丹沢山塊東辺のみち
散策:2002年08月中旬
【関東ふれあいの道】 丹沢山塊東辺のみち (神奈川県12番コース)
概 要 丹沢山塊の東に位置する仏果山に登り、山頂からの大展望と森林浴を楽しむコースです。
起 点 清川村 坂尻バス停
終 点 愛川町 撚糸組合前バス停
ルート 坂尻バス停…半原越え…仏果山頂…撚糸組合前バス停
所要時間 6時間20分
歩いて... 半原越えから仏果山までの山道はかなりハードですが、 山頂からの素晴しい眺めを楽しみにして頑張りましょう。 アップダウンも結構あるので暑い夏場は避けた方が無難です。 途中の半原越えまでは「北条武田合戦場のみち」とコースが重なっています。
関連メモ 仏果山, 経ヶ岳, 仏果山, 仏果山
コース紹介
坂尻(さかじり)バス停
小田急本厚木駅から、[厚20][厚21]宮が瀬行きバスにて40分、 1時間に1本程度の便があります。
 土日曜 6:55 7:50 8:40 9:40...
11番コースの御門橋バス停から坂尻バス停までは連絡区間になります。 歩くと40分くらいかかります。 途中に、天然記念物の社叢林のある八幡神社があります。
バス停のそばにコース入口付近の案内板があるので、参考にしましょう。
ここ、坂尻バス停は、「関東ふれあいの道」を利用される方の最寄りバス停です。 左図は、この付近の案内図です。参考にして下さい。 「丹沢山塊東辺のみち」と「北条武田合戦場のみち」は、半原越までは同じルートをたどります。 自然を大切に そして、楽しい一日を。
バス停を後にして、法論堂川に架かる坂本橋と雑司場橋を過ぎ、 左に小さな神社を見ながら進んで行くと分岐路にでます。
道標に従い、半原越・仏果山(法論堂林道)を示す左の道を行きます。
丹沢山塊東辺のみち
仏果山を最高所とするこの道は、山頂に立つと大山から塔ノ岳、丹沢山、主峰蛭ヶ岳を 経て姫次、焼山と丹沢主脈の連山を一望でき、東には、中津川、相模川を隔て遠く大東京の市街地も展望できる。 静かな山裾の部落では、土地の産業と古くから伝わる文化や伝統に、また山腹一帯では、 種類豊かな植物の生態にふれることができる。
沢沿いの道には、木好クラブ法論堂、ログハウス、丸太小屋などがあります。 丸太小屋の入口の所には、山からの冷たい清水が出ています。 お参りするといくらでもお金が出来るという河原釜山神の祠や、 コテージ、キャンプ、露天風呂などがあるリッチランドを左に見て、林道を直進します。 法論堂橋を過ぎ、谷川のせせらぎの音を聞きながら進んで行きます。
ゆるやかな登りの林道を蛇行しがら進みます。 谷川のせせらぎの音も遠退き、 振り返ると、後方に相模野、遠く高麗山、相模湾が見えてくると、 やがて半原越えに到着します。
半原越え
法論堂(おろんど)
昔、修験者(山伏・僧侶)たちがこの地で法(教え)を論じ合ったことから、 この名が起こったと伝えられています。現在「宿」と呼ばれている旧家がありますが、 恐らく修験者達が宿とした所からでしょう。煤ヶ谷の資料によれば、 「存円和尚、時々村舎に説法し村民をして輪回応報を聞知せして至法に遵わしむ。 今の法論堂村是れ也」とありますが、存円和尚とは仏果禅師のことです。
半原越
昭和の初期まで、煤ヶ谷は養蚕が盛んで、当時糸の町として栄えていた半原へ、 繭を背負ってこの峠を越えたことから、この名が付いたと思われます。現在は 法論堂林道として拡幅整備され、昔の峠径はみられません。
 (環境庁・神奈川県)
落武者とトウモロコシの話
昔、武田、北条両氏の合戦(三増合戦)の際に、北条方の落武者数名が、 命からがら山伝いに経ヶ岳の尾根にたどりついて、眼下を見下ろしたとき、 そこに数百本の槍を立てた敵が伏せていた。これを見た落武者たちは気力をなくし、 観念して持っていた経文を大きな石の下に埋め、無念の切腹をしたといわれています。 それ以来、この石を経石というそうです。落武者の見たという槍は、集落(法論堂村)民の 食糧である「トウモロコシ」でした。それから、この集落では、トウモロコシを 耕作しないと伝えられています。
半原越えからは、経ヶ岳へ向う17番コースもありますが、 この12番コースは、左側の仏果山への山道へと入っていきます。 これまでの歩きやすい林道と違い、アップダウンのある山道が続きます。 途中で、鹿よけの防護柵を何度か通ります。
展望所
丹沢山塊や大山の眺望を楽しめるとのことですが、 周りの木々が生長してしまったため、展望はあまりよくありません。
アップダウンの続く山道の途中で、所々展望の素晴しい場所があり、ベンチが置いてあります。 適度に休憩を取りながら登っていきましょう。 馬渡バス停への分岐や宮ヶ瀬越・高取山・宮ヶ瀬越への分岐を見送り、直進していきます。
山岳修験者のはなし
丹沢山塊のうち蛭ヶ岳・大山を中心とする一帯は、昔、山岳修験者の修法の霊場であったという。 ここより東方の八菅神社(愛川町八菅山)には、入峰者の名称・位・入峰回数などを 記録した古文書が残っている。 伝説では大宝3年(703年)に役の小角が八菅山に来たときから、この地を 起点に平山・塩川滝などを経て大山まで七宿三十か所をおよそ49日間かけ 加持祈祷を唱えながら修法を行っていたという。
煤ヶ谷(清川村)の人々は、修験者が行の途中、村に入るとすすんで接待を 申し出たり、「願い事がかなえられる」ということから、特に行中で 使用した草鞋などを所望したと伝えられている。 また、この修法は、明治維新の神仏分離令によって廃止された。
 (環境庁・神奈川県)
両側が鋭く谷へ落ちている狭い道が続きます。 夏場は草に覆われて隠れているのであまり感じませんが、 冬枯れの頃には遮るものもなく、風が吹くと谷へ落ちてしまいそうな気持ちになります。 岩場の道を進むようになって宮ヶ瀬の人造湖が眼下に見えてくると、 仏果山頂はもうすぐです。
仏果山頂
最後の急坂を登りきると目の前に展望台が現れ、仏果山の頂上に到着します。 仏果山の山頂は結構広く、これまでの狭い道から開放された気分になります。
仏果山のいわれ
この山は、室町時代のはじめ清川村煤ヶ谷にある正住寺(臨済宗鎌倉建長寺派)を 開山した天鑑存円上人(仏果禅師)が、座禅修行をした山といわれている。 天鑑存円上人が座禅をしたという座禅石は、いつの頃か煤ヶ谷側の仏果沢に 落下してしまった。こうした由来から、この山の名を「仏果山」と呼ぶように なったという。(現在この座禅石は下の採石場わきにある) また、この山は昔、煤ヶ谷の人々は南麓と呼び、半原越え(半原峠)から 仏果山周辺までを南山と呼んだ。津久井町長竹・韮尾根などでは半原富士と呼んでいた。
 (環境庁・神奈川県)
仏果山展望台
高さ13mの仏果山展望台からは、360度の大パノラマが広がります。 西に塔ノ岳・丹沢山・蛭ヶ岳・姫次・黍殻山、北に陣馬山が連なります。 東は東京、また眼下には芦ノ湖に匹敵する2億トンの水を湛える宮ヶ瀬湖が一望でき、 これまでの疲れが吹き飛び、喜びを体感できます。
仏果山頂からの降り道は、登りとは違って広めの歩きやすい道が続きます。 木々の間を渡ってくる谷風が、汗ばんだ体に心地よく感じられます。 町並みが見えてくる辺りから道幅が狭くなってきます。
山道を降り、どんどん高度を下げていくと、林道に出ます。 そこを右へ曲がるとすぐ目の前に半原への道標があり、 ホッとしたのも束の間で、再び山道になります。 山道を降るにつれて、町並みが近づいてきます。 やがて正面がひらけ、宮ヶ瀬へのバイパス道路に突き当たります。
左へ曲がって大きな木の脇を降りていくと、半原中央林道・宮沢林道の入口に着きます。 そこを右へ曲がり、水の少ない川沿いに、道標が示す半原へと降りていきます。 途中で、愛川ふれあいの村への分岐があります。 時間に余裕があれば立ち寄ってみましょう。 年間を通じ野外研修や宿泊施設の場として利用されています。
半原撚糸と沢よりや
江戸時代から続く伝統的な産業「半原撚糸」は、現在でも絹縫糸では 全国生産高の約8割を占めている。 今では近代的な設備に変わっているが、かつてこの撚糸業を発達させたのは、 文化4年(1807)今の桐生(群馬県)地方から入ってきた「八丁式撚糸機」である。 この沢沿いの人家では、ほとんどが沢に水車をかけ、その動力で撚糸機を回し糸を撚っていた。 半原では、こうした場所を「沢よりや」と呼び、ここには板橋沢、入の沢などの 地名が残っている。 町の郷土資料館(半原小学校内)には、古くから伝わる撚糸の工具などが保存されている。
 (環境庁・神奈川県)
国道246号の下の両向坂(両向新道)を過ぎた所に、ふるさと愛川「ホタルの里」があります。
環境庁指定「ふる里いきものの里」松葉沢ホタル生息地
松葉沢では、ゲンジボタルは6月上旬頃から、ヘイケボタルは6月下旬頃から発生する。
下草やコケなどに卵を産む(約1ヶ月間)
幼虫 幼虫は水中生活をおくる(約10ヶ月間)
幼虫は自分の体の大きさに合ったカワニナの肉をとかして食べる
さなぎ 土まゆを作りさなぎとなる(約1ヶ月間)
成虫 成虫となり飛び交う(1週間〜2週間)
半原の町に入っていくと、山からの清水が出ている所があります。 冷たい水で、疲れた体を癒しましょう。
撚糸組合前(ねんしくみあいまえ)バス停
町中の道を降っていくと、やがてバス通りに突き当たります。 そこを右へ曲がると、撚糸組合前バス停はすぐそこです。
小田急本厚木駅まで、厚木バスセンター行きバスにて40分、1時間に2本程度の便があります。 バスの到着まで時間がある場合は、前にある神社の木陰で待ちましょう。