稲村ヶ崎・磯づたいのみち
散策:2002年09月下旬
【関東ふれあいの道】 稲村ヶ崎・磯づたいのみち (神奈川県5番コース)
概 要 若宮大路から、由比ヶ浜、稲村ヶ崎、七里ヶ浜、江の島と、古都鎌倉の海の名所をたどるコースです。
起 点 鎌倉市 鎌倉駅
終 点 藤沢市 片瀬江ノ島駅
ルート 鎌倉駅…由比ヶ浜…稲村ヶ崎…小動岬…片瀬江ノ島駅
所要時間 3時間40分
歩いて... 全体的に海沿いの車道を歩くコースです。 七里ヶ浜までは海側の幅3〜4mの広い歩道を、七里ヶ浜からは山側を歩くようになり、 小動岬に近づくにつれて歩道が次第に狭くなっていきます。 浜辺には白波が打ち寄せ、サーフィンなどを楽しんでいる人々を多く見かけます。
関連メモ 極楽寺切通
コース紹介
鎌倉(かまくら)駅
コース起点は由比ヶ浜ですが、鎌倉駅(JR横須賀線)から歩いて行きましょう。 鎌倉駅から若宮大路に出ます。 せっかくなので、ちょっと鶴岡八幡宮へ寄り道をしていきましょう。
若宮大路(わかみやおおじ)
治承4年(1180)鎌倉に入った源頼朝はこの地を政治の中心地とし、 鎌倉幕府150年の基礎を築き、翌々年、八幡宮と由比ガ浜を結ぶ道を一直線に 改修しました。それが若宮大路の始まりだといわれています。 大路の中央部は「段葛(だんかずら)」と呼ばれる一段高い参詣路となっており、 頼朝が妻政子の安産祈祷のためにつくった貴重なものです。 中世の都市計画によりつくられた若宮大路は、時代の推移とともに改修・補修が行われ、 今なお古都鎌倉のシンボルロードとして行き続けています。 若宮大路とその周辺地区は、神奈川県の「うるおいあるみちづくり事業」や 鎌倉市の「洋風建築物保存事業」などにより、優れた都市景観が形成されていることが評価され、 平成5年度の都市景観大賞を受賞しました。
二之鳥居から八幡宮へと続く段葛を通って行きます。 段葛は鶴岡八幡宮の参道になっていて、 両側に桜の並木やツツジの植え込みが続く土盛りされた道です。 20mほどの間隔で石灯篭も建っていて、 春の桜、初夏のツツジ、8月のぼんぼり祭りと、綺麗に彩られる所です。
段葛(だんかづら)
一ニ置石ト称ス嘉永元年三月頼朝 其ノ婦人政子ノ平産祈祷ノ為鶴岡社頭ヨリ 由比海濱大鳥居邊ニ亙リテ之ヲ築ク其ノ土 石ハ北條時政ヲ始メ源家ノ諸将ノ是ガ運搬 ニ従ヘル所ノモノナリ明治ノ初年ニ至リ二 ノ鳥居以南其ノ形ヲ失ヘリ
 (鎌倉町青年会)
段葛が終わって三之鳥居をくぐると鶴岡八幡宮の境内になります。
鶴岡八幡宮
当宮は源頼義公が前9年の役平定後、康平6年(1063) 報賽のため由比卿鶴岡の地に八幡大神を勧請したのに始まる。 治承4年(1180)源頼朝公は源氏再興の旗を挙げ、 父祖由縁の地鎌倉に入ると、まず由比卿の八幡宮を 遥拝し「祖宗を崇めんが為」小林卿北山(現在地)に奉遷し、 京に於ける内裏に相当する位置に据えて諸整備に努めた。 建久2年(1191)大火により諸堂舎の多くが失われたが、 頼朝公は直ちに再建に着手し、大臣山の中腹に社殿を 造営して上下両宮の現在の結構に整えた。 以来当宮は武家の守護神として北条・足利・後北条・徳川各氏も 社領等の寄進、社殿の修造を行い篤く尊崇した。
鶴岡八幡宮から引き返して、海へ向かって真直ぐに若宮大路を進んでいきます。
浜の大鳥居跡
鶴岡八幡宮参道(若宮大路)の最も南側に立つ鳥居は「浜鳥居」と呼ばれ 治承4年(1180)の建立以来数次の再建を繰り返す。鳥居柱痕の年代は 伴出遺物等によって戦国期と推察され、天文22年(1553)北条氏康により 造立された大鳥居のものである可能性が高い。快元僧都記などによれば、 天文4年安養院の僧玉運が瑞夢から浜の鳥居再建を発願し、上総国峯上で得た 用材を海路運搬して準備を進めたと云う。 本造構は現在の鶴岡八幡宮大鳥居(1の鳥居)の北方約180mに位置し、 特異な構造であるとともに、旧浜鳥居の位置が推定できる点でも重要である。
規模:直径約160cm、地中深度は不明。
構造:芯材、中周材(8個)、外周材(17個)からなる寄木造の鳥居柱痕。各材は契(ちぎり)技法により結合される。また地表下160cmで南北方向に梁材を通す。
材質:本体部 ヒノキ材、結合材 ケヤキ材
一之鳥居
此の大鳥居は一之鳥居ともいひ、治承4年12月源頼朝の創建にかかり、 壽永元年夫人政子築造の段葛と共に若宮大路の偉観たり。 以来武門武将により再建修理を行ふこと数次。 寛文8年徳川家綱祖母崇源院の大願を承け、備前犬島産花崗石を以て此の鳥居を始め、 第二第三の鳥居を再興せり。 就中此の大鳥居は夙に我が国石鳥居の範を仰がれ、明治37年8月国賓に指定せらる。 然るに大正12年関東大震災の際、柱下部を残して悉く顛落大破せり。 即ち文部省に請ひ、復讐の速ならむことを計りしが、 昭和9年文部技師阪谷良之進同嘱託大岡實に依り、稍く重修の設計成り、 同11年3月国庫補助並に東京上田ちた近田三郎両名の献資を以て工を起し、同年8月其の功を竣へたり。 本工事は神奈川県知事半井清監督の下に施工し、専ら古法を尊び菖材の再用を旨とし、 補足材は之を犬島に求め、東西柱上部笠木及貫中部同東部西沓石北側の7個を加えたる外、 苟くも景観の美を損せさらしむるに力めたり。
由比ヶ浜
横須賀線のガード下を通り一之鳥居を過ぎていくと、 やがて国道134号に出て由比ヶ浜に着きます。 ここに関東ふれあいの道の案内板があるので、コースを確認しておきましょう。 滑川(なめりがわ)が流れ込む東側が材木座海岸、西側が由比ヶ浜海岸で、 夏には海水浴客で賑わっています。また、沖合いではサーフィンやヨットなど、 海面を行き交う景色は見ていて飽きないものです。
稲村ヶ崎磯づたいのみち
関東ふれあいの道は、一都六県を巡る長距離自然歩道です。 自分の足でゆっくり歩いて豊かな自然にふれ、歴史などを たずねながら、ふる里を見なおしてみなせんか。 このコースは、県内17コースのひとつで、由比ヶ浜、稲村ヶ崎公園、七里ヶ浜、小動岬がみどころです。 自然や文化財を大切にしましょう。
 (環境庁・神奈川県)
トビに注意
手に持った食べ物をトビが狙って空から襲ってきます。 トビに餌をあげてはいけません。 餌をもらったトビは、人のた食べ物を狙うようになります。 トビにかぎらずハトやカラスなどの野生生物に餌をあたえることはやめましょう。
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター環境調整課、鎌倉市)
津波に注意
・地震を感じたら津波に注意。
 (津波情報が出ていなくても海面の変化に注意し、異常があったらすぐ海岸から遠ざかろう)
・正しい情報を聞き、落着いて行動しよう。
・津波はくり返しおそってくるので気をつけよう。
・津波注意報が出たら、海水浴や釣りは危険なのでやめよう。
・海水浴シーズン中は、監視員の指示に従って行動しよう。
 (鎌倉市)
鎌倉海浜公園 由比ヶ浜地区
由比ヶ浜に出た所のすぐ右側に鎌倉海浜公園があります。 地下は駐車場になっていて、その上に芝が植えられています。
・バイク、自転車の乗り入れはやめましょう。
・危険な遊びはやめましょう。
・犬を放したり、フンを放置するのはやめましょう。
・煙草の投げ捨てはやめましょう。
・花火などはやめましょう。
・ごみは持ち帰りましょう。
 (鎌倉市役所)
国道134号を海沿いに進んでいきます。
波音の 由比ヶ浜より 初電車 (高浜虚子)
鎌倉や 牡丹の根に 蟹遊ぶ (高浜虚子)
鎌倉や 御仏なれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな (与謝野晶子)
佛性は 白き桔梗に こそあらめ (夏目漱石)
近くに鎌倉大仏や長谷観音があるので、ちょっと立ち寄っていきましょう。 マンション「レジェンド鎌倉」の先の三叉路を右へ入っていきます。 信号を右へ曲がり江ノ電の踏み切りを越えていくと、約200mで長谷観音前の信号があります。 そこを左へ200m程行くと長谷寺、信号を直進して400mほど行くと高徳院に着きます。
長谷寺
十一面観音立像で高さが10m近くあり、日本一大きい木像である長谷観音があります。
永き日の われらが為の 観世音 (虚子)
境内の展望所からは、鎌倉の町並み越しに材木座海岸や由比ヶ浜が一望できます。
千体地蔵
千体地蔵とは、水子や先亡諸霊の供養のために奉納されます。 ご希望の方は観音堂へお申し出下さい。
ご供養される方へ
数年おまつりした、お地蔵様は、浄火供養のお焚き上げをしておりますが、 ご供養は、続きますのでご安心下さい。 尚、お参りは、ご自分のお地蔵様を探すのではなく、観音堂と地蔵堂のご本尊になさって下さい。 3月と9月の18日に彼岸会が奉修されます。 どうぞ、ご参加下さい。
みがわり鈴
家内安全・福寿増進・心身堅固・交通安全のお守り
有名な長谷観音のみがわり鈴は、観世音菩薩が わたしたち衆生にお示しになる有求必応(求むるあれば必ず応ず)の 六慈悲心を象徴した幸せの宝鈴です。 この宝鈴の素朴で造型性と神秘的な音色は、ともにひろくみなさまの愛啓を受けております。
高徳院
名称:浄土宗
宗祖:法然上人(源空)1133年〜1212年
開宗:承安5年(1175)
本尊:阿弥陀仏(無量寿佛)
称名:南無阿弥陀仏
教え:阿弥陀仏を深く信じてひたすら南無阿弥陀仏と称えるだけでどんなに罪深い人でも必ず救われて明るい毎日を送り浄土に生まれることができる教えです。
お経:お釈迦さまが説かれた無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経の三部経をよりどころとします。
国宝鎌倉大佛
この大佛像は阿弥陀仏である。源頼朝の侍女であったといわれる 稲多野局が発起し、僧浄光が勧進(資金集め)して造った。 零細な民間の金銭を集積して成ったもので、国家や王族が資金を出して 作ったものではない。初めは木造で暦仁元年(1238)に着工し、 6年間で完成したが、宝治元年(1247)大風で倒れたので、再び資金を集め、 建長4年(1252)に至って現在の青銅の像を鋳造し、大仏殿を造って安置した。 原型作者は不明であるが、鋳工として大野五郎右エ門や丹治久友の名が 伝えられる。大仏殿は建武元年(1334)と慶安2年(1369)とに大風に倒れ、 その都度復興したが、明応7年(1498)の海潮に流失以来は復興せず、 露像として知られるに至った。大正12年(1923)の大震災には台座が崩れ、 仏像は前に傾いたが倒れなかった。大正14年(1925)台座を補強し仏像を 台座に固定せしめる耐震構造の修復がなされた。昭和35,36年(1960,61)の 修理では、前傾してる頭部を支える頚部の力を、強化プラスチックで補強し、 大正修理でなされた耐震構造を改め、大地震の際は、台座と佛体が離れる 免震構造が施された。この強化プラスチックの利用と台座の免震構造は、 日本の文化財としては最初のものである。
総高(台座共):13.35m、青銅佛身高:11.312m、佛体重量:121トン
高徳院境内にある文学碑
かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな (与謝野晶子)
大佛の 冬日は山に 移りけり (星野立子)
寺々の かねのさやけく 鳴りひびき かまくら山に 秋かぜのみつ (金子薫園)
春の雨 かまくらの名も 和らぎて (飯室謙斉)
秋燈下 机の上の 幾山河 (吉屋信子)
鎌倉海浜公園 坂ノ下地区
国道134号に戻り、海沿いに進んでいくと、鎌倉海浜公園があります。 公園には小倉百人一首の歌碑があります。
世の中は つねにもがもな なぎさこぐ あまの小舟の つなでかなしも (源実朝)
稲村ヶ崎
鎌倉海浜公園を後にして更に進んでいきます。 道が少し登りになってくると稲村ヶ崎に到着です。
切り通しを進んでいくと左側に石段があるので、そこを登っていきます。 石段を登っていくと、あづま屋のある広場に出ます。 海の向こうには江ノ島が見えます。 稲村ヶ崎には、ゴッホ博士記念碑、ボート遭難碑、新田義貞碑があります。
太平記
鎌倉・南北朝時代の武将、新田義貞は、元弘3年(1333)5月、 一族を集めて討幕の挙兵をし、22日、干潟になった稲村ガ崎の 海岸線を突破して鎌倉になだれ込んだ。鎌倉中が戦場と化し、 幕府軍の善戦及ばず、東勝寺へ逃れた北条高時ら一門は自害し、 幕府は滅亡した。「太平記」(巻第十稲村ガ崎干潟と成る事)に 次のように記されている。 げにもこの陣の寄手、かなわで引きむらんも理なりと見給ひければ、 義貞馬より下りたまひて、冑を脱いで海上を遥々と伏し拝み、 龍神に向かって祈誓したまひける。(略)みづから佩きたまへる 金作りの太刀を抜いて、海中へなげたまひけり。 まことに龍神納受やしたまひけん、その夜の月の入り方に、 先々さらに干る事も無かりける稲村ガ崎にはかに20余町干あがって 平沙渺々たり。横矢射んと構へぬる数千の兵船も、落ち行く塩に 誘はれて、遥かの沖に漂へり、不思議と云うもたぐい無し。
 (引用文献 新潮日本古典集成 新潮社 昭和55年)
芳賀矢一作詞 文部省唱歌「かまくら」より
七里ガ浜のいそ伝い 稲村ガ崎 名将の 剣投ぜし 古戦場
文学碑
明治天皇歌碑
明治天皇御製 新田義貞
投げ入れし 剣の光あらわれて 千尋の海の くがとなりぬる
ボート遭難・七里ガ浜哀歌の碑
真白き富士の 嶺線の 江の島 仰ぎ見るも今は涙 (以下略)
 (鎌倉市教育委員会、鎌倉文学館)
新田義貞碑
今を距る584年の昔、元弘3年5月21日、新田義貞此の岬を廻りて鎌倉に進入せんとし、 金装の刀を海に投じて潮を退けんことを海神に祷れりと言ふは此の地なり
 (大正6年3月建之)
稲村ヶ崎の磯には力強い白波が打ち寄せています。 稲村ヶ崎を後にして、更に国道を進んでいきます。 しばらく進むと、西田幾多郎博士の歌碑があります。
西田幾多郎博士記念歌碑
七里ヶ浜 夕日漂う波の上に 伊豆の山々 菓し知らずも
明治44年(1911)「善の研究」交刊後、日本の哲学を代表する 西田哲学を樹立した西田幾多郎博士は、明治3年(1870)石川県 河北郡宇ノ気町に生まれ、学習院、京都大学教授を歴任後、 昭和8年(1933)当地を見下ろす稲村ガ崎(当時の極楽寺姥ヶ谷)に 仮寓をもとめ昭和20年(1945)6月7日に、ここで没するまでの12年間余を主に夏と冬を過ごした。 当記念歌碑は、昭和26年(1951)に博士の偉業を記念するために、 博士の同郷の友人鈴木大拙博士や門下生らの発起により、 多くの著名な知識人や芸術家などの賛同を得て建設された。 設計は板倉準三氏による。
 (鎌倉市)
七里ヶ浜
稲村ヶ崎から小動岬までの平らな海浜を七里ヶ浜といい、 波乗りをしているサーファー族に、サーフィン向きの海として人気を集めています。
峰ヶ原駅-鎌倉高校前駅-恵風園前駅の辺りでは、江ノ電が国道のすぐ側を通っています。 速度もそれ程速くはないので、乗客の顔までも見えたりします。 江ノ電は全体的には単線ですが、電車の行き違いのため、ここでは複線になっています。 しかし、駅の間隔が短く、どのくらい効果があるのかは分りません。 龍口寺への道が分かれる小動交差点を直進すると、やがて小動岬です。
小動神社
小動岬の高台には小動神社があります。 祭神は建速須佐之男命、建御名方神、日本武尊で、 1月16日に例祭が、7月7日から14日まで天王祭が行われます。 また、この神社は、佐々木盛綱が勧請した腰越の鎮守で、 新田義貞が建武年間(1334〜1336)に再建したといわれます。 境内には、海神社、稲荷社、金刀比羅宮、大六天社があります。
小動岬(こゆるぎみさき)
小動神社を後にして国道を少し進み、 「腰越漁港」の看板のある手前の道を降りていくと、消波ブロックで囲まれた小動岬です。
江ノ島が眼の前すぐそこに横たわっています。
腰越
源義経が平氏を西海に滅ぼし、平宗盛らの捕虜をひきいて鎌倉に 復命しようとここまできましたが、頼朝の嫌疑を受けて鎌倉入りを こばまれたことにより、大江広元にあてて書いた有名な「腰越状」を はじめ数通の起請文を書いて疑いを晴らそうとしたところです。 昔この腰越・片瀬付近は刑場であったらしく、のちに義経の首が 奥州から届いたとき首実検をしたのもこの地です。
龍口寺
片瀬東浜交差点を右折して400m程進むと龍口寺です。 寂光院龍口寺は日蓮宗内随一の霊場本山であり、延元2年(1337)に 日法上人が日蓮聖人の四大法難のうち最も有名な竜の口刑場跡に 建立したもので、県内唯一の五重塔や仏舎利塔・延寿の鐘などがあります。 寺の前の道には江ノ電が通っていて、路面電車になっているところです。
片瀬江ノ島(かたせえのしま)駅
龍口寺から片瀬東浜交差点まで戻り、国道を進んで行くとやがて江ノ島入口交差点です。 交差点の右前方に弁天橋があります。 境川に架かる弁天橋を渡ると、小田急片瀬江ノ島駅に着きます。
時間に余裕があれば、江ノ島まで足をのばしてみましょう。