順礼峠のみち
散策:2002年08月上旬
【関東ふれあいの道】 順礼峠のみち (神奈川県11番コース)
概 要 大山山麓の丘陵地帯の中を歩き、展望や森林浴を楽しみながら、古道の峠を訪ねるコースです。
起 点 伊勢原市 日向薬師バス停
終 点 清川村 御門橋バス停
ルート 日向薬師バス停…日向薬師…展望台…七沢神社…順礼峠…物見峠…むじな坂峠…白山・御門橋分岐…白山神社…白山・御門橋分岐…御門橋バス停
所要時間 5時間30分
歩いて... 日向薬師から七沢までの林道は木陰が続く快適な散策路です。 順礼峠から白山神社までは山道となり、小刻みな登り降りが続きます。 一部に木階段やクサリ場などもあり、ちょっとした尾根歩きが楽しめます。
関連メモ 鐘ヶ嶽, 梅の木尾根, 白山, 狢坂峠, 白山, 日向山, 白山, 白山
コース紹介
日向薬師(ひなたやくし)バス停
小田急伊勢原駅北口から、[伊20][伊22]日向薬師行きバスにて23分、 1時間に2本から3本程度の便があります。
この地点は、県内17コースのうち「順礼峠のみち」・ 「大山参り蓑毛のみち」ならびに「太田道灌・日向薬師のみち」の分岐点です。 みどころは、白山・順礼峠・日向薬師・日向渓谷・二重の滝・ 阿夫利神社・太田道灌の墓・三之宮比々多神社など各コースとも他にいろいろあります。 この11番コースは、伊勢原市日向から 厚木市七沢を経て清川村御門までの徒歩距離8.8kmの道で、 日向薬師、順礼峠、むじな坂峠が見所です。 なおコース途中より白山、飯山観音、飯山温泉へ抜けることができます。
日向薬師入口
日向薬師バス停からほんの少し戻った所に、日向薬師への入口があり、 そこからまっすぐに坂道を行くと、正面に「衣裳場」と呼ばれる階段が見えてきます。
衣裳場
頼朝公が日向薬師参詣の時、ここにおいて旅装を脱ぎ白装束に衣裳を着替えたところから 「衣裳場」といわれ、現在ではなまって「いしば」と呼ばれています。 鎌倉時代、征夷大将軍の源頼朝は、娘が建久5年(1194)7月29日から危篤状態におちいり、 八方手を尽くしたが、遂にその効があらわれないので、相模国では霊場として並びないほど 信仰をあつめていた日向薬師に参詣し、病気全快を祈るため、建久5年8月8日の明け方・ 寅の刻(午前4時頃)に鎌倉武士を従えて、日かげ道(大山道)を通り神明橋を渡って、 熊野・白髭の両社の間の道からここに到着しました。 日向薬師参詣は、先陣の随兵として14名、中陣の随兵として22名、後陣の随兵として14名の 諸将たちを従えての行列は日向全山を圧し、まさに壮観の極みであったと伝えられています。
 (環境庁・神奈川県)
神奈川県指定天然記念物 日向薬師の寺林
日向薬師の境内には、スダジイ、モミ、ウラジロガシ、イロハモミジ、タブノキ、 ケヤキなど自然植生の構成種とスギの植栽樹種が高木として多数生育しており、 イノデ・タブ郡集、ホソバカナワラビ・スダジイ群集にまとめられ、肥沃な立地に 発達する林相を示している。 また、ホソバカナワラビ・スダジイ群集は真鶴、湯河原より飛地分布しており、 学術的に極めて貴重な林である。 この寺林は参道脇に発達したスダジイ林と薬師堂裏手のウラジドガシ・モミ林の中に ケヤキ、タブノキ、モミの高木が生育しており、各種植生単位が立地条件の差異に応じてみられる。 自然植生に挟まれた参道は景観的にも優れており、幽玄な寺林特有の厳かさを保っている。
 (神奈川県教育委員会、伊勢原市教育委員会)
重要文化財 金剛力士像
金剛力士は仁王ともいわれ、寺の表門にいて寺の境内を守るとされる。 一体は口を開いて左に金剛杵をとり、一体は口を閉じて右手を開いた形に 現れている。阿・吽二形像である。像高は阿形3.5メートル、吽形像は3.4メートルある。 天保初年の火災により仁王門とともに焼失した後、天保4年(1833)に造像されたと 思われるのがこの像である。作者は鎌倉扇谷の後藤慶明で、明治20年代に子の後藤慶広と その長男運久により彩色が施された。
日向薬師
山門(仁王門)を抜け、うっそうと茂る老樹・杉木立の参道を登りつめると、 日本三大薬師の一つ、日向薬師に着きます。 この地は日向山霊山寺といいますが、阿夫利山(大山)の東側山麓にあって東の方、 日光をさえぎるものがなく日向と呼ばれるので、俗に日向薬師といわれています。
日向薬師 高野山真言宗
日向薬師は、日向山霊山寺と称し、霊亀2年(716)行基菩薩によって開かれた。 行基が熊野を旅していたときに、薬師如来のお告げを受けて、この地に霊山寺を建立したと伝えられている。 薬師信仰は、奈良時代に盛んになり、全国に広まった。薬師如来は、 東方瑠璃山に在って、現世の利益を願う尊である。 行基は薬師如来を深く信仰し、その教えに従い、各地に農業用水池・橋・道路をつくった。 また、旅人の苦難を救うための布施屋(無料休泊所)を設置した。一方、病者の救済には 献身的であった。このように社会活動に尽くしたため、人々から仏の生まれ代わりと称えられた。 宝殿内には、国指定文化財24を有している。本尊の薬師三尊像は一本造りのなた彫りで、 平安前期(782〜897)の作で、なた彫り像の代表といわれている。その他、前立薬師三尊像・ 阿弥陀如来像・四天王像は鎌倉期(1185〜1333)、十二神将像は鎌倉後期(1330)または 南北朝期(1340)頃の作といわれている。これらの尊は仏像彫刻の代表であると賞賛されている。 寺は、かつて勅願寺とされたが、民衆の篤い信仰をうけて、今日まで法燈が受けつがれてきた。 日向薬師は、周囲の自然との調和の中で、人々の心の安らぎ・和やかさ・健康保持等の、 加護を願う尊として、益々信仰を厚くしている。
国指定重要文化財 宝城坊本堂
宝城坊は旧霊山寺の別当坊で、この本堂は霊山寺の本堂を引き継いだものである。 霊山寺は、霊亀2年(716)の創建と伝えられる真言宗の古刹で、「吾妻鏡」の 建久5年(1194)源頼朝参詣の記事には「是行基菩薩建立、薬師如来霊場也」とあり、 早くから崇敬を集めてきた様子が窺える。 南北朝時代の暦応3年(1340)の銅鐘銘によると、この時に十二神将を勧請していること、 また、康暦2年(1380)には遠江国・三河国二カ国の棟別をもって修造すべき綸旨が 下されているので、この頃に本格的な本堂の造営があったと考えられる。 その後、江戸時代には万治3年(1660)に幕府から丹沢の立木百本の寄進を得て 修造が行われており、現本堂はこの時の再建と考えられている。柱や繋梁などの 一部には前の本堂の古材が再利用されている。 本堂は寄棟造、茅葺の七間堂で南面している。内部は前方二間を土間床の外陣、 後方三間を板敷の内陣で、内外陣境の中央五間は中敷居に引違格子戸を構えている。 天井は内外陣とも側廻りの一間通りを化粧屋根裏、内側は竿縁天井となっている。 この本堂は、数次にわたる改変を経て現在の姿となったもので、簡素ながら古材を 再利用して中世的は趣を伝える広大な内陣と、近世的な華やかな外陣の架構に 見るべきものがあり貴重である。
 (伊勢原市教育委員会)
宝殿横にある休憩所を通って行くと、舗装された薬師林道に出ます。 ここを右へ曲がり、林道を進んでいきます。
クマに御注意!!
丹沢にはツキノワグマが生息しています。
クマに会わないために・・・
 ・笛、鈴などを鳴らし、人の存在を知らせましょう!
  (単独山行き、霧の濃いとき、沢沿いなどでは特に注意)
 ・朝夕など、薄暗い時間帯の行動はさけましょう。
 ・野山に残飯を捨てるのは厳禁です!!   キャンプで出た生ゴミなどは必ず持ち帰りましょう。
 ・クマの足跡や糞など新しい痕跡を見つけたら引き返しましょう。
  (ほどんどのクマは、越冬しますが、まれに冬でも動き回る個体います)
クマに出会ってしまったら・・・
距離がある場合
 ・クマを興奮させないために、あわてず、さわがず、ゆっくり立ち去りましょう。
  クマがこちらに気づいた場合、ゆっくり話しかけるなど、こちらの存在を知らせましょう。
  ほとんどの場合、クマのほうから逃げてくれます。
出会い頭で逃げられない場合
  抵抗せず、すばやくうづくまって頭などを守りましょう。
ツキノワグマは、植物中心の雑食性です。人を故意に襲うことはありません。
薬師林道
林道を樹木が覆って緑のトンネルになっています。 歩きやすい道をゆっくりと降っていきます。 歩いていると前をサルが歩いていました。 この辺りには野生ザルが出没するそうで、目を合わせると危険とのことです。
展望台
林道をどんどん進んで行くと、やがて白い展望台が見えてきます。 展望台へ登って眺めを堪能しましょう。
日向水源の森林
この森林は、1997(平成9年)に伊勢原市在住の守屋之康、君子の両氏から 水源の森林ふくり事業に役立てることで、県に寄贈された6.48haの森林です。 森林に降った雨は、土の中へ浸透し、時間をかけてゆっくりと川に流れ出します。 豊かな水をはぐくむには、豊かな森林が必要です。 県では、この森林を100年生以上の巨木林や、複層林、混交林などの豊かな森林に 水源の森林づくり事業で整備しています。 水源の森林づくりは、県民の皆様と一緒に進めてまいります。皆様のご理解と ご享禄、そしてご参加をお願いいたします。
 (神奈川県湘南地区農政事務所 農政部森林保全課)
 (神奈川県農政部 水源の森林推進室)
林道を更に進んでいくと、やがて人家が見えてきます。 前にはひのき露天風呂「福松」の看板があります。 人家の前を道標に従って右へ曲がり、萩原林道へと入っていきます。
萩原林道
谷川のせせらぎの音を聞きながら、谷間の林道を降っていきます。 森林研究所の試験林を過ぎ、椎茸を栽培している杉林を過ぎていきます。 大竹沢に架かる虫久保橋が見えてくると林道も終わり、七沢の街に着きます。
七沢神社
虫久保橋から少し行くとT字路に出ます。 そこを左へ曲がって無名橋を渡ると、人家が増えてきます。 動物メモリアルパークを過ぎて街の中の道をしばらく行くと、 左手に保護指定樹木のケヤキが見えてきて、七沢神社に着きます。 本殿の裏手には、御倉殿や遷徒奉祝碑があります。
七沢神社を後にして更に進んでいくと、ほどなくして五叉路に出ます。 そこの一番左の道を進んでいきます。 やがて、七沢病院の入口を示す看板が見えてきます。 コースからは外れますがそこへと入っていき、七沢城址を訪れます。 現在では七沢病院の玄関前に石碑を残すのみですが、 当時は、東西100メートル、南北80メートルの城壁があったと伝えられ、 今でも付近の地名や地形から昔を偲ぶことができます。
七沢城址
七沢城は、室町時代戦乱の激しくなった頃、 自然の山を利用して築かれた山城の一つですが、創設は明らかではありません。 室町時代の中頃宝徳2年(1450)鎌倉公方足利成氏とその執事上杉憲忠との 争いが起こった時、憲忠がこの城にたてこもった記録がありますが、 七沢城が文献に表れた最初の記録と言われています。 その後上杉定正の城となり、その兄朝昌が城を守りました。その後も 定正の次子朝寧が城を守りましたが、戦国時代の末期永禄5年(1562) 小田原北条氏がこの地方を攻撃し、落城してしまいました。それ以来 七沢城は荒廃し山林と化し、さらに畑地となったのは寛文年間のことと 伝えられています。このようなことからこの土地には、 七沢城にまつわる伝説や地名が数多く残っています。
 (厚木らしさの創造推進事業玉川地区協議会)
七沢城址から引き返して元の道に戻り、更に進んでいくと、右手に盛楽苑が見えてきます。 盛楽苑の手前を道標に従って右へと進みます。
ちょっとした坂道を登って降ると、七沢川に架かる川久保橋があります。 その橋を渡り、右へ曲がって進みます。
すぐに広い道に突き当たります。 その右前方に入っていく道があるので、その道を進みます。 50メートルほど行くと順礼峠を示す道標があるので、そこを右へ曲がっていきます。 しばらく進みT字路を左へ曲がると、また順礼峠を示す道標があるので、 道標に従って右へと降っていく道を進みます。
上谷戸沢に架かる坂下橋を過ぎると、やがて順礼峠への登り口に到着します。 道標に従い、右の道へと進みます。
野生ザルに対する心得(野猿と人間のかかわり方)
農作物への被害防止のため、次の事項を守ってください。
 1.食べ物をあたえないで下さい
 2.見つめないで下さい
 3.近づかないで下さい
 4.食べ物を見せないで下さい
高松山・白山・白山順礼峠・鐘ヶ嶽・鷲尾・日向薬師ハイキングコースには 猿が出没しますので注意してください。
 (厚木市農業共同組合 県央地区野猿対策連絡会)
順礼峠
鹿よけ防護柵を通って広いゆるやかな山道を登って行きます。 よく踏まれていて歩きやすい道が続き、やがて順礼峠に到着します。 大きな地蔵が訪れる人を迎えてくれます。 この付近は七沢森林公園の一部にもなっています。
ここ順礼峠は坂東三十三ヶ所順礼の五番飯泉(小田原・勝福寺)から 六番飯山(厚木・長谷寺=飯山観音)に向かう順礼道で、 順礼者の多くが七沢から上古沢へ越えた峠であったといわれています。
 (環境庁・神奈川県)
順礼峠地蔵
昔、順礼の老人と娘がこの峠を通りかかったとき、松の木に潜んでいた悪者に 斬殺されてしまいました。翌朝無残な姿を発見した村民は哀れな順礼のために、 地蔵尊を建立し供養したといいます。 古くは、巡礼者(坂東三十三ヶ所順礼)が通る順礼道と、飯山観音裏山の白山から 尾根伝いに通じる道が交わるこの峠は、休憩的な意味で建立されたといわれています。 塔身(角柱部分)は、享保8年(1737)作。戦国時代、順礼峠の南西2キロメートルの ところにあった七沢城を北条氏が攻めた時、北条の隠密が順礼姿でここから七沢城内の 様子をうかがったといわれています。
地蔵の左手の尾根道を登っていきます。 登りきるとしばらくは平坦な道が続きますが、 やがて小刻みに降り降りを繰り返す道になります。 途中で見晴らしのいい所が何ヵ所かあり、ベンチがおいてあります。 適度に休憩をとりながら登っていきましょう。
やがてクサリ場が表れますが、クサリが必要なほどの急坂ではありません。 そこを登りきると急に視界が開け、物見峠に着きます。
物見峠
物見峠からは、上古沢への道が分かれています。
物見峠は、背面が樹木で遮られていますが、 東側は開けていて、180度の展望が得られます。 展望を十分に堪能したら、むじな坂峠へ向けて進みます。 鞍部を過ぎて坂を登ると、やがてむじな坂峠です。
むじな坂峠
周りの樹木が育ってしまい、峠からの眺めは余りよくありません。
むじなとは、獣の狢(むじな)のことではなく、この付近の 六つの地名つまり「ムツナ」がムジナになったと言われ、 昔、清川村と厚木とを結ぶ人馬の交通路として重要な役割をもった山道でした。 六つの地名とは、
 ・入江に垂るる山吹の花(細入江)
 ・きょう塚告ぐるそばの鶯(京塚)
 ・ばんばあ山の夕つくる(月待山)一名、ばんばあ山
 ・白山おろす大吹雪(白山橋)
 ・花立つる場の遠ながめ(花立て場)
 ・長さか深き夏木立(長坂)
今は、峠から白山橋までの道は荒れはて、昔の面影はありません。
白山・御門橋分岐
むじな坂峠を後にして、更に進んでいきます。 またクサリ場が表れますが、ここもクサリが必要なほどの急坂ではありません。 クサリ場を登りきって進んでいくと、白山・御門橋分岐に着きます。 ふれあいの道は、左の御門橋へと降っていきますが、直進して白山を目指します。 道が登りになり、やがて尾根にでます。
尾根にでると、右手すぐの所に白山展望台があります。 展望台から眺める景色は、大山・丹沢山塊はもちろんのこと、 快晴時には相模湾・江ノ島・大島・東京の副都心新宿の高層ビルなどが見えて、 標高280メートル余りの山とは思えないすばらしい眺めです。 また、この辺りは飯山白山森林公園になっており、 麓と山頂を結ぶハイキングコースが巡っています。
展望台からのすばらしい眺めを堪能したら、左へ続く尾根道を進んで行きます。
白山神社
長谷寺への分岐を直進していくと、白山神社へ到着します。
白山神社
白山神社は、厚木市飯山筧ヶ沢の頂上に位置し、眺望佳絶な所で あります。坂東六番飯山観音より登ると約五町(550m)程の所です。 下って江戸時代の明和8年(1771)別当龍蔵院隆光は、境内に ある大松(四丈)の根元より、古瓶2個、鏡3個を発掘しました。 これ龍蔵神社宝物として、今尚神社に保存してあります。亭和年間 (1801)別当隆光は、山上に於いて、修行中に霊夢によって、 同山に秋葉権現と蔵王権現を勧請し、諸難、火難消除の守護 とすれば疑なしと云々近郷、近在の住民、信仰者の力をもって、 白山神社建立を企して、文化元年(1804)再建を見ました。 社殿は、明治初年頃、不時の火災にあい烏有に帰りましたが、 御本殿は、現在龍蔵神社社務所の護摩堂を仮殿として、鎮座して居ります。 山上には只昔を偲ぶ霊地のみが、松風の音も淋しく残っていましたが、 いつまでもこのままにして置くことは忍びがたいと、昭和53年春から、 この神社再建の話しが進み、ここに飯山龍蔵 神社関係者を始め氏子及び一般崇敬者の方々の心温まる御浄財による 御寄付を仰ぎ昭和55年11月1日再建したものであります。
白山神社には昔より雨乞に霊験著しい池があります。 この池は、如何なる旱魃の時でも、池の水が涸れることがなく、 それ故、人はこれを霊地と唱え、ここに古い石像、石碑が残存しています。 往古行基大士此の池に来て、当山の絶頂に登り、この池を見ました時、 霊水の湧き出る清浄な霊地であることを発見して、この山を 霊地と定め、楠木をもって霊御形を彫刻し、加賀国白山妙理大権現 (石川県石川郡に鎮座)を勧請したとあります。
一旦、白山・御門橋分岐まで戻り、そこから御門橋へと降っていきます。 植林された山肌の狭い山道をどんどん高度を下げていくとやがて畑地に出ます。 そこを道標に従って左へ曲がっていきます。 曲がってすぐの所の墓石の左に、降っていく細い道があります。 その道を進むとすぐに小さな橋があり、道標に従って右へ曲がります。
御門橋(みかどばし)バス停
舗装道路に出たら右へ曲がり、道なりに少し進んでいくと、やがてバス道路にでます。 道路を渡ると御門橋バス停です。
小田急本厚木駅まで、本厚木行きバスにて30分、1時間に1本程度の便があります。