山里から津久井湖へのみち
散策:2002年10月上旬
【関東ふれあいの道】 山里から津久井湖へのみち (神奈川県13番コース)
概 要 津久井の山里の風景を眺めながら、中世の山城の遺構・城山に登り、津久井湖の展望を楽しむコースです。
起 点 津久井町 韮尾根バス停
終 点 城山町 城山高校前バス停
ルート 韮尾根バス停…雨乞山…唐沢橋…根本…城山…津久井湖…城山高校前バス停
所要時間 6時間10分
歩いて... 雨乞山と城山の2山を歩くコースですが、樹木が育ってしまっていて、山頂からの展望は望めません。 山道自体はしっかりしていてよく踏まれているのですが、倒木や地すべりなどで歩き難い所もあります。
関連メモ 雨乞山
コース紹介
韮尾根(にろうね)バス停
橋本駅(JR横浜線)の北口から、[橋04]半原行きバスにて33分、 バスの便が非常に少ないので、事前によく確かめておきましょう。 午前中には、7:18発,8:48発,9:45発の3便しかありません。 橋本駅(JR横浜線)の南口にもバスターミナルがありますが、韮尾根方面の便は出ていません。
バス停のすぐ先に17番コースの案内板があります。 そこを過ぎてもう少し行くと、本コースの案内板があります。 これからのコースを確認しておきましょう。
山里から津久井湖へのみち
関東ふれあいの道は、一都六県を巡る自然歩道です。 自分の足でゆっくり歩いて、豊かな自然にふれながら、名所や史跡をたずね、ふる里を見なおしてみませんか。 このコースは、県内17コースの一つで、雨乞山、城山、津久井湖などがみどころです。
案内板の所を左へ曲がって行くと十字路があります。 そこを右へと進んでいきます。 畑や民家の散在するのどかな山里の道を道標に従って真っ直ぐに進みます。 途中で、17番コースが右へ分かれていきます。
更に進んでいくと、やがて子牛が遊ぶ東京農工大学の津久井農場が見えてきます。 農場を過ぎると、右前方に雨乞山への登り道があります。 道幅は広くてよく踏まれていますが、 戦後最大級の台風のためか、倒木や地すべりなどで歩き難い所もあります。
尾根の左側に続いている道は、やがて切り通しを過ぎて右側へと変わります。 コナラやクヌギなどの雑木林を抜けると、路傍サインの設置されている尾根道に出ます。 鋭角に左折して人工林の中を登っていくと、やがて雨乞山の山頂です。
雨乞山
雨乞山の山頂はスギ・ヒノキや熊笹に覆われていて、展望はほどんど望めません。 雨乞山の名は、むかし土地の人がこの山に登り「雨乞い」の行事を行ったことに由来するようです。 「雨乞い」の行事には、山の神様の好きなものをお供え物をして雨を降らせたという説と、 嫌いなものをお供えすると怒って雨を降らせたという説があるようです。
木の葉の間から丹沢の山並を左に見て、起伏のあるやや急な坂道を降っていくと、 稲生の桜山への分岐にでます。 ここから桜山までは400mほどの距離です。 指導標識の方向にしばらく行くと、稲生の桜山にでます。
稲生(いのう)の桜山
この桜山の「サクラ」は、大正の初期に皇太子殿下の ヨーロッパ視察を記念して、地元の青年団が植樹したものです。 毎年春の開花期になると「桜まつり」の行事もあり、 はなやかです。また5月になると「ツツジ」の花も咲き、大変美しいところです。
 (環境庁・神奈川県)
分岐から更に降っていくと、道が二股に分かれている所にでます。 「城山4.3km」の道標がどちらを指しているのかよく分りませんが、右側の道を進んでいきます。 左側の道は里へと降っていき、右側の道は明日原へ少し登っていきます。
やがて、根小屋の集落や城山が一望できる明日原(あしたばる)の耕作地にでます。
畑地の側を進んでいくと、やがて車道にでます。 道標に従って、車道を横切ってすぐ前に続いている道を進んでいきます。
里の道を進んでいくと、少し降りになったところに赤い帽子の地蔵があります。 そこを左折して牛舎の側を進んでいくと、 砕石場になって丸裸の山が正面に見えてきます。
トウモロコシ畑を過ぎて、森の中に入っていく道に変わります。 山道といってもしっかりとしていて、以前は生活道路として使われていた感じがします。 やがて竹林に変わると森も終わりです。 墓地の前を過ぎ、塀のところを右折していきます。 道標に従って民家の横を左折すると、その先に平井橋が見えてきます。
唐沢橋
串川に架かる平井橋を渡り、右手の坂を登ると県道に出ます。 そこに長さの短い唐沢橋があります。 橋は渡らず、県道を横断します。 正面の坂は民家への入口なので見送り、右折して進みます。
右折してすぐの所にある無料庵バス停先の左手の坂を登っていきます。 無料庵バス停からは、橋本駅行きの便が1時間に1本程度あります。
樹木に覆われた坂道が終ると民家が建ち並ぶようになります。 津久井町学校給食センターの手前を右折し、道標に従って坂道を降っていきます。 坂道を降りきった所を左折して進みます。
やがて尻久保川に架かる橋を渡ります。
坂道を登りきり、道祖神の前を左へ進んでいきます。 コスモスが咲く自治会館の前を過ぎていくと、やがてT字路に出ます。 ここには道標がありませんが、右へ曲がっていきます。 少し行くと根本バス停があります。
根本
根本バス停の側に、津久井城址の案内板と道標があります。
津久井城址
津久井城は、築井城とも書く。 鎌倉時代初期、三浦一族の津久井義行の子為行(津久井太郎次郎義胤)が 宝が峰に築城し、城下一帯を津久井領としたのが津久井の地名の 起源と伝えられる。戦国時代小田原の北条早雲は家臣内藤左近将監景定を 城主として津久井城の修復を図り、呂の字型で階段的連郭式、 根小屋式山城を完成させるとともに、「津久井衆」という独特の 家臣団を編成し、甲斐の武田氏に備えた。城主景豊の時、 永禄12年(1569)北条勢、武田勢が南方の三増峠で激突した戦いは、 大山岳戦として戦国史に残る。天正18年(1590)6月25日、豊臣秀吉の 小田原攻めに際し、山頂には幕府の老中首座、松平定信らによる古城碑が建ち、往時を偲ばせている。 城下には、お屋敷、馬場、信玄道、富士塚、城主内藤家の菩提寺功雲寺などの史蹟が散在している。
民家の脇の路地を進んでいきます。 四季の森への分岐を見送り、やがてしっかりとした山道になります。
・ここは城山国有林です。
・森を大切にしましょう。樹木はみんなの資源です。
・枝を折ったり樹木にきずをつけたりしないようにしましょう。
・たばこは一定の場所ですいましょう。すいがら、マッチは完全に消しましょう。
・山を汚さない、楽しいハイキングをいたしましょう。
 (東京営林署)
築井城址の石碑を過ぎて進んでいくと、城山への登り口が左に分かれます。 道標に従い、「車坂(男坂)」と呼ばれている道を登っていきます。
やがて十字路の尾根に出ます。 右折すると飯縄神社、左折すると城山山頂です。 まず左折して城山山頂を目指します。 途中に、堀切と引橋の跡を通っていきます。
堀切(ほりきり)
戦になると、ふだん使っていた橋をはずし、本城曲輪(ほんじょうくるわ)へ攻め入るこ とが困難になる仕組みになっていました。 堀切は尾根伝いに攻めてくる敵を防ぐため、尾根を逆台形に大きく掘り込んだものです。 平時は木橋がかけられていますが、いざ戦となると橋を 引いたり落したりして敵を防ぎました。津久井城では山頂の尾根に三箇所の堀切があります。
引橋(ひきはし)
山城では木橋や土橋が使われています。この場所には引橋の地名が伝えられており、 また古絵図にも橋が描かれていることから、堀切を渡る木橋が架けられていたものと思われます。 木橋の構造はよくわかりませんが、はしごを横にねがせたような簡易なもの、コロや車輪を使い 移動することができる引橋、もちろん現在の橋のように固定されたものもあったようです。 ただ、その多くは非常時には簡単に取壊したり、移動することができるものでした。
城山
城山山頂は結構広く、ベンチもいくつか置いてありますが、樹木が育ってしまい、あまり展望はありません。 山頂には津久井城(築井城)があったので「城山」と呼ばれています。
【虎口】こぐち
 城の出入口。各曲輪にある出入口のことです。
【曲輪】くるわ
 「郭」とも書く。尾根や傾斜地を造成し平坦地をつくり、堀・土塁・柵などで囲み建物などを構えた区画。
【堅堀】たてぼり
 尾根下を斜面伝いに横から侵入する敵の動きを防ぐため、山の斜面に直角に掘られた堀。
津久井城の位置
津久井城は地理的には、北方に武蔵国、西方に甲斐国に接する相模国の西北部に位置しています。 そして、八王子から厚木・伊勢原、古代東海道を結ぶ八王子道と、江戸方面から多摩丘陵を通り、 津久井地域を東西に横断し甲州街道に達する津久井往還に近く、古来重要な水運のルートであった 相模川が眼前を流れていることなどから、交通の要衝の地でもありました。また、津久井地区は、 その豊かな山林資源から、経済的に重要な地域としても認識されていました。 このように、津久井地区は、中世の早い時期から政治・経済・軍事上の要衝であり、 利害の対立する勢力のせめぎ合いの場でもありました。
いつごろ、誰がつくったのか?
津久井城の築城は、鎌倉時代三浦半島一帯に勢力を誇っていた三浦氏の一族、津久井氏によると 伝えられています。戦国時代、小田原城を本城とした北条氏は16世紀中ごろまでには、 相模・武蔵を領国とする戦国大名に発展しました。そしてこの広大な領国を経営し、 敵勢力から守るため本城の下に支城を設け、支城領を単位とする支配体制を作りました。 当時の津久井地域は甲斐国境に近く、領国経営上重視されており、津久井城(城主内藤氏)は 有力支城のひとつとして重要な役割を果たしていました。現在残っている遺構は16世紀に 北条氏が整備したものです。
津久井城が滅びたのは?
天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めの際、北条方の関東の諸城も前後して落城しました。 津久井城は徳川勢の本田忠勝、平岩親吉ら12,000人の軍勢に攻められ、6月25日に 開城しました。城の南に広がる金原地区には、前陣場、奥陣場、勝どき畑、首塚など、 戦に関連すると考えられる地名が残されています。
根小屋式山城の遺構
城には置かれている地勢によって、山城、丘城、平山城、平城がありますが、 独立した山に築かれたものが山城です。 通常、山城は平地の面積が狭いために城主の館や家臣の屋敷などを山麓に置きました。 これが根小屋であり、山麓に根小屋を備えた山城のことを根小屋式山城といいます。 津久井城は、戦国時代の根小屋式山城の様子を伝える貴重な遺構がそのまま残っています。
山城部分の遺構
標高375mの山頂、西峰の本城曲輪、太鼓曲輪、飯縄神社のある東峰の飯縄曲輪を中心に、 各尾根に小曲輪が階段状に配置されています。これらの曲輪には土塁や、一部石積みの痕跡も残っています。 また、山頂尾根には敵の動きを防ぐため、三箇所に大堀切が、山腹には沢部分を 掘削・拡張した長大な堅堀が掘られています。 飯縄神社の東下にある宝ヶ池と呼ばれる溜井は今でも水を湛えています。
根小屋部分の遺構
根小屋は、根本・城板、小網、荒久、馬込地区一帯に広がっていたと推定され、 各地区で大小の曲輪が確認できます。特に城板地区にはお屋敷跡、馬場、左近馬屋などの 地名が残されており、津久井城の根小屋の中心と考えられています。 また、お屋敷跡の発掘調査では、建物跡や煙硝蔵跡、深さ3mにも及ぶ空堀、土塁跡などが 見つかっており、城主館跡と考えられます。本城曲輪(ほんじょうくるわ)と土塁 津久井城の中心です。戦時に城主がたてこもる最後のとりでです。 本城曲輪は津久井城の中心です。周囲の尾根には何段もの曲輪や長大な堅堀が掘られるなど、 とても堅固な作りになっています。土手状に残った部分が土塁です。 これは土を突き固め盛り上げた防御壁で、敵を攻撃する台としても使われました。
築井古城記碑
築井古城記は城主内藤氏の家臣、島崎氏の末裔で、当時の根小屋村名主 島崎律直により文化13年(1816)に建立されたもので、津久井城の地形や 沿革、内藤氏の系譜、建碑の由来等が記されています。題額者は白川少将朝臣(松平定信)、 選者は題額頭林衛、書者が国学者屋代(源)弘賢、そして碑文を刻んだのが広瀬群鶴と、 製作には当時の一流名士が関わっています。
飯縄神社
一旦、十字路まで戻り、右側の道を進みます。 やがて石段が現れ、それを登ると飯縄神社です。 神社の脇にはベンチがいくつか設置され、 木々に遮られながらもどうにか展望があります。
飯縄神社を後にして山道を降っていくと、すぐの所に宝ヶ池があります。
宝ヶ池
いざ戦となって山城にたてこもっても、水がなくては戦いどころではありません。 宝ヶ池は、津久井城の水の手(溜井)のひとつです。江戸時代の地誌「新編相模風土記記稿」は、 「日照りや雨が続いた年でも、いつも安定して 水をたたえている」と記しています。水が白く濁っていることから城兵が刀を研いだとも伝えられます。 また水が枯れないところから雨乞いの行事にも使われました。
山城と水
中世にまとめられた城作りの手引書「築城記」は、山城を築くときの心得として、 まず「水があることが大切、また水の手(井戸など)は遠くにつくってはならない」と 記しています。水は戦はもとより、日常の城中生活に欠くことのできないものだからです。 また、「水が枯れるので、やたらに尾根を掘ったり、大木を伐ってはいけない」ともあります。 水の確保には常に気を配っていたことがわかります。
津久井城の水源
津久井城では宝ヶ池のほか、本城曲輪の北側と御屋敷跡で井戸跡がみつかっています。 また山麓にはいたるところに水源があり、今でも豊かな水が湧き出しています。 津久井城は水で苦労することはなかったでしょう。
宝ヶ池から降っていきます。 やがてロープやクサリがある急な坂道を過ぎ、 神奈川の美林50選にも選定されている立派なひのき林になります。
植物群落保護林 城山江川ヒノキ
このヒノキ林は江戸時代の末期に伊豆韮山の代官で行政官として洋学者としていろいろな 分野で活躍していた江川太郎左衛門英龍という人が植林したといわれています。 当地方では稀な高齢のヒノキ人工林で、樹齢は約120年です。 この林をみていると私たちは自然の偉大さを感じます。
 (林野庁・東京営林署)
森林を育てる
森林を育てるには、子供を育てると同じように愛情をもって守り育てることが必要です。
1. 種まき 畑に種をまいて、苗木を作ります。
2. 植え付け 3年間苗畑で育てた苗木を山に植えます。
3. 下刈り 植え付けた後8年間くらい、毎年6・7月ごろに木の周りの雑草を刈り取ります。
4. つる切り 8年から10年くらいの間に、2回、木に巻きついているつる類を取り除きます。
5. 除伐(ぬきぎり) 10年から20年ぐらいの間に、形の悪い木や成長のおくれた木を取り除きます。
6. 枝打ち(枝おろし) 節のない良質でのびのある木を作るため10年から25年ぐらいの間に
2、3回下枝を切り落とします。
7. 間伐(ぬきぎり) 太く大きな材木を作るため20年から25年ぐらいの間に
2、3回森林の木の間引きをします。
8. 伐採(きり出し) 40年から50年ぐらいで成長した木を切り木材として利用します。
 (環境庁・神奈川県)
城山国有林
・森林を愛しましょう。樹木はみんなの資源です。
・山ではたき火に注意しましょう。
・たばこは歩きながらすわないようにしましょう。
・山のエチケットを守りましょう。
 (東京神奈川森林管理署)
さらに山道を降っていくと、やがて視界が開け、津久井湖園地が見えてきます。 園地に入って築井公園橋を渡ると、津久井湖観光センターがあります。
津久井湖
台風の爪跡なのか、津久井湖の湖水は濁っており、湖面には流木などが多く浮かんでいました。
津久井湖(城山ダム)は、昭和40年に県下で3番目のダムとして誕生しました。 湖の面積は2.47平方キロメートル(横浜スタジアムの約190倍)、使える水の量は 51,200,000立法メートル(県庁新庁舎約368杯分)、水道用水や発電、洪水調整の 機能を備えた多目的ダムとして、県民の暮らしを支える重要な役割を果たしています。 なお、このダムの建設により11集落、285世帯の皆さんが、湖周辺や相模原市などに 移転されています。
県立津久井湖城山公園
県立津久井湖城山公園は、津久井湖の南西にそびえる城山(宝が峰)と城山ダム周辺の 苑地・展望台をあわせて98ヘクタールの広さです。城山の自然や湖周辺の美しい風景、 戦国時代の山城「津久井城」の遺構を守りながら「豊かな自然の中で、歴史とロマンを体感 できる公園」として整備しています。 「花の苑地」・「水の苑地」では、 ガーデンテラスや噴水・芝生広場など、「花と水」をテーマにした憩いの場として気軽に利用できます。
城山高校前(しろやまこうこうまえ)バス停
城山ダムを渡ってしばらく行くと、城山高校前バス停です。
橋本駅(JR横浜線)まで、橋本駅行きバスにて16分、1時間に6本程度の便があります。 橋本駅の南口行きと北口行きがありますが、どちらでもかまいません。