三浦・岩礁のみち
散策:2002年08月下旬
【関東ふれあいの道】 三浦・岩礁のみち (神奈川県1番コース)
概 要 三浦半島の先端部の海岸を歩くコースで、浦賀水道や房総半島の山並みを眺め、 磯遊びを楽しみながらのハイキングができるコースです。
起 点 三浦市 松輪バス停
終 点 三浦市 宮川町バス停
ルート 松輪バス停…大浦海岸…間口漁港…剱崎…江奈湾…白浜毘沙門天…毘沙門児童公園…盗人狩…宮川湾…宮川町バス停
所要時間 4時間30分
歩いて... 一部に車道もありますが、全体的には磯浜を歩く爽やかなコースです。 岩礁で足元が不安定になりがちなので、しっかりとした靴を履き、急がず着実に歩きましょう。 高波の時には無理をせず、迂回コースを選びましょう。
関連メモ 三浦七福神, 剱崎
コース紹介
松輪(まつわ)バス停
三浦海岸駅(京浜急行久里浜線)から、[海34]剱崎行きバス,または,[海35]三崎東岡行きバスにて15分、 1時間に2本程度の便があります。
このコースは久里浜のフェリー乗り場が起点ですが、松輪バス停までは連絡区間になっています。 途中、三浦海岸に首都圏自然歩道三浦インフォメーションセンターがあります。 三浦海岸駅から海に向かって歩いて400mくらいの所です。 関東ふれあいの道のパンフレットをもらって、全体の概要を知っておくのもいいかも知れません。
松輪バス停から80mほど戻ると案内板があるので、コースの確認をしておきましょう。
三浦・岩礁のみち
このみちは県下17コースの一つで、三浦市松輪バス停から大浦海岸に出て 海岸づたいに宮川湾まで、海とのふれあいを十分に楽しむことができます。 そこから市道を通り宮川町バス停までの全長11.0kmのみちのりです。 見どころは、間口漁港、江奈湾、毘沙門湾、剱埼、白浜毘沙門天、盗人狩などです。 なお、磯や岩礁帯においては足下に十分注意し、高波時や満潮時は歩けないところも ありますので無理はしないでください。貴重な自然を大切にしましょう。
 (環境省・神奈川県)
松輪バス停から大浦海岸へ、畑の中の道を緩やかに降っていきます。 浦賀水道を挟んで房総半島がすぐ近くに見えます。 かなり広い範囲が見渡せるので、眺めを楽しみながら進んでいきます。 夏はスイカ、冬は大根と、四季折々の農作物が見られるとのことですが、 収穫直後だったのか、畑には何もありませんでした。 ただ黒々とした栄養豊かな土が整地されていて、 次の生産までのつかの間の休息をしているようでした。 しばらく行くと、民宿や仕立舟の看板がある分岐にでます。 そこを右へ進んでいきます。
畑地が終わって、両側に木々を見ながら降っていくと、やがて民宿街に着きます。 最初の分岐の所に大浦海岸への道標があります。 そこを左に曲がって、狭い道を海に向かって降っていきます。 分岐を直進して民宿街をそのまま進んでいくと、海岸を通らずに間口漁港へ着きます。 波が高い時の迂回路として利用しましょう。
ルート変更
大浦海岸から海沿いを通って間口漁港へ行くルートは、 潮位が高く落石の危険も多い状況が続いているため2005年4月に廃止され、 民宿街をそのまま進んでいく道が正式ルートになりました。
大浦海岸
狭い道を進んでいくと、やがて視界が開けて大浦海岸に到着します。 左手には狭いながらも砂浜が広がっており、海水浴を楽しんでいる人も見かけます。
注意
1.此の附近の海(漁業権区域内)で貝類(あわび、さざえ)等や海草を取らないで下さい。
2.水中銃・アクアラング等を使用して魚貝藻を取ってはいけません。
3.薬品類を用いて餌虫(いそめ、ごかい)等を取ってはいけません。
4.違反者は法令に依り処罰されます。
 (三崎警察署 みうら漁協松輪支所)
間口漁港へは、海岸右手を磯づたいに進んでいきます。 海が迫っている所が多く、道がどこなのかはっきりしない箇所もあります。 東京湾の入り口ですが、思いのほか水はきれいです。 この位なら、水遊びをしようという気分にもなれます。
えぇっ、道はどのなの? 波で侵食されて少し平たくなっている所が道なのだと信じて進んでいきます。 両手で岩にしっかり捕まりながら進みます。 荷物を手に持ったり肩にかけたりせず背中に背負い、 両手を常に空けておくことが大切です。
間口漁港
磯づたいに進んで行くと、やがて間口漁港に着きます。 小さな湾にあるひっそりとした漁港です。 民宿街を直進してきた道と合流した所を左へ曲がり、 漁港を左廻りにぐるっと歩いていきます。
しばらく行くと、漁港を取り巻いている道が行き止まりになっています。 あれぇと思って付近を見渡すと、左手の海の方に道標が立っていて、 剱崎への海沿いの道を示しています。 小さな湾を過ぎていくと、間口漁港の入り口の小さな灯台があります。 小さな灯台を過ぎると、やがて、断崖の上に剱崎の灯台が見えてきます。 崖の下に、灯台へ続く道が分かれているので、その道を進んでいきます。
ゆるい坂道を登りきった所を左へ曲がります。 ここには道標がありませんが、石畳のしっかりした道が続いています。 その道を少し進んでいくと、やがて剱崎の灯台に到着します。
剱埼灯台
〜東京湾の入り口にある灯台〜
この灯台は、慶応2年(1866)の江戸条約に基づき、明治政府が明治4年(1871)に 設置したもので、三浦半島の南東端に位置し、対岸の房総半島にある洲埼灯台と対で 東京湾の入り口を表しています。 晴れた日は灯台から、房総半島の館山から伊豆大島、新島さらに伊豆半島までを展望できます。 剱埼の名称は、萬治(1660)の頃、徳川幕府の灯台管財を積んだ船が岬の沖で 難破した時、岬の突端から海南神社の神主が剣を海に投じ、 竜神の怒りを鎮めたことから生じたといわれています。
 (海上保安庁)
位置北緯35度08分29秒 東経139度40分38秒
光り方30秒毎に白光を2閃光と緑光を1閃光(複合群白緑互光)
光の強さ48万カンデラ
光の届く距離17.5海里(約32キロメートル)
高さ地上から灯台頂部:17メートル 水面から灯火:約41メートル
管理事務所第三管区会場保安本部 横須賀航路標識事務所
灯台の裏手からは、浦賀水道や房総半島の山並みが見渡せ、 眼下には、今歩いてきた間口漁港からの道が見えます。
剱崎
剱崎の名のおこりは、徳川時代の菓治年間であるといわれています。 幕府の官材を積んだ船が、この沖で暴風のため難破し、 木材もろとも沈没してしまい、そこで海南神社の神主が海に剣を投じて 祈るとすぐに風波が静まり、木材が浮かび出て、それをくり船で磯に 運んだといいます。また、灯台は明治4年に完成し点灯しましたが、 震災で破損したのち大正15年に再建されたのもです。
矢の根井戸
剱崎から少し奥に入った所に矢の根井戸があります。
源為義の第8子、源為朝は幼少より傍名無人で、 13歳のとき、父為義により九州へ追放されたほどですが、 その九州でも武威を大いに発揮、土地の豪族を征服して、 みずから鎮西八郎為朝と称して勢力を振るいました。 しかし、その為朝も「保元の乱」では、藤原頼長の 判断力の欠如から作戦の策を用いられず、これがもとで敗退、 ついに平清盛の武将平家貞の捕えるところとなりました。 ただし、その武勇を惜しむ声により、死一等を減じられて 伊豆大島に流罪となりました。 きのうの威とはうって変わったきょうの悲運、為朝は 流人の島から「わが弓勢昔に変らずや」と、鎌倉に向かって 矢を放ち、せめてものうさ晴らしをしたと伝えられていますが、 その矢が誤ってここに落ち、その矢の立ったこの地点から 泉がこんこんと湧きでて井戸となったので、矢の根井戸と 呼ばれるようになったと伝えられています。
 (三浦市)
剱崎に戻って、右手の磯づたいに、波で削られて岩ごろごろの道を進んでいきます。 やがて、小さな入江に着きます。 入江を進んでいくとT字路に突き当たるので、そこを左へ曲がっていきます。
波打ち際では、結構きれいな海を体感できます。 岩畳を進んでいくと、やがて江奈湾が見えてきます。
江奈湾
防波堤の端を過ぎていくと江奈湾を巡る道にでます。 そこを右へ曲がると、ほどなくして車道に出ます。 車道を左へ曲がって、湾を左手に見ながら進んでいきます。 江奈湾には漁船がかなり停泊していましたが、 岸壁ではなく湾の中にじっとしていました。 何をしているのでしょうか?
江奈湾の干潟
江奈湾の奥には、干潟が広がっています。
「干潟」とはもともと遠浅の浜のことで、ひき潮のときに、 海底が広くあらわれるところをいいます。 この干潟では、四季を通じていろいろな生物を見ることができます。 中でもカニ類が多く、アシ原にはアカテガニやアシハラガニ、 泥場にコメツキガニ、みおすじの砂泥や転石の下にケフサイソガニなどが 生活しています。またどろの中には、テッポウエビ、スナモグリ、オキシジミガイ、 アサリなどもいます。水鳥も多く、キアシシギ、ハマシギ、コチドリ、コサギなどを 見ることができます。湾の中央には、細長い緑色の紙ひものような植物(アマモ群落)が 水面をおおい、この中に、ボラ、ウミタナゴ、サビハゼなどの幼魚が生活しています。 冬は、ユリカモメ、ウミネコ、セグロカモメが飛びかい、沖の岩礁ではウミウも 休息しています。
 (環境省・神奈川県)
干潟を後にして車道を更に進んで行くと、左へカーブしていく所があります。 そのまま平坦に続いているのは毘沙門トンネルを通って毘沙門湾へ行く道ですが、 本コースでは、右側の坂を登っていく道を進みます。 ここには道標がないので注意しましょう。 坂を200m位登っていくと、畑の中を左へと曲がる道があります。 そこを道標に従って、白浜毘沙門天を目指して進んでいきます。
白浜毘沙門天
Y字路を右へ降っていくと、やがて左手に白浜毘沙門天があります。
白浜毘沙門天は、三浦七福神の一つです。ここは持陽山慈雲寺毘沙門堂と称し、 本寺は応安元年(1368)妙謙和尚によって開かれたもので、毘沙門天は 行基の作と伝えられています。 この毘沙門天は、海中出現の像といわれ、古来から漁業者の信仰が厚く、 ことに古来より正月三日酉の刻(午後6時)には必ずありがたい神示が あると信じられ、近郷近在から多数の参詣、参籠があり、智恵と勇武の守り神として あがめられております。特に北方を守る武神とされ、厄除け、 恵方(その年の「えと」にもとづいて良いときめた吉祥の方角)の神とされています。 三浦七福神とは、あと、金光恵比寿(円福寺)・鶴園福禄寿(妙音寺)・ 筌龍弁才天(海南神社)・桃林布袋尊(見桃寺)・長安寿老人(白髭神社)・ 寿福大黒天(延寿寺)です。
 (環境省・神奈川県)
白浜毘沙門天を後にして、海への道を降っていきます。 海に出たら、右へ進んでいきます。
江奈湾・毘沙門海岸自然観察地域
江奈湾から毘沙門海岸一帯の海岸線は、動植物相並びに岩礁地帯の 地層・地形、そして干潟というように、極めて多種多様な自然環境が残されています。
【海浜植物】 毘沙門海岸は三浦でも代表的な磯で、岩礁から砂浜、草地、岩はだをむきだした海蝕崖と 続きます。 磯は、風あたりが強く、水分が少なく、岩場や崖は崩れやすい環境となっています。 ここでは、約40種類の海浜植物が見られます。 植物は岩のわれめにそって根をのばし、背は低く、葉が厚めなのが特徴です。
【海岸動物】 岩礁地帯の潮間帯(満潮線と干潮線の間)では、 岩棚の上や下、岩の割れ目、潮だまりなどで、 多くの魚介類を観察することができます。
 (三浦市教育委員会)
神奈川県指定史跡 毘沙門洞窟弥生時代住居址群
これらの海蝕洞窟は、弥生時代から平安時代まで、 住居・墳墓として利用されたものです。この洞窟からは、 おもに弥生時代の銛などの漁撈用具、アワビ貝で作った貝包丁などの 農耕用具、腕輪やかざり棒などの装身具類が出土しています。 当時の人たちがこれらの漁撈用具などを使用し、取った貝や魚、また 獣類の骨も多量にあって、出土遺物は種類・数量ともに 豊富で、当時の生活を知るうえで貴重な遺跡です。 さらに、鹿の骨を焼いて吉凶を占った「ト骨」が わが国ではじめて出土した遺跡としても有名です。 なお、弥生時代から平安時代にかけて、とくに平安時代には 墓地として使われたようで、埋葬された人骨も発見されています。
 (神奈川県教育委員会)
岩棚を更に進んでいくと、やがて毘沙門湾が見えてきます。 湾に出て少し進むと、先ほどの左カーブの所から毘沙門トンネルを通ってきた車道に出ます。
毘沙門児童公園
車道に沿ってしばらく進むと、道の右手に毘沙門児童公園があります。 小さな公園ですが、側には毘沙門茶屋もあり、 毘沙門湾を眺めながら休憩するのにはいい所です。
毘沙門湾に沿って車道を進んでいくと左へ分かれる道があります。 そこへ入っていき、車止めのバーの横を通って進みます。
再び、磯づたいの道が続き、やがて盗人狩に到着します。
盗人狩
「盗人狩」とは、昔、盗賊が追われて、この山の端まで来て、 下を見ると、恐ろしい断崖(高さ約30メートル)と怒涛の逆巻きに、 ぞくぞくと身震いがして足がすくんで動けなくなり、たやすく捕まったといいます。 そこで「ぬすっとがり」の名が残っています。 ここの海岸は、岩礁で断崖が多く、足元の黒い岩には外海の大波が打ち寄せ、 白いしぶきをあげています。この波のうねりは大蛇の胴のように、うねうねと 寄せては砕かれ、その都度崖に荒々しい音をたてています。今日では、 潮の香が満ちあふれるハイキングコースとして岩礁から岩礁へ橋もかけられ、 凪ぎた日は釣人の姿もみられます。
※落石や足元に十分注意して歩きましょう。
 (環境省・神奈川県)
盗人狩から、更に岩畳の道を進んでいきます。 ヨットハーバーまで来ると、宮川湾はもうすぐです。
宮川湾
防波堤の端を過ぎていくと宮川湾を巡る道にでます。
湾の向こうには城ヶ島が見えます。 宮川湾から300mくらい坂を登っていくと県道にでます。 そこを左へ曲がると、宮川町バス停はすぐそこです。
宮川町(みやがわちょう)バス停
三崎東岡バス停まで、三崎東岡行きバスにて10分、1時間に1本程度の便しかありません。
三崎東岡バス停でバスを乗り継ぎます。 京浜急行三崎口駅まで、バスにて15分、1時間に4本程度の便があります。 休日などで道路が渋滞していると、15分以上かかります。 バスの時刻との兼ね合いもありますが、宮川町バス停から 逆方向に京浜急行三浦海岸駅まで行くことも考えてみましょう。