毘古コラム(1)
毘古コラム (散策していて興味を引かれた事などを綴っています)
森の座布団
散策していて見かけました。
山頂からの下り坂にある階段の留め木です。
欝蒼とした森の中にあって湿度が高いのでしょうか。
切り口には苔がびっしりと生えて、ふわふわとした座布団のようでした。
傷付いた所が自然の力で回復していくようにも思えます。
切ったままの状態よりも、何だか雰囲気があったります。
端午の小鳥
江ノ電の駅を出たところで見つけました。
車止めパイプの上に小鳥が何羽も並んでいました。
着ている服も季節毎に衣替えをしてもらっているようです。
夏は涼しげな水色、秋は???、冬は暖かそうな橙色、そして春は瑞々しい緑色。
この時は端午の節句が近いとあって、折り紙の兜をかぶせてもらっていました。
同じ車止めでも、何だか素直な気持ちになれそうです。
端午の金太郎
金時山への登山道で見かけた金太郎です。
山頂を間近にした急登にある道標の上に立っていました。
端午の節句が近いとあって、小さな鯉のぼりも立ててありました。
金時山は金太郎のふるさとなんですね。
「もうひと頑張り!」とハイカー達を励ましているようでした。
私も金太郎に少し元気を分けてもらって、頂上まで登っていきました。
森の藤棚
瀬谷市民の森を散策していて見かけました。
幼稚園の入口で、もう藤の花が咲いていました。
今年になって初めて見る藤の花です。
黄緑色の若葉と、垂れ下がった薄紫色の花房が綺麗でした。
そばにある木にも桃色の花が咲いていました。
季節はもう春真っ盛りです。
若葉と花房の色合いが何とも良くて、しばらく見上げて観賞していました。
山寺の転法輪
箱根の阿弥陀寺で見かけました。
本堂の入口にある百万遍念仏の数珠車で「転法輪」というのだそうです。
一日百遍とか千遍とか決めて念仏を唱える日課念仏の教えを受けて、
数珠車に名前を刻み、それを毎日住職に廻してもらえば、
毎日百万遍の念仏を唱えたことになるとの考えで造られた数珠とのことです。
自分の名前は書いてはありませんが、功徳が得られるかも知れないと思い、
数珠をちょっと引っ張って廻してみたりしました。
谷戸の春
追分市民の森で見かけました。
この市民の森では季節毎に色々な花が咲き乱れています。
毎年春になると、浅い谷戸全体が菜の花でいっぱいになります。
花の甘い香りも一面に漂っています。
モンシロチョウも花の蜜を求めて此処彼処に舞っていました。
しばらくの間、菜の花の香りに包まれながら、春の喜びに浸っていました。
地球の底
港の見える丘公園で見かけました。
開国時代に使われていたという深さ30mほどの井戸です。
今では使われていなくて金網で蓋がしてありますが、その隙間から井戸の中を覗いてみました。
扇形をしたレンガが円くビッシリと積まれていました。
緑っぽく見えるのは苔類でも生えているためなのでしょうか。
何だか地球の底まで吸い込まれていきそうで、不思議な暗闇をしばらく眺めていました。
天使の花束
金沢自然公園の駐車場の前で見かけました。
バスケットに入れられた花ボールが二つ、高い所に吊るされていました。
赤・黄・白・緑と、色とりどりの花が咲いていました。
下にある花壇にも同じように綺麗に花が植えられていました。
季節はもうすっかり春ですね。
高い所にある花というのは余り見慣れないので、
何だか新鮮な気持ちになって、しばらく眺めていました。
稲藁の徒然
曽我梅林の近くのたんぼで見かけました。
円筒形に積まれた稲藁です。
神奈川県内ではよく見かける光景ですが、
翌年の実りのための堆肥にしているのでしょうか。
遠目には人影に見えたりもします。
向う側を歩いている二組の人達と妙にシンクロして、
何だか人生の徒然を感じたりします。
街の雪だるま
郊外にある公園で見かけました。
枯れた芝を体一杯に付けていました。
先日に降った少ない雪を掻き集めて作ったのでしょうか。
二つ仲良く並んで立っていました。
陽が当たって次第に小さくなっていくのを見ると、
何だか人生のはかなさを感じたりします。
小里のゲレンデ
横浜市民の森のある広場での光景です。
前夜に降り積もった雪が、朝日を浴びてキラキラと耀いていました。
まるでスキー場のゲレンデにでもいるような感じがしました。
でも数時間もするとみんな融けてなくなってしまい、
ほんのつかの間のはかない夢のようでした。
襟巻の金太郎
不老山の南峰にある道標の上に立っていました。
まさかりを持った20cmほどの金太郎です。
誰にもらったのか、ピンク色の襟巻をしていました。
山頂から下山する途中でも、いくつか見かけました。
金太郎に励まされているようで、ちょっぴり心強く感じます。
温かな服
江ノ電の駅を出たところで見つけました。
パイプの上に小鳥が3羽並んでいました。
どれも可愛い服を着せてもらって温かそうでした。
誰が着せてやったのでしょうか。
きっと優しい心の持ち主なのでしょうね。
海の守り神
とある海辺の神社で見つけました。
鳥居の手前に立てられた左右の柱に1個ずつ取り付けてありました。
幅50〜60cm位の大きさで、木でてきています。
「阿吽」ということでしょうか、左右で若干表情が違っていました。
これの名前や目的はよく分かりませんが、狛犬もそばにあるので、
その代わりという訳ではないように思います。
これを作った人達が持つ歴史へのこだわりなのかも知れません。
木彫りの灯
とある神社の境内で見つけました。
太さ40cm程の木をくり抜き、中には細めの電球が置かれていました。
周りには透明なカバーが付いていました。
灯籠として使用されているのでしょうか、それとも街灯?
プラスチックや金属で出来たものに比べて、どこか温かみを感じます。
そんなことを想いながら、木彫りの灯をしばらく眺めていました。
健気な塊
とある神社の境内で見つけました。
握り拳くらいの塊で、太さ30cm程の杉の木に付いていました。
土などが付着したものではなく、本体の木の一部のようです。
枝打ちの傷痕を覆うように樹液が盛り上がって出来たものでしょうか。
苔むしていて、かなりの年月を生きてきたように思われます。
そんなことを想いながら、健気な塊をしばらく眺めていました。
憂いの翁
散策しているときに見つけました。
道端の草むらにひっそりと佇んでいました。
太さ40cm程の木の切り株に刻まれた翁の顔です。
すべてを悟った表情にも、少し悲しそうな表情にも見えます。
先行き不透明な今の世を憂いているのでしょうか。
そんなことを想いながら、しばらく眺めていました。
瘤こぶの根っこ
散策しているときに見つけたものです。
これは何に見えますか?
単に石が集まっただけのようにも見えますが、
実は、木の根が地面に顔を出したものなのです。
本体の幹はこの傍にあります。
生命の多様性は、時として不思議なものを誕生させます。
心の鏡
散策しているときに見つけた石碑です。
人はみな、すました顔をしていても、一皮むけば嫌なところがいっぱい。
でも、その奥にはやさしい心がきっとあると信じたい。
そんなことを主張しているように感じました。
なんだか、救われるような気持ちになります。
山の微笑み
ハイキングの途中で見つけました。
看板の支柱に彫られています。
太さ10cm程の木に縦に3つ並んでいて、それぞれ違った顔をしています。
怒ったりおどけたりした表情ではなく、少し微笑んでいるように感じます。
行き交うハイカー達を見守ってくれているのでしょうか。
巻いてあるカズラが帽子のような印象で、うまくできています。
これを造った人は、かなり芸術の素養がある方なのでしょう。