自生しているほか、スダジイ・タブ等には高麗山をしのぐ巨大樹も認められます。 また、モミが多数生存しているなど注目に値する点も多く、 1haにも及ばない小面積の中に密度の濃い貴重な自然林を形成しています。
お願い  この天然記念物を、伐採したり荒らしたりしないで、大切に保護してください。
 (神奈川県教育委員会、大磯町教育委員会)
鷹取神社の左手を通り、小型車一台が通れる幅の舗装道路を緩やかに降っていきます。 やがて、平塚市設定の「湘南平・霧降り渓流のみち」の案内板があります。 案内板を過ぎ、左側にゴルフ場・右側にススキを見ながら進んでいきます。
T字路に出たら右へ曲がって更に降っていくと、またT字路があります。 「妙円寺」を示す道標に従って左へ曲がり、正面にKDD吉沢中継所を見ながら進みます。 次第に道幅が広くなってきます。
畑地の中を降っていくと、道が十字に交差している所にでます。 道標に従い、「土屋南平橋」を示す左へ曲がっていきます。 阿部建業の前を過ぎ、正面に丹沢の山々や富士山を見ながら進んでいきます。 やがて、道の脇にある路傍休憩地が見えてきます。
路傍休憩地
路傍休憩地からは、富士山や表丹沢の山並みが一望できます。 案内板もあるので、参考にしながら展望を楽しみましょう。 この日は空気が澄んでいて、富士山がきれいに見えました。
表丹沢を望む(左から右への順)
伊勢沢ノ頭(1,177m)、槍岳(1,166.8m)、雨山(1,176m)、鍋割山(1,272.5m)、 小丸、大丸(1,386m)、花立、塔ノ岳(1,490.9m)、三ノ塔(1,205.2m)、 二ノ塔、岳ノ台(899m)、ヤビツ峠(761m)、大山(1,251.7m)
展望を満喫して路傍休憩地を後にして進んでいくと、やがて路傍サインと道標があります。 道標に従い、右へ戻るようにして降っていきます。
ゴルフ練習センター「グリーンパール」を過ぎて更に進んでいくと、やがてバス道路にでます。 右手には早田寺前バス停があり、秦野駅南口や平塚駅北口への便があります。 (1時間に1〜2本程度)
関東ふれあいの道はここを左へ曲がっていきます。 三笠川に架かる弁天橋を渡ってすぐ右側に妙円寺があります。
妙円寺
当寺は天台宗和光山妙円寺と号し、江戸時代初期に村民の祖 水島五郎右衛門の母妙円禅尼の帰依を受けた名僧舜堯により開創された。 境内の西側に舜堯の修行場といわれる岩屋があり、 その山上には村内の篤信者で大工横山七良左衛門が文化元年に 再建した、一本楔造りの宝珠殿がある。近隣の人々に「土屋の銭洗い弁天」と して親しまれ、岩屋内にある銭洗い池で物と心を清め心願成就を願う道場である。
 (環境庁・神奈川県)
妙円寺を後にして更にバス道路を進んでいきます。 神奈川大学湘南ひらつかキャンパスの前を過ぎ、座禅川橋を渡ると県道にでます。 道標に従って県道を渡り、前に続いている道を進んでいきます。
少し行くと道が分かれています。 道標に従い右折して進み、その先の四つ角を直進していきます。 やがて道は森の中へと入っていきます。 道を登っていくと、土屋一族の墓の案内板があります。 道からそれて右へ5mほど降ると土屋一族の墓があります。
土屋一族の墓
鎌倉時代の武将で土屋の領主、土屋三郎宗遠を始祖とす る土屋一族の墓所と伝える。宗遠は平安時代末期に中村荘 司宗平の三男として生まれたが、土屋に分岐したので在地名 をもって土屋姓を名のり、源頼朝挙兵のときから参加、歴 戦し、鎌倉幕府の基礎固めに力を尽くした。のち一族は平 家討伐の屋島、一の谷、壇の浦等の戦役にも従軍し戦功をたてた。
 (環境庁・神奈川県)
土屋三郎宗遠一族の供養碑
宗遠公は中村荘司宗平の第3子として大治3年(1128)相模国 大住郡中村に生まれ、長じて武門に志し、当土屋郷に本拠を置いて 「土屋」を家号とした。一方、土肥郷(現湯河原町)に本拠を置く 兄土肥次郎実平らとともに、関東武士団の強力な一陣営を為していた。 治承4年(1180)源頼朝の平家討伐の旗揚げから、兄実平らとともに 頼朝側近の武将として多くの歴戦に出陣し、鎌倉幕府樹立に貢献した。 幾多の功績を残しやがて老境に達し、阿弥陀寺(現芳盛寺)を創建し、 又大乗院を再建するなど善行に励み、健保6年(1218)8月5日、 90歳の高齢でこの世を去ったと言われる。 宗遠公の後裔は代々鎌倉幕府要人として仕えた。やがて時は足利氏の 室町幕府時代の明徳2年(1391)山名氏の反乱に組みし、12代宗貞と 郎党50有余人討ち死にの痛手を受けた。又引き続く応永の度重なる戦乱に 勢力を失い、同23年(1416)上杉禅秀の反乱に組みし戦運を懸けたが、当地に 栄えた土屋氏も滅亡したといわれる。 爾来500有余念の星霜を深い樹林に抱かれ、又土屋氏縁りの人達に 見守られてきた。この一帯が館跡と伝えられ、一族の供養碑も この一角に散在していた。そして昭和10年(1935)頃に現況のように 畑に開墾された当時故杉山鐸之助氏を中心に供養碑を現在地に 収集移設されて現在に至っているものです。
 (土屋三郎宗遠公遺跡保存会)
土屋一族の墓から更に山道を100mほど登っていくと、土屋城址があります。
土屋城址
鎌倉時代の御家人で重臣であった、土屋三郎宗遠の城跡。 土屋の丘陵にあって段丘を利用し、南に座禅川をひかえた、 鎌倉時代初期の形式に属するものである。この地は高陣山と 呼ばれ、このほかに高見台などがあり、一族縁者が居を 構える二宮ノ館、真田ノ館、岡崎ノ館、中村ノ館などに 連絡ができる場所でもある。また当時は交通の要衝の地でもあった。
 (環境庁・神奈川県)
大乗院
土屋城址を後にして墓地の前を通っていくと、大乗院があります。
大乗院
天台宗延暦寺派の名刹。鎌倉時代の武将で土屋の領主、土屋三郎宗遠が 堂塔を再建したと伝えられる寺院である。 往時は多くの末寺をもつ大寺であったが、 お堂の建物は惜しくも第二次大戦(昭和20年)のとき焼失した。 再建後ほ本堂には、瑞光をはなったといわれる阿弥陀如来が難を免れて安置されている。 またこの寺は、相模新西国29番観音霊場でもある。
本尊:阿弥陀如来 中興開山:円海
 (環境庁・神奈川県)
大乗院から更に行くと、T字路にでます。 道標に従って左へ進んでいきますが、 道標が左のブロック壁の上の方にあるため、ちょっと見つけにくいです。
熊野神社
左折して少し行くと、右手に熊野神社があります。
熊野神社
鎌倉時代土屋ノ庄の領主、土屋三郎宗遠が庄内鎮護のため、 尊崇していた紀州熊野の熊野権現、十二社権現を勧請したと 伝えられる古い神社である。昔は熊野神社の大祭のおり、 馬場で流鏑馬が行なわれ、神事としてその年の豊作を祈ったといわれる。
祭神:伊邪那美命・速玉男命・予母津事解男命
行事:大祭、元旦祭、長寿祈願祭、風祭、虫送、七五三祭
 (環境庁・神奈川県)
南平橋
熊野神社から更に進んでいきます。 下大槻南平バス停の先を右へ曲がり緩やかに降っていくと、 金目川に架かる南平橋が見えてきます。 南平橋の手前に、関東ふれあいの道の案内板があります。
鷹取山・里のみち
関東ふれあいの道は、一都六県を巡る自然歩道です。 自分の足でゆっくり歩いて、豊かな自然にふれ、歴史などをたずねながら、ふる里を見直しませんか。 このコースは、県内17コースの一つで、熊野神社、大乗院、土屋城址、 土屋一族の墓、妙円寺、鷹取山、鷹取神社、東の池、神揃山などがみどころです。 貴重な自然を大切にしましょう!!
 (環境庁・神奈川県)
南平橋(なんぺいばし)バス停
南平橋を渡ると、南平橋バス停に着きます。
平塚駅(JR東海道線)まで、平塚駅北口行きバスにて27分、1時間に3本程度の便があります。 秦野駅(小田急小田原線)まで、秦野駅行きバスにて10分、1時間に4本程度の便があります。 バス停の側にも案内板がありますが、心無い者がスプレーで落書きをしてしまい、 無残な姿になっています。残念です。