大山参り蓑毛のみち
散策:2002年11月上旬
【関東ふれあいの道】 大山参り蓑毛のみち (神奈川県16番コース)
概 要 大山阿夫利(あぶり)神社や日向薬師の歴史、モミ原生林の森林浴、 下社や見晴台からの眺望を楽しむ盛りだくさんのコースです。
起 点 秦野市 蓑毛バス停
終 点 伊勢原市 日向薬師バス停
ルート 蓑毛バス停…蓑毛越え…下社…見晴台…日向ふれあい学習センター…日向薬師バス停
所要時間 4時間50分
歩いて... 蓑毛越えまでと九十九曲コースが急な坂道になっていますが、 それ以外は高低さの少ない道で、すばらしい展望も楽しめます。
関連メモ 聖峰, 大山南東尾根, 日陰道, 大山北尾根, 大山西尾根, 鐘ヶ嶽北尾根, 日向山, 丹沢大山, 浅間山
コース紹介
蓑毛(みのげ)バス停
秦野駅(小田急小田原線)の北口から、[秦20]蓑毛行きバスにて20分、 朝夕は1時間に3本程度の便がありますが、昼前後は2本程度になります。
大山参り蓑毛のみち
このコースは、蓑毛越えからの展望、大山阿夫利神社下社、 二重の滝、モミの原生林、見晴台からの展望、浄発願寺、 日向薬師などが見所です。 足元や車に注意しましょう。自然を大切に、丹沢大山。
 (環境庁・神奈川県)
バス停先の蓑毛橋の手前右側に柏木林道が延びています。 入り口にある「東京少年キャンプ連合発祥の地」の像を後にして、林道を進んでいきます。
柏木林道付近で見られる野鳥 (鳥もすめる環境都市 秦野市)
一年中
見られる野鳥
ハシブトガラス、ハシボソガラス、ヒヨドリ、メジロ、シジュウカラ、 エナガ、ヤマガラ、ホオジロ、イカル、カワラヒワ、コゲラ、アオゲラ、 アカゲラ、カワガラス、ミソサザイ
春から夏に
見られる野鳥
オオルリ、カッコウ、ホトトギス、センダイムシクイ、ヤブサメ
秋から冬に
見られる野鳥
アオジ、ツグミ、ルリビタキ、エゾビタキ
みのげマス釣センター、みのげ茶屋を過ぎていくと、やがて道が二手に分かれます。 左はヤビツ峠への道で、関東ふれあいの道は「下社・日向薬師」を示す右の道を進みます。 これまでの舗装道路から一転して山道になります。 石が敷かれた広めの山道を登っていきます。 途中で、林道を2回横切っていきます。
やがて3回目の林道にでます。 正面に見える、左へ登っていく白いガードレールの道を進んでいきます。 この道はNTTドコモの秦野無線中継所へ続く道で、入り口には柵がしてありますが、 「大山下社方面は門の横を入る」の標識に従って登っていきます。
広い道を少し行くと、道が右へカーブする所に「下社・日向薬師」への道標があるので、 その山道を登っていきます。 急な山道を登っていくと百回登山記念碑があり、大山山頂への道が分かれます。 石が敷かれた道は大山山頂へと続いています。 ここからは道がなだらかになり、歩きやすくなります。
蓑毛越え
急になった道を少し登ると蓑毛越えに着きます。
蓑毛越えでは、浅間山⇔大山山頂の道と交差しています。 野外卓やベンチがあり、樹木越し見える景色を楽しみながら休憩するにはいい所です。 ここから奥は鳥やシカなどの動物たちを保護している場所ですから狩猟はできません。 皆さんもかわいがってください。
 (神奈川県)
「下社・日向薬師」の道標に従い、雑木林の中のなだらかな道を進んでいきます。
関東ふれあいの道の里程標を過ぎていくと、視界が180度開けて展望のすばらしい所があります。
木製の梯子を2つ過ぎていきます。 土砂滑りのため少し歩きにくくなっている所もあります。 再び大山山頂への道が分かれる所に着きます。
大山阿夫利神社下社
道標に従い「下社ケーブル駅」を示す道を進んでいくと、程なくして大山阿夫利神社下社に着きます。
大山阿夫利神社下社
祭神は、開運の大山祗神・雨を司る雷神・高おかみ(竜神)の三神のほかに、 航海の神、鳥石楠船神も祀られています。 いずれも山そのものを御神体とする古い土着の神々で、その原形は4000年程前の 縄文期にさかのぼるといわれます。 大山山頂に本社、中腹に下社があります。 四季を通じて参詣客が多く、白装束に身を固め、六根清浄の杖をついた人も見られたりします。 山頂からの眺めはすばらしく、相模野を眼下に房総半島、伊豆半島、大島も 見渡せ、「かながわの景勝50選」に選ばれています。
大山阿夫利神社
当神社は海抜1,252mの山頂に本社があり、現在地の下社御拝殿は700mに 位置し、古くより信仰活動の中心霊場であります。 神仏習合時代には石尊大権現とも称せられ、堂塔は善美を尽くし、 その威容と盛観を誇った社殿でありましたが、安政元年12月晦日と明くる正月2日 再度にわたる山火事により一切を烏有に帰し取敢えず仮殿が再建されました。 昭和33年に至り、時の内務大臣男爵末松謙澄の認可を得て下社御造営事業が 着手されましたが、諸般の事情から本殿のみが装いを新たにいたし、 遂に御拝殿は手がつかぬまま大正12年の関東大震災の厄に遭遇、 幸いにして倒壊は免れましたのでその災害の応急的修復をして今日に至りました。 昭和48年講社崇敬者の熱誠により御造営奉賛会が設立され、五ヵ年の継続事業として 御拝殿の建設が着手されました。昭和52年10月オイルショックと呼ばれる経済界の 一大難局をのりこえ、崇敬者の浄財が結集され、明治以来の悲願は見事に達成、 荘重優雅な流れ造り形式の社殿として清楚端麗、昔日の面影をしのぶ近代建築を 以て竣工を見たものであります。 山嶽幽遂の中、新拝殿は神気が満ち自ら身のひきしまるを覚えます。 皆様本日は遥々とよくご参拝下さいました。どうぞ俗界をはなれた当社の 境域より霊気と共に相模平野を一望し、遠く房総、伊豆七島の雄大な展望を 十二分に後満喫下さい。 ご一家の無事息災、ご家内の安全繁栄をお祈りいたします。
大山阿夫利神社の由緒
大山は、またの名を「あふり山」という。 あふりの名は、常に雲や霧を生じ、雨を降らすのでこの名が起こったといわれる。 標高は1251.7mで、関東平野にのぞんで突出している雄大な山容は、丹沢山塊東端の独立峰となっている。 阿夫利神社は、古代からこのあたりに住む人達の心のよりどころとなり、 国御岳(国の護りの山)・神の山としてあがめられてきた。 山野の幸をつかさどる水の神・山の神として、また、海上からは 羅針盤をつとめる海洋の守り神、さらには、大漁の神として 信仰をあつめると共に、庶民信仰の中心として、今日に及んでいる。 山頂からは、祭りに使ったと考えられる縄文時代(紀元前約1,000年頃)の 土器片が多く出土していて、信仰の古さを物語っている。 仏教が伝来すると神仏習合の山となり、阿夫利神社は延喜式内社として、 国幣の社となった。武家が政治をとるようになると、代々の将軍たちは、 開運の神として武運の長久を祈った。 引目祭・筒粥祭・雨乞い・納め太刀・節分祭・山開きなど、 古い信仰と伝統にまもられた神事や、神に捧げられる神楽舞・神事能・狂言などが、 昔のままに伝承されている。 全山が四季おりおり美しい緑や紅葉におおわれ、神の山にふさわしい風情で、 山頂からの眺望もすばらしい。都市に近いため、多くの人達に親しまれ、 常に参詣する人の姿が絶えない。
 (平成10年10月吉日 修復)
片開きの「登拝門」
大山は、古くより霊験あらたかな神体山として崇敬を集めている お山でありましたため、明治初年の神仏分離までは、この 登拝門は夏の山開き大祭(7月27〜8月17日)期間以外は固く閉ざされ、 山頂への登拝は禁止されていました。 登拝門の鍵は遠く元禄時代より、280年に及ぶ長い間、 大山三大講社の一つである東京日本橋のお花講が保管し、 毎年7月27日の夏山開きには、お花講の手により扉は開かれる慣例となっており、 現在もその精神は連綿として継承されています。 その後、明治20年には登拝者の増加に伴い、春山開き大祭 (当時は4月5日〜15日)が新たに設けられ、この期間も 山頂登拝が出来得ることとなり、山頂登拝の規制は徐々にゆるめられました。 更に、みのげ、日向、ヤビツ峠方面等の表参道以外よりの 登山道が開かれると共に、昭和40年には国定公園に指定され、 登山者は急激に増加いたしましたので要望にこたえて、 現在では年間を通して常時庶民の山として登拝門は開かれるようになりました。 然し、その結果は、必然的に登拝門の伝統的意義と性格が失われてまいりましたので、 ここに往時をしのびつつ登拝門のもつ史跡としての重要性を考え合わせて、 一枚の扉のみを閉じて片開きといたし、その名残をとどめることといたしました。 よろしくご理解の上、ご登拝下さるようお願いいたします。 頂上参拝をされない方は、当所より遥拝して下さい。
参道を少し降りた所にある道標に従い、茶店の横の道を降っていきます。
この先、落石や滑落に十分注意してください
特に冬期は降雪、凍結により、道が滑りやすいので、 お子様連れ・高齢者・軽装の方は歩行に気をつけてください。 この道は、天然記念物のモミ原生林の自然に親しむ 探勝歩道として整備したものです。 途中には急斜面や道幅の狭いところがありますが、 自然景観をまもるために柵などの施設整備は最小限にとどめてあります。
 (神奈川県自然環境保全センター、伊勢原市)
神奈川県指定天然記念物 大山の原生林
大山の南東斜面一帯には、針葉樹のモミを中心として下部 (雷山・標高340m付近)は、アラカシ、ウラジロガシ、アカガシなど 常緑のカシ林の構成を含み、上部(天下一・標高800m付近)は、 ツガヤブナ林の構成を含む連続した原生林が見られる。 自然のモミ林は、よほど地形のきびしい尾根や急斜面をのぞけば 完全な純林を形成しないので、常緑広葉樹林のカシ林から 夏緑広葉樹林のブナ林への移行帯付近に不連続的に分布し、森林を形成する。 ここでは、その典型的なモミの原生林として対比することができ、 県下では大山付近に限られて自生しており、学術上からも、大山の景観上からも価値が高い。 植物や植物の群落は、自然性のものであればあるほどわずかな人間の手が 加わっても影響を受けやすいので、この地域においては厳正な保護が必要である。 この天然記念物は神奈川県文化財保護条例により指定したものであります。 みだりに現状を変更して滅失、損壊、滅亡、その他保存に影響を及ぼす行為は 禁止されております。
 (神奈川県教育委員会)
二重社について
二重社は阿夫利神社の摂社で、高おかみ神が奉祀されております。 御祭神は殖産、灌漑、雨乞いの守護神で、霊験のあらたかさは、 よく知られているところであります。特に万物の生命の根源である「水」を つかさどり、俗に龍神にもたとえられて、広く根強い信仰と崇敬が集められています。 真摯なる祈りを捧ぐとき神威炳乎(輝やくの意)諸願は成就すと言われております。
 (大山阿夫利神社)
二重の瀧
大山川の源流をなし、大自然の巨岩が二段にわかれ、上段の断崖(ハケ)より突如として 湧水し水場(ヤツボ)を形成、二段の岩壁に流れ出ずる所により二重の瀧と 言われております。神聖にして清浄なる所から浄めの瀧とも呼ばれ、 修験者の契の行場でありました。 又、江戸時代には、新年早々大工、鳶、左官職等の代表者が数日間下社に篭り、 二重の瀧に打たれ、心身を浄めてその年の賃金を決議したといわれています。
 (大山阿夫利神社)
呪いの杉
震災前までは、二重の瀧つぼのほとりに、樹齢千年をこす老杉がありました。 この杉は、呪いの杉とよばれ、神秘的棲槍の伝説が伝えられております。 毎夜「丑の刻」に参り、呪いの相手を形どった人形を杉の木に うちつけて呪いをはらしたといわれておりますが、現在は参道、道下の 二本の杉がその面影を伝えております。
 (大山阿夫利神社)
二重の瀧を後にして、山道を登っていきます。
注意
この先滑落事故多発。 この先に急斜面や道幅の狭い所があります。 十分注意して下さい。
登山装備してない方の通行は危険です。
 (丹沢大山自然公園管理事務所)
天然林育成事業地
大山(モミ、ブナ)林の減少を守る目的の為、 幼木及び苗木の育成研究を人工的に保育育成する施業地です。 健康的山づくりにご協力下さい。
 (伊勢原市、伊勢原市森林組合)
見晴台
天然林育成事業地の看板を過ぎると、間もなく見晴台に着きます。 背面は人工林で覆われていますが前方は開けていて、すばらしい展望が得られます。 野外卓やベンチもあり、ゆっくりと休憩していきましょう。
見晴台を後にして、「日向薬師」への道標に従って広い山道を降っていきます。 関東ふれあいの道の里程標を過ぎていくとT字路に出ます。 その右側には大柄な地蔵様があります。
T字路を左へ曲がって、かなり急な九十九曲ハイキングコースを降っていきます。 小刻みに右・左と交互にジグザグに曲がりながら降っていくと、 やがて白いガードレールが見えてきて日向林道に出ます。 日向林道を渡った前方に「日向薬師」を示す道標があるので、その道を降っていきます。 正面に日向ふれあい学習センターが見えてくると、間もなく山道も終りです。 小川に架かる木橋を渡っていくと、再び日向林道に出ます。
クマに御注意!!
丹沢にはツキノワグマが生息しています。
クマに会わないために・・・
 ・笛、鈴などを鳴らし、人の存在を知らせましょう!
  (単独山行き、霧の濃いとき、沢沿いなどでは特に注意)
 ・朝夕など、薄暗い時間帯の行動はさけましょう。
 ・野山に残飯を捨てるのは厳禁です!! キャンプで出た生ゴミなどは必ず持ち帰りましょう。
 ・クマの足跡や糞など新しい痕跡を見つけたら引き返しましょう。
  (ほどんどのクマは越冬しますが、まれに冬でも動き回る個体います)
クマに出会ってしまったら・・・
距離がある場合
 ・クマを興奮させないために、あわてず、さわがず、ゆっくり立ち去りましょう。
 ・クマがこちらに気づいた場合、ゆっくり話しかけるなど、こちらの存在を知らせましょう。
  ほとんどの場合、クマのほうから逃げてくれます。
出会い頭で逃げられない場合
 ・抵抗せず、すばやくうづくまって頭などを守りましょう。
ツキノワグマは植物中心の雑食性です。人を故意に襲うことはありません。
見かけた情報は伊勢原市役所市民安全課へ
日向ふれあい学習センター
日向林道に出た所の左手に日向ふれあい学習センターがあります。 宿泊やバーベキューができる施設です。
小川の音を聞きながら日向林道を降っていきます。 少し行くと、左手に浄発願寺奥の院があるので、立ち寄っていきましょう。 日向川に架かる一の沢橋を渡っていきます。 閻魔堂跡、宝篋印塔、山門跡を過ぎ、 四世空誉上人の代に駆け込んだ53人の罪人が一段ずつ築いたという五十三段の石段を 登っていくと、本堂跡があります。 本堂跡から左手に少し登っていくと、奥の院の岩屋があります。
浄発願寺奥の院
無常山浄発願寺は、慶長13年(1608)弾誓上人開山の天台宗弾誓派本山である。 上野寛永寺の学頭寺凌雲院の末寺として、江戸時代に繁栄し、四世空誉上人の時代が全盛期だった。 「男の駆け込み寺」で知られ、放火・殺人以外の罪人は駆け込めば助かった。 また、木食行(穀物をさけ、木の実・草の実などを火を通さないで食べる)の戒律を 大正初期まで守り続けた。さらに、雨乞い・安産信仰等でも知られ、 10月の「お十夜法要」は鎌倉市の光明寺、平塚市の海宝寺とともに相模の三大十夜に 数えられ、昭和初期まで盛大であった。 信者には、公家の広幡家や、徳川家、尾張徳川家、藤堂、佐竹、大久保、黒田、有馬、 織田氏等があり、境内は165,600坪もあった。寺宝としては、市重要文化財の縁起絵巻三巻や、 雨乞軸、唐金の子安地蔵、出山の釈迦像など、数多くの像がある。昭和13年(1938)の 山津波で、この地にあった浄発願寺は、諸堂宇が潰滅し、当地に復旧困難なため、 昭和17年(1942)に約1km下の地に再建し、以後この地は浄発願寺奥の院と称し、 市指定史跡にもなっている。 この地には、弾誓上人が修行した岩窟や、罪人53人に一段ずつ築かせた石段 (平成3年3月再建)等があり、参道には、浮世絵師歌川国経の供養塔 (現在は浄発願寺に移してある)や極楽浄土に往生できるよう祈願した 「南無阿弥陀仏」の名号碑などがある。
 (伊勢原市)
堂宇跡
昭和13年(1938)秋の山津波で倒壊するまで浄発願寺の本堂・庫裡などはここにあった。 本堂は、貞享2年(1685)秋田城主佐竹氏出身の四世空誉上人の時代に完成したが、 寛政7年(1795)の火災で焼失した。その後、文化元年(1804)22世速阿上人の時代に再建され、 間口は7間(約12.73m)、奥行12間(約21.81m)で、廊下・居間・庫裡等を合わせて 約230坪あり、三方は自然の岩を掘り割って排水溝とし、非常の時は貯水槽となった。
周囲の山は原生林だったが、明治末の官林払い下げで伐採された。なお、山の境界には70余の 塚があった。三日三晩のお十夜法要には、本堂・庫裡等が信者であふれ、相模の三大十夜と 称された。 本堂にあった浄発願寺の寺号額は、徳川家康の師寒松の筆によるもので、現在は約1km下の 本堂に掲げてある。
 (伊勢原市)
奥の院の岩屋
慶長13年(1608)尾張国(愛知県)生まれの弾誓上人によって開かれた岩窟で、 この世の浄土と考えられていた。岩屋内中央に弾誓上人の石像があり、右側には瑩珠院殿 (新君と称し、後奈良天皇の孫娘で尾張徳川第3代綱誠夫人)や佐竹、 藤堂等と大名の墓石、二世但唱等の墓石が並んでいる。 岩屋前には、四世空誓上人の卵塔(伊勢原市最大)をはじめ歴代上人の墓石等がある。 尚、右方には観音堂や観骨堂(六角堂で地蔵を置く)、左方には五社権現(神明、八幡、 春日、熊野、住吉)が祀られていた。朝日が差し込む岩屋での行や、御神木の桜で 諸仏像を彫刻する等、神聖な岩屋内は一般人の立ち入り厳禁の聖域であった。 男の駆け込み寺で有名な浄発願寺は字の通り浄く発願する寺である。 但し、放火、殺人等は入山禁止であった。明治末年、対象12年(1923)、昭和13年(1938)等の 山津波で埋没していた歴代住職の墓石等は、平成3年春発掘し復元された。
 (伊勢原市)
日向林道に戻って、林道を降っていきます。 クアハウス「山小屋」を過ぎていくと、日向渓谷の石碑があります。
一ノ沢・二ノ沢・三ノ沢・鍵沢・屏風沢・不動沢と六つの枝沢が梅ヶ尾橋上流付近に 集まっていて、この辺りを日向渓谷といいます。 不動滝(不動沢に入る)は、大山登山の禊の滝として知られ、 古くは浄発願寺に起居する僧侶修行の場とされていました。
梅ヶ尾橋を渡り少し降っていくと、左手に石雲寺があります。
石雲寺縁起
寺伝によれば、八世紀初めの養老2年、諸国を行脚していた華厳妙瑞という法師が日向へやってきた。 法師が山中の石上に座し瞑想すると、渓谷に紫雲を認め、不思議に思った法師が河原に降りると、 周囲三丈(10メートル程)の石の上方に紫雲がたなびいていて、 法師は一心に仏・菩薩の名号を唱えたところ、仏・菩薩の御姿が現れたという。 里人に尋ねたところ、その昔、壬申の乱に敗れた大友皇子が近江国から逃れ住まわれ、 この地で亡くなられ、従者も殉死したという。 哀れに思った法師は精舎を建て、皇子の菩提を弔うこととした。 これが石雲寺の草創である。 皇子の墓所は当所、遺言により松を植えただけであったが、 鎌倉時代になって従者の子孫が石で五重の塔を建てたという。 長禄年間、天渓宗思和尚が曹洞宗として中興開山され、天文12年に北條幻庵から朱印状を拝領した頃、 寺院としての基盤が確立したようだ。 当初の寺院名は「雨降院」で、後に開創の縁起に因んで「石雲寺」と改められている。
石雲寺
山号は雨降山、寺伝では壬申の乱に敗れた大友皇子 が日向の地に隠れ住まわれ没後皇子の菩提を弔うために養老 2年(718)華厳法師がこの地に開創した雨降院が石雲寺の前身とされる 雨乞い信仰に関係して雨降石が御神体の石尊社が境内の一角に有 る。江戸時代の初め大山寺との雨降石の争奪戦で石雲寺本堂が大山 寺の衆徒に焼かれてしまったと言う。 末寺には二宮尊徳の菩提寺である柏山の善栄寺を始め五ヶ寺 があり、小田原の北条氏の信仰も厚かった。
 (文化財協会、石雲寺28世義仙代)
石雲寺を後にして林道を降っていきます。
やがて、欄干を赤く塗った橋が右手に見えてきます。 橋を渡ると浄発願寺です。
浄発願寺
天台宗弾誓派本山で、上野寛永寺内凌雲院の末寺として繁栄した無常山浄発願寺は 開山の木食弾誓上人をはじめ、代々木食行の厳しい戒律をよく守り続け、山岳修行者・ 全国行脚の修行僧などの行場として、また、殺人・放火以外の犯罪人が許される駆け込み寺としても 有名であった。 明治維新の廃仏殷釈運動では厳しい弾圧を受け、寺僧はわずか2名となり、徳川本家、 尾張徳川家、藤堂、佐竹氏といった大名や公家の広幡家等の有力な信者層を失い、 寺領も減少して衰退の一途をたどった。ただお十夜法要は相模の三大十夜と称され、 昭和初期まで盛大であった。 また、相模平野を潤す花水川の一支流としての日向川の水源地に位置した寺は、 下流住民の雨乞い信仰の寺としても有名であった。ここより約1km上流にある奥の院 (浄発願寺旧跡、昭和13年9月の山津波後現在地へ移転)や寺に残る文化財に往時の 面影を伺い知ることができる。
 (伊勢原市教育委員会)
馬場へと続く日陰道を右に見送って更に降っていくと、林道「薬師線」への分岐があります。 空気が澄んでいると田んぼ越しに横浜のランドマークタワーまでも見えるのですが、 この時は霞んでいて見えませんでした。 秋には彼岸花が咲いて綺麗な光景が広がる所でもあります。 分岐を過ぎていくと、間もなく日向薬師バス停です。
林道薬師線(終点)
この林道は林業経営のためにつくられたものです。 一般道路とは異なり、急カーブや落石の危険がありますので、 林業関係者及び地元関係者以外の通行を禁止致します。 なお、利用に際しては承認等が必要となりますので、ご注意願います。
標準幅員 W=4.0m 全体延長 L=3,061m
 (神奈川県湘南地区農政事務所森林土木課)
日向薬師(ひなたやくし)バス停
伊勢原駅(小田急小田原線)まで、伊勢原駅北口行きバスにて23分、 1時間に2本から3本程度の便があります。
関東ふれあいの道
関東ふれあいの道は、一都六県を巡る自然歩道です。 沿道の豊かな自然にふれ、名所や史跡をたずねながら、ふる里を見直してみませんか。 この地点は、県内17コースのうち「順礼峠のみち」・ 「大山参り蓑毛のみち」・「太田道灌・日向薬師のみち」の分岐点です。 みどころは、白山・順礼峠・日向薬師・日向渓谷・二重の滝・ 阿夫利神社・太田道灌の墓・三之宮比々多神社など各コースとも他にいろいろあります。
【大山参り蓑毛のみち】
蓑毛バス停…蓑毛越え…下神…見晴台…青年の家…日向薬師バス停
太田道灌・日向薬師のみち】
坪ノ内バス停…長福寺…三之宮比々多神社…伯母様橋…上粕屋神社…太田道灌の墓…上粕屋神社…産業能率大学…鎧塚…諏訪神社…日向薬師入口…日向薬師バス停
【巡礼峠のみち】
日向薬師バス停…日向薬師…展望台…七沢神社…巡礼峠…物見峠…むじな坂…白山御門橋分岐…御門橋バス停
 (環境庁・神奈川県)